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【第3話】トオル、槍を突きつけられる

 6

 

 トオルは葡萄色の液体を口に含むと、舌の上で軽く転がしてから飲み込んだ。


「くぅ……! う、うまい!」


 トオルはどんな酒も好きだったが、特にワインとウィスキーには目がなかった。


「ブルゴーニュ系のピノ・ノワールに近い味わい……。ぶどうの風味が実にエレガント……。20年ものってところかなぁ。ああ、おいしい。しかし20年もの? つまりこの酒は20年以内にどこかで作られている。ごく最近だ。ヌワース教が興り、人々の間に広まったのは700年前と言うことだし、その間も脈々と酒造りの技術が受け継がれていた……? つまり、飲むやつがいたってことだ。禁酒を建前にして、こっそり酒を飲んでいる奴らがいる! なんて羨ましい……! しかしこの世界にあるなら、俺だって手に入れることは出来る。ふふふ、使ってやるぞ。俺がこの世界で得たものを全て使っても手に入れてやる」

「あのぉ」

「酒さえあれば、この世界はパーフェクトワールドじゃないか。ああ、昨夜のチーズとローストビーフが今欲しいぞ。今欲しい!」

「トオル!」


ラティカの呼びかけでトオルは我に返った。


「……すいません。酒のことになるとどうも我を忘れるタチでして……」


 トオルは頭を下げた。

 下げたついでに再びグラスにワインを注いで、また飲んでいた。

 王女に対する無礼な姿を、ラティカは咎めなかった。

 驚いたように、トオルを見つめている。


「……あなたは本当に、この世界の人間ではないのですね。そんなに堂々と、お酒を飲めるんですもの」

「王女の前で失礼しました。そうです。5年前、私はこの世界とは全く違う異世界、日本から来ました。そこでは酒が飲み放題。私くらいの年齢になると、毎晩のように酒を飲み、ときには友や仲間と酒を酌み交わすのです」

「それは……なんて野蛮で、愚かな世界なのでしょう」

「そうなのです。清くも正しくもない、どうしようもない世界です」

「でも……」


 王女は頬を赤らめて遠くを見つめるように言った。


「楽しそうな世界ですね」

「はい」


 トオルは頷いた。

 



 トオルはテーブルに置いた2つのグラスに黒いボトルからワインを注いで、ラティカにグラスを持たせる。


「こうですか?」

「そうです。こうしてグラスを胸の高さまで持ち上げて、私の目を見て下さい」

「はい」


 二人は見つめ合った。


「そして軽くグラスを合わせて笑顔で……」

「「乾杯」」


 小気味のいい音が響いたあと、二人はおいしそうにワインを飲んだ。


「こんな感じですね。正式な場ではグラスを合わせないのですが、ここなら問題ないでしょう」

「正式な場でお酒を飲むことがあるのですか」

「ええ。例えば先程の宴席の場で、酒は欠かせないものでした」

「想像もつきません」

「そうだと思います。だからこそ聞きたい。ラティカ姫、この酒はどこで手に入れたのですか?聖堂の下にあったということは、酒の製造にハイヤーム国が関与しているのでしょうか」


 ラティカはワインを口に含んで舌の上で転がしてから飲み込んだ。

 トオルの飲み方を真似したようだった。


「この飲み方は口の中にぶどうの風味が広がっていいですね。質問のことですが……実は両方共分からないのです」

「どういうことでしょう。あ、その飲み方は最初の一口だけでいいですよ」

「そうですか。ちょっと真似てしまいました。私がこの酒を見つけたのは全くの偶然なのです。だから聖堂の地下室のことは、国の誰も知らないと思います。国王も知りません。かつて宝物庫として使われていたらしい痕跡は残っていますが、今まで一度もここを訪れた者はいませんでした。私の知る限りは。聖堂自体は建国時に建てられたと聞いています。長い年月を経て、地下室の存在が失われてしまったと私は考えています。先ほど20年ものとおっしゃいましたね」

