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【第4話】トオル、牢獄でパンを食べる


 8

 

 悪魔の水を飲みしもの、その顔、炎のように赤くなりて、知性の低下すること著しく、ときに暴れ、暴言を吐き、その全てを忘れてはばかることがない。彼の者は頭痛を催しながら嘔吐を繰り返し、それでも酒を求めるであろう。

 

 最初にラティカを発見したのは城の侍女だった。

 自分の部屋の前で倒れていたと言う。


「医者を呼んで! 早く!」


 速やかに医者が呼ばれた。ラティカの顔は赤くなり、頭を押さえながら嘔吐を繰り返していた。

 ラティカは何かを喋っていたようだが、ろれつが回らず、何を言っているのかよく分からない。

 侍女も医者も、たちの悪い風邪にかかったのだと心配した。

 そこにサリム大臣が現れた。

 ラティカ姫の様子を見て、サリム大臣は息を呑んだ。

 サリム大臣は医者に素早く指示を飛ばした。


「ラティカ姫は部屋で眠らせなさい。水を飲ませて。何を言っても気にしないように。ラティカ姫は病である。決してこのことを口外するな。伝染る心配はない。ただ、口外だけは決してするな!」


 そう言って、サリム大臣は部屋を出た。


「大臣、どこへ?」

「人を呼べ。聖堂へ行くぞ」


 数人の兵士を連れて、サリムは中庭の聖堂へと駆け出した。




「ラティカ姫が部屋の前で倒れていた。トオルよ、何か知っているのではないか」


 サリム大臣は眼光鋭くトオルを睨めつけた。トオルの表情、匂い、足元を注意深く観察した。

 トオルは観念したように答えない。

 兵士たちは、昨夜英雄として讃えられたトオルに槍を突きつけることに戸惑いを感じているようだった。


「大臣、なぜ我々は英雄トオル殿に槍を突きつけているのでしょう」


 誰かが声を発した。トオルに向けられた槍の穂先がゆらゆらとブレる。


「誰が狙いを外せと言った! 奴は剣技の達人だ! 昨夜の剣舞を見た者もいるだろう! 妙な動きをしたらすぐに突き殺せ! いいな!」


 大臣の激が飛ぶ。


「しかし……」


 尚も躊躇う兵士たちに対して、サリム大臣は言った。


「トオルは昨夜、悪魔の水――酒を飲んだ疑いがある! その意味が分かるな!!」


 その言葉を聞いた瞬間、兵士たちの目の色が変わった。

 先程までブレていた槍が、ビシリとトオルの急所に狙いを定め、今にも突き殺しそうな距離まで穂先を進めていた。


「なんという馬鹿なことを!」

「英雄ともあろう方が!」

「許せないぞ! 悪魔の水を飲むなんて!」

「やめろ! 口の端に乗せるのも汚らわしい!」


 兵士たちの怒声が響いた。

 トオルは諦めたように両手を上げた。


「サリム大臣、あなたは知っていたのですね。この聖堂にあるものを」


 トオルが言った。そしてトオルが二の句を告げる前に、大臣が叫んだ。


「こいつを捕らえろ! 地下牢獄にぶち込んでおけ!」


 トオルは数人の兵士にのしかかられて、為す術もなく捕まった。

 あっという間に猿ぐつわをされて、後ろ手に縛り上げられる。

 酔っ払った体で抵抗が出来るはずもなく、トオルはハイヤーム城の地下牢に放り込まれたのだった。

 



