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マルコスの場合 中

 あれから二週間が過ぎた。

私は妻の「新しい仕事をじっくり見つければいいわ」という一言に救われて、なんとか今日も生きている。

不安が決してなくなったわけではない。しかし、家族の支えが私に大きな勇気を与えてくれる。

最近では、採れる物も採れない始末だから、昼過ぎには仕事が終わってしまうので、私はその時間を利用して、来月からの働き口を探している。しかしこの街にはすでに求職者たちが溢れていて、レストランのボーイの募集すらろくにない始末だ。

まあそれはいい。妻の言うとおり、じっくり時間をかけて、納得の行く仕事を見つければいい。私の固い性格と、妻の器量が幸いして、僅かだが蓄えがあったため、あと数ヶ月は求職活動に専念できそうでもある。

 それよりも気になるのは、親友のことだ。

ミゲルの姿を、ここ数日見かけていない。

出勤日は一日たりとも欠かすことなく顔を合わせていたものだから、あいつが来なかくなったことには驚いた。閉鎖のショックでやけ酒でもして、家で寝ているのだろうかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

同僚の一人が、夕方街でミゲルが歩いているのを見かけたというのだ。あいつが、柄にもなく、外套に中折れ帽など被っていたというから半信半疑ではあるが。あいつは、来月からの暮しに備えて求職活動に精を出す、というたちではないはずだが。


「ミゲルは来てませんか」

「いいや、今日もいないね」

「今日も、というのは?」

「奴さんおかしんだ。三日ほど空けてきたかと思ったら、今までのツケだとかなんとか言って、600ダガットもおいて行きやがった」

「600ダガット?俺たちの給料のほとんどひと月分じゃないか」

「ああ、だから冗談で言ってやったんだよ。盗んだ金ならいらないぜ、したら奴さん、鼻で笑ってどっかへ行っちまった。酒の一杯も飲まずにさ」

「それは妙だな。本当にミゲルだったのか?」

「間違いねえさ」

「気味が悪いな」


 どうした?酒場のおやじに聞いてもこうだ。

あいつは今、どこで何をしている?

まさかもう新しい仕事にありついたということもあるまい。


 帰ったら妻に話してみよう。妻はあれでいて、近所の奥様方に気に入られているそうで、近隣のネットワークには強いのだ。


「よお」


 などと考えていたら。不意に声をかけられた。振り返ると、件の男がそこにいた。


「ミゲル、探していたんだ」

「そうか」

「急に来なくなっちまって、どうしたんだ」

「俺がいなくたって、仕事に支障はあるまい」


 全くこいつの言う通りだ。俺ひとりだって全く余る程度の仕事しか、もうあの坑道にはありはしない。


「だからって急にどうしたんだ。そのナリは」


 声ですぐにわかったものの、ミゲルは中折れ帽を被って、似合わない口ひげを蓄えていた。


「いやなに、うまい仕事があってな」

「まずい仕事じゃないだろうな」

「なにもまずいことはありゃしないさ。怪しいくらいにうまい話さ」

「聞かせてくれよ」

「実を言うとよ、おめえを誘いにきたんだ」

「そいつはありがたいね」

「ついてきな」


 そう言ってミゲルについて歩き出したが、どうも妙だ。こっちは行政区の方向だ。俺たち労働者には無縁の場所。


「なあミゲル、こっちで本当にあっているのか」

「心配すんなよ。もうすぐ着く」


 行政区に入ってからどれくらい歩いただろうか。一人で帰るには道順が不安なくらいには歩いた。


「ここだぜ」

「え?」


 ミゲルが立ち止まって言った。建物の隙間と隙間、5・60センチばかりの、大人の男が体を横にしてやっと通れる程度の細い道。


「馬鹿言ってんじゃないよ。ここにどんな仕事があるって言うんだ」

「まあついて来なって。危ないことは何もねえ」

「お、おい」


 たしなめる私の声などどこ吹く風で、ミゲルはどんどん細道を進んで行く。いよいよ怪しくなってきた。私はいつでも逃げられるように気を張りながら、ミゲルについて行った。

やがて15メートル進んで、右に曲がってまた15メートル、突き当たりを左に15メートル。どうやら建物と建物の間の隙間を縫うように進んでいるらしい。


「着いたぜ」


 驚いた。

少し開けた場所で建物にぶつかったと思ったら、なんとも意外な風景だ。太陽光もほとんど入らないこんな路地裏に、木彫りの豪奢なドアに、細工の凝ったガス灯、そして提げ看板に彫ってあるのは……<管理局>のマーク。


