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だから僕らは笑ったんだ

作者: 空人

 気が付くと俺はただ走り続けていた。行く先は見えず、目の前すらも見えていなかったのかもしれない。それでもその速度を落とすわけにはいかず、足は前へと送り出される。必死だった。とにかく必死だったのだ。駆り立てるものは暗闇だった。恐怖ゆえの遁走だった。

 逃れる先に明かりを見つけてそこに飛び込むまで、俺は走り続ける事しか出来なかったのだ。



1.タカアキの話


「その笑い声は伝染するんだ」

 夏休み気分から抜け出せない昼休みの教室にその話はあまり似つかわしいとはいえない代物だった。

「なんだよそれ、病気かなんか?」

 そしていくら暇だったとはいえ男三人が集まってする話でもないようにも感じられた。

「違うよ、三組の奴が旧校舎で聞いたんだって話を聞いたんだって話だよ」

「オカルトかよ。しかも又聞きの」

 非難は当然の仕打ちだっただろう。もともと心霊の話の類はどこかしらに胡散臭い匂いがするものだ。だというのにそれが他人の、それも聞いた話だけだというのなら疑ってくださいと言っているようなものだ。

「なんだよ、信じないのかよ」

「だから、信じるとか以前の話しだっつってんだよ」

 話し始めに出鼻を挫かれたタカアキが三人の中でも一番幼さの残る顔立ちをしているその顔を不満に歪めるのを俺は苦笑交じりで見つめ返した。

「ちぇ、そっちが涼しくなるような話は無いかってふってきたくせにさ」

「そうだっけ? ああ、悪かったよ。良いぜ、話せよ続き」

 不満が残る顔はそのままにタカアキが語ったのは旧校舎で夜な夜な聞こえるという笑い声にまつわる話だった。



2.旧校舎は笑う


 その話はどこにでもあるような怪談から始まった。

 老朽化によって既に使われる事もほとんどなくなった旧校舎が取り壊される事が決定したのも自然な流れといって良いだろう。だがそれは夏休みを前に浮かれ気分の生徒たちには絶好の餌だったと言わざるを得ない。自然、壊される前に旧校舎を探検しようと言い出す輩が現れ、実際に幾つかの探索隊が結成されたらしい。当然その中には夏らしいイベントを盛り込む連中も出てくるわけだ。夜中の旧校舎に忍び込む。いわゆる肝試しというやつだ。もちろん実際に心霊体験を望んだ訳ではなかっただろう。気の合う仲間たちとひと夏の思い出が出来ればそれで良かったのだ。しかしその内の一組がそれに遭遇してしまったというのだ。

 防風防塵のために学校の周りに植えられた針葉樹は夜の校舎内を更に暗い闇の色に染めていた。なのにその教室は薄明るい光に包まれていたのだという。当然、興味本位で校舎を徘徊していた探検隊達はそれに気付きその扉を開け放つに至った。

 教室は何の事はない木々の隙間を縫って月の明かりで照らされているに過ぎなかった。ただ、彼らは聞いてしまう。その声を。

 笑い声だと断定してしまうにはあまりにも奇妙な声だったという。しかし頼りない光しか持たない彼らにはそれを確かめようという気概の持ち主は居なかった。奇妙な笑い声は夜の校舎に残響を残す。一目散に逃げ出した彼等を嘲笑うかのように――。



3.ヨシユキの提案


「ふぅん、で?」

 この手の話はオチが読めてしまえば威力は半減どころか無いに等しい。タカアキの話は解りやすくそれを読み取る事が出来た。それは彼の優しさだったのかも知れないし、単にこういう話をするのが得意ではないのかもしれない。

「なんだよ、張り合い無いなぁ。まぁ待ってよ、この話はこれで終わりじゃないんだ。その笑い声を聞いた奴には必ず不幸が訪れるんだよ」

 不満は示したもののこっちの反応は予想の範囲内だったのかタカアキは話を続ける。だがこれ以上どんな物を飾りつけようとも、その話が信憑性を強める事は無いように思われた。

