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【第1話】トオル、貴族になる


 1


 眺めの良い高台の頂きに、トオルの屋敷がある。

 屋敷の灯りは夜の闇を煌々と照らし、灯台のように輝いていた。

 中から聞こえる騒がしい声がふもとまで聞こえてくるようである。

 トオルは今夜の宴席で主役の一人である。

 魔王軍幹部の一人を打倒した立役者として、トオルはギルドの仲間や、地元の名士、近隣の他種族までから賞賛の嵐を受け取っていた。

 そんな中、トオルはどこか浮かない顔で、窓辺に腰掛けて静かに干し肉をかじっていた。

 宴会は、トオルとは対照的に賑やかだった。


「トオル……なんだか憂鬱そうね」


 仲間の魔法使いの少女が声をかけてきた。パーティの大砲役として、今回の魔王軍幹部討伐でも活躍した一人であり、トオルの大切な仲間である。魔法使いリリーと言えば、この辺では知られた名前だった。

 リリーはトオルの分も皿に取り分けた料理を持って、トオルの隣に座った。


「ほら、食べて。このお魚、おいしいよ」

「ありがとう。でも大丈夫だよ。もう十分食べたし……」

「……トオルはこういう宴会が、あまり好きじゃないみたいね。前もそうだった」

「そんなことはないさ。とっても楽しいよ」

「そうは見えないけどね」


 リリーは呆れたように笑う。


「じゃあ、今何を考えているの?」

「つまらないことだよ。気にしないで」

「当てましょうか?」

「え?」


 トオルの動揺を、リリーは見逃さなかった。


「トオルは、宴会の度にそうやってどこか退屈そうに外を眺めているわ」

「それは……そんなことは……ないさ」


 トオルはごまかすように、リリーが持ってきた魚のムニエルを口に運んだ。

 リリーはゆっくりと頷く。


「わかるよ、トオル。不安なのよね」

「……え?」

「こうして楽しく宴会をしていても、魔王を倒したわけじゃない。また戦いの日々が始まる。そう思うと、気分が落ち込むのもわかるわ」


 リリーは窓の外を一瞥して、トオルに向き直る。


「だからこそ今を楽しまなきゃ! 確かに私たちは明日死ぬかもしれないわ。危険な仕事よ。でも、今日という日を楽しまないのは損よ。ヌワース教でも言われているわ……えーと、汝……」

「「汝……清く正しく日々を楽しめ」」


 二人の声がかぶった。


「そう! それ! 楽しまなきゃ!」

「……そうだね」

「ほら行こう。みんなトオルの話を聞きたがっているんだから」


 リリーはトオルの手を取った。応じてトオルは立ち上がり、宴会の輪に戻った。


「ありがとう、リリー」

「ふふ。仲間として当然よ!」


 リリーとトオルは笑いあった。

 しかし、リリーは知らない。

 トオルが安堵していたことを。先ほどの励ましが全く的はずれであったことを。

 トオルは将来の戦いに不安を抱いていたわけではない。トオルが抱えていた問題は全く別だった。

 トオルは人々と談笑しながら、宴会のテーブルを見た。

 一流のシェフが作ったであろう豪華な食事がテーブルいっぱいに並んでいる。

 人々は、果実のジュースや、お茶を飲みながらそれらの食事を楽しんでいる。

 決定的に足りないものがあるのに、誰もがそれに疑問を持ってない。

 トオルはそれが不思議でならなかった。

 宴の度に、違和感を覚える。

 この世界には、酒がなかった。


(ああ、酒が飲みたい……)


 それはトオルがこの異世界、ハイヤームに抱く最も強い想いだった。


 2


 トオルが異世界ハイヤームに転生したのは5年ほど前のことになる。

 日本でサラリーマンをしていたトオルが、いきなり剣と魔法の異世界に飛ばされたときの動揺は甚だしいものだった。しかし、生きていくには順応しないといけない。トオルは異世界転生時に授かった能力により、なんとか生き延びることが出来た。暮らしてみると、この異世界もそんなに悪くないものだった。

 人々は純朴で優しく、いい人間ばかりである。初めて他種族を見た時は驚いたが、日本でクレーム対応していた顧客に比べたら遥かに話のわかる存在であった。

 モンスターや魔王軍なる脅威があったが、仲間と共に戦えば命を落とす危険は少ないように思えた。

 トオルは冒険者として順調に力を付けて、今や一国一城の主となった。

 不思議なもので、モンスターや魔王軍との戦いは楽しくさえあった。仕事としてのやりがいもあり、仲間と共に目標を達成したときに得られるものは日本の一労働者の比じゃない。