 <管理局>……この街の大時計の管理を任されている機関で、大時計の歴史と仕組みと同様、その実態は謎に満ちている。誰が何の目的で設置したのかも分からぬ大時計の、管理をするために設営された謎の機関。その紋章をこんな路地裏で見ることになるとは。



「お待ちしておりました」


 そう言って出迎えてくれたのは、カウンターに座った銀髪の若い女性だ。片眼鏡で、涼しい目元が理知的な印象を与える。


「よお、今日も頼むわ」

「ええ、こちらへ」

「お前はどうする?マルコス」

「どうするもなにも、俺はここがなんなのかもわかってないんだぞ」


「よろしければ、見学だけでもどうぞ」


 銀髪の女性が振り返り、眉一つ動かさずに言った。


 ここは管理局の施設。管理局は市民の税金で運営される行政機関のひとつだ。……信用しても良さそうだ。


「ええ、では、見学だけ」


 案内された部屋を見渡すと、壁に沿って置かれた長机と、椅子と、机の上に設置された、穴の空いた妙な黒い機械と、機械から伸びたパイプが壁に伝って、壁に埋め込まれたこれまた妙な機械に繋がっていて……なんだこれは。


「では、時間になりましたらお呼びいたします」


 そう言って案内を終えると、銀髪の女性は受付に戻って行った。


「おい、なんなんだよここは」


 女性の姿が見えなくなってから、ミゲルを小声で問いただした。


「詳しいことは俺もよく知らん」

「大丈夫なのか」

「この機械があるだろ、ここに腕を通してレバーを回す。すっとこうして機械のここの部分が腕を締め付けて……」

「……」

「脈拍を計るんだ」

「……」

「健康状態の報告、ってとこかな。そのままこの状態で30分さ」

「長いな」

「でもな、30分。これで仕事は終わりさ」

「なんだって」

「そうしたら受付に行って金を受け取る。な、簡単だろ?」

「信じられんな……」


 俺も最初は半信半疑だっただの、妙なことはなにもない、お前もやって見るといいだの、ミゲルの話を聞いているうちにあっという間に30分が経った。


「さ、受付で金をもらうぜ」

「本当にこんなことで金が貰えるのか」


「お疲れさまです。それでは本日の分の1000ダガットでございますね。ご確認ください」


 なっ!?

 1000ダガットだって?俺たちのひと月の給料のおよそ倍じゃないか!それをたったの30分で……!

「な?お前もやっていけばよかったのに」

「う……」

「よろしければ、ご登録いたしますか?」

「え?」

「本日ご登録いただければ、明日からでもこちらに来ていただけますが」

「ほ、本当か……」




 結局、現金を目の当たりにして心が動き、登録してしまった。

帰りにミゲルが今日受け取った1000ダガットで酒を奢ってくれるというので、ほいほいついて行った。


「あんなうまい仕事、どうやって見つけたんだ」

「ここだけの話だ。実はあそこは本来口外するなと言われていたんだ」

「おいおい」

「だがな、あの受付の姉ちゃんにな、俺と同じ失業者がいて、そいつを連れて来たいと言ってみたんだ」

「俺はまだ失業しちゃいないよ」

「強がるなよ。まあ、それで、な。そうしたら『確実に登録してくれるなら』という条件付きでオーケーを貰ったんだ」

「勝手な奴だな。俺が断ったらどうするんだ」

「お前さんには家族がいるだろ。俺よりも状況は深刻だ。実際登録したじゃないか」

「うっ」

「まああんなうまい話、お前さん以外にゃもったいなくて教えられんよ」

「そうか……。ところでどうやってあの場所を見つけたのか、まだ答えてないぞ」

「ああそうだったな」



「背の高い男に誘われたんだ」

「ほお」

「歳は俺らよりも若い。背が高くて金髪、体つきはけっこうしっかりしてたな。と言っても俺らみたいな労働者の体じゃない、あれはスポーツとかそういうので鍛えた体だな」

「何者なんだ、そいつは」

「管理局の者だ、とだけ言っていたな。名前は聞いてない。喋り方からしてかなりのインテリっぽかった。俺がやけ酒でミランダの店の近くのゴミ捨て場で潰れていたらよ、肩を貸そうかって話しかけてきて、家まで送ってくれてよ」

「なにをやってるんだお前は」

「そういうな。それで家まで送ってもらって、あの場所のことを聞いた。俺も最初は半信半疑だったさ。だがあんなに簡単に金が貰えるとなりゃ、怪しいなんてもう気にしちゃいらんないぜ」

「そうだな……」

「まあ、おめえさんも明日にでも行ってみるといい」

「そうするよ」



その翌日、私は例の細道の前に立っていた。

妻にはなにも告げずに来た。

なんとなく、うしろめたいような気がしたから。


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