恐怖の半径五メートル
陽が傾き始めている。徐々に街を照らしていた陽の光が弱くなっていく。
高校から家に帰るまでの近道を通っていると、公園から楽しげな声が聞こえた。
「あいつに当てたら俺の勝ちな~。よっと」
「ミャウ!」
猫が苦痛の声を上げた。ランドセルを背負った三人の小学生の一人が猫に向けて小石を投げていた。
「よっしゃ! 俺の勝っちー! ランドセル持てよなぁ」
弱いものをいたぶったことに歓声があがる。反吐が出そうな光景に怒りが湧くのを抑えられない。
大盛り上がりの小学生たちにゆっくりと近づく。背後から、声を掛ける。
「君たち、何をしているんだい? 猫をいじめたらダメだろう?」
不意な声に小学生たちが俺に驚きの表情を向けた。俺は小学生たちから少し離れた位置で止まる。
「うっ!? お、お前には関係ないだろ!?」
「関係ない訳ないな。その猫は俺の友だちでね」
「猫が友だちとかありえねぇ~。お前、ぼっちなんじゃね?」
俺が寂しい人間であることをいじってきた。あおすじが立ちそうになったのを、必死に抑える。
「まあ、どっちでも構わないよ。で、猫に謝ったらどうだ? 痛い目に遭わせたんだぞ?」
「やだね~。謝っても言葉わかんないじゃん」
「そっか……。不本意だけど、ビビッてもらえるかな?」
一歩、小学生たちに近づいた瞬間、全員が震えあがった。目を大きくして、歯がカタカタとかち合っている。
恐怖に捕らわれた小学生たちを見据える。
「怖いだろ? 君たちが猫に与えたのは、こんな恐怖感だ。分かったなら謝れるだろう?」
俺の問いに小学生たちは縮み上がったまま、小刻みに頷いた。
その姿を見て、一歩後ろに下がる。恐怖に縛られた小学生たちの顔が緩むが、俺を見る目には畏怖の念が詰まっている。
「謝るんだろ?」
「は、はい。猫さん、ごめんなさい!」
言い終わると、転がる様に公園を後にした。
痛みが引いたのか、猫がよろよろと俺に近づいてくる。
「酷い目に遭ったな、エイドリアン。怪我はしてないか?」
「ニュワ~ン」
地域猫のエイドリアンの頭を撫でる。誰が名づけたのかは知らないが、そのセンスを疑いそうになる。
「動物だけだよな、俺に近づいてくれるのはさ……」
独り言を呟くと、改めて家路につく
・ ・ ・
教室のドアを開けると、俺に視線が集中し、次の瞬間には目を逸らした。
いつもながら、この扱いにはため息が出てしまう。
自分の席に目をやると、俺の席を中心に円を描くように誰もいない。
他の生徒の机もない。誰もが、ギリギリまで別の生徒の机に近寄っている。
広々快適空間となっているが、周りから全力で避けられている事が原因なのでちっとも嬉しくない。
切ない気持ちで席に座ると、ほどなくして担任が現れた。
「出席をとる。い、凍雲 京助」
「はい」
担任に目をやって言うが、担任は目を合わせようとはしなかった。
出席確認が終わると、早速授業が開始される。授業が始まってからも、担任は俺を見ない。
誰からも目を向けられないまま、授業が進んで行く。
全ての授業を終えると放課後の掃除の時間となった。週替わりで掃除をする班が決まっており、今週は俺の班だ。
もくもくと掃除をしていると、女子がひそひそと話をしているのが見えた。
「い、凍雲。ゴミだし、頼める? そのまま帰ってくれて良いからさ」
俺を見ずに髪を薄く茶色に染めた女子が言った。好きになれない女子だが、俺がいるとまともに掃除ができないのだろう。
女子の言葉に了承して、鞄とゴミ袋を持って教室を出た。
ゴミ捨て場にゴミ袋を置いた時、数学の教科書を忘れたことに気付く。まいった、宿題ができない。仕方がない、教室に向かおう。
階段の踊り場を曲がって教室を目指していた時、階段の先に男がいた。
冷淡な顔付きに、綺麗な茶色の髪を長く垂らしている。髪を手で払い、細い長方形のメガネをくいっと上げた。
鋭く冷たい目つきが俺に向くと、目尻を下げて柔らなか笑みを見せた。
「やあ、凍雲くん、奇遇だね。ここで会ったのも、何かの縁だ。仲良くしないかい?」
「天神か…仲良くする気なんてない」
「つれないねぇ。ま、これから仲良くなれば良いか」
天神 国定が輝く笑みを浮かべた。相変わらず、気に入らない男だ。
「何度も言わせるなよ。お前の楽しみはお前だけでやってくれ。お前のために使う力じゃない」