 暗く湿った牢獄だった。

 トオルは両手両足に手錠をかけられ、体の自由が奪われたまま、床に転がっていた。

 建国時からある地下牢は、対魔法の合成石で出来ており、魔術の類を一切受け付けない。

 鉄格子も手錠も、同じような素材であろうと、トオルには思われた。

 トオルの能力でも、自力での脱獄は不可能だった。

 ハイヤームの地下牢獄は滅多に使われることがない。

 トオルが入っている牢屋の他にも、いくつか部屋があったようだが、人の居る気配はなかった。

 超一級の政治犯や、重大な事件を起こした犯罪者を一時的に閉じ込めておくための場所だった。

 彼らの行き先は、処刑台と決まっていた。

 ハイヤームは法治国家である。どんなことでも法に則って処罰される。

 酒を飲んだらどうなるかも、法律に明記されていた。

 思い出すまでもなかった。

 トオルはこの世界の酒に関する法律をよく知っていた。

 死刑だ。

 酒を飲んだことが確定した段階で、死刑になる。ただの死刑じゃない、公開処刑だ。

 ギロチンだったか火あぶりだったかはあまり覚えてないが、どちらでも同じことだ。


「せっかく酒を見つけたのに……これか……。俺と酒はハイヤームで余程相性が悪いみたいだ……。くそ」


 思えば、ハイヤームにおけるトオルの失敗は全て酒に起因していたように思われる。

 不用意な発言でパーティを追われ、飲酒詩で街を追われた。

 そしてとうとう酒によって命まで取られようとしている。

 ――それでも。


「昨日の酒は最高だったな……。ハイヤームにも酒があったんだ。この世界には他にどんな酒があるんだろう。葡萄が原料のワインがあって、麦が原料のウィスキーもあった。この世界にはまだ色々な酒があるだろうな。ああ、死ぬ前にもっと酒が飲みたい」


 トオルに後悔はなかった。

 たとえ死んでも、トオルの酒好きは治りそうもなかった。

 



 気になるのは、ラティカ姫のことだ。

 彼女は大丈夫だろうか。王女とて、飲酒が公になれば、無事ではいられない。

 法に則れば死刑になってもおかしくないが、トオルと同じ地下牢に居ないところを見ると、王女の飲酒はまだ発覚していないのかもしれない。

 いや、発覚しているが、サリム大臣が隠している可能性が高いとトオルは思った。

 サリム大臣。

 奇妙な男だと思う。彼は聖堂の酒について知っていた。でなければ、あれほど早く駆けつけて、トオルを捕らえられるはずがない。

 禁酒のハイヤームで酒の存在を知りながら隠していた。一体何が目的なのだろう。ラティカが地下室を見つけて2年の間、地下室に訪れた人間はいないと言う。

 狙いは何だ。トオルは思考を巡らせる。答えは出ない。

 しかし、少なくとも、ラティカを匿ってくれていることには感謝したい。

 あの可憐な王女様は、酒を飲んだだけだ。


「少々飲み始めるのが早いのはマズかったが」


 それで殺されるのは、あまりにも可哀想だとトオルは思った。

 ラティカは、この世界で初めて出来たトオルの飲み友達だった。

 無事で居て欲しい。

 そして、また彼女と酒を酌み交わしたい。

 しかし、それが叶いそうもないことは、冷たい牢獄の床が物語っていた。

 

 トオルの牢獄に面会者が来たのは、その日の昼過ぎだった。

 朝方地下牢に放り込まれたトオルは、浅い眠りについていた。


「こいつがトオルか」


 男が牢屋番の兵士とやり取りをしている。

 トオルは目を覚ました。


「誰だ?」

「起きていたか英雄さん」


 金色の鎧をまとった騎士と、二人の部下だろう男がトオルの牢の前に立っていた。


「龍青騎士団のカリムだ。お前に聞きたいことがあってな」


 金色鎧の騎士が言った。

 トオルは床に転がったまま、カリムを見た。凛々しい鎧姿とは裏腹の酷薄な笑みを浮かべていた。


「やれ」


 カリムが言った。その瞬間、部下の一人が鉄格子の隙間からトオルは顔面を蹴り上げた。


「……がっ!」


 トオルは地面を転がった。カリムと部下は鉄格子の扉を開けて、中に入ってきた。


「随分情けない姿じゃないか。昨夜の英雄が、今じゃあ牢屋に這いつくばっているとは」


 カリムは言った。トオルは折れた歯を口から吐き出した。


「何の……用だ?」


 トオルが言葉を発すると、再びカリムの部下はトオルの腹を蹴り上げた。

 鈍い音が牢獄に響く。


「質問するのは俺だ。馬鹿みたいに答えてろ。悪魔の水を飲んだってのは本当か?」

「本当だ……」

「ふむん……。つくづく馬鹿な男だな。そのまま出世すれば、我ら龍青騎士団に入ることも出来ただろうに」


 トオルは昨夜のラティカの話を思い出していた。この男が、ラティカのかつての婚約者か。


「名誉ある龍青騎士団に入れず……残念至極です」

「やれ」


 カリムの部下はトオルの頭を掴んで地面に叩きつけた。


「英雄さん。バカにしているのかい?」

「……まさか。とんでもない」

「ふん。まあいい。この状況で、腹が据わってやがる。さすが勇者と言ったところか。聞きたいことは一つだ。昨夜、お前さんは一人で酒を飲んだのか? 誰か居たんじゃないか?」


