那月堂を営む男 -03
部屋の外に出ると、店の入口にあるレジカウンターで開店準備をしている女性と目が合った。染めていないようなさらさらの黒髪を後ろで束ね、ぱっちりした瞳を瞬かせる美人だ。
「足の具合はどう?」
「ミドリさんだよ。朔也くんの治療を手伝ってくれたんだ。」
看護師だったの、と笑いながら差し出される手に、慌ててTシャツの裾で手を拭い重ねる。
「あぁ、えっとありがとうございます。柳 朔也です。」
「朔也…いや朔ちゃんね。」
呼び名に戸惑いながらも微笑みつつ会釈を返す。と、ミドリさんが何かに気がついたように続ける。
「やっぱりちょっと大きかったかしらその服。」
ミドリさんの目線の向く先に視線を泳がせると、ずり下がり気味のシャツが目に入った。指摘に思わず顔に熱が集まるのが分かる。
「確かにちょっと大きかったかも。洗って返します!」
恥ずかしさに気が付かないふりをし、苦笑しながら明るく言葉を返す。と、同じく借りていたズボンのポケットから大音量のアラーム音がなり、慌てて携帯を取り出す。そこには姉の美琴が営むカフェの仕入れ業者からの大量のメッセージが並んでいた。
「やば…!」
美琴の代わりに荷受けをすると約束していたことをすっかり忘れていた。時刻を見ると、到着予定時間からすでに30分以上も過ぎており、背中を冷や汗が伝う。
「すいません!!バイトの件はとりあえず保留で、服は後日返すので、あの…とりあえず失礼します!!!」
挨拶もそこそこに朔也は急いで店へと向かった。
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「ほんっとうにすみません!!」
到着と同時にすれ違った、見知った顔の業者の人物に深々と頭を下げる。業者の男は宥めるようににこやかな顔で言い立ち去っていく。どうやら美琴が自分で運び込んだようだ。
「ほら、だから大丈夫だって電話でも言ったでしょ。予定があったならそんなに急いで帰ってこなくったってよかったのに。」
店休日だし、と明るく笑う美琴は、朔也の4つ上の姉だ。ベージュに染めた明るいボブヘアに笑顔がよく似合う華やかな顔立ちで、専門学校を卒業後、引退する知り合いのカフェを引き継いで店のオーナーをしている。
「そうやっていっつも無茶するじゃん。この前無理に運ぼうとしてぎっくり腰になりかけたのは誰だよ。」
「確かにあの重さはちょっと規格外だった。」
じとりとした目で見る朔也を気にしたそぶりも見せず面白そうに笑う。
「それで?めったに遅刻もすっぽかしもしないあんたが遅れるなんて珍しい。まさか彼女でもできた?」
「そんなんじゃないって。ちょっと色々あって…」
心配性の姉に昨夜のことを話す気にもなれず、もごもごと言葉を濁す。それに忘れてしまったほうがいい、と頭のどこかでもう一人の自分が囁いていた。
しかし朔也のことを知り尽くしている美琴には無意味だったらしい。真面目な表情で言う。
「あんた…顔色悪いの気づいてる?手伝わなくていいからちょっと仮眠でも取ったら?」
「大丈夫だって。この補充終わったら溜め込んでた課題やんなきゃだし。」
カウンターテーブルの奥で商品を補充しながら言うと、美琴はあきれた表情を見せる。
「バイトもうちょっと減らしなさいよ。お金は私の方で何とかなるんだから。いくら効率よくったって倒れたら元も子もないのよ。」
「わかってるって。」
母のような口調で諭すのは、幼いころに母親を亡くした性だろう。親戚の家に身を寄せていたころから大人びた雰囲気醸し出していると姉ながら客観的に見ていたが、家を出て二人暮らしをするようになってからは朔也をさらに気にかけるようになっている。
はいはいと聞き流しつつ補充を終えると、一旦シャワーを浴びに2階へとあがる。住宅兼店舗を兼ねるこの一軒家は、姉に人手が必要な時にいつでも手伝いに入れることが利点だ。
さっぱりとしたあと、再び1階へと顔を出して適当な席へ腰かける。店休日の日は机を借りて大学の課題を終わらせるのがルーティンになっていた。黙々と作業を続ける朔也の元に、カフェラテを持ってきてくれた美琴に微笑みながら感謝を伝え、溜まった課題に没頭しているうちに、昨日起きた異様な出来事はすっかり頭の片隅に追いやられていた。




