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春よ、恋  作者: 音穏
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01.君がいるから

「やぁ」

 ざわつく通りから一つ頭の抜きん出た背の高いすらりとした男が、その店先へやって来た。

 挨拶も簡単に、軽く手を挙げ、笑顔を浮かべている。

 そのすらりとした体躯は武道用の黒に染められた袴と白い長着ながぎ、そして紺の羽織で包まれているが、歩いてきて少々暑いのだろう。白い息は吐いているものの、羽織の袖は肘まで捲り上げられていた。

 その腰には、黒漆の塗られた打刀が下げられていて、町人ではないと一目で分かる。

 だが武士の割りに人懐こい笑顔を浮かべているその男は、店先に立っていた少女の前まで来ると足を止めてそばにあった木製の長椅子に腰掛けた。

「こんにちは、朝陽あさひさま」

「うん、こんちは。春先になったのに、まだ寒いね」

「ほんとに。ですけど、日差しの下は暖かいですよ」

「だね」

 朝陽と呼ばれた青年は声を掛けてきた幼げな顔立ちの少女に、嬉しげに目を細めて。

 長椅子の上に置いたままの品書きを手にする。そこには、「茶団子」、「焼き団子」、「あんころ餅」などなど団子を主とする食べ物の名が連なっていて、そのうちの一つである茶団子を彼は指差した。