「不幸って? 具体的に何なんだよ」

 そうこの話は、遠く離れた土地の出来事でも今より古い時代の出来事でもなくつい最近のしかもひとつ隣のクラスでの出来事なのだ。

 俺の疑問を待っていたかのようにタカアキは口角を吊り上げた。

「その声を直接聞いたのは三人、一人は階段から落ちて、一人は交通事故で、共に重症だってさ。命に別状は無いらしいけど」

「…………」

 二つの事故のことは当然俺の耳にも届いていた。今までの話を聞いてそれを関連付けられなかった自分を恥じると共に驚愕に言葉を飲み込んだ。

「も、もう一人は?」

「……知ってるだろ?」

 もちろんそうだった。だけど信じたくは無かったのだ。自分の身近でしかも心霊現象が原因でそういう事が――死者が出る――なんて事は。

「ま、まじかよ」

「詳しくは知らないんだよ。何せ原因不明だっていうし。でも、だったらそれが原因だと考えるのが自然だろ?」

 今度は俺がしかめっ面を浮かべる番だった。したり顔のタカアキにどこか不謹慎さを覚えたのだ。

「……どう思う? ユウイチ」

 こっちの話に興味を持たなかったのか黙って隣で本を読んでいるユウイチに話を振ってみる。ゆっくりとした動作で本を閉じ眼鏡を押し上げたユウイチはようやくこちらに意識を向けた。

「伝染するっていうのは?」

「へっ、ああ。三人とも旧校舎から戻ってきた後、その話を皆に広めていたんだけど、その笑い声を真似するようになったらしいんだ。で、それをまた真似する人が出て……。もっとも三人が事故にあってから広める人は居なくなったらしいけどね、夏休みに入ったし」

「そうか」

 そう言い残して再び沈黙するユウイチに俺とタカアキの不審な視線が集まる。しかしそんな事はお構い無しにユウイチは声を閉ざし、考え込んだ姿勢のまま動かなくなってしまった。

 結果、痺れを切らしたのは俺の方だった。

「ま、いいか。そんなもん実際に確かめてくりゃあ良い話だろ?」

「確かめるってお前……まさか!?」

 驚きの声を上げるタカアキに余裕を見せてやろうとするが、その笑顔は残念ながらいくらか引きつったものになったのだった。



4.後者は笑う


 一番最後にやってきたのはこの話を持ってきた人物だった。親を誤魔化すのに手間取ったという彼を責めるつもりはないが謝罪くらいはしっかりして欲しい。ともかく俺たち三人は昼間施しておいた仕掛け――と言っても窓の鍵をかけずにおいただけなのだが――を使って旧校舎内に侵入することに成功した。

 旧校舎の中は噂通り一面の闇だった。三人分の懐中電灯のみを頼りに俺たちは正面玄関まで移動する。中から鍵を開け退路を確保する為だ。扉の開閉を確かめていよいよ目的の場所を目指す。しかしすぐに足を止める事になった。遅れてきた扉が閉まる音が思いのほか闇に響いたのだ。誰からとも無く顔を見合わせた後浮かべた笑顔はどこと無く安堵の色が滲んだ。

 それからは無言の行進となる。そして無言に耐えかねてよっぽど自分から脅かし役に回ろうかと考え始めた時の事だ。最初に駆け出したのは一番後ろに居たはずのこの話を持ってきたあいつだった。当然これで俺が最後尾となる。恐怖に負けた友人を呆れると共にそのとっぴな行動の起因を探った。そして、それは聞こえたのだ。後ろから。

 気が付くと俺はただ走り続けていた。行く先は見えず、目の前すらも見えていなかったのかもしれない。それでもその速度を落とすわけにはいかず、足は前へと送り出される。必死だった。とにかく必死だったのだ。駆り立てるものは暗闇だった。恐怖ゆえの遁走だった。逃れる先に明かりを見つけてそこに飛び込むまで、俺は走り続ける事しか出来なかったのだ。

 たどり着いた教室は何の事は無い針葉樹の隙間を塗って現れた月が照らしているに過ぎなかった。一先ず胸を撫で下ろすと同時に注意深く辺りを探る。そして見つけてしまった。教室の片隅で何か黒いものが蠢くのを。声はこらえられた。ゆっくりと後退する。しかしそれも止まる。止められてしまう。肩に手を乗せられて振り向いた先に見えたのは暗闇に光る大きな瞳だった。



