来るもの拒まず、去るもの追い回す。
職業・探偵。そんなことを口にしたら、向けられるまなざしは2通りに分かれると三ケ月は考える。
「えぇ!? じゃあ、難しい事件とかスルスルっと解決しちゃったりするんですか?」
と憧憬のまなざしと遥かなる期待。
もしくは、
「あー探偵? 実際は便利屋みたいなもんでしょう? 浮気調査とか犬の散歩とかさ」
なんていう冷ややかなまなざしと現実を突きつけられる現実。
確かに間違っていないと思う。実際ここ数日3件の依頼をこなしたが、その10割は動物相手で浮気調査なんてここ何年やってない。数年前、夫の浮気を疑う妻から調査依頼があり、助手である天道太郎に協力させたところ、逆に夫から「妻とダメ人間を絵に描いたような男が浮気をしている」と告げられ、逆に慰謝料を払わされそうになったこともあった。
人間には向き不向きというものがあるのだと三ケ月は思う。
推理小説に出てくるような探偵。難事件をスルスルっと解決しちゃうような天才なんて探偵じゃなくて、
刑事にでもなればいい。公務員として、市民のため、国民のため、その身分も保証されている。
探偵なんて自営業だ。依頼がなければ仕事にならず、生活していけない。
だから依頼があれば何でもやるのだ、とりあえず。それが自分に向いているか向いていないかは別として、人として生きていくためには金がいるのだ。だからどんな依頼も受ける。ただそれだけ。それだけだったのにどうしてこんなことになっているのだろうと三ケ月は殺人現場を前に考えている。
「あのー関係者以外は立ち入り出来ないんですが」
ふと目の前に立ったまだ幼さを残す、制服姿の警察官の言葉で三ケ月は我に返った。
「あっ、そう、そうですよね! 立ち入っちゃダメですもんね!」
そうだ、私はただの探偵だ。憧憬のまなざしを一瞬で打ち砕く、便利屋みたいな探偵だ。そうだろう?
「あ! おい、三ケ月! そんなとこで何しとんねん。はよ、こっち来いや」
そんな風に自問自答をしていたら、聞きなれたニセ関西弁が耳に飛び込んできて、思わずビクッと肩が震えたのを目の前のまだ幼さの残る、少し可愛らしい顔立ちの警察官に見られただろうかと心配になる。
「あ……えっと、魚住警部補のお知り合いですか?」
目の前の可愛らしい警察官が少し戸惑った様子で、三ケ月を上目遣いでチラッと見上げる。
いやはや、その仕草がたまらなく可愛い。どうしたもんか。
「おい、ショタコン野郎。なんて顔してやがる」
「あ……っと、お疲れさまです。卜部さん」
三ケ月の絶景の前に割り込んできたのは、たぶん幼い頃から美人といわれていながら、少々近寄りづらい雰囲気を醸し出しているせいで、余計にその価値を高めてきたであろう卜部美子の嫌悪感全面顔だった。
「納得いかないかもしれないけど、こいつ一応関係者だから。認めたくないけど」
卜部が新米警察官に説明すると、彼は動揺しながらも威勢のいい返事と敬礼をし、卜部へはにかんだような笑顔を見せ、目を輝かせている。
「それにこいつ、あんたのこと性的な目で見てたから気をつけて。なんかあったら、即逮捕していいわ」
「え?」
「えあっ、いや! ちょっと卜部さん、誤解ですって!!」
「いいから早く来いっつーんだよ!」
必死の抵抗もむなしく、三ケ月は新米警察官から死んだネズミを見るような目を向けられ、しぶしぶその場を離れ、先を歩く卜部の背中を追ったのだった。
三ケ月一日探偵事務所―――駅から続く商店街の一角にある探偵事務所。ここが三ケ月の職場であり、自宅である。
もともとは三ケ月の上司にあたる探偵がやっていた事務所をそのまま引き継ぎ、ある意味では2代目。
先代からは「どんな依頼も必死でこなし、結果を出せ」というありがたい言葉を頂戴しているのだが、実際は「どんな(無理な)依頼も必死でこなし、(クソみたいな結果でもいいから)結果を出せ。(そして報酬を必ず受け取れ)」という、ブラック企業もしくは詐欺集団が使いそうな言葉だ。
実際、探偵なんてどんな依頼もこなさなければ生活が成り立たない。
だから幅広く依頼を請け負ってきたのだが、ある時から警察の捜査協力をすることになってしまい、物語に出てくるような「探偵」という仕事も一応やっている。
「ただいま帰りましたよっと」