「力…ねぇ。オート・フィアー…周りの人間に強制的に恐怖感を与える力。心優しい君らしくない力だね」
「変な名前を勝手につけるな。悪いが、俺は教室に行くんだ。そこをどけ」
「言われなくても。近づいて、君を怖がるのは本意じゃない。楽しい関係を築きたいだけなんだからさ」
階段を上る俺を避けるように廊下を歩きだした。少し離れた位置に立つと、天神が俺を見て小さく笑う。
気づけば天神の背後に八人の男女がいた。瞳はうつろで、ただ黙って立っている。
「お前、いい加減、その人たちを解放したらどうだ? 生きた操り人形なんて見てるだけで、反吐が出るんだけど?」
「ん? それはダメだね。この子たちは有能だから。僕のキング・オブ・スレイブを、使う程の相手ができたら解放するよ」
「自分本位なヤツだ」
「自分本位だよ。我が身かわいさ、独善的、我がまま、自己中心的、独りよがり……。なんでも良いけど、僕は僕のために生きているのさ」
眼鏡の奥の瞳と表情が冷たいものへと変わった。優しい面など偽物で、これだ天神の素顔なのだ。
「しかし、分からないなぁ。『セブンス・センス』を持っているのに、もっと自分のために使わないのかい?」
「お前が言うのは悪い事だろう? 使う気はないね。俺の力だ、俺が好きなように使うよ」
「つまんないなぁ……。でも…そんな君が僕と友だちになってくれたら、心強いよ。じゃ、また明日、凍雲くん」
言うだけ言うと、背中を向けて去っていった。
『セブンス・センス』。第六感よりも先にある、第七感の事を言い、保有者のことをS2ホルダーと呼ばれている。
『セブンス・センス』の存在は昔から噂されていたが、近年、その存在が認知されるようになった。
人間を超越した存在をどう扱うのか議論が交わされているが、明確な答えは出ていない。迫害される程ではないが、避けられているのが実情だ。
そんな力に俺は突如、目覚めてしまった。
オート・フィアー…天神が勝手に付けた名前だが、呼んで字の如く、自動的に恐怖感を与えるものである。
この力は限定的だが強力だ。半径五メートル以内で俺の姿を直視するか、三メートル以内に体を入れると恐怖してしまう。その距離が近ければ近い程、強い恐怖に縛られる。
この厄介な力は家族にも効果が及んだ。両親は俺を愛そうとしてくれているが、力が強すぎるせいか俺と接することができないでいる。
俺を直視できない悲しみからか、俺の小さい頃の写真を見た時に震えあがっていたので、俺と言う存在自体が恐怖の化身となったことを知った。
唯一の救いは動物に力が及ばなかったことだ。
ため息交じりで教室のドアを開けようと手を掛けた時、教室の中から声が聞こえた。
「じゃ、あとはよろしくねぇ」
「しっかりと掃除してよねぇ。バレないようお願いしま~す」
女子の声がした。ドアをおもむろに開けると、女子たちがギョッと目を開く。
「い、凍雲!? 何で!?」
俺に帰るように言った、茶髪の女子が言う。
「いや、忘れ物をね。ところでさ…何をしていたんだ?」
「何でもない、何でも。さ、みんなで早く終わらせよう」
「ふ~ん。じゃ、俺もやろうかな。やっぱり帰るのは気が引けるし」
俺の言葉に露骨に身を引いた。帰ってしまえば、おそらく先ほどの延長戦だろう。
掃除を押し付けられそうになった本人に目を向ける。花護 光希は目を伏せて、黙々と掃除をこなしていた。
全員が一丸となって掃除に取り組むと、あっという間に完了した。俺の力のお陰とは言いたくないが、決められたことをきちんと終わらせたのだ。
俺から逃げるようにクラスメイトが教室を出て行く。その背中から目を離すと、まだ残っている花護を見る。
すっきりとした目鼻立ちに黒髪のボブヘアーと可愛らしい要素が詰まっているが、常に伏し目がちであるためか暗い印象を与える。
まじまじと見ていたせいか、花護が俺をちらりと見た。
慌てて距離を置く。距離を測ると、五メートル以内には入っていなさそうだが念には念を入れて、もう一歩下がる。
怖がらせることは嬉しいものではない。さっさと帰ろう。鞄を手に取って動こうとした時、花護が近くまで来ていた。
「花護さん、ちょっとストップ! これ以上はヤバい!」
手をつき出して制した。花護の足が止まったが、すぐにまた近づき始めた。
「待った! 危ないって!」
