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【第2話】トオル、スキャンダルに遭遇する


 4


 豪奢な宴席だった。

 昨夜の宴席も、トオルとしては大したものだと思っていたが、王族の宴席はやはり違うなと思った。

 着飾る人々の綺麗な手についた宝石の数も、まばゆいドレスも、手の込んだ料理の数々も、トオルを驚かせた。

 しかしやはり酒のない宴席はどこか物足りない。


「大したもんだなぁ。なあトオル! 見ろよ!」


 仲間の弓矢使いジャマルが皿いっぱいに料理を盛って現れた。


「ああ、うまそうだ」

「料理じゃねーよ。ラティカ姫だよ。ラティカ姫」


 ジャマルに促され、トオルは視線を走らせる。

 ラティカ姫はグラスを片手に王侯たちと談笑していた。


「いやあ、綺麗だよなぁ。かわいいよなぁ。何とかお近づきになれないかなぁ」


 ジャマルはトマトとチーズのサラダを口に放り込みながらつぶやいた。


「やめとけって。身分が違うぞ」


 ハイヤームにも厳格な身分制度はある。


「といっても、俺らだって貴族になったんだぜ。何とかなんねーのかなぁ」

「貴族と言っても最下級だ。昼間の家臣たちの反応を見てただろ。平民出身の成り上がり貴族なんて、いい顔されるわけがない。王女に手を出してみろ。あっという間に首が吹っ飛ぶぞ。比喩じゃなくだ」

「ああ、かわいーなぁ。平民の女とはモノが違うゼ。とにかくかわいい! あ。胸が見えそ」

「聞いてるか?」


 ジャマルはこれでかなり腕が立つ。弓の腕はハイヤーム一を自負しており、それはトオルも認めるところだ。

 狙った獲物は外さない。それだけじゃなく、近接戦闘においても一流の戦士と変わらない力を持っていた。


「聞いてるって。手を出す時は気をつけろってことだろ」

「聞いてないな」


 女性関係のトラブルをパーティに持ち込む点を除けば、最高の仲間であった。


「トオル、ラティカ姫がこっちに来るぜ!」


 見ると、ラティカが手を振りながらトオルたちのテーブルに近づいてきていた。

 脇には家臣も連れている。

 トオルとジャマルは席を立ち、姿勢を正した。


「いいの。楽にして。どうかしら。今夜は楽しんでる?」


 ラティカは言った。昼間とは打って変わって、妙に気さくな雰囲気だった。


「ええ。最高の宴です。姫様は今夜もお美しい」


 ジャマルが応えた。トオルは直立不動のまま考えていた。

 昼間に嗅いた奇妙な匂い。ラティカが近づいてきたときだけ微かに香った。

 それは夢にまで見た、酒の芳香だった。

 しかしそんなことがあり得るわけがない。ラティカはいずれハイヤーム王国の最高指導者になる人間である。

 ヌワース教の厳格な体現者だと聞いていた。

 現に今は、何も感じない。

 香水か何かの匂いを間違えただけなのだろう。

 しかし香水にアルコールが入っているとすれば、香水から酒を精製することも出来るか!?

