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那月堂を営む男 -02


「昨日のことはどこまで覚えてるかな?」

口の中に詰め込みすぎたトーストを慌てて飲み込み応える。


「女の人を助けようとしたのは覚えてるんですけど、そこからは…。」

見たのは夢だったのか。おおよそ人間の顔とは思えないほど不気味な文字のようなもので覆われた女の顔は、一夜明けても未だ眼裏に焼きついていた。


「酒とか飲んでた訳じゃないんで熱でもあったんですかね。助けようとして共倒れみたいな。」

つい癖で、ははっと笑ってシュウさんを見る。困った時の相手に不快感を与えない笑みと会話は得意だった。しかし、自らの失態に対して返される反応の予想とは裏腹に、その顔には真剣な眼差しがあった。


「夢じゃないと言ったら信じてくれるかい。」


「え?」


「君の見たその姿、と言うよりも現象を見慣れているんだと言ったら信じてくれるかな。」

そう言うと椅子から立ち上がり、キッチンを出て店の入口の方へ向かう。隣にある部屋に入っていったらしい。


追うべきだろうか、食べかけのスクランブルエッグを見つめながら迷う。訳もなく心臓がどくどくと音を立てているのが鮮明に聞こえるのを無視し、そっとカウンターチェアにぶら下がっていた足を地面につける。修一が消えた右隣の部屋の扉は、朔也を呼ぶように僅かに空いていた。扉の上の方を軽く押すと簡単に内側へと開いた。


「―シュウさん。…入りますよ?」

念の為声をかけて足を踏み入れる。中にはキッチンの半分ほどしかない縦長の部屋の左側にはおびたたしい数の瓶が備え付けの棚の上に並べられていた。


「…すげぇ。」


思わず口から漏れる。この部屋に入る前に見えた店側のスペースには文具用品らしきものが並べられていたため、てっきり備品庫かと思っていた。それにしてもここまで多種多様な色のボトルの数々を見たことがない。


「残念ながらこれは売り物ではないんだ」

朔也の心を読むかのように、奥にいた修一が声をかける。


「じゃあ何のために…?」

半透明のブルーから茶色く濁ったような色まで、ほの暗い室内の中で照らされたそれらは思わず触れたくなるような魅力を放っている。触れようとボトルに伸ばした指先は、いつの間にか目の前に来ていた修一によって遮られた。


「昨日、君も見たはずだ。女性の顔に付いてたものを。」

顔に付いていた、という言葉で彼女の顔を思い出す。


「でももっと真っ黒っていうか、ここにあるのとはちょっと違ったけど…。」


修一は、一瞬言葉に詰まったような顔をして寂しげに頷いた。


「あれは助けられなかったからね。あそこまで飲まれてしまったらもう手立てはないよ。」


「助けられないって、…死んじゃったんですか…?」

信じられない思いで顔を見つめると、朔也の視線から逃れるように、ボトルに目をやった修一はポツリと呟く。


「もう死んでしまっていた、という表現の方が正しいのかもしれない。最後に君に気づいて欲しかったのかもしれないね。」


満たされなかったんだろう、そう言って並べられた瓶の隙間から白いものを取り出す。朔也にも見覚えのあるものだった。


「昨日の?」


「そう、彼女が落としただろう。中身が何か知ってるかい。」


問う修一に曖昧に首を振る。そんな余裕はなかったからだ。朔也の返答に、修一がフィルムケースの蓋を開けると、中には1粒ピアスが6つほど入っていた。そのどれもがついを成さない、片方だけのものだ。


「ピアス…?」


「彼女が好きだった男性から送られたものらしい。相手と半分ずつ持つことで会えない時間を埋めようと」


はっと、閃いたように朔也が答える。

「彼氏さんの?」


「と言うには、彼女の一方通行だったのかもしれないね。もちろん相手方は仕事だと割り切っていたのか、弄んでいたのか定かじゃないけどね。」


寂しそうにピアスに触れながら修一が続ける。


「昨夜、そのピアスの持ち主の男性が家で倒れていたらしい。胸を刃物で一突きされてね。指紋からも彼女の犯行だと。」


信じられない内容に言葉を詰まらせる朔也を気にせず話し続ける。


「部屋には彼の血痕だけじゃなく、女性の血痕も見られたそうだ。心中か…でも、血の量からして動けるはずの量ではなかったと。」


何が彼女をつき動かしたのだろうね、そう言った修一は、答え合わせをしようとは思っていないようだった。


「僕達は''ナギ''と呼んでいるんだ。蝕んだ''ナギ''は、思いとは裏腹に身体を無意識に動かす…。信じられるかい。」


修一は朔也に視線を合わせるように少し屈むと、朔也の思いをを探るように問う。答えられず口ごもっていると「直ぐにとは言わないさ」と先程の表情から一変してにこやかに微笑む。


「朝食を食べきってしまおうか、実はバイトの打診もしたいんだ。」


扉に向かうシュウさんの後を慌てて追う。後ろ髪を引かれる思いのまま、扉の隙間から除く瓶から最後まで目を離すことができないままパタリと扉が閉められた。



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