波乱の気配 -01
その日も修一はイレギュラーの依頼に追われていた。
「文字が読めないってクレームが入るんです。」
そう言って依頼物を持ってきた職員は程々困り果てたような声で言った。
「持ち出し厳禁の書籍ですし、定期的に私達も汚れや傷がないか確認しているんです。ただここ最近、本を借りた人から汚れてて読めやしないって…。」
そう言いながら、指先でビニル加工された表紙を折り返すと「このページです」と指さした。植物図鑑だろうか、手書きで描かれた繊細なタッチの草花がページからページに渡りその幹を伸ばしている。
「ほぉ、これはまた見事な絵ですね。」
修一が丸メガネを押し上げながら嬉しそうに呟く。
「そうなんです。元は私物だったんですが、その方が亡くなられた時にご親族がうちに寄贈してくださって。結構珍しい本なんですよ。」
女もまた嬉しそうに話す。しかし、またすぐに顔を曇らせて言いにくそうに続ける。
「ただ、私には…その、見えにくいというのが分からなくて。最初はただの嫌がらせかと思ったんです。でも、複数の方からそう言ったお声がけがあって。職員の中でも見えにくいって言う人まで出てきたので…。」
「それで依頼に来てくださったんですね。」
言葉を促す修一に、職員は神妙な表情で頷く。文具屋として店を構える那月堂だが、その裏’’ナギ’’による依頼を受けいれていた。もっとも持ち込まれるものの殆どは、その実態を理解していない人からのもののため、「効果のあるお祓い」という体裁で行っている。受け付ける依頼も、余計な噂を立てないように紹介制だ。
「少々お時間頂くかもしれませんが、直せますのでご安心ください。」
ほっとした顔で頭を下げ、よろしくお願いしますと言葉を残し部屋を出ようとする女の背中に、修一は思いついたとばかりに言葉をかける。
「あぁ、念の為、君の上司…いや館長のご連絡先を聞いてもいいですか。もしもの時にそちらの方が貴方も動きやすそうだ。」
不思議そうな顔をしながらも連絡先を渡した女は今度こそ店を出ていった。
「シュウさん、実は結構面倒くさいやつでしょう。」
その本、と今まで静観を保っていた従業員のミドリが、奥の作業部屋から顔をのぞかせる。
「そうだね…ミドリちゃんにはどれくらい見えるかい。」
問いかけられた女は、じっと本を見つめる。
「うーん、黒っぽい感じになっちゃってることはわかります。」
「ミドリちゃんでそこまで見えてしまうなら、いよいよ宿主は限界かもしれないね。」
そう言って目を細める男の目には何が写っているのかミドリには分からない。ただ過去の経験から、本全体が’’ナギ’’で覆われており、読む所の話ではないことはわかった。
「表面的にはこの程度ならすぐに直せるさ。本体をどうにかしなければ意味は無いからね。」
メガネをとり眉間を押さえて言う。失った何かを思い出すような影を帯びた表情に、ミドリは話を逸らすため淹れたてのお茶をテーブルに運びながら言う。
「そう言えば、この前の男の子…朔ちゃんはどうなったかしら。」
「あいつのことなら、今のところ俺が1番話せる自信があるな」
問いかけに応えたのは修一ではなく、スーツのジャケットを肩にかけた長身の男だった。苛立ったような足取りで、入り口のドアからキッチンテーブルのある奥の部屋までやってくると、ミドリの運んできたお茶を遠慮なく手に取り一気に煽る。穏やかな雰囲気の那月堂には不釣合いなアングラな雰囲気を醸し出す男は続ける。
「7回!この一週間、あいつが''ナギ''に巻き込まれた回数だ。そのたびに大事にならないように収めている俺の身にもなれってんだ!修さんも、いつまでものんきなこと言ってないでさっさと本庁のやつらに押し付けたらいいんだよ。」
「おかえりなさい。もう少し言い方があるでしょう。あの人たちに任せたら、きっといいように使われちゃうがわかってるから壱加くんも協力してあげているんでしょう?」
壱加と呼ばれた男はミドリの言葉に鼻を鳴らし、ばさりとジャケットを大雑把に椅子にかけて言う。
「嫌でも本庁のやつらの嗅覚は敏感だからな。遅かれ早かれ見つかるだろ。」
「壱加くんみたいに”ナギ”に慣れ親しんで育ったものばかりではないからね。できるだけ本人が納得するように伝えてあげたいんだよ。」
修一は宥めるように言う。
「それで?今回はどっからの厄介事ですかシュウさん。何となく目星は付いてるけど。」
「壱加くんの予想通り、先日クレームのあった図書館からだよ。」
「アイツ…朔也って言ったか。どうせ関係しているんでしょう。しかもその問題の図書館でバイトしてるみたいですよ。」
どこから持ってきたのかジャケットの胸ポケットから折りたたまれた紙を修一に渡しながら言う。
「図書館のバイトって大学生なのにいまどき真面目ねえ。」
感心したように言うミドリにまたもや壱加が鼻を鳴らす。
「どうやら警備員のバイトらしい。居酒屋との掛け持ちだとよ。」
「警備員…それは向き不向きってものがありそうだけど…。」
濁したのは存外甘い顔立ちで、むしろ本人が望まない形で余計な騒ぎの中心になりそうな雰囲気を見てだろうか。言葉を濁しながらも案に向いていないことを示唆するミドリと壱加を咎めつつ、修一が言う。
「ということは、遅かれ早かれトラブルが起きそうだね。」
修一が閉じた本の背表紙を優しく撫でながら呟く。本からは''ナギ''が何かを伝えるかのように蠢いていた。