カギ屋へ持っていったらスペアが作れないと言われた年代物のカギを差し込み、軋むドアを開けるといつも通りの埃っぽく、湿っぽい空気が出迎えてくれる。
「きゃぁ!」
同時に女性の悲鳴が聞こえ、そのすぐ後に三ケ月を衝撃が襲い、思わず床に尻もちをつく。そこを狙ったかのように顔面を何かが覆い、視界が塞がれてパニックに陥る。
訳がわからず、顔に張りついたヌルヌルとした冷たい感触のそれを剥がそうと床を転がりながら、情けない悲鳴をあげる三ケ月の頭上から、何してんの?と冷めた声がする。
「ねぇ、なに一人で遊んでんの?」
男の声とともにヌルヌルとしたものが引きはがされ、視界が戻ってくる。と同時に目の前に平然としゃがみ込む男を三ケ月は全力で睨みつける。
「天道! どういうことですか?!」
「どういうことって?」
なぜか前髪をちょんまげに結わいている天道太郎に噛みつくも素知らぬ顔で、こいつはいつもそうなんだよなと思いながらも説明を求めなければ納得がいかない。
「どういうこと? って、女性の悲鳴が聞こえたと思ったら、変なヌルヌルしたモンに顔を塞がれて窒息死させられそうになったんですが!」
一気にまくしたて、息を切らしている三ケ月をもの珍しそうに見つめ、天道は手の中にあるヌルヌルとした物体を身体を起こしている三ケ月の上へ落とした。
謎のヌルヌル物体は毒々とした緑色をして、ヌラヌラとその姿を妖しく輝かせている。
「スライム。」
「スライム?」
天道があまりにも当たり前のように言うので、三ケ月は思わずそのまま返してしまった。
「うん。お前がいきなり帰ってきたから女の子がびっくりして、スライム投げちゃったみたい」
「スライムかぁ……ってなるとお思いですか! そもそもなんで女の子がびっくりして、スライム投げちゃう状況に陥っているんですか」
「そんなの知らない」
思わずぐぬぬと言ってしまう。昔からこんな風に自分以外、いや自分のことすら気にしない。考えないで生きている。これ以上は無駄だと長年の経験上判断し、三ケ月はため息ひとつで気持ちを整える。
こういったスキルは探偵業をしていく中で身についた必要以上にエネルギーを使わないための作戦だ。
そう考えながらスーハ―スーハ―と深呼吸をしていると、ボロボロのソファから眠たそうな目が三ケ月を見て、ちょっとだけ三ケ月は幸せな気分になる。
「稀くん! ただいま帰りましたよ」
「はいはい」
相変わらず気のない返事だが、答えてくれるだけ良い。
外出しないせいで真っ白な肌を持っている美少年・久坂稀は天道太郎とともに、三ケ月一日探偵事務所の居候であり、三ケ月の心のオアシスである。
「稀くん、今日はなにを―――」
「作山っておっさんから早く金返せって、電話あったよ」
せっかくの稀との交流を楽しもうと思ったら、現実的な引き継ぎの先制攻撃だ。一気に現実に引き戻され、三ケ月は床から立ち上がり、デスクへと向かう。
先代から事務所を引き継いだと同時に、多額の借金をも引き継いだのだ。そのため、先代の言葉通り依頼はなんでも受けざるを得ないのだが、それでも返済は間に合わず、極貧生活を送るハメになっている。
「それでも私は稀くんがいれば、満足ですけどね」
ゲームをしている稀を見つめながらそう言うと、ため息も一瞥もされず、無視と一番悲しい対応をされたがそれもいいのだ。
「で、どうだったの殺人現場」
いつまでも見つめている三ケ月にしびれを切らし、視線はゲーム機に向けたまま、稀が言った。
「あぁ! 資料、もらってきましたよー。あ、そういえば新米の可愛らしい警察官くんがいたんですけど、卜部さんに邪魔をされてしまいましたよ。残念ながら」
稀が聞いていないことは百も承知で三ケ月は余計なことを言ってみる。あわよくば嫉妬してくれないかなとか、思いながら。
「ねぇ」
「あ、っとごめんなさい。少しでも繋がっていたかったもので」
稀に資料を渡し、それを受け取ってくれることで間接的に握手をしているようなもんだと幸せに浸っていたところだったのだが。仕方なく手を放し、稀の手へ渡った資料を名残惜しそうに三ケ月は見つめた。
「被害者は50代の男性、建設会社を経営していたそうですよ。見た感じは……遺体ですけれど、家族と上手くいっているような、うーん。勝ち組ってやつですかね?」
「三ケ月の説明はよくわからないし、資料読めばわかるから黙っててくれない?」
「失礼しました」
