口だけ婚約者の「次は」を信じるのをやめた結果
「また平均点ギリギリだった〜」
王立学院で、中間テストの結果が返ってきた。
平均点ギリギリであることをケラケラと笑っているのは、マクシミリアン・ベルシュタイン様。
お腹がぽっこりとしている伯爵家の嫡男。
私、ベアトリーチェ・マクマフォンの婚約者。
「マクシミリアン様。普段から、もっと勉強するのはどうですか?」
「ああ、次のテストではやるよ」
私はため息をついた。
マクシミリアン様は、一言で言うと、口だけ男である。
「ベアトリーチェ、見てろ。次の試験では絶対に一位を取る」
今回のテストの一ヶ月前、マクシミリアン様はそう宣言した。
少しは役に立てたらいいな。そんな思いで私は自分の勉強時間を削り、三日かけて予想問題集を作った。
翌週、彼を訪ねると、問題集は開かれた形跡すらなかった。
「父上! 私はこれからは政務を手伝います!」
彼の父のベルシュタイン伯爵の前で、政務を手伝う宣言をしたこともあった。
次の日には、彼は私のところに来た。
「これ、俺の代わりにやっといて」
渡されたのは父親から任された領地の経営に関する書類だった。私は黙って受け取った。それから私は、ずっと彼の政務を「手伝って」いる。
「俺、今度こそ痩せようと思う。協力してくれるか?」
そんな言葉の翌日に、おやつを食べている姿を見たのは、もう何度目だろうか。
でも、私は彼のことを信じていた。
幼い時から、マクシミリアン様は私に積極的にアプローチしてくれた。私の家は侯爵家で、彼とは家の爵位が違うけれど、それを押し切って婚約させてもらったのも、彼の積極的なアプローチに私が心を動かされたからだ。
いつか変わってくれる。私はそう信じていた。
♦︎
中間テストが返ってきてから、一ヶ月ほど経った頃。
「ベアトリーチェ。俺変わる。これからは全部ちゃんとやる」
突然、マクシミリアン様が宣言した。
周りの人間は、その言葉を誰も本気にしなかった。
何故なら、マクシミリアン様の変わる宣言は、もう何回も繰り返されていたからだ。
きっと今回も同じだろう。
私も心のどこかでそう思ってしまっていた。
けれど、違った。
彼の努力は続いた。
あまりの変化に私は驚き、不審に思った。だから、彼に何が起こったのか私は調べることにした。
「マクシミリアン様には最近仲良くしている令嬢がいるのですね」
「ええ。マルガレーテ・グレッグ男爵令嬢とよく二人きりで、出かけているようです」
「そうなのですね」
社交界に出て噂を集めると、最近一人の令嬢と仲良くしていることが分かった。
「マクシミリアン様。最近とある令嬢と仲が良いと風の噂で聞いたのですが、本当でしょうか?」
「ああ、グレーテのことか? あいつは男友達みたいなもんだよ」
「……」
知らない香水の匂いをさせる本人に確かめたら、理由はすぐにわかった。
彼女のことを語るマクシミリアン様の瞳には、私に見せたことのない情熱と想いが込められていた。
何も不審なことはなかった。マクシミリアン様が変わった理由は、恋だったのだ。
彼を変えたのは、何年も一緒にいた私ではなかった。
学院で出会ってすぐの女性だった。
それから私はひっそりとマクシミリアン様のサポートをやめていった。
マクシミリアン様が試験でいい点が取れるように、自分の勉強の時間を削って作っていた彼専用の予想問題集を作るのをやめた。
政務が滞りなくできるように、マクシミリアン様に任されていた書類を代わりにチェックしたり、整理したりすることをやめた。
私は身を引くことにした。
♦︎
私はもうマクシミリアンに多くは望んでいなかった。
貴族として、人として最低限の礼儀を持って接してくれればいい。そう思っていた。
けど、期末テストも終わり、開かれた夜会。
「ここに、ベアトリーチェ・マクマフォン侯爵令嬢の罪を断罪する!」
そこでマクシミリアンがしたことは、大声で私を辱めることだった。
騒がしかった場が、突然静かになる。
彼は一人の令嬢の肩を抱いていた。
「ベアトリーチェ・マクマフォン。この悪女め。俺の手柄を盗んでいたな!」
「何のことでしょう?」
「誤魔化すな! グレーテが教えてくれた! お前が政務で手柄を盗んでいたことをな! それがバレそうになったから、最近では手伝いをやめたこともな」
私は何も言わなかった。いや、言葉が出なかった。
「それだけじゃない、この体型もお前のせいだ! わざとダイエットが失敗するように、食事をコントロールしていただろう。勉強だってそうだ。お前がわざと下手な教え方をしているから、俺の成績は低かったんだ!」