三メートルどころではない。一メートル内にまで接近していた。普通であれば恐怖で体がすくんでしまうはずだ。いや、もっと前にそうなってもおかしくない。
訳が分からない。頭の中が整理できずにいると、花護がゆっくりと口を開いた。
「…あ、ありが…とう……」
「えっ?」
呆けた声を上げてしまった。花護の静かな声に耳を疑ったのだ。お礼を言うために恐怖の存在である、俺の近くまで来たというのか。
「いや、うん、どういたしまして」
「…前も助けてくれて、ありがとう」
はて。何をしたのか、自分でもさっぱり分からん。この力を使って、悪さをしている人に無言の脅しを掛けてはいるが。
もしかして、その時、たまたま花護がちょっかいでも出されていたのかもしれない。
「よく分かんないけど、どういたしまして。って、怖くないの?」
俺の問いに花護は、うつむきながら頷いた。
「マ、マジでか……」
絶句しそうになったが、思ったままの言葉を発した。それもそうだ、力が及ばない人に初めて出会ったのだから。驚かない方が難しい。
「…凍雲くん、何か…お礼したいんだけど。何かある?」
花護は俺を下から見上げるように覗きこむ。目が合うとすぐに逸らしたが、俺を見ても大丈夫ということだ。
益々、花護の存在が普通の人と離れていることに驚かされた。
しかし、お礼か。別に欲しい物もないし、何かをしてほしいこともない。いや、ない訳ではない。
「えっと…花護さんは俺を見ても大丈夫なんだよね?」
こくりと頷いた。ならば、問題ないだろう。
「じゃあ、お願いしても良いかな?」
・ ・ ・
「…凍雲くん、ここは?」
「ん? 公園だよ。多分、ここに……。おっ、いたいた。エイドリア~ン」
俺の声に気付いた猫のエイドリアンが、軽快な足取りで近づいてくる。
「ニャワ~ン」
「よしよし、猫缶あげるからちょっと待ってね」
鞄から猫缶を取り出して蓋を開けて地面に置くと、一心不乱に食べだした。
「…凍雲くんの猫ちゃん?」
「いや、こいつは地域猫なんだ。俺の数少ない友だちだよ」
エイドリアンが食事を終えるのを黙って待つ。食事を終えると、花護にスマホを渡して、エイドリアンの脇を抱えて、顔の近くで抱っこをする。
「よし、準備万端。じゃあ、撮ってもらって良いかな?」
俺のお願いに花護は頷いた。シャッター音が響くと、花護が俺に近づきディスプレイを見せた。
俺とエイドリアンの顔がバッチリと映し出されている。
「花護さん、ありがとう。お陰で綺麗なツーショットが撮れたよ」
ご機嫌な声色で言った。本当に嬉しい事だからだ。今まで俺に近づけた人はいなかったから、自撮り以外にエイドリアンとのツーショットが撮れなかった。
自分で撮影してもなかなか満足いくものが撮れなかったので、花護に頼めて本当に良かった。
「…凍雲くんはS2ホルダー…なんだよね?」
「うん…そだよ」
「…辛くない?」
「辛いねぇ」
「…辛いよね」
花護がうつむいた。暗い空気にしてしまったが、偽りのない言葉を口にしたかった。
誰からも辛いかどうか聞かれたことはない。同じS2ホルダーの天神にさえ、言われたことがなかったから。
・ ・ ・
放課後になると、一人、また一人と教室を後にしていく。
俺を避けながら教室を出ていくクラスメイトの姿を見ていると寂しくなるが、この後に楽しみがあるので気持ちを切り替える。
掃除の一件以降、花護と放課後に少し話をして帰ることが日課となっていた。
他の班が掃除に取り掛かったので、一旦、教室を離れる。廊下に出ると、理科室の前に花護が立っていたのが見えた。
俺を見つめているようだ。だが、普段と違って真っ直ぐに俺を見ている。違和感を感じていると、花護が理科室へと消えた。
気になって理科室を覗くと花護が立ち尽くしている姿が見えた。
何をしているのだろうか。もしかしたら、またちょっかいを出されているのかもしれない。
それなら、前と同じように助けに入ろう。ゆっくりとドアを開けて、中に入った。
「花護さん、大丈夫?」
小声で問いかけると、花護が顔を向けた。また、まっすぐに俺を見つめている。俺もその目をじっと見つめ返す。
花護の瞳が潤んだように見えた時、俺の胸に花護が飛びこんできた。俺の腰に手を回して、胸に顔を押し付ける。あまりの展開にテンパってしまう。
「あの、花護さん。こ、これは何? ど、どういうこと?」