「これ、三つほど頂戴」

「はい」

 にっこり微笑んだ少女は、「お待ちくださいね」と柔らかな物腰で伝えると、奥にあるらしい調理場へ足を向ける。

 その途中で別の客の男が、少女に話しかけた。雑談なのか、少女は客の言葉に笑みを浮かべたものだから。

「…」

 顔を顰めて、朝陽は不機嫌さを露にする。

 本日の少女の格好は、花柄の可愛らしい薄桃の前掛けに、茶と白の格子柄の小袖。長い黒髪は結われ、桜のかんざしをつけている。

 動くごとに、しゃらん、とかんざしについた飾りが鳴った。

「お父さーん。茶団子を三つね」

「はいよー」

 少女の父が店の奥から了承の返事。明るい声が、店先にいる朝陽のもとまでよく響く。

 ここは、山間部に位置する八雲町にあるこじんまりとした青海おうみという団子屋。青海という地方の出、というのが店名の由来らしい。

「朝陽さま、はい。お待たせしました」

 暫くすると、茶団子を三つ持った先ほどの少女が、朝陽の前へ戻ってきた。

「ありがと」

 三つの団子が並んだ皿を受け取って、彼は少女に笑いかけると。

「はい」

 少女も、微笑む。とても柔らかく。

 それを見るだけで、朝陽は、身の内で荒海のように荒立っていた気持ちが落ち着いていくのが分かる。

 けれどそれを気づかれてしまうのは気恥ずかしくて、気分を変えるように団子を口へ運びながら、朝陽は笑いかけた。

綾菜あやなさん、今日は買い足しいいの?」

「ええ…先日はすみませんでした」

 申し訳なさそうに、綾菜と呼ばれた少女が先日のことを思い出して頭を下げるから。

 慌てて、朝陽は手を左右に振る。

「違うって、そういう意味じゃないよ!」

 数日前もこうして団子屋へ足を運んだ朝陽が聞いた、材料が足りなくなった、ということ。そのため買い足しに出るという綾菜にくっ付いて、買い物へと出かけたのだ。

 だから、今日も一緒に買い足しと言う名のお出かけができると嬉しい。二人きりで。

 …とは思うものの、朝陽の口からその言葉は出ない。

 ただ否定するだけだ。

 綾菜はその場に立ったまま、団子を食べだした朝陽を見てから、また別の客に呼ばれて移動する。

「…」

 団子を口へ運びながら、朝陽は再び、仕事のために離れていった綾菜の姿を目に捉える。

 小さな背。彼とは頭一つぶん違う。

 同じ黒髪は細くて、柔らかそうだ。触ったことはないけれど。

 そうやって見ている綾菜は注文をする女の客の言葉を復唱しながら、奥へ向かうと、また父親に言付ける。

 息つく暇もなく、今度はまた別の客。今度は男だ。

 それを見て、朝陽の顔は再び歪んでいく。

 町人のようで、何か綾菜へ言っている。文句でもつけているのか、怒った表情だ。

 対して綾菜は、背を朝陽に向けてはいるものの、頭を下げていることから謝罪していると思われる。

「……」

 歪んでいた朝陽の表情に、怒りがこみ上げてくる。

 理由なんて知らない。腹が立ったこともあるのだろう、それとも単なる八つ当たりか。何にせよ、綾菜を困らせている。

 その事実が、彼の怒りを強くしていく。

 何もなくなった皿を持ち、もごもごと口を動かしながら、朝陽はその場から立ち上がる。

 目線は綾菜のいる場から動かない。

 近づくごとに咀嚼して、嚥下した。もう口の中に、団子はない。

「何があったの?」

 たどり着くと、綾菜ではなく、男の客へ彼は問う。普段彼の口調を聞き慣れている人間にしか分からないが、そこには怒りが多分に含まれている。

「あ? おう、あんた、聞いてくれよ! おれぁ、普通の焼き団子が食いたかったってのによ! 餡子入りなんか持ってきやがった!」

「本当に、すみません! あの、お取替えさせていただきますので…」

「あぁ!? それで済むと本気で思ってんのかよ!」

 申し訳なさそうに、綾菜はひたすら謝る。

 確かに注文を間違えるのは良くない。客商売なら、もってのほかだ。

 けれど。

「いえ、あの…そういうわけでは…っ」

 必死な綾菜の前に立ち、朝陽は空になっている皿を押し付けるように渡しながら、けして彼女には見せない冷たく鋭い表情で口火を切る。

「あんたさ、人間だよね?」

「は?」

 いきなりの台詞に、男の客は顔を顰める。意味が分からない、そんな表情だ。

 だがそんな相手へ、朝陽は表情を変えぬまま続ける。

「人間なら、誰だって、失敗くらいあるよ。餡子入りってだけで見た目は全然変わらないしさ。それともあんた、今まで生きてきて失敗の一つもしてないって?」

「な、なんだ、てめぇ…」

 先ほど顔を顰めた男が、睨みをきかせだす。

 体格も良いし筋肉質。声も太くて威勢もあるから喧嘩などよくしているのかもしれないな、と朝陽は頭の片隅で考えてから、にっこりと笑顔を浮かべた。

「客商売なんだし、間違うのは良くない。でもだからってそんなにわめき散らすように攻め立てるのは男として良くないと思うけど」

「…」

 間違いを認めた上での言葉に、男は唇を噛んだあと、"男"という単語を出されたためか素直に引くようだ。顔を顰めたままで、ちらりと彼の腰に下げられている打刀を一瞥したあと、軽く舌打ちをする。

 刀を下げていられるのは、武士だけ、だからだ。武士に歯向かうと、ヘタをすれば斬られてしまう。そう思ったのか、皿に残っていた団子を朝陽に押し付けると、金を払うことなく店から立ち去っていった。

 ざわざわと周囲のざわめきが戻る。

 それで、周囲が固唾を呑んで見守り、静まり返っていたのだと分かった。

「大丈夫?」

 振り向くなり、朝陽は綾菜を見つめる。

 先ほどの冷たい表情は微塵もなく、そこにあるのは思いやりと心配を露にしたものだ。

「は、はい…でも、あの……お客さまにとても失礼なことを…あたし」

「うん。だよね、オレも…大人気ない」

 表情を暗くして綾菜は声を沈ませる。

 何にしても彼女が団子を間違えたことには代わりは無くて、言いくるめてしまったことに罪悪感を覚えているようだ。

 だから朝陽も苦笑して頷くと、「今度通りがかったときにさ、一緒に謝ろうね」と視線を合わせて屈むと目を細めた。

 まだ戸惑いの顔ではあったが、笑いかける朝陽に頷いて。

 慌てて、綾菜は頭を下げる。

「あの、本当にすみませんでした」

「良いんだってば」

 苦笑して、朝陽はようやく屈んでいた身体を伸ばす。まだ、ざわざわと周囲には喧騒があったが、それも少しずつ落ち着きを取り戻してきていた。

 そんな周囲と同じように、朝陽の心に湧いていた怒りも落ち着いてきていて。

 今自分の口から出た通り、大人気ないことをしたと痛感していた。相手が年上のような外見であった気もしたが、それよりも間違いをしたのはどう見ても綾菜であったから。

 …けれど。

「朝陽さま?」

「ん?」

 綾菜が、困っているのを見たら、もう止められなかった。

「お礼に、茶団子をもう少し、食べられませんか? もちろん、あたしの奢りです」

 先ほどまであった暗い表情は消え、綾菜が微笑みを浮かべている。

 ここへ彼が来る最大の理由は、笑顔の彼女が見たい…少しでも近くにいたい。それだけだから。

「ん。貰うよ」

 小さく安堵の息をついた朝陽も笑って頷くと、手近にあった長椅子にぎしりと音を立てて腰掛けた。

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