聞いている観衆がざわめき出す。
「ふん、きっと扱いやすい馬鹿として教育することで、伯爵家での実権を握ろうと思っていたのだろう」
「まあまあ。マクマフォン様も、無能なだけで、悪意がなかった可能性もありますし」
「グレーテは優しいな。けど、そういうわけだ。そんな女とは婚約できない。婚約破棄してもらう」
私にそんな野心はない。言っても信じないだろうけど。
私は彼の目を見つめた。憎しみが混じった目で、見つめ返された。
その瞬間、私の中で何かが壊れた。
「婚約破棄したいとのことですが、間違いないでしょうか?」
自分でも驚くくらい、冷たい声が出た。
「ああ、そうだ。お前と婚約しているなんて、これ以上耐えられない」
「一応確認しますが、これはいつもの口だけで終わるやつでは無いでしょうね?」
マクシミリアンが顔を真っ赤にした。そして乱暴に、マクシミリアンが胸元から二枚の紙を出した。
「これに署名しろ! 婚約破棄することの証明書だ!」
私はマクシミリアンの方に胸を張って歩いた。そしてその紙を受け取り読んだ。
「これには署名できません。婚約破棄の理由が事実と違いますもの。私は、政治的敵対行為も、書類の偽造もしていませんわ」
「……なら、それらの項目は消しておく。さっさと署名しろ」
「だいたい、これで効力が発揮すると?」
「うるさい、これを元に父上に直談判する。さっさと書け」
私はため息をつくと、婚約破棄に合意するという文言以外を全て消し、そして二枚ともに署名をした。
「まあいいだろう。これでお前とは他人だ」
「そうですか。承知しました。今までありがとうございました」
署名した一枚を受け取り、私は優雅に礼をする。その様子を見て、マクシミリアンは不愉快そうに顔を顰めた。
「この悪女め、さっさと失せろ」
「承知しました。私もこれ以上口だけ野郎の顔を見たく無いので、失礼しますわ」
そういって出口の方に向かう。
後ろで何か喚いているが、知ったことじゃない。
ざわめく観衆の中、私は会場を後にした。
♦︎
それから一ヶ月が経った。
学院で、成績が張り出された掲示板の前に人だかりができている。
「今回の貴族クラスの最下位は、マクシミリアン・ベルシュタイン様……あの、婚約破棄事件の!」
「そんなに成績悪かったっけ?」
「いや、そんなことないと思う。伯爵家の嫡男なのにこんな成績取ったら恥晒しだから、もっとニュースになってると思う」
ヒソヒソと囁く声が聞こえる。
私を見ると、ひそひそ声が止まった。
私は前回二位だった自分の順位を見つけると、拳を小さく握りしめた。
「おい、どけ」
後ろを振り向くと、お腹が一回り大きくなったマクシミリアンがいた。
「なんだ、ベアトリーチェか。俺の順位が見えないからどけ。今回はグレーテに教わったんだ。いい順位のはずだ」
そう言って機嫌よさそうに話しかけてくるマクシミリアン。
私は関わりたくないので、立ち去ろうとする。
「な、なんで俺が最下位なんだ! おかしい!!」
叫び声が後ろから聞こえる。
「おい、ベアトリーチェ待て!」
私は聞こえないフリをする。
「おい、待て! この詐欺師が!」
私はピタッと止まった。
「お前が何かしたのだろう。試験に細工をしたな。お前が一位で、俺が最下位なんておかしい!」
「……仰っていることの意味がわかっていますか? 単に実力が出ただけでしょうに」
「不正をしたんだろう! 俺にはわかる!」
(本当に救いようがない。なんでこんな人のことを信じていたのだろう)
「それは、学院が不正を見逃すような無能か、それともグルになってやっているとの告発になりますが。証拠はあるのでしょうか?」
「この順位が証拠だ! 俺が最下位なんておかしい!」
マクシミリアンが私を睨みつけ言った。
「公開再試験だ! お前が不正をしたことを暴いてやる!」
すると、後ろから声がした。
「いいじゃろう。その代わり、不正がなかったらお主はどうするのじゃ?」
後ろを振り向くと、そこには白い髭を生やした学院長がいた。
マクシミリアンは驚いた表情をした後、すぐにきっとした顔をした。
「責任をとって学院を辞めます! 次こそは、ちゃんと実力が評価されることを証明してみせます」
「ほう、それは大きく出たの。わかった。そこまで言うなら公開再試験をしようか。ただし、やるのはベルシュタイン伯爵令息殿と、マクマフォン侯爵令嬢殿だけだ。それでええかの、マクマフォン侯爵令嬢殿」