 日本に居たとき感じていた日々の不満や孤独感は、ここでは無縁の存在となっていた。

 ただ一つ、トオルにとって唯一の不満は、この異世界に酒がないことだった。

 酒! あの素晴らしい存在を、ハイヤームは抹消していた。

 ハイヤーム人のほとんどが信仰しているヌワース教は、酒の所持、飲酒、製造を固く禁じていたのだ。

 口の端に登ることさえはばかられていた。

 酒は悪魔の水と考えられており、飲むものは必ず地獄に落ちると信じられていた。

 いわく、悪魔の水を飲みしもの、その顔、炎のように赤くなりて、知性の低下すること著しく、ときに暴れ、暴言を吐き、その全てを忘れてはばかることがない。彼の者は頭痛を催しながら嘔吐を繰り返し、それでも酒を求めるであろう。

 酒は忌み嫌われる存在であった。

 前にトオルは口を滑らせたことがある。

 村の畑を荒らすモンスターを討伐した折、焚き火を囲んで宴席を開いたことがあった。

 当時のパーティは男ばかりで、荒くれ者揃いであったが気の良い戦士の集まりだった。

 焚き火を囲んで、その日の戦果や、誰がヘマをやったかと笑いあっていた。

 村の者も集まってきて、トオルたちを褒め称えた。トオルにとっては初めての戦勝宴会であり、随分と気分がよくなっていた。

 そのとき、ふいに漏らしてしまったのだ。


「ああ、こんなときに酒があれば最高なんだけどなぁ!」


 空気が凍った。

 数秒の沈黙。ぱちぱちと鳴る焚き火がやけにうるさかった。


「トオル、お前……」

「言っていいことと悪いことがあるぜ」

「冗談にしても笑えねーよ」


 野菜ジュースを片手に持つ強面の男たちに凄まれ、トオルはたじろいだ。


「悪い……その、口が滑った」

「ふざけんなよ。酒が飲みたいだぁ? 俺たち戦士の誇りを傷つける気かよ。ちょっと立てや」


 先ほどまでトオルの活躍をたたえていた村人の態度も変わる。


「申し訳ないけど、あんたは金輪際うちの村には来ないでくれよ」


 なんとか謝って許してもらったのだが、その後トオルはパーティに居づらくなり、所属ギルドを出て行く羽目になった。

 

 トオルがまだ日本に居たとき、唯一の楽しみは酒を呑むことだった。

 仕事終わりの一杯は最高だ。風呂上がりの一杯もたまらない。友達と酒を酌み交わすことに勝る楽しみが他にあるだろうか。寝る前に飲んでも酒はうまいし、起き抜けに飲む酒も味わい深い。

 酒はトオルの悩みを少しずつ除いてくれた。どれほど悩みが溜まっていようとも。

 非難されることもあったが、そんなものは酒とともに忘れた。

 近所の酒屋の親父とはすっかり意気投合していた。


「十年ものがありますぜ」


 親父は言った。


「味見させてくれ。そうであることを知るために」


 トオルが言うと、親父はグラスに琥珀色の酒を注いだ。

 ほうと一息吐き、トオルは酒を飲み干した。

 温かいものが腹に収まると、トオルは満足げに頷いた。


「親父さん。これは間違いないな。1本いただこう」


 親父はトオルの喜びを見てとり、赤ら顔に満面の笑みを浮かべて酒を包んだ。

 その晩トオルは友人を家に招き、買った酒を傾けながら友人と語り合った。

 心地の良い夜だった。

 

 ハイヤームでは決して許されない夜である。

 

 トオルは酒が飲みたかった。

 しかしこの世界のどこを探しても酒はなく、探すことさえ気取られるわけにはいかず、途方に暮れていた。

 酒は魂の妹である。トオルはそう考えていた。

 飲酒への渇望からトオルは詩を書くようになっていた。

 

 酒が飲みたい。誰か俺のグラスに酒を注いでくれ。悪魔でも構わない。

 俺はそいつと、友達になり、酒を飲むだろう。

 

 羊皮紙の手帳に一人でこっそり飲酒詩をしたため、それで自らを慰めていた。

 酒を飲むことに比べたら、ささやかな慰めでしかない。

 前にトオルは、その手帳を落としたことがあった。本当に迂闊だった。

 不幸なことに、手帳の在り処はすぐにわかった。

 街の中央広場で、役人や兵士たちが集まって大々的に手帳の持ち主を探していたのである。

 

「悪の魔導書を発見した! この街からである! 我々は持ち主を探している!」


 兵士は、トオルの手帳を汚らわしいものを触るようにして持ち上げた。 


「悪魔の水……酒について書かれた手帳だ!!」


 兵士が言うと、人々はざわめき、怯えたように周囲の者と言葉を交わし合っている。

 泣き出す者もいた。


「民衆よ安心しろ! 我々は持ち主を即刻捕らえる! そのための情報提供を求めている!!!」


 もちろん、名乗り出るわけにはいかない。

 そのとき、トオルの隣に居た槍使いの仲間が言った。


「あれ……あの手帳、どっかで見たような……」


 トオルは街を出ることに決めた。

 もう誰にも酒のことは言わない。

 書くこともしないだろう。

 しかし、思いは募る。

 冒険者として出世する一方、いつしかトオルは日本に帰りたいと願うようになっていた。

 