今日の稀くんはいつになく真剣に資料を読み込んでいるようだ。邪魔にならないように、三ケ月はそっとその勇姿を見つめていようと思ったがあからさまに舌打ちをされ、これ以上機嫌を損ねてはいけないとしぶしぶデスクワークをすることにした。
「で、なにすればいいの? これ」
大きく伸びとあくびをしながら、資料を読み終えた稀は机の上にそれを放り投げ、三ケ月に本日初めて目を合わせてやる。
「なにすればって、いつも通りです」
「犯人を見つけろって? 警察も怠慢だなぁ、一般人に頼るなんて」
「そのおかげで、とてつもなくわずかながら報酬を得れるんですからウチにしたら断れないですよ」
デスクワークをするフリをして、画像鑑賞に勤しんでいる三ケ月に対する皮肉も稀は込めたのだが、どうやら伝わらなかったようだ。
「で、太郎くんはいつ行くの?」
ソファの上から振り返ると、なぜか半裸な天道が「明日かな」と気のない返事で答えた。
「だってよ、三ケ月」
再び顔を戻すと、嬉しそうでもあり、嫌そうでもある変な顔をした三ケ月のいびつな笑顔が返ってきたので見ないふりをして、稀はゲームを再開することにした。
三ケ月が警察の捜査協力をすることになったのは、警部補・魚住次男との出会いがきっかけだった。
事務所を構える藤笠町は三ケ月と天道が高校時代を過ごした場所であり、魚住は藤笠警察署の刑事である。
本当にひょんなことから(下校途中の小学生をたまたま見守っていたら、通報され)出会い、その頃近所で起こった誘拐事件(実際は家出だった)の犯人ではないかと疑われたのだ。
三ケ月は主に10代の少年を愛でるという趣味を持っているため、余計に疑いを掛けられ、事務所の捜索までされることとなった。その際、居候していた稀は監禁の被害者なのではないかと思われたりもして、以降魚住とその相棒・卜部からは要注意人物としてマークされてしまった。
事務所の捜索の際、探偵をやっているとわかり、母親が関西人だからという理由で、関東育ちのくせに関西弁を話す魚住から
「不審者として周辺に公表しない代わりに、事件捜査へ協力しろ」
と半ば脅迫まがいの協力を求められ、三ケ月は仕方なく魚住の助手、というか手下?として手伝いを始めることとなった。
「探偵なら、犯人の一人くらい捕まえてみんかい。じゃないと、探偵のくせにそんなんも出来ないって近所に触れ回ってやるわ」
魚住からそんな風に迫られ、三ケ月はどうしたもんかと稀に事件の内容を話すと、稀から返ってきたのは意外な犯人像で、それを元に捜査を進めていった結果、無事犯人を逮捕することが出来たのだ。三ケ月は稀の推理だということを隠し、自分の手柄にしたのだが、そのせいで魚住から一目置かれることとなり、安い手間賃で捜査協力をするハメになってしまった。
また、稀と天道いわくビビりでチキンのヘタレ野郎である三ケ月は頻繁に殺人現場へ足を運ぶこととなり、現場へ行った日は怖くて眠れず、しばらく経っても悪夢に悩まされており、自業自得であるが今さら引き下がれず、捜査協力をしている。
「また眠れませんよ、しばらく」
稀が放り投げた資料を目の届かないところへやり、三ケ月はため息をつく。
抜群の想像力と推理力を持つ稀は三ケ月が持ってきた情報だけで、ある程度の犯人像を絞り込むという天才的な能力を持ち、その想像した現場を絵に起こし、その完成度も抜群に高い。
そして幼い頃から霊が見える。
それは天道も同様で、天道の場合はイタコの曾祖母をもつせいか憑依体質でもある。
三ケ月たちが難事件といわれるいくつかの事件を解決している背景には、この2人の能力が大いに関係しており、天道が被害者の霊を連れてきては稀に事情を聞かせ、その情報も含めて推理をしているのだ。
そして三ケ月には一切そんな能力はなく、極めて普通の凡人である。
しかし引きこもりである稀は現場に出向くことなく、ダメ人間の世界代表ともいえる天道も三ケ月という監視役がいなければ、なにをしでかすかわからない。そのため、三ケ月の存在は必要不可欠なのである。
元はといえば「物語に出てくるような探偵です。事件を解決したりとか」と、三ケ月が魚住にどんな仕事をしているのかと問われ、自信満々に答えてしまったのがいけないのだ。
だから仕方ないと思いながらも、三ケ月は今日も眠れないとまたため息をつくと天道から「うるさいな」とつぶやかれてしまったのだった。