 試す価値はあるかもしれない。トオルは思考を巡らせた。


「あなたがトオルですね。打倒魔王軍に最も近い勇者」

「おい! トオル! 呼ばれてるぞ」


 ジャマルに脇を突かれて、トオルは我に返った。

 どうも酒のことになると我を忘れる。トオルの悪いクセだ。その悪癖で何度も失敗しているというのに。


「……失礼しました。勇者などと勿体無いお言葉、恐縮です」

「姫様。このような者にお声をかけることはありませんぞ」


 ラティカの脇に控えていた小太りの家臣が言った。


「どうせ運が良かっただけ。このような礼儀知らずな下賤の民を我らと同じ貴族にするなど、やはりお戯れが過ぎたのです」

「サリム。言葉が過ぎますよ」

「失礼しました……しかし、このサリムの言葉、よく覚えておいていただきたい。地位は実力のある者に伴うものなのです」


 サリムは、トオルの記憶によるとこの国の大臣だった。政務と法務を預かる責任者だと聞く。

 厄介な人物に嫌われたなとトオルは思った。

 気まずい空気が一同に流れた。そのときである。


「サリム大臣、運が良かっただけとは聞き捨てなりませんなぁ」


 ジャマルは言った。その顔は不敵に笑っている。


「ジャマル」

「まあ待てよトオル。姫様、我らは自らの剣にて生きし者ゆえ、その力を疑われたとあっては心外至極にございます」


 ジャマルの笑みは崩れない。


「口を慎めよ、下郎。誰の許しを得て喋っている」

「すいません大臣。ラティカ姫に楽にしろと言われたもので」


 ジャマルはおどけて見せた。


「こいつ……」


 サリムは拳を握る。


「やめなさいサリム」


 ラティカはサリムを制するように言った。


「姫様、宴も落ち着いてきたことですし、我らで一つ余興をやらせていただければ思いますが、いかがでしょう」


 ジャマルは一歩も引かなかった。


「余興だと?」


 サリムは不愉快そうに眉根を上げた。


「はい。我らの力、剣舞にて披露したいと思います」




 トオルとジャマルを、貴族たちが輪になって囲んでいる。

 宴席のテーブルと椅子がどかされ、即席のステージが作られていた。

 成り上がり者が何か余興をやるらしいと、貴族たちは興味深げに眺めている。

 ラティカは疲れたように頭を抱えていた。

 サリムは苛立たしげに腕を組んで、トオルたちを睨みつけている。

 リリーは不安そうに最前列で見つめていた。

 トオルとジャマルは円の中心で肩を組み、小声で話し合った。


「おいジャマル。めちゃくちゃ厄介なことになっているぞ」

「いいじゃねえか。俺達の力を見せるチャンスだぜ」

「そうだが……俺が姫の前でぼーっとしていたのが悪かった。大臣の印象を悪くしちまった」

「ホントだぜ。これは貸しだからな」

「しかしお前もあんなに突っかかることなかったろ。大臣相手に」

「いやあるね。あいつ、トオルを見くびってやがった。俺たちのリーダーはすげえヤツなんだって、教えてやらねーとな。見せてやろうぜ」


 力強く、ジャマルは言った。

 トオルの目に澄んだ光が動いた。


「……ああ」


 この異世界の仲間たちは、自分を信頼しすぎていると、トオルは思った。

 しかし悪くない気分だった。


「やるか」


 トオルは笑った。

 二人は光の中で剣を構えると、舞い、踊った。




 数分後、万雷の拍手が二人を包んでいた。

 二人の剣舞は、貴族たちの心を完全に掴んでいた。

 二本の剣が素早く行き交い、紙一重で躱し合い、打ち合う姿に、貴族たちは二人の超人的な技倆を感じずにはいられなかった。


「素晴らしい! なんて技術だ! 勇者と呼ばれるだけはある!」


 貴族たちは口々に叫んだ。

 ラティカも、トオルたちの剣舞に惜しみない拍手を送った。


「いやあ、ウチの息子達も彼らに弟子入りして剣を学ばないといけませんなぁ。ねえサリム大臣」


 貴族の一人が言うと、サリムは悔しそうに頷いた。


「そ、そうですな」


 ジャマルは剣舞を終えるとサリム大臣に歩み寄った。


「いかがでしょう。先程の言葉、撤回していただけますか?」

「……見事な腕だ。ラティカ姫の目に狂いはなかったようだな」


 サリムは少しためらいながらも、右手を差し出した。


「ありがとうございます」


 ジャマルは握手に応じると、満足げに笑った。

 ラティカは二人の姿を見て、ほっとしたように息を吐いた。


「これからもヌワース教徒として、清く正しく、我がハイヤームにその力を貸してください」


 ラティカは言った。

 ジャマルは敬礼で応えた。

 


「もー!! 怖かったよー! いきなりなんだもん!」


 リリーがトオルとジャマルの間に飛び込んできた。


「どうせジャマルが言い出したんでしょ!」


 リリーはぷりぷりと怒っている。


「そうだけど! トオルだってノリノリだったぞ。俺たちの力を見せてやろうぜ! って」

「そこまでは言ってないぞ!」

「もうなんでもいいよ。二人共、怪我してないよね」


 そう言いながら、リリーはトオルとジャマルに治癒の魔法をかけていた。


「大丈夫だよ。どこも、怪我はないさ」


 トオルは言った。


「まあこれで俺たちも少しは認められたんじゃないか。結界オーライってやつだよ」


 友の名誉を守ったジャマルは誇らしげだった。

 