5.ユウイチの解説


「うわあああああああっ!?」

 ついに声を漏らした俺に告げられたのは聞き覚えのある声だった。

「落ち着けヨシユキ、俺だ」

「な、なんだよユウイチか。お、脅かすなよ!」

 振り向いた先に月明かりに反射する見知った眼鏡を見つけて胸を撫で下ろす。だが俺はすぐに思い出すことが出来た。この教室にはもう一つ蠢く影が潜んでいるのだ。

「驚いたのはこっちだよ。急に走り出すしさ。ああ、タカアキも居たのか」

「えっ?」

 そういえば先に逃げたタカアキはずっと自分の前を走っていたはずなのだ。闇と混乱のせいで意識していなかったが彼が自分と同じ思考と過程をたどった事は考えるに難くない。つまり先ほど見た影は――。

 再び影に視線を向けると、そこには体を縮こませ両手で耳を覆いガタガタと体を揺する友人の姿があった。体中から力が抜けるのを感じる。ああと声も流れ落ちる。そしてようやく俺は周囲をゆっくり観察する事が出来たのだった。

「何だったんだあの声は」

「ヒィッ!?」

 俺が漏らしたつぶやきはいまだに何物からか自分の身を守り続ける友人の耳にも届いたらしく、

 彼は小さな悲鳴を漏らし身体を、心を震わせている。

「おーい、タカアキー?」

「……何か聞いたのか?」

 タカアキに駆け寄ろうとする俺をユウイチの質問が引き止めた。正直思い出したくはないがあの時聞いた声――だったのだろうか――は耳に残ったままだ。

「ああ……聞こえたぜ。金切り声って言うか、甲高い……笑い声、に聞こえなくはなかったな」

「そうか」

 そうとだけ言い残しユウイチは教室の窓際に近付くと手近な窓を開いてみせた。教室のこもった空気は吐き出され、新鮮な風が頬をくすぐる。そして聞こえてくる。声。

「な、この音は!?」

「ヒイィッ!」

 空気の流れが変わったからだろうか建て付けが悪くなった古いロッカーの扉が揺れる。蝶番が鳴くその音は甲高く――。

「笑い声に聞こえなくは無い、な」

「ああ」

「じゃあ、廊下で聞いたのは何だったんだ?」

「そうだな、俺たちが入ってきた教室にも同じようなロッカーが有ったんじゃないかな。窓、開けたままだったし。玄関の戸を開け閉めした事で気流が変わったんだろう」

 言われてしまうともうそうとしか考えられなかった。そもそもタカアキがこの話を始めた時点で訝しんでいたのは自分の方だったではないか。

「ふっ、くくくく……なんだよ、脅えて損したぜ」

「幽霊の正体見たりってやつだな、ふふふ」

 俺とユウイチは顔を見合わせて肩を揺すった。

「ひぃいっ!?」

 その声が聞こえたのだろうタカアキが三度悲鳴を漏らす。その姿は実に滑稽でこみ上げていた可笑しさはついに解き放たれた。

「あっははっはははははっ!」

「ふふっ笑っちゃ、くくっ悪いだろ……はは」

「お、お前こそふくく、笑ってんじゃねえか。あははっはは」

「ひひいぃいいい。や、やめてくれぇ!」

「かっかっか」

「きしししししっ」

「ひぃはははっひゃはは」

 その笑いは火がついたように止まらなくなった。言葉とは裏腹にユウイチもついに声を上げ始めた。その内苦しくなって息を吸うときも引き笑いになってしまう。そして互いにそれを見てまた盛大に吐き出す。悲鳴を上げていたタカアキも途中から笑い声に参加していた。恐怖ゆえか俺たちの笑いに誘われたのかは判断できなったが。とにかく俺たち三人は笑い続けた。例え苦しくとも。息が出来なくとも。笑い続けなければならなかったのだ。甲高い音で。それはもう、笑い声とは呼べないものだったのかもしれなかった。



6.旧校舎は笑わない


 朝は誰にでも平等に訪れる。そこを照らす光もまた慈悲によるものだったのだろうか。静かな校舎の誰もいなくなった教室に一迅の風が躍る。ひしひしとガラスを撥ねて建て付けの悪い掃除用具入れのロッカーを撫でて行けば、扉は軋むきしきしと。その音はどこか寂しげに甲高く。笑い声には聞こえない。

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