「…に…げて…凍…雲くん……」
「えっ? 逃げて?」
花護の言葉に動揺していると、理科室のドアが静かに開いた。姿を見せたのは天神 国定であった。
「まさか、本当に君の力が効かないなんてねぇ…羨ましくて仕方がないよ」
歩きながらこちらに近づくと、俺から五メートル以上離れた位置で足を止めた。
苦虫をかみつぶしたような表情を天神は浮かべている。
「どうだい、凍雲くん? 孤独で凍えた体にはとても気持ち良いものだろう。温もりってのは良いよね。体にも心にもね……」
「天神! お前、まさか!」
「僕からのプレゼントだよ。力を使いたい人を見つけたら使うって言ったじゃないか?」
天神は言うと低く笑い出した。歪な笑みを俺に向けている。
今の花護は天神の傀儡だ。ヤツの力であるキング・オブ・スレイブによって意思に反したことでも実行してしまうのだ。
「彼女に何をした? 酷い事なら!」
「そんなことはしていないよ。細かくは話していなかったね。僕の力は従わせたい相手を屈服させることで発動するんだ。一度、屈服させてしまえば、僕が折れない限りは解放されない」
歯を噛みしめながら、腹立たしい話を聞く。
「屈服させるって、どんなことだと思う? それはね、恥をかかせる、ってことだよ」
「恥だと?」
「そう、恥さ。恥はその人が持つ、心の傷や自尊心を刺激するものだ。剥き出しの傷口に塩を塗り込むんだよ。傷口が広がれば、更に刺激は増していく。最後には、その痛みに耐えきれずに懇願するのさ。止めてください、ってね」
怒りがふつふつと沸いてくる。花護に何をしたのかは知らないが、今の話から察するに花護の心を踏みにじったことだけは確かだ。
見下す天神を睨みつける。
「怖い目をしないでよ、凍雲くん。でも、この距離だと、君の力は僕には届かないよ」
「知っているさ。だが、花護さんを振り払えば」
「分かっているだろう? 僕は花護さんに何でも命令できる立場だよ? そこをわきまえてほしいなぁ」
眉間にしわが寄っていることが自分でも分かる。
そして、天神の考えも分かっている。
「分かった。…お前の望みは俺をお前の奴隷にすることだろう? 花護さんを解放してから話をしよう」
「できない相談だね。絶好の機会を逃す訳ないじゃないか。それに僕は君を奴隷にするつもりはないよ」
「どういうことだ?」
「いつも言ってるだろう? 僕は君と仲良くしたいんだよ。君の力は僕と共にあることで、その真価を発揮できる。ビジネス・パートナーと言えば分かりやすいかな。上下関係抜きで君とはいたいのさ」
「俺の意思でお前と共に、『セブンス・センス』を使え。ということだな?」
俺の問いかけに満面の笑みを浮かべて頷いた。
天神は俺と共に何かをしようとしている。何をしようとしているのかは分からないが、知る必要もない。今は花護に掛けられた力を解かなくては。
「分かった。まずは花護さんの解放を」
「しないね。彼女は保険だからね。凍雲くんが変な事をしないようにするためのさ」
「そうか…よっ!」
花護を振り解いて、天神に直進する。俺の姿を見ろ。その目で捕らえれば、お前の体は縮み上がる。
気持ちだけは急いていたが、天神との距離は縮まらなかった。花護に捕らわれていたことで、逃げる時間を与えたのだ。
しかし、天神は後ろに飛び退いただけだ。駆ければ間違いなく俺の能力圏内に入れることができる。
更に足を速めようとした瞬間、物陰から何かが飛び出して来たのが見えた。
「ぐぅっ! やっ、止めろ! 放しやがれ! がはっ!」
四人の男に、床に組み伏せられた。冷えた床が、先ほどまでの花護の温もりとの差を教えてくる。俺が短絡的に動いた結果がこれだ。
男たちは目を閉じて、口から泡を吹いている。俺の力に当てられたのか、天神の力によるものなのか分からないが、正気ではなさそうだ。
「やると思ったよ。優しいよねぇ、君は。誰とも知らない、未来の犠牲者のことを思うなんて……。そのために今、犠牲者を作るなんてね」
「止めろ、天神!」
「止めないね。凍雲くんにはお灸を据えておかないと。パートナーといえど、背信行為は許されざるものだからさ」
俺を単純に脅した天神に更に目を険しくさせて睨む。見合った目を弱めない。
睨み合いが続く中、ゆっくりとポケットに手を忍ばせて、スマホを取り出し操作をする。