 その後、宴会は滞りなく終わった。

 トオルたちは客間に通された。

 天蓋付きのベッドで眠るのは、トオルにとって初めての経験だった。

 分厚いベッドに横たわりながら、随分と偉くなったものだと、トオルは思った。

 全てが順調で、うまくいっている。

 サリム大臣もそんなに悪い人間ではないだろう。

 彼の力が、ハイヤーム王国の治世を支えているのは間違いない。

 地位は実力のある者に伴うという彼の言葉に、嘘はないのだ。

 ハイヤームの人々で、本当の悪人というのをトオルは見たことがなかった。

 日本に居たときは、いくらでも見つけられたものだが。

 酒がないせいなのだろうか、とトオルは思う。

 トオルはヌワースの歴史に関する本をめくった。

 悪魔の水……酒。

 欲望の根源、悪魔の手先。

 酒がないからこそ、ハイヤームの人々はまっすぐに生きていける?


「いかんな。いつの間にか俺もヌワース教徒になりそうだ」


 トオルは頭を振った。

 ハイヤームで、トオルはこれ以上ないほどうまくやっている。

 この禁酒の異世界で、もし自分が酒好きであるなんてバレたら、きっと全てを失うだろう。

 リリーやジャマルも、自分の元から離れていく。

 ラティカも、あの厳しくも優しいお姫様も、トオルを許さないだろう。

 しかし、それでも。

 トオルは酒が飲みたかった。

 それがどんなに愚かな願いであるか、トオルには分かっていた。

 

 俺が死んだら、葡萄の木のそばに埋めてくれ。俺の死後、その根が骨を潤してくれるように。

 

 トオルは心の中で詩を読んだ。

 日本では得られなかった全てが満たされているはずなのに、トオルの心には冷たい風が吹いていた。

 目を閉じると、トオルは懐かしい日本の光景を思い出していた。

 仕事のあと、トオルはいつも同僚と酒を飲みに行った。

 古ぼけた街のネオン、大声で騒ぐ人々、同僚の愚痴。

 煩わしいと思っていた、全てが懐かしかった。


 5

  