「はい。おおよそですが」

「ということは、20年以内に誰かがここに酒を運び込んだということですか」

「そうなります。最長で20年以内です。ラティカ姫がこの地下室を見つけたのはいつですか?」

「2年前です。17歳の頃でした。少なくとも、そのあと、この地下室に入った人はいないと思います」

「……その頃から、飲んでらしたのですか?」

「はい……そうですが……?」

「それだと日本でも違法ですね」

「ええぇ! そんな! 飲み放題じゃなかったのですか!」

「いや、未成年の飲酒は心身の健全な発達を阻害して、急性アルコール中毒になるリスクも大きくてですね……」

「ときどきですよ! ときどき! 公務があるときは、どうしても緊張してしまって、うまくいかないことも多くて……お酒を一杯引っ掛けていくと、いい感じに気分が上がってうまくいくのです!」


 トオルは昼間、ラティカ姫から感じた酒の匂いを思い出していた。そういうことだったのか。

 酒を知る者が居ない世界だから、多少酒の匂いをさせていても問題ないということなのだろう。

 それこそ香水の匂いだと思うのかもしれない。


「いやまあ私も人のことは言えないので文句はないです」


 トオルはワインを飲むんだ。


「うう……。私みたいな小娘に、王女の威厳なんて簡単に出せるわけないじゃないですかぁ。トオルは知らないでしょうけど、王女はとっても大変なんですからね。お父様はお年だし、大臣たちはちっとも言うことを聞かないし、キライな人と結婚しないといけないかもですし、民はあーだこーだうるさいですし」


 そう言って、ラティカはグラスを煽って空にすると、トオルに差し出した。


「ラティカ姫、大丈夫ですか? かなり酔っているみたいですが」

「まだ大丈夫ですよ。これでも酒量はわきまえています。初めて一緒に飲んでくれる人が来たのに、飲まずにはいられますか。トオル、あなたこそ5年ぶりに酒を飲んだのです。遠慮はいりませんよ。好きなだけ飲みなさい。ここにはまだたくさんの酒がありますから!」


 地下室の据え付けの棚には、ワインボトルの他に、ウィスキーのようなものも見えた。

 他の種類の酒もいくつかありそうだった。


「ありがたきお言葉! 遠慮なく頂きます!」


 トオルは2つのグラスにワインを注ぎ、ラティカに渡した。

 ランプの光に照らされた二人の顔には上気した笑顔が浮かんでいた。

 

 夜明け前、二人だけの酒宴は、まだ続いていた。


「ラティカ姫。やっぱり、地下室に酒を持ち込んだ何者かに心当たりはないんですね」

「はい。城の者ではないと思います」

「しかし、城に精通している人間である」

「そうなんです。そこが不思議なんですよ。私はてっきり建国時からここに置いてあるものだと思っていました。トオルが20年と言うので、少しドキリとしました」

「20年という年月に、何か心辺りが?」

「約20年前、大きな戦争があったんです。魔王軍とではなく、人間同士の大きな戦がありました。戦は、私が生まれる前くらいに始まり、私が生まれて少ししたら終わりました」

「興味深い話です。どういった理由の戦だったのでしょうか。私はその戦の存在自体知りませんでした。この世界の人間たちは、とても仲がよく、あまり人間同士で争うこともないように感じていたのですが」

「恥ずかしい話なのですが、よく知らないのです。20年前の戦の話は、この国ではタブーなのです。調べることも許されていませんし、当時の資料も全て焼き払われたと聞いています」

「タブー……。何か引っかかりますね」


 トオルは考え込みながら、琥珀色の液体をくいっと飲んだ。

 二人の酒はワインからウィスキーに変わっていた。


「トオル。この酒は水で割るものだったのですね。この方が飲みやすくて好きです」

「まあ好みです。ロックで飲む人もいますし、レモンスカッシュで割ってもおいしいですよ」

「へえ。知りませんでした。今度試してみましょう」

「そのときは是非呼んでください」

「もちろんですよ」


 ラティカは興味深げにウィスキーのボトルを眺めていた。

 トオルはラティカの輝くような瞳を見て、つぶやいた。


「それにしてもラティカ姫、この酒の出処以上に不思議なのはあなたです」

「……私、ですか?」

「はい。禁酒のハイヤームでヌワース教の教えを受けて育って、どうして酒を飲もうと思ったのですか。元々好きだった私はともかく、ハイヤームでの飲酒は絶対の禁忌です。私自身、酒のためにずいぶん失敗をしたのです」