 3

 

「トオル、もう寝ちゃったかな」

「起きてるよ。どうぞ」


 リリーがトオルの部屋を尋ねてきたのは宴会も終わり真夜中になってからのことだった。

 遠慮がちに入ってくるリリーに、トオルはベッド脇のソファー勧めた。


「ごめんね。眠れなくって」

「大丈夫だよ。俺も起きてた」


 トオルは窓際の小机で本を読んでいた。ヌワース教の歴史にまつわる本だった。

 禁酒にまつわる歴史を調べていたのだ。


「トオルは勉強熱心だね。私もヌワース教徒だけど、難しいことは分からないや」


 トオルはヌワース教徒ではない。この世界における処世術として、ヌワース教徒を演じているだけだった。


「俺も、なんとなく眺めていただけだよ」

「そっかぁ」


 月明かりが差し込む部屋に、沈黙が流れた。


「……ねえ、トオル」

「ん?」

「私達、とうとうここまで来たよね。明日は王女様に会えるんだよ」


 トオルのパーティは、魔王軍幹部討伐の功績を讃えられて、謁見の栄誉を手に入れたのだ。


「俺達が王女様に謁見なんて、変な感じだな」

「そうだねぇ」

「失礼のないようにな。リリーはおっちょこちょいだから」

「ええぇ! トオルに言われたくないよぉ」

「はは。違いない」

「私ね、このパーティだったら、きっと魔王も倒せちゃうような気がするんだ。トオルが居れば、何とかなるって気がするの」

「そうかなぁ。買いかぶりだよ」

「ううん。本当にそう思うよ。だから、大丈夫だよ」

「……ああ。心配かけたね」


 トオルは少女の優しさに感謝した。そして心の中で謝っていた。

 酒が飲みたいなんて、言えるわけもない。


「俺はもう大丈夫だよ。もう遅いから部屋に戻って休むといい。明日も早いぞ」

「……うん!」


 リリーは来たときより幾分元気に部屋を出て行った。

 トオルも本をしまうと、ベッドへ行き、すぐに眠った。

 あっという間に、夜が明けた。




「王女様の、おなーりぃ!!」


 騎兵隊のラッパの音が高らかにこだまする。

 鳥たちが一斉に羽ばたいて、白い羽根が落ちてきた。

 城内の多くの家臣と、城下の民衆が見守る中、赤い絨毯の上を、純白のドレスを来た王女が堂々と歩いてくる。

 平伏しているトオルたち一行に、緊張が走った。

 足音がカツカツと迷いなく近づいて、止まった。


「表を上げなさい」


 鋭くどこか威圧的な声だった。

 トオルが視線を上げると、国一番の美女と言われる少女の姿があった。

 若く凛とした涼やかな雰囲気は、すでに女王の風格を備えている。

 ハイヤーム王国第一王女ラティカ姫。年老いたハイヤーム王に男児はいない。いずれはこのラティカ姫が近隣の国の王子と結婚し、女王になると言われていた。

 法に厳しく、厳格なヌワース教徒であるとのことだった。


「この度の討伐戦、まことに見事でした。あなた方の活躍、王宮にも轟いています」

「勿体無いお言葉」


 トオルは再び目を伏せた。


「我らが神であるヌワースもお喜びになられるでしょう。清く正しい行いをしたそなたらに、私から褒美を取らせます」


 ラティカ姫は一呼吸置き、そこで臣下を見渡した。


「全員に貴族の位を授けましょう」


 居並ぶ臣下たちからはどよめきが。城下の民衆からは歓声が上がった。


(ねえ、トオル! すごいよ! 私達、貴族だよ!)


 顔を伏せたまま、リリーがはしゃいだ。


(しー!!)


 トオルは飛び上がりそうになるリリーを押さえる。


「ありがたき幸せ。この身、ハイヤーム王国のために捧げます。ヌワースに誓って」


 トオルの答えに、ラティカ姫は厳かにうなずいた。


「うむ。今宵は勝利を讃えて宴を開こう。そなたらも大いに楽しむとよい。城の客間を解放する。今夜は大いに食べて、英気を養い、次の戦いに備えるのだ。ヌワース教万歳! ハイヤームに栄光あれ!」

「「「ヌワース教万歳!!! ハイヤームに栄光あれ!!!」」」


 臣下も民も、大いに湧いた。次のハイヤーム王国を統べるのは、この人しかいないと、みなは思った。

 ラティカ姫は踵を返し、城の奥へ去っていった。

 そのとき、トオルは奇妙な匂いを嗅いた。

 数々の香に混じって、ひどく懐かしい香りが遠ざかっていくのを、トオルは感じた。


後編(あるいは中編)は、3月6日に投稿予定です。

よろしくお願いします。

追記:3月20日

話が予定より長くなりそうなので、話数表記に変更しました。

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