いつもと違っていつも通りの朝
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『ゆめうつつかきりあこかれならへともいつれもひとしくわれをみたさす』
落書き帳に縦書きで書き殴られた赤い文字列は、ずっと眺めていても消えなかった。瞬きしても消えなかった。
当たり前か。
幻かもと思ったけれど、そんなわけはなかった。赤ペンのインクが、私の落書きにまぶされて、まるで血糊みたいだ。幻ではなく、現実に上書きされている。シャーペン字の文字たちが赤ペン字に食われているように見える。文字同士の喧嘩だ。くわれるだけに。
乱暴なイメージしか感じ取れない。ただのひらがなの羅列なのに。書き殴る、という言葉のせいかな。殴ったのは王だ。いや、流石に寒いけれど。
ひらがなの羅列、って復活の呪文?
復活の呪文って、何桁だっけ。
赤いひらがなは32文字。
あるいは暗号かもしれない。全部清音だし。そう思うと、そう見えてくる。
32と言えば、2の5乗がすぐに浮かぶ。試しに2,4,8,16,32文字目を取り出してみると。
『めつりとす』
意味不明だった。
あるいは九九の4×8=32かもしれない。試しに文字を長方形に並べてみると。
『ゆめうつ
つかきり
あこかれ
ならへと
もいつれ
もひとし
くわれを
みたさす』
『ゆめうつつかきり
あこかれならへと
もいつれもひとし
くわれをみたさす』
やはり意味がわからない。
一つ飛ばしに読んでみたり、逆順にしてみたり、ずらしてみたりしたけれど、どの方法もまともな文章が出てこなかった。
んー。本当に暗号なんだろうか。私の目の前で赤い32文字がマーチング。私の落書きとの喧嘩に勝ったお祝いかな。
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朝の貴重な時間を、また浪費してしまった。その浪費を嘆いてさらに浪費。
素早く登校の準備を終え、学校へ向かう。
朝食はトーストにマーガリン。食べている間に、お母さんに私の部屋に入ったかどうか聞いてみようかとも思ったけれど、あんないたずらをした人が素直に答えるわけがないので聞かなかった。答えを聞いても本当か嘘かがわからない質問なんて無意味だ。
私が通う県立霧雲高校は自転車で30分くらいのところにある。歩けば50分。高校があるのが山を削ったニュータウンの中なので坂道が多い。雨の時は歩いて登校するのでかなり早めに出る。
私が霧雲高校を志望したのは、単純に近いから。進学率は公立高校にしては高めだけれど、偏差値はそれほど高くはなく、同時に低くもない。いわゆるピンキリな生徒が通う普通の学校だ。
部活動も特に強くない。……あ、バドミントン部に一人強い人がいるんだったっけ。よく知らないけど、噂になるほどなら相当強いのだろう。ちなみに私は帰宅部。
自転車を駆って学校についてみれば、グラウンドでノロノロ片付けをしている運動部員がまだたくさんいた。駐輪場まで自転車を押しながら、急激な運動で激しくなっている鼓動をできるだけ鎮める。深呼吸、深呼吸、し……咽せた。
「うわ、背中からドキドキ聞こえるー」
咽せる私の背中をさすり、同じクラスの友達、中尾レナは言った。
「どうしてそんなに急いでたの? 寝坊?」
「違うよ、今日は寝起き最高だったし。ちょっとね」
「ほむほむ、寝起きがちょっと最高だったと」
何か変な誤解が生まれたみたいだけど、ここは置いておこう。
自転車を押して駐輪場へ再出発。なぜかレナもついて来た。彼女と会話すると退屈しないので、私は変に指摘したりせずにただ足を動かす。
「いい夢見れたのかなー?」
「どうだろう、海の夢だったからなあ」
「海? じゃあ文句なしのいい夢だねー!」
「えと、海の中の夢」
「ダイビングかな。それともシュノーケリング?」
ダメだ。適当な説明ではレナと私の間にある認識の差を埋められない。
「そんな楽しい夢じゃないよ、暗い海の中でじっと動かずに漂う感じだったはず」
夢の話をするのってあまり好きじゃない。覚えてないのに無理に思い出そうとする感覚。漢字テストで思いつかない漢字をひねり出すような、結局うろ覚えで微妙に間違えてて点をもらえないような。まあ、夢の話の答え合わせなんて誰にもできないけれど。
「そっかー、それじゃ、あう、つまんないね」
「うーん、つまらないってほどでもなかったような……」
「何もないのに?」
「何もないからこそ、かな」
私の言葉にレナは、んー、と首を傾げる。髪がさらっと流れて綺麗だ。どんなトリートメントを使ったらこんな綺麗な髪になるんだろう。
「ハギちゃんてすごいね、わたしだったら怖くて泣いちゃうかもー」
急に出てきた褒め言葉に私は慌てて手を振る。
「あは、すごくないよ、一人で考え事するのが好きなだけ。暗闇って慣れちゃえば刺激が少なくて楽だし」
「一人が楽とか言わない!」
「言ってない」
駐輪場に自転車を停める。流石に着いたのが遅かったせいかほとんどが埋まっていて、私は奥の方の使いにくい所に停めるしかなかった。
「そんなことよりも……」
レナの方を振り返って意地悪く微笑む。
レナはと言えば、私の急変した態度にただオロオロ怯えるだけ。
「……?」
「瀬川君とはどこまで進んだのかなあ?」
「あ、あう……」
レナは真っ赤になって固まった。少しだけ固まったレナを眺めて、その純な態度に萌えてからケータイで時間を確認、ついでに写メを撮る。よし、早いところ教室に行こう。もうすぐ予鈴だ。
私はクラス公認カップルの片割れを駐輪場に放置して自分の教室に向かった。