為すべきこと -01
都築公園に近づくにつれて、雨脚は本格的なものになりつつあった。遠くの方からは雷鳴が近づくように、時折空が明るく光っている。幸運なことに、尻ポケットに入れた携帯は防水の機能を果たしてくれたらしい。着いた朔也は放り投げるようにして自転車を停め、約束の場所まで小走りで向かう。
都築公園はこの地域で最も大きな総合公園だ。広大な芝生広場だけでなく、夏の時期にはバーベキューやマラソン大会などが開かれるなど地域住民の憩いの場となっている。
『どこにいる』と送ったメッセージに既読はついているが、それに対する返信は未だ無い。
「なんででないんだよ…。」
再び電話をかけながらも出ない相手に焦りから思わず呟く。
目的地に到着しても、そこに目当ての人物の姿は見えなかった。木製のパーゴラ状に組まれた藤棚は、花の盛りを終えて雨を凌ぐには心もとない。ぼつぼつと大きな雨粒が藤のつるの隙間からこぼれ落ち朔也の衣服を濡らすが、それでも土砂降りを避けるには一役かっていた。
色濃く緑の葉が生い茂るこの場所は、裕介と朔也が大学の空きコマに来ては時間を潰す最適な場所だった。公園の中でも奥まった場所に位置していることもあり、子供たちの邪魔にもならないだけでなく、夏場でも涼しい風を運んでくる。
張り付いた服を身体から浮かせつつ、木々を眺めて相手を探していると、視線の先に緑の中に馴染みきれていないオレンジ色が目に入った。
「あれ、祐介…?」
目を凝らした先に、果たして祐介はいた。傘もささず木々の間からこちらを見つめる瞳は生い茂る樹木と重なり合い、どこかほの暗い空気を醸し出していた。
「そこ濡れるだろ。こっち来いよ、お前が呼んだのになかなか来ないからこっちまでびしょびしょだよ。」
おどけたように声をかけながら胸元をつまんだTシャツを見せるように振る。ややもすればそのまま雨に溶け落ちてしまいそうな雰囲気を醸し出していた祐介はゆっくりと瞬きをしたかと思うと、いつものサッカー少年らしい笑顔を見せながら、藤棚へと近づいた。
「悪い、待たせた。でもお前はいつも俺の願いをちゃんと聞いてくれるよなぁ。」
にっかりと笑いながら、パーゴラの下に入ってきた祐介は、くしゃくしゃと朔也の頭を撫でると椅子にどさりと腰掛ける。
「お前俺のこと犬か何かと勘違いしてないか。」
存外明るい声色に安堵しつつ、わざとらしくじとりとした目を向けると、