「いいでしょう。ですが、不正がなかった場合、ベルシュタイン伯爵令息様には学院と私に対する名誉毀損を認め、謝罪文を提出していただきます」
こうして私は、公開再試験をすることになったのだった。
♦︎
試験当日。
一つの教室に設けられた専用スペース。
その周囲には、大勢の学生の観客だけでなく、マクシミリアンの父のベルシュタイン伯爵もいた。
確か、自然災害が起こってずっと領地に行っていたはずだけれど、帰ってきたのね。
そんなことを思っていると、ベルシュタイン伯爵に話しかけられた。
「マクマフォン侯爵令嬢。愚息が迷惑をかけたようで、本当に申し訳ない、まだ領地から帰ったばかりで婚約破棄騒動について理解しきれていない。後ほど、少し話をさせていただいて良いだろうか?」
私は黙って頷く。ベルシュタイン伯爵にはよくしていただいた。
少し話すくらいいいだろう。
「おい、俺の父から何をアドバイス受けているんだ! 不正行為じゃないだろうな!」
見当違いのことを言うマクシミリアン。
「愚息が本当にすまない。マクマフォン侯爵令嬢。正当に実力が発揮されると確信しているよ」
そう言い残し、伯爵は距離をとった。
「ふん、何を教えてもらったかわからないが、今回は不正はできないからな」
「何も教えてもらっていませんし、不正などしませんわ」
「両者、準備は良いかの?」
学院長が私たちに聞く。
「はい、問題ありません」
「ああ、問題ないぜ」
「では、始める!」
そうして、再試験は始まった。
「……では、今年のベルシュタイン伯爵家の小麦税の特例政策について説明してください。まずはベルシュタイン伯爵令息様からどうぞ」
「ふっ。これは簡単だな今年は自然災害で取れる量が少ない。だから、税も少なくする! 以上」
ドヤ顔をするマクシミリアン。
試験官の渋い顔には気がついていないようだ。
「……わかりました。マクマフォン侯爵令嬢様、どうぞ」
「今年は、クレスト川で洪水が起こりました。それによりベルシュタイン伯爵家の領地の耕作地の約四分の三が何かしら被害を受けました。王国法の法典には税規定に災害特例があります。『耕作地の三分の一以上が被害を受けた場合、被害面積に応じて税を減じる』このように記されています。よって被害程度に応じて、税を既存の半分から免除とするのが望ましいでしょう。具体的には数段階に分けて、耕作地ごとに決めるのが良いかと」
「ありがとうございます」
私は記憶に照らし合わせながら答えた。
チラリとベルシュタイン伯爵を見ると、苦い表情で頭を抱えていた。
「次の問題です。特例で減税した場合、減税した分の財源をどう補うのが適切でしょうか。では、ベルシュタイン伯爵令息様からどうぞ」
「商人から取る! あいつらは、贅沢ばかりしている。もっと税金を納めるべきだ!」
聞いていた商人の子息たちから、敵意が向けられるが、マクシミリアンは気がついていないようだ。
「マクマフォン侯爵令嬢様、どうぞ」
「まず領主倉庫の備蓄と災害基金を取り崩します。それで足りなければ、次に、今年度の社交費と贅沢費を削減ですね。さらに、それでも不足する場合は、高級品を扱う商人への臨時通行税を設けます。ただし、食料や復旧資材の流通を妨げてはならないため、生活必需品は対象外とします。また年数を限定することも必須です。こうした臨時税は続くことが多いので」
「ありがとうございます」
試験官はまともな回答が出たことにホッとしているようだ。
こんな調子で試験は続いた。
「では、ここまでで終わりとする」
数十分が経った後、学院長の宣言で試験は終わった。
「試験の結果だが、改めて判定を下すまでもないだろう」
マクシミリアンを見ると、ドヤ顔をしている。
どう見ても、私の不正が立証されることを信じている表情だ。
「不正はなかった。これにて、公開再試験を終わりとする」
「なっ。俺が最下位なのはおかしいと、今までの問答でわかっただろう! 俺はきちんと回答できていた!」
マクシミリアンが抗議する。
「マクシミリアン、黙れ。これ以上恥を晒すな!」
声の主の方を見ると、ベルシュタイン伯爵が鬼のような形相をしていた。
「なぜここまで有利な問題で、この程度の回答しかできないのだ」
「しかし、父上!」
「これまで政務を手伝っていただろう。その際に今回試験に出た法律もきちんと参照して立案・処理していたはずだ。なんでこんなにも拙いのだ」
そういうと、ベルシュタイン伯爵がハッと何かに気がついたような顔をした。
「最近の書類は筆跡が変わったと思っていたが、まさか……」
「父上?」
「お前、マクマフォン侯爵令嬢に政務をやってもらっていたな! ここ最近書類のミスが頻発していたし、立案される政策の質も大幅に落ちていた。誰かに最近までやってもらっていたと考えると筋がとおる。どこまで恥を晒すのだ!」
マクシミリアンの方を見ると、顔を赤色と青色に交互にしていた。人前で叱責されることに怒り、そして事実がバレたことに焦っているのだろう。
「父上、それは違うのです!」
「何が違う!」
「それは……その……」
マクシミリアンは口ごもっていた。何も言葉が出ないらしい。
「このような不出来な奴に爵位を継がせるわけにいかない。お前を後継者として扱うことは、今日をもって一時停止する。正式な処分は家門会議で決める」
「父上! それだけは!」
「黙れ。私は、やると言ったらやる男だ」
すがる様に周囲を見回すマクシミリアン。誰も彼のことを助けようとしなかった。
彼は最終的に私のことを見た。ため息をつきながら、私は告げる。
「マクシミリアン様」
「ベアトリーチェ……! 君からも言ってくれ! 俺は本当はできる奴だと。次は上手くやれると」
私は大きく息を吸って、一息に言った。
「あなたが言葉通りにやったのは、ここ数年でたった一つだけ。私との婚約破棄だけですわ。そんなあなたを信じることはできませんわ」
マクシミリアンの顔が絶望に染まった。
「では、これで再試験を終了する。ベルシュタイン伯爵令息どの。後ほど、退学について話すため、教務課まで来ていただこう」
学院長が再試験の終わりを告げ、再試験は終わった。
♦︎
再試験で不正を証明できなかったマクシミリアンは、結局退学しなかった。
彼の宣言は口だけだった。まあ、いつものことだが。
しかし、激怒したベルシュタイン伯爵は、マクシミリアンを自主的に一ヶ月の謹慎処分を命じたようで、彼は登校していない。また、正式に家族会議で、彼の後継者資格の剥奪も決まったそうだ。
その間に、彼は学院中から「退学すら口だけだった男」と呼ばれるようになった。
ちなみにマルガレーテ・グレッグ男爵令嬢は、再試験の翌日からマクシミリアン様と距離を置くようになったらしい。
「優秀な方が好きなのです」と言っていたそうだ。
「一連の騒動、お疲れ様でした」
私はというと、中庭で優雅に紅茶を飲んでいた。
目の前にいる、中間試験一位、期末試験二位のディミトリ・レディボノフ公爵令息が、にっこりと私に微笑みかける。
「いえ、疑いが晴れてよかったです」
そう言って、紅茶を一口飲む。
「そういえば、勝負の条件だった謝罪文は届いたのですか?」
「いえ、どうやら口だけの様です」
私はまだ謝罪文を受け取っていなかった。
レディボノフ公爵令息様が笑う。
「そうですか、それは災難でしたね。そうだ、マクマフォン様。次の試験も一位を狙われますか?」
「もちろんですわ」
「では、私も次こそは負けられませんね」
そう言って、レディボノフ公爵令息様はニッコリと笑った。
「それなら、今度一緒に勉強しませんか?」
「あら、ぜひ喜んで」
社交辞令だろう。私はとりあえず、頷いた。
レディボノフ公爵令息様は、よほどその返事が嬉しかったのだろう顔を綻ばせた。
その顔を見て、私は少しドキリとした。
けど言葉だけの男に騙されたくない。そんな風に思って、私は自分の想いに蓋をした。
♦︎
一週間後、私は図書室にいた。
(あと五分。いや、期待しちゃダメ)
手元の参考書に目線を落とす。
「すみません、時間通りに来たつもりだったのですが、待たせてしまいましたか?」
そこには、レディボノフ公爵令息様がいた。
「……本当に、いらしたのですね」
思わず、そんな言葉がこぼれた。
レディボノフ公爵令息様は、不思議そうに首を傾げる。
「約束しましたから」
私は目を丸くした。
レディボノフ公爵令息様は隣に座った。
そしてこちらを見てにっこりと笑った。
「では、始めましょう。次は一位を取らないといけませんから」
「あら、次も一位を取るのは私ですわ?」
図書室は静かだった。
私の胸だけが、静かな図書館に似合わないほど、大きな音を立てていた。
たくさんの作品の中から、本作をお読みいただきありがとうございました。
最後まで読んでいただけたこと、とても嬉しいです。
少しでも心に残るものがあったり、何かを感じていただけたなら、
評価やブックマークをいただけると、とても励みになります。