「そうでしたねぇ。アレは傑作でした。飲酒詩、ですか? そんなとんでもないモノを書いて、別の人に拾われて街を追われるなんて。飲酒魔導書の話は王宮まで噂が広がってきたのですよ。みんな犯人探しに躍起になっていました。それはもうすごい剣幕で。でも私、実はこっそり作者に会いたいと思っていました。夢、叶っちゃいましたね」

「お恥ずかしい限りです」


 ラティカは笑った。そして、ウイスキーが入ったグラスを楽しげに見つめた。


「私、2年前に死のうとしていたんです。それを救ってくれたのが、この地下室の酒でした」

「……差し支え無ければ、聞かせてもらえますか」

「人に話すのは初めてです。当たり前ですけどね」

「この場で話したことは、何もかも泡となって消えます。安心してください」

「そうですね。これは酒宴ですものね。最後には全てを忘れて、はばかることがない場所」


 ラティカはぽつぽつと話しだした。


 7


「当時の私には結婚話が持ち上がっていました。17歳ですから、まあ当たり前ですね。相手はハイヤーム最強と言われる龍青騎士団団長の一人息子カリムです。剣の腕はハイヤームで一番と言われています。頭も良くて、家柄も最高、若者らしい精悍な凛々しさを備えており、婦女子の憧れでした。清く正しく、そして強い。ヌワース教の体現者と呼ばれていました」

「最高の婚約相手ですね」


 トオルが言うと、ラティカは首を振った。


「それがもうめっちゃくちゃ嫌な奴でして!!!」


 語気を強めて、ラティカは続けた。


「私は幼い頃から彼を知っているのです。彼は清く正しいという評判を得るために、どんな汚いことでもする人間なのです。輪をかけてタチが悪いのは、彼の実力が本物であるということです。以前、私が侍女たちと街に遊びに出たとき、暴漢たちに襲われました。お忍びだったので、護衛もいませんでした。でも、そこに現れたカリムが暴漢たちをやっつけてくれました」

「いいヤツじゃないですか」

「違うんですよ。暴漢たちも全部カリムの差し金なのです。カリムは私の予定を調べて、暴漢たちを雇うと、私を襲わせて自分で助けに入ったのです。彼は姫を守ったという功績でお父様から讃えられました」

「いいヤツではなさそうですね」

「でしょ! でも当時の私は内気で気弱で、なかなか彼を非難出来ませんでした。彼はそれにつけ込んで、やりたい放題。とうとう私の婚約者になりました。何より許せないのは、彼が弱い者の味方の振りをして、弱い者いじめが大好きなことです。彼の所属する龍青騎士団では、指導と称して気に入らない人間を私的に暴行していました。騎士団長の息子である彼に逆らえる人間はいません。彼は自分では手を加えず、手下にやらせて、暴行した人間に優しくすることで、シンパを増やしていました」

「先ほどと同じ手口ですね」

「本当に信じられないほど狡猾で、汚い人間なのです。でも人々は彼の邪悪さに気づきません。でも私は見てしまったのです。彼の趣味は、小動物を殺めることです。王宮では、ときどき飼育していた動物が行方不明になることがありました。私の飼っていた猫も、行方不明になっていました。私は探しました。王宮の兵士たちにも手伝ってもらいましたが、一向に見つかりませんでした。しかしあるとき気付いてしまったのです。カリムが持っている剣の装飾品に、私の猫がつけていた鈴が付いているのを!」


 当時を思い出したのか、ラティカは泣きそうになっていた。


「そんな奴と結婚するくらいなら、死んだほうがマシです! でも誰も、私の声を聞いてくれません。猫の鈴も、見間違えだろうと言われました。あるとき、私は聖堂に来ました。神が私に与える運命を呪い、カリムをヌワース教の体現者と持ち上げる世の中に嫌気が差していました。私は『ヌワース教なんて、クソ食らえよ!』と祭壇を思いっきり蹴り上げました。私が地下室を発見したのは、そのときです」


 ラティカはウィスキーを飲む。

 トオルも黙ってラティカを見つめながらウィスキーを飲んだ。


「地下室で、怪しいボトルを見つけ、それが酒だと気付いたとき、私は戦慄しました。とんでもないものを発見してしまったと怯えました。この場所のことを報告して、封印しないといけない! という使命感に駆られました。当時の私は敬虔なヌワース教徒でした」