 夜半すぎにトオルはふと目覚めた。

 連日の宴会で神経が高ぶっているのか、慣れないベッドで寝苦しいのか。


「能力を使いすぎたかな」


 そのまま眠れる気もしなかったので、トオルは部屋の外に出た。

 石造りの廊下は静まり返っており、月明かりが窓から差していた。


「ちょっと歩くか」


 トオルは城内を散歩することにした。

 夜風に当たれば気分も晴れて眠りやすくなるかもしれない。

 寒くもなく、暑くもない、出歩くには丁度いい気候だった。

 トオルは城の中庭に出て、数十分歩き回った。

 きれいな月夜の晩だった。さわさわと風が吹き、木々がざわめいた。

 すれ違う者はいない。

 さすがに城の外には見張りが居るのだろうが、中庭にも誰一人いなかった。

 全員寝ているのだろう。随分と不用心なことだと思う。

 あるいは、それだけ平和ということかもしれない。

 中庭の奥まで来たとき、トオルの目にひときわ大きな尖塔が見えた。

 どうやら聖堂のようだ。

 城の人間はここでヌワース教の教義を聞いているのだろう。

 トオルは何の気なしに、ドアに手をかけた。

 木製の扉は、鈍い音を立てて開いた。

 中に入って、トオルは息を飲んだ。

 そこは正に聖堂だった。高い天井、正面に描かれた美しい絵画、信者たちが座る使い古された椅子。

 僅かな灯りに浮かび上がる壁面の神の姿。

 ヌワース教のことはよく知らない。興味もない。

 ハイヤームに5年間暮らしているが、トオルの価値観は、結局日本人のままだった。

 でも、入った瞬間、この世界に神は居るのかもしれないと思うほど、聖堂には神性とでも呼べるものに満ちていた。聖堂の中には、トオルの他に誰もいない。

 コツンコツンとトオルの足音だけが聖堂にこだました。

 あるいは、これがヌワース教そのものなのかもしれないと、トオルは思った。

 壮大な演出と、圧倒的な美。美の演出こそが、ヌワース教を作り、人を信じさせるに至ったんじゃないか。

 もしも自分がハイヤームに生まれ育っていたら、この聖堂でお祈りするのを日課にしていたとしたら、そして酒を厳格に禁じられていたとしたら。

 自分も立派なヌワース教徒になったことだろうと、トオルは考えた。

 しかし、現実は違う。


「俺はこの世界が結構好きなんだよな。酒が飲めない以外は……」


 自分がもし酒飲みじゃなかったら、どれだけ良かっただろう。

 しかしそんな自分は考えられないことだった。

 トオルは聖堂の中を少し歩き、祭壇の前の壁画を見つめた。


「大したもんだ。明日リリーとジャマルも連れてこようかなぁ」


 トオルはあくびをした。そろそろ眠くなってきた。


「帰って寝よう」


 そう考え、トオルは外に出ようと振り返った。

 そのとき、懐かしい香りが鼻をくすぐった。

 忘れたくても、忘れられない香りだった。


「……え?」


 匂いの元に視線を走らせる。

 そこは祭壇だった。祭壇の土台部分の板がズレて空いていた。

 トオルは手で板をどかした。


「これは……」


 祭壇の下には地下への階段があった。

 匂いはその地下階段から強く発せられていた。

 トオルは匂いに誘われるまま、階段を降りてった。

 頭の中で、警戒音が鳴り響いていた。

 これは絶対にマズイ場所だと、トオルの勘が告げていた。

 しかし足は止まらなかった。

 愛しい香りに誘われるまま、歩き続けると、階段は終わり、木製の扉が見えた。

 扉はわずかに空いており、そこから光が漏れていた。

 中から人の声がする。

 若い女性の声だ。一人のようだった。


「……ったく! どいつもこいつも私の言うことなんて聞きやしないんだから!」


 ひどく苛立っている様子だった。

 トオルは躊躇いながらも扉を押して中に入った。

 果たして、中には一人の少女がいた。

 椅子に座って、テーブルに置いてあるグラスで何かを飲んでいる。

 何かだって? あれは……。

 匂いの元は明確だった。素晴らしい香りが、石造りの部屋中に広がっていた。


「ラティカ姫……!」


 トオルは声を発した。

 人が来たことに気付いたラティカは、ビクリと体を強張らせた。

 驚いたように、トオルを見つめる。


「あ……ああ……」


 ランプの光に照らされたラティカの顔は真っ青になっていた。


「ラティカ姫……それは……」


 トオルは歩み寄った。


「これは……違うの……全然……」


 ラティカはテーブルのグラスを押さえて、震えていた。


「あなた……なんという……」

「お願い……。どうか、どうかこのことは内密に。何でも……何でもしますから……お願い……どうか」


 ラティカの声は消え入りそうだった。


「あなたは何て最高のお姫様なんだ!!!」

「え……?」

「これは葡萄酒ですね。いい香りだぁ。この酒はどこで入手したのですか? ぜひ教えてください。他にも酒はあるのですか? ああ、聞きたいことが一杯ある。この世界に酒があったなんて! なんて最高なんだ!」


 早口でまくし立てるトオルに、ラティカは目をぱちくりさせていた。


「トオル……あ、あなたは、何者ですか……?」

「冒険者のトオルです。申し遅れましたが、私はこの世界の人間ではありません。この世界より遥かに野蛮で愚かで、酒が飲み放題の世界からやってきました」


 ハイヤームの象徴であり、厳格なヌワース教徒であるはずのラティカ姫が、酒を飲んでいた。

 トオルは国を揺るがす大スキャンダルに遭遇したのだった。

 しかし、トオルにとってはどうでもいいことだった。


「そんなことよりラティカ姫。よろしければ、一杯いただけませんか?」


 長い夜が始まった。


後編は3月20日に投稿予定です。

ちょっと空いてしまいますが、よろしくお願いします。

追記:3月20日

サブタイトルと内容が合ってないという指摘を知人から受けたため、サブタイトルを変更しました。

旧タイトル「トオル、へべれけになる」→新タイトル「トオル、スキャンダルに遭遇する」

あと当初の予定より話が長くなりそうなので、話数表記にしました。よろしくお願いします。


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