「おっと。何をコソコソとしているんだい? 取り上げて、僕に寄こせ」
俺の目から視線を逸らした天神が指示を出した。男が俺の右手からスマホを奪い取ると、天神に渡した。
「おやおやおや。スマホ何て使って、何をする気だったんだい? ま、大方、人を呼ぼうとしたんだろう。警察にでも掛けようとしたのかもしれないが」
「俺の目を見て話せよ、天神」
俺の視線と天神の視線がぶつかった。天神は顔を露骨に歪めて、視線を刺々しいものにした。
俺は変わらず睨みつけたままだ。
「凍雲くん、君はいい加減に自分の立場を知るべきだ」
「お前こそ知るべきだ。お前は負けたんだよ、俺にな」
「何を言っているのか分からないね」
天神が鼻を鳴らした。俺の態度が気にくわないからだろう。
「メンチの切りあいだよ」
天神は首を傾げた。俺を見る目にいぶかしさがこもる。
「睨み合いで負けたって事さ」
「そんなことか。それで今の状況は変わらないよ。ま、君が満足するなら目を逸らしてやろう」
俺を小馬鹿にすると、俺から目を離してスマホに向けた。
「どれどれ。君の恥ずかしいものがあれば良いんだけ…ひっ!」
スマホを片手に天神は息を飲んだ。次の瞬間、俺を組み伏せていた男たちが床に崩れた。
床から立ち上がって、汚れた服を叩く。
「な? 負けただろう? それとも、そっちの俺とメンチ切っているのか?」
「はっ…はっ…ひっ…うっ……」
天神にゆっくりと近づくと、更に呼吸が乱れる。
体がブルブルと震えているが、手にしたスマホを落とさないようにきつく握り締めている。
スマホを覗くと、俺とエイドリアンのツーショットが映し出されていた。
「どうだ? 良く撮れているだろう? 花護さんが撮ってくれたんだ。って、聞いてないか」
喉が詰まっているように、呼吸が上手くできていない。括目して俺のスマホを見る事しかできなくなった天神に顔を近づける。
「写真じゃ、つまらないだろう。生の俺を見せてやるからさ。マジでビビってくれよ、二度とこんなことができないようにな」
天神の顔を手で無理やり動かし、俺の視線と合わせる。
体だけでなく、瞳まで酷く震えだした。視線を更に強めると、瞳がじわじわと上がっていく。
完全に白目になったところで、天神は地面に崩れ落ちた。
・ ・ ・
学校が騒がしくなっていた。
救急車が何台も敷地内に集まっており、生徒たちが運ばれていく。
その中に天神の姿があった、
遠くからその光景を見ていると、花護が俺の横に立った。
「…ありがとう。助けてくれて」
「いや、俺のせいだからさ。ごめんね、変な事に巻きこんじゃって。怖かったよね?」
少しだけ明るく返した俺に、花護は目を向けた。
「…ううん、怖くなかったよ」
「怖くなかったの? すごいね、花護さんは」
「…凍雲くんと一緒にいたからかなぁ」
冗談めかしたように言った。照れくさくなって頬をかいていると、花護が小さく笑った。
「…凍雲くんの近くは怖いもんね。だから、慣れたのかも」
「え? 怖かったの?」
「え? 今でも少し怖いよ?」
なんと言う事だ。俺の力が効いていない訳ではなかったのだ。
「じゃあ、怖かったのに俺の近くに来たの?」
「…うん。どうしてもお礼が言いたくて。でも、なかなか近づけなくて」
花護は特別な訳ではなかったのだ。俺の力に屈しなかったのは、俺に近づこうと努力をした結果なのだろう。
ほとんどの人が俺を自然と避けていた。あの天神ですら俺の能力範囲外からしか話し掛けなかったことを考えると、間違いではなさそうだ。
いずれは両親も俺に近づけるようになるかもしれない。
「嬉しいな、そんなに頑張ってくれてさ。じゃあ、抱きついた時も、あまり怖くなかった?」
「…けっこう怖かった」
「あ、そうだよねぇ……」
S2ホルダーとしてだけでなく、能力によっても人から避けられていた俺と接するために、努力をしてくれた花護を見て思う。
天神や俺が欲していたのは自分と対等に接してくれる人なのだろう。俺と言う存在を受け入れてくれる人。
そんな人たちが増えたら、俺や天神のような辛い人が減るのだろう。俺もそんな人になれるだろうか。
いや、なるのだ。S2ホルダーとしての辛さを知っている俺だからこそ、真っ直ぐ向き合っていきたい。
俺の半径五メートル内に笑顔を取り戻すため、俺がすべきことを心に刻んだ。