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善し悪しよろしわろし

 ▲


 古典の授業は眠い。

 名前の割に旅行好きな小森先生は授業中、「ね」とか「な」とか念を押すような語尾を多用する。まるで文章をいちいち音節で区切ってるかのように。しかも大事なところはしつこいくらいに繰り返す。すでに覚えてしまっていることでも繰り返す。

 だから眠い。

「ぁぅ……」

 どこからかあくびみたいな鳴き声が聞こえた。なんて、ぼかさなくてもレナだけれど。

 見回してみると、幾人かのクラスメートはすでに突っ伏している。頬杖をついて器用に寝ている生徒も一人。あの腕組みをしている生徒もきっと寝ているのだろう。さっきから微動だにしていない。

 男もすなる日記(にき)といふものを、女もしてみむとてするなり。『土佐日記』より。

 古典そのものは好き。

 だって短くなるから。現代語だと長い文章が、古典だと半分くらいになる。「早くしなさい」が「とく」だったり、「そんなことをしてくれるな」が「さなせそ」だったりするのだ。

 それに、大和言葉って「みやび」な気がするし。平安貴族のイメージが強いからかな。読み書きできたのは貴族だけだったとか……?

 和歌もいい。たった31音の中に、自分の想いを何重にも掛け合わせて表現するんだから。和歌ができれば宮中に入れるっていうのも頷ける。難しいもん、和歌。

 まあ、古文は全部が仮名だから原文のままでは読めないけどね。書写している間に変化したりするし。源氏物語とか。

 ……あ。

 例の文字列ってどんなだったっけ。

 ゆめうつつ……?

 よく覚えてないけど、確か32文字だったはず。字余りかも。

 だとしたら、ゆめうつつ、って夢と現?

 って、こんな風に考え事ばかりしてるから展開に絵がないとか言われるんだけれど。


 ▼


 善悪論について、例えば私が一人で何日もうんうん唸って考えても、あるいは世界中の人が一堂に会して意見を出し合い議論しても、正しい結論なんて出ないと思う。これは善事あれは悪事って決めることは出来ても、その境界を決めることは出来ないと思う。

 何故か。

 自然の中では善も悪もないから……かな。

 所詮人間なんて動物の一種だし、いてもいなくても自然そのものには影響がない。

 ここでいう自然はもちろん、どこぞの森林だとか、砂漠だとか、河川だとか、大気だとか、海洋だとか、そんなものじゃなくて、もっと大きくて絶対的な、地球とか宇宙とかの意味だけれど。

 善悪なんて人間しか気にしない。それも、自分の為にしか気にしない。

 もっと言えば、自分が善人に見えるかどうかを気にする人はいても、悪人に見えるかどうかを気にする人はいない。善悪という感情(エゴ)の産物を感情(エゴ)以外の理由で気にする人はいない。

 私がポイ捨てされたゴミを拾って袋に詰めるのは、その行為が私を善人に見せるからだし、私が人の嫌がる仕事を引き受けるのは、その行為が私を優しく見せるからだ。

 もちろん純粋に善事をする人もいるだろうけれど、それもまた、住む街が綺麗になるのは嬉しいからとか、みんなの喜ぶ顔がみたいからとか、つまり感情的理由なのだ。それらの善事は、人間の役にしか立たないのだから。

 とはいえこれは、善事を咎める意見でも、悪事を勧める意見でもない。

 ただ、人間目線で考えているうちは、善悪論を客観的に議論することも思考することもできないというだけの話だ。


 ▲


 と、やっぱり文章として書くと、どこか気取ってるな、私。

 そもそも誰にも善悪論について正しい結論を出せないなら、私のこの落書きも正しくはないということになって、つまり誰にも善悪論について正しい結論を出せないという結論は正しくない。だれかしら、それが誰かは知らないけれど、善悪論について正しい結論を出せる人がいるのだ。

 とまあ、論理パズルもびっくりの飛躍論理を披露してみたりして。

 善悪論なんて、私ごときに扱える代物じゃない。

 なのに考えてしまうのは、やっぱり例の赤い上書きのせいだろう。いたずらは、程度の差こそあれ、明確な悪だし。

 さて。

 私は自分の部屋で32文字を再確認した。おさらい。

 むきやうさみふはなかしし。

 じゃなかった、これは覚え方だった。いつのまにか私の記憶を小森先生の幻覚がジャックしている。念を押す教育方法はすごい効果だった。

『ゆめうつつかきりあこかれならへともいつれもひとしくわれをみたさす』

 五七五七七で区切ってみる。

『ゆめうつつ

 かきりあこかれ

 ならへとも

 いつれもひとしく

 われをみたさす』

 ……多分こんな感じ。最後のところは、「われ」なのか「くわれ」なのか判別つかないけれど。

 区切って改行して書いてくれればすぐにわかったのにな……。それも含めていたずらか。

 とりあえずそれっぽく漢字を充てて、出来た私の解釈がこれ。

『夢現

 限り憧れ

 習へども

 何れも等しく

 我を満たさず』

『夢や現実、限界や理想に慣れ親しんでも、どれも同様に私を満たしてはくれないのだ』

 とまあ、掛詞も何もない、完成度の低い和歌だった。ていうか、まんまだよこれ。縁語はこじつければありそうだけれど。

 ちなみに「習ふ」は「並ぶ(自動詞)」でも意味が通りそうだ。

 通リャンセ。コワヒコワヒ。

 そして、「われ」が「くわれ」だった場合、四句切れの和歌になる。

『夢現

 限り憧れ

 習へども

 何れも等し

 彼を満たさず』

『夢や現実、限界や理想に慣れ親しんでも、どれも同様だ。あなたを満たさないという意味では』

 若干無理矢理のような気もするけれど。

 私の落書きの上に書いてあったのだから、きっと私に向けてのメッセージだろう。

 夢? 現実? 理想? 限界?

 だからなに?

 みんな同じようなものでしょ?

 そんな風な言葉が、和歌の中に詰まっている。

 正体不明のいたずらは、私の思っている以上に攻撃的だった。

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