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【第8話】トオル、旅に出る


 18


 ジャマルは今でもよく覚えている。

 魔物の爪が村の少年を捕らえる刹那、一人の男が現れて少年を救った日のことを。

 男に出会った日のことを。男の名はトオル。

 初めて自分よりも強いかもしれないと思える相手であり、初めて共に戦いたいと思った男だった。

 助けられた少年は、トオルに抱きつき泣いていた。

 トオルは少年の頭をぽんと叩いて言った。


「大丈夫だ。もう大丈夫。俺達は負けないよ」


 負け戦だった。村の警備兵も、雇われた冒険者たちも、油断をしていた。

 大した戦いにはならないと思っていたのだ。辺境の村のちょっとした小競り合いで終わる。

 そう思っていた。常軌を逸した魔物たちの総攻撃で崩れ去るまで、みなが勝ち戦だと思っていたのだ。

 魔物は周到な準備をして冒険者たちをおびき寄せて、大打撃を与えてきた。

 ジャマルは諦めかけていた。この戦は、もうダメだ。せめて自分とリリーだけでも生きて帰らないといけない。

 ジャマルの傍らには、負傷したリリーが倒れている。

 魔物に襲われている村の少年を、ジャマルは助ける力も余裕もなかった。

 腕自慢の冒険者たちも、自分の命を守ることで精一杯だった。

 しかし、トオルだけは違った。

 トオルは少年を村の外れに避難するように指示した。

 少年が走り去っていくのとは反対方向から、魔物の群れが殺到してくる。

 ジャマルは弓を構えた。トオルは剣を抜き放つと、離れたところに立っていたジャマルに向けて言った。


「いくぞ。援護を頼む」

「待て! あの数では……!」

「大丈夫だ。任せてくれ」

「おい!」


 ジャマルが叫んだとき、トオルはもう殺到する魔物の群れに飛び込んでいた。

 トオルはみるみる魔物の数を打ち減らしていった。

 トオルの戦いで、村に居た警備兵や冒険者たちも戦意を取り戻した。

 最後は魔物たちを完全に押し返し、村は救われたのだ。

 次の日の夜、村で戦勝パーティが行われた。

 一番の功労者であるトオルが讃えられ、トオルは遠慮がちに笑っていた。

 助けられた少年は、トオルの側から離れようとしない。

 輝くような瞳で、トオルを見上げていた。

 無理もないと、ジャマルは思った。

 ジャマルは以前からトオルの名前は知っていた。数々の戦いで活躍し、勇名は轟いていた。

 しかし、こんな時代だ。そんなヤツはいくらでもいる。

 ジャマル自身、そんな即席英雄の一人として、讃えられたこともあった。

 多くの英雄と呼ばれる人間を見てきた。トオルもその一人だと思っていた。

 しかし、違った。

 強さだけじゃない。トオルは何かが違うように、ジャマルは感じていた。

 本物なのだと、ジャマルは思った。

 



 戦勝パーティが終わった夜、ジャマルは外で剣を振っているトオルを見つけて声をかけた。


「よお。大したもんだな」

「ジャマル……だったか。援護、助かったよ」

「よせ。お前の力だ」

「妹さんの怪我は大丈夫か?」

「リリーはあれで魔術師としては一流だ。自分で治せるさ」


 ジャマルはトオルの剣技をじっと見ていた。

 トオルは気にせず剣の素振りを続けている。

 鋭い剣先が風が切っていた。

 ぼそりと、ジャマルが言った。


「トオル……お前は、何のために戦っているんだ?」


 ジャマルの言葉に、トオルの剣はピタリと止まった。


「……なあ、ジャマル。お前は二度目の人生があったら、どうする?」


 トオルはジャマルに向き直った。


「なんだそりゃ。人生は一度きりだ。無意味な問いだな。俺の質問と関係があるのか?」


「ああ」

「……もし次の人生があったら……そうだな。危ない冒険者稼業とはおさらばして、商売でもやって大儲けして、美女をたくさん囲って暮らしたいぜ」


 トオルは少し笑った。


「それも……いいな」

「本当にそう思っているのか?」


 トオルは「まあな」と言って、続けた。


「俺は……別に大した人間じゃあなかった。しがないって言葉がぴったりな男だったよ。毎日の暮らしに追われて、日々をすり潰していた。何のためにやっているのか、誰のためにやっているのかも分からない仕事をしていた。でも、そんな日々も悪くないと思っていて、変えようって気も起きなかった。良くないなと思いながら、時間だけが過ぎていった」

「……何のことだ? トオル」

「俺は、俺のために生きる。俺にはこれしかないから。いい機会だと思った。せっかく力を得たんだ。その力を使って、より良く生きたい。今度は悔いなく。そう思ったんだ。それだけだよ、質問の答えは」

「何だかよく分かんねぇな。俺がバカなのか?」


 ジャマルは笑った。


「いや、多分俺がバカなんだよ」


 トオルも笑った。

 二人はその後、仲間になった。

 二年前の冬の出来事だった。


 19


 クライシュ湖に夜明けが迫っていた。

 白々と明け始める空の下で、トオルは仲間たちと再会した。

 トオルは湖を背にして、二人の仲間から放たれる殺気を受け流す。


「今日はいい天気だな」


 言ってみたが、二人は答えなかった。

 数拍置いて、ジャマルは言った。


「どこへ行く気だ?」


 静かな口調だった。


「酒を探しに行く」


 短く端的に、トオルは答えた。


「やっぱりか。そうだろうと思っていたよ」


 ジャマルに驚いた様子はない。


 隣に居たリリーが無言でトオルに歩み寄った。


「おい、リリー」


 ジャマルが呼び止めるが、リリーは構わずトオルの目の前までやってきた。

 トオルは、リリーを見た。つかつかと歩いてくるリリーの拳には、魔術の紫光が揺らめいていた。


「トオル。今まで私達を騙していたわね。本当のことを、ずっと言わなかった」


 ひりつくような殺気が、トオルに向けられていた。


「……そうだ」

「そして勝手にパーティを抜けるのね。私達に声もかけないで」

「……ああ。俺達の目的はもう違っている。済まない」

「トオル、歯を食いしばって」


 リリーは言った。

 次の瞬間、弾けるような音がクライシュ湖のほとりに木霊した。

 魔術で強化された拳で、リリーがトオルの頬を思いっきり殴ったのだ。

 トオルは遥か後方まで吹き飛ばされた。


「トオルの大バカァァァァァッ!!!」


 倒れているトオルに、リリーは叫んだ。


「酒なんて飲んで! 死刑になって! 大バカよ! その上酒を探しに行くって! 馬鹿にも程があるわよ! もう泣いて謝るまでパーティに入れてあげないんだからね! バカバカバカぁ!」


 リリーは泣きじゃくりながら言った。

 トオルは立ち上がった。


「ごめんな、リリー」

「もういいわよ!好きにしなさいよ!その代わり、私たちが魔王軍に負けたらトオルのせいだからね!」

「リリー。パンと牛乳、ありがとう。本当に助かったよ。あれが無ければ、保たなかったと思う」


 そう言うと、リリーは顔を伏せた。


「別に、いいよ……。私は……トオルが……」


 そこまで言って、リリーはかぶりを振ると、ジャマルの方に戻ってきた。

 ジャマルは小さく声をかけた。


「もういいのか、リリー」


 リリーは涙をぬぐう。


「うん。ちょっとすっきりした」

「そうか。じゃあちょっと下がっていろ。お前は手を出すな」


 眼光鋭く、ジャマルはトオルを流し見た。


「ジャマル……?」


 ジャマルはリリーを下がらせた。

 そして距離を保ちながら、トオルに声をかけた。


「トオル、お前はあのとき言ったな。自分のために戦うと」


 ジャマルは弓を引き絞った。


「このまま行かせてくれないか。お前と戦いたくはない」


 トオルは言った。


「ダメだね。ケジメを着けてもらう。酒なんて関係ない。お前は俺たちの仲間になった。共に戦うと誓ったはずだ。出ていくなら、ケジメをつけろ。俺が勝ったら、酒を探す旅とやらは、止めてもらう。お前が勝ったら、好きにしろ」


 ジャマルは言い、そして飛んだ。

 湖のほとりは林になっており、多くの木々が林立していた。ジャマルは飛び上がると、木々の間に身を潜めた。


「お前が戦いを拒否しようと、知ったこっちゃねぇ。死んだらどうせ旅は出来ない。戦うしかないんだよ」


 木々のどこかから声がする。


「トオル!お前の能力は知っている。勝てると思うなよ」


 鋭い風切音が、耳に届いたとき、トオルは能力を使って時を止めた。

 ジャマルの放つ矢が、1秒前のトオルを撃ち抜いていた。

 能力を使わなければ、確実に撃たれている。


「くっ!」


 トオルは飛び退いた。

 トオルは湖を背にして、木々を盾にしながらジャマルの矢を躱し続けた。

 距離を詰めて近接戦闘に持ち込みたいトオルだが、ジャマルはそれを許さない。

 常に一定の距離を保ちつつ、必殺の一撃を放ってくる。


(強い……! とてつもなく……!)


 能力が知られているデメリットは確かにある。しかし、トオルはたとえ能力がバレていようと、倒せる自信はあった。しかし、これほどとは……!!

 高速で木々の間を移動して隠れながら接近しようとしているトオルだったが、ジャマルはそれを予想していたように矢を放って来る。近づけない。時間を一秒ずつ止めながら動いているというのに、ジャマルはトオルの動きを捕らえ続けていた。


「どうしたトオル。こっちだぞ」


 林の中から声が響く。時を止める。振り返ると、矢が目前に迫っていた。弾けるように飛び退いて、射線をたどるが、そこにもうジャマルの姿はない。

 ジャマル……お前はやっぱり最強の弓兵だ。

 トオルは剣を抜き放った。


「ようやく剣を抜いたな。だが無駄だ!」


 再び矢が放たれた。トオルは剣で撃ち落とす。

 瞬間、矢が爆発を起こした。トオルが撃ち落としたのは、ジャマルが持っている4種の魔術刻印矢の一つ、爆弾矢だった。トオルは時を止める間もなく吹き飛ばされ、燃えながら湖に落ちていく。

 大きな水音を立てて、トオルは湖に落下した。


「剣を使うのを待っていたんだ。確実に撃ち落としてもらうためにな。死んじゃあいないだろ。出てこいよ。もう自慢の足は使えないぜ」


 ジャマルは林から出て、湖のほとりに姿を現した。湖のどこから出てきてもいいように、油断なく弓を構えている。


「俺の勝ちだ。トオル。お前は行かせない」


 ジャマルが言った。トオルが落ちた場所の波紋が収まると、水の底から大きな木の幹が浮かび上がってきた。


「……!」

 ジャマルが気付いたときはもう遅かった。ジャマルの背中に剣が突きつけられいた。


「ジャマル。俺の勝ちだ」


 爆発でボロボロになったトオルが、剣を構えてジャマルの後ろに立っていた。


「トオル、てめぇ爆発をモロに喰らいやがったな。能力を使わずに」


 振り向かずにジャマルは言った。


「おまえを欺くには、犠牲は必要だ。時を止めて、黒焦げになった俺と木を入れ替えて湖に落ちたと錯覚させるためにはな」


 トオルは剣を握り直した。


「この距離なら、お前に勝ち目はない。何をやっても、無駄だ。お前なら分かるはずだ」


 トオルは言った。


「……っち。どうしても、行くのか」


 ジャマルは弓を下ろした。


「ああ……」

「魔王は、この世界はどうする?」

「俺は、俺のために生きる。もう魔王は関係ない。魔王が俺の邪魔をするなら、倒すまでだ」

「お前はやっぱりバカなやつだ。トオル」

「……分かっている」


 ジャマルは振り返った。


「好きにしな。もう邪魔はしねぇよ。俺達は俺達で好きに旅を続けるさ。魔王を倒すための旅をな。行くぞリリー」


 ジャマルはそのままトオルの横を通り過ぎて、リリーの元に向かった。


「幸運を。ジャマル、リリー」


 トオルは言った。

 振り返ることなく、ジャマルは一度手を振った。


「じゃあな。俺も願っているぜ。……幸運を、じゃあない。魔王がお前の邪魔をすることをな」


 そう言って、去っていった。


「ジャマル、いいの?」


 リリーが言った。


「ああ。俺とあいつとは、道が別れた。それだけだ。トオルは別に何も変わっちゃいない。バカのままだ。また会うこともあるさ」


 ジャマルは少しだけ笑った。

 二人が去ると、トオルはバタリと湖のほとりに倒れた。

 そう言えば、三日間まともに寝ていないことを思い出しながら、トオルの意識は落ちていった。

 

 20

 

「……トオル……トオル!」


 どれほど眠っていただろう。明けかかっていた空にはもう太陽が登っていた。


「トオル! 大丈夫!?」


 ラティカの声で目を覚ます。


「ラティカ姫……?」

「良かった。気が付いたのね」


 トオルは上体を起こした。


「ラティカ姫、ご無事で」

「あなたがちっとも無事じゃないじゃない!やっぱりトオルでも、街からの脱出は大変だったのね」

「それもありますが、他にも色々ありまして……また話します」


 トオルは起き上がった。


「いい天気ですね。旅に出るには、ちょうどいい」

「ええ……」


 ラティカも応えて立ち上がる。


「……ラティカ姫。これからの旅は、栄誉とは無縁の旅になります。今引き返しても、構いません。本当にいいのですか?」


 トオルは言った。


「くどいですよ。私は自分で決めたのです。あなたに言われたからではありません」

「わかりました。では行きましょう。国から追手が放たれているかもしれません。ここも安全とは言えないでしょう」


 トオルが促すと、ラティカはトオルの袖を掴んで止めた。


「その前に!ちょっと!」


 ラティカはとっておきの宝物を用意していたことを思い出した。


「実は持ってきたのよ。私の部屋のお酒」


 ラティカは自分の大きい肩掛けバッグから、ウィスキーのボトルを取り出した。


「ラティカ姫! 初めて会ったときから思っていましたが、あなたという方は何て最高のお姫様なんだ」

「ふふふ。ありがとう。でもトオル、私はもう姫ではありません。あなたがもう英雄とは呼ばれないように、私も一人の酒飲みです。これからは仲間としてざっくばらんにいきましょう。ラティカと、呼んでください」

「ではラティカ!さっそく一杯やりましょう!」

「……あなたって、やっぱりお酒のことになると勢いが違うわね。危ないと言ってたのに……切換早い」

「失礼しました」

「いいのです。私が言ったことですから。旅の景気づけです」


 ラティカはバッグからマットを取り出すと、地面に敷いた。

 グラスを2個置いて、二人で向かい合って座る。

 陽光が差し込む湖のほとりで、二度目の酒宴が始まろうとしていた。

 ラティカは互いのグラスに酒を注いだ。

 トオルはほぅとため息を漏らす。

 ゆるりと注がれる酒はまるで太陽のようで、その光は美しいグラスの中で昴の光を放っていた。

 琥珀色の輝きから、勇気が湧いてくるような芳醇な香りが溢れ出る。

 トオルとラティカはグラスを手に取り、胸の高さまで掲げた。

 このグラスが、二人の手に入れた全てであった。

 ラティカは笑った。これでいいと、思ったのだ。

 トオルも笑顔を返した。


「では、旅の祝福を願って」

「さらなる美酒を求めて」

「「乾杯」」


 小気味の良い音が青空に響いた。

 二人の旅の、最初の一杯だった。

 

 

何とか完結しました。

楽しんでいただけたら幸いです。

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