波乱の気配 -05
「順を追って話そうか。まず、君に伝えた''ナギ''のことは覚えているかい。」
修一の入れたコーヒーの入ったマグカップを両手で包み込みながら朔也が答える。
「''ナギ''に飲まれると…身体が勝手に動いてしまう…ですよね。」
「そう、ただ''ナギ''は常に日常の中に溢れている。簡単に言うと人々の念や感情といったものかな。」
修一は頷きながら続ける。
「僕たちは自分たちで感情を処理するだろう?でも処理しきれないものは空気中にあふれ出す。それが、ほかの身体の中に入り込んだとしたら?」
そう言って自らのコーヒーに角砂糖を入れて、くるくると混ぜる。四角い塊は液体の表面に触れると同時にその形を崩れさせて茶色い液体と一体化する。
「この砂糖が''ナギ''、コーヒーカップが人間の体だとする。ここに''ナギ''を入れ続けるとどうだろう。」
次々に角砂糖をマグカップの中に落としていく修一の手元を見つめながら朔也は呟く。
「いつか…飽和しなくなる…。」
「そう、それが君が見た''ナギ''の暴走だよ。」
「もしかして、気づかないうちに乗っ取られる…?」
「まさにその通り。そしてその乗っ取った''ナギ''の根源のほとんどは妬みや嫉みから生まれたもの…そうなると、人が起こす行動を予測するのは容易だろう。」
溶けきれなくなった角砂糖が溶解する速度を緩めながら茶色の渦の中へと飲み込まれていく。マドラーを取り出した修一がそれをゆっくりと口に運ぶと、静かに飲み下して微笑む。
「その上厄介なのが、''ナギ'’が視えるのは限られた極小数の人間だけ。人によって見えるレベルも違うけれど、ここにいるのは少なからず''ナギ''を視認出来る人達だ。」
修一の口から説明される数々は到底信じられるものでは無い。まるで狐につままれているような感覚のなか、なおも修一は続ける。
「朔也くんは…本庁の人達…視える人の中でも珍しいほどの力を持っているようだ。それも突然に。でも心配しているのは、伝染るものかということだろう?」
「はい…!!」
的確に朔也の不安を言い当てた修一の言葉に即座に答える。
「問題は無いさ。ただ君は視えすぎる。''ナギ''は視える人間をより好むんだ。寄生虫のように、人々の中にいた''ナギ''達は覚醒して朔也くんに魅入られ、君の中に入ろうしてしまう。」
「それじゃあ、伝染らなくても問題じゃないですか!僕と触れ合った人の''ナギ''を暴走させちゃうってことですよね。」
「今の君のままだとそうだね。だから僕たち見えるものはその力をコントロールするしている。」
トントンと机を指先で叩きながら落ち着かせるように修一は言う。
「色々とやらなくてはいけないことがあるんだけど…朔也くんは大学生だろう?もうすぐ夏休みだようから、その間に対処してしまおう。」
「…その間は?」
夏休みまでは少なくとも10日程はある。これまでに見舞われている数々のトラブルを考えると、あと1日だって経験したくないものばかりだ。相槌を打つように頷いた修一が椅子から立ち上がり、正方形の引き出しが並ぶ木製の収納棚のひとつを開け、中から布で包まれた何かを取り出す。
「これを持っててくれるかい?10日ほどなら問題ないだろう。」
麻紐で結ばれた包みを開くと中から手のひらに収まるサイズの石が表れる。紺色の水晶のように裁断されたそれは、よく見ると内側でモヤが小さく動いているようだ。
「他の人にはただの石にしか見えないから大丈夫だ。君の代わりにこの石が''ナギ''を吸収してくれる。」
安心させるように言う修一に安堵を感じながらも、ふと、これを渡すタイミングが今になった理由に思い当たる。
「これ…この前俺が帰ったから話せなかったんですよね。」
「簡単に信じられる話じゃないからね。それにその間は君の周辺を守ってた男がいるから大丈夫だ。そのうち会うだろう。」
朔也の問いに修一は朔也の肩を小さく叩き微笑む。受け取った石を手の中で転がすと、濡れたような色を放つ濃紺のそれは、ぬらぬらと光を反射しながら不安げに揺れていた。