「この世界の人ならそうするでしょう。でも、あなたはしなかった」

「そうです。何しろ私は死んだほうがマシって気分だったのです。そこでヌワース教が何だと言うのでしょう。私は逆に飲んでやろうと思いました。飲んで死んでやると、本気で思いました。死なないにしても、酒を飲んだ王女が結婚できるはずがありません。それほどまでに、追い詰められていたのです」


 トオルはうなずいた。


「この世界に別れを告げる気分で、私は酒を飲みました」


 言いながら、ラティカは自分のグラスを傾けた。


「でも、ヌワース教で言うところの悪魔の発作は起きませんでした。むしろ逆……とてもおいしく、暖かい心地になったのです。不思議な気分でした。これが悪魔の水だとは、どうしても信じられませんでした。この世界は清くも正しくもない、矛盾だらけの世界であると、妙に納得しました。それ以来でしょうか。私は自分の意見をしっかり言えるようになりました。カリムとの結婚も、破談になりました」


 ラティカはトオルを見つめた。


「これが、私が酒を飲んだ理由です。ご納得いただけましたか?」


 トオルはラティカを見つめ、互いのグラスにウィスキーを注いだ。

 胸の高さまでグラスを掲げると言った。


「あなたは俺よりもよほど立派な酒飲みですよ」


 トオルは笑った。

 



「もうすぐ夜が明けます。ラティカ姫、そろそろ戻りましょう」


 トオルが言うと、ラティカは名残惜しそうにボトルに残った酒を見つめた。


「トオル、このボトルの酒は飲み切ってしまいましょうよぉ」

「いや、さすがにみんなが起きて来た時間で祭壇の外に出るのは危険です。もう日は昇っているのです」

「あと一杯だけ。あと一杯!」

「……本当に一杯ですからね?」

「やったぁ!」


 夜明けまで続いた酒宴で、二人はフラフラだった。思考力の低下も著しかった。


「こんなに楽しい夜は初めて。友と語りながら飲む酒は最高ね! トオルの言った通り!」


 ラティカは上機嫌にトオルと肩を組んだ。

 二人が最後の一杯を飲み、酒宴は終わろうとしていた。


「俺もこんなに楽しいのは初めてですラティカ姫。また招いて下さい」

「何言ってるの! 酒宴に招ける客はトオルしか居ないんだから、招くに決まっているでしょう! っていうか今日はそもそも招いてないけどね!」

「そうでした」


 トオルは飲んだグラスを片付ける。もう夜は明けているだろう。

 早く出ないといけない。二人は地下室を出て、階段を登った。


「どう?」


 トオルは祭壇前の秘密の入り口で周囲の気配を探った。


「大丈夫です。周囲に人の気配はありません。ラティカ姫は先に聖堂を出て、自室に戻って下さい。俺は少し時間をずらしてここを出ます」

「えぇ!一緒に出ようよ」

「中庭で一緒に歩いているところを見られたら大変です」

「大丈夫だけどなぁ」

「ここは聞き分けてください」


 ラティカはぶーぶー言いながらも、一人で祭壇の下から外に出ていった。随分と酔っているようだった。足元がふらついていた。本当に大丈夫だろうかと心配になる。

 トオルは少し時間を置いてから、祭壇の外、聖堂に出た。

 聖堂内には誰もいない。トオルは昨夜眺めた絵画を見つめた。美しい絵画は相変わらず荘厳だったが、その地下に酒を置いていると知った今、なんだか滑稽な思いがした。

 トオルが重い木の扉を開けると、眩しい朝日が差し込んできた。

 一瞬目がくらむ。トオル自身、かなり酔っており、足元がふらついていた。

 気配を探ることも、ままならないほど、トオルは強かに酔っていた。

 ハイヤームにおいて、トオルの鬼門は酒である。

 

 鈍い金属音と共に、槍の穂先がトオルに差し出されたとき、自分が取り返しのつかない失敗をしていることを知った。

 

「これはこれは勇者トオル殿。朝から聖堂に礼拝とは大変結構ですなぁ」


 サリム大臣の従える兵士たちが、槍でトオルを取り囲んでいた。 

 


次回投稿は3月30日予定です。

話が予定よりも長くなりそうなので、話数表記に変更しました。

よろしくお願いします。

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