 カリムの鋭い眼光が突き刺さる。不用意な答えは、さらなる暴力を呼ぶだろう。


「酒を飲んだのは、俺一人だ……。当たり前だろう」

「やりますか?」


 部下の一人が言った。カリムは手で部下を制すると、今度はカリム自身がトオルを抱き起こし肩に手を置いた。


「ラティカの様子がおかしい。朝から風邪で寝込んでいて、俺でさえ会えない。あいつは時々夜中に居なくなるという話を聞いた。お前と一緒に悪魔の水を飲んでいたんじゃないか? 素直に話せば死刑にならないよう取り計らってやる。さあ話せ。俺はあの女に復讐をしたいだけだ。お前に敵意はない。むしろ俺はお前の力を高く買っているのだ。本当のところを話せば、龍青騎士団に入れてやってもいい」


 トオルは少し笑ってしまった。

 ラティカに聞いた通りじゃないか。


「へへ……酒を飲んだのは俺一人ですよ。生憎ですがね」

「やれ」


 部下の二人がトオルを踏みつけた。

 ボロボロに踏みつけられて、トオルの意識が遠のく。


「カリムさん。まだ刑が確定していませんので、その辺でお願いします」


 外に控えていた牢屋番が言った。


「ふん。そうだな。本当に一人だったのか、答える気がないのかは分からんが、まあいい。刑が確定したら本格的な拷問にかけて聞き出すとしよう。くくく……酒を飲んだ者には、何をしても許される。明日の裁判が楽しみだな」


 そう言って、カリムと部下の二人は牢から出ていった。

 途切れそうになる意識の中、トオルは思った。


「本当に結婚しなくてよかったな……ラティカ」




 二人目の面会者が来たのは、その日の深夜だった。

 トオルは飲まず食わずのまま、牢獄に放置されていた。

 焼きたてのパンの匂いにトオルは目を覚ました。

 暗闇の中から、人の気配が近寄ってくる。


「トオル……いる?」

「ああ」


 声の主はパーティの仲間リリーだった。手にはパンと牛乳を持っていた。


「心配したんだよ、トオル。ひどい顔になっているわ」

「ちょっと、色々あってな」

「これ食べて。朝から何も食べてないんでしょう」

「助かるよリリー。ありがとう」

「いいの」


 リリーはそう言って、鉄格子の隙間からパンと牛乳をトオルに渡した。

 トオルは手錠をされたまま、パンと牛乳を綺麗に平らげた。

 一息つくと、二人は話し始めた。


「よく入って来られたな。地下牢の外は警備の人間が何人もいるだろうし、そこに牢屋番もいるのに」


 不思議なことに、牢屋番はリリーの姿が見えてないようで、トオルが食事をしていることにも無頓着だった。


「気をそらす魔法をかけたの。だからしばらくは大丈夫」

「さすがリリーだ。ジャマルは居ないのか?」

「いないよ。来たくないって」

「そうか……」

「ねえ、トオル。トオルは本当に悪魔の水を飲んだの? 何かの間違いなんでしょ? トオルがそんなことするはずないもの。私もジャマルもトオルの仲間だってことで、飲酒を疑われてる。トオルがそんなことするはずないって言っても誰も信じてくれない」


 リリーはすがるように言った。

 瞳には涙が溜まっているのが見えた。

 嘘はつけないとトオルは思った。

 これ以上、仲間を欺き続けるのは、かえって迷惑がかかる。


「飲んだ。本当だ」

「なんで!? どうしてそんなことをしたの!? トオルはヌワース教徒じゃない! 昨日もヌワースの歴史を勉強してた! 私よりもずっと熱心な信者だったのに」

「俺はヌワース教徒じゃない。偽物なんだ。ヌワースの歴史については、禁酒の戒律について学ぶために読んでいた。騙していたのは、本当に申し訳ないと思っている」

「そんな……ひどいよトオル。何か理由があるんだよね」

「俺はこの世界の人間じゃないんだリリー」

「……どういうこと?」

「俺は5年前、ハイヤームに転生した。前に居た世界は日本。この世界の常識とは何もかも違う異世界だ。そこでは酒が合法であり、俺は日本で日常的に酒を飲んでいた。俺は、酒が大好きだった」

「……嘘だよ。信じられないよ」

「全部本当なんだ。だから、俺はこの世界でも酒を求めた。そしてこのザマさ。でも後悔はない。酒は最高なんだ。飲めば分かるよ。あれほど素晴らしいものを禁じているヌワース教はアホだと思うね。飲めば体が火照って気持ちよくなってくる。寒いときなんて最高さ。味気ない料理でも、酒さえあればおいしくなる。どんなに落ち込んでいても、酒を飲めば忘れられる。酒を飲まないなんて勿体無いぜ。ヌワース教なんてクソ食らえだ。そうだ。もしここから出られたら今度一緒に酒を飲まないか?」

「……ッ!」


 リリーは何も答えなかった。

 ただ唇をかみしめて、ポロポロと涙を流している。

 トオルは見ていられず、顔をそらした。

 そして再び顔を上げると、リリーの姿はどこにもなかった。

 これでいいんだとトオルは自分を納得させる。

 自分に妙な同情をして、仲間たちを巻き込むわけにはいかない。


「ごめん……リリー。今まで、ありがとう」


 寒々とした牢獄に一人きりになり、トオルは思案にくれた。

 トオルは全てを失った。

 この世界で築き上げた地位も名誉も財産も、仲間さえも失った。

 今のトオルには何もない。

 それでも――。

 トオルは拳を握る。食事をしたことで、少しだけ力が戻ってくるのを感じる。

 命だけは、諦めるわけにはいかない。

 

 9


 同じ頃、王宮の一室で、二人の人間が話し合っている。


「サリム大臣! ここから出して! 私はもう大丈夫です!」

「そういうわけには行きませんラティカ姫。あなたは今、ご病気なのです」

「治ったって言っているでしょう!」

「ふふふ。治ったとは何が治ったのでしょうか」

「風邪よ! 風邪をひいていたの! もう治った!」


 ラティカの言葉に、サリム大臣は笑った。


「な、何がおかしいのよ」

「笑わせるな!!」


 腕を振り上げ、サリム大臣はラティカの頬を張った。

 ラティカは吹き飛ばされて倒れた。


「何をするのです!! 王女に対する狼藉! 許しませんよ!」


 ラティカは頬を押さえて気丈に言い返すが、大臣の笑みは崩れなかった。


「知らないとでも思っているのか?おめでたい王女だな。お前は悪魔の水を飲んだのだ」

「……な、なんでそれを」


 ラティカは青ざめた。


「お前の朝の状態、あれは全て悪魔の水を飲んだ者に現れる症状だ。20年前の負の遺産、お前はあの地下聖堂の酒を飲んだのだ」

「サリム大臣……あなたは……あれを知っていたのですか?」

「ふん。知っていたさ。何かに使えるだろうと残しておいたが、こんな形で役に立つとはな」

「私を……どうする気なのです」

「そうだな。まず、お前の生殺与奪は私が握っているということを忘れるな。公表すれば、いかに王女と言えど死は免れない。だが、一国の王女が酒を飲むという大スキャンダル……国への信頼が揺らぐ。それは望まない。老いぼれ国王もそろそろくたばる頃だろう。今後お前は王女として、国位を継ぎ、私の傀儡になってもらおう」

「そんな……そんな……」

「安心しろ。公にはあの酒はトオルとか言うバカ勇者が持ち込んだことにする。罪は全てあいつにかぶってもらい、死んでもらうことになるだろう。法務を司るのは私だ。間違いなく死刑にする」

「トオルは何も悪くない! あの人は……! 悪いのは私一人だ! この世界で酒を飲んだ私一人だ!」


 ラティカは立ち上がり、サリムに掴みかかろうとした。


「ふふふ。御しがたい勇敢さだ。いつからそうなったのか……。だからあなたは邪魔だったのだ」


 サリムは口の中で呪文を唱える。

 急激な眠気がラティカを襲った。


「な、何を……!」

「単なる睡眠魔法ですよ。これくらいなら私にも出来る。明日の裁判が終わるまで、ゆっくり休んでいてください。あなたはご病気なのです」


 サリム大臣は振り返って外に出ていく。


「ま、待ちなさい」


 足元がふらついた。まぶたが重い。立っているのがやっとだった。


「そうそう、カリムの奴がラティカ姫の飲酒を疑っていましたよ。もし今後妙な動きをしたら、あいつにあなたを差し出すとしましょう」


 そう言い残し、サリム大臣は部屋を出ていった。

 サリム大臣はラティカの部屋に誰も入らないよう厳命した。


「畜生……!」


 ラティカは倒れ込むと、意識を失った。

 

次回投稿は4月10日予定です。

よろしくお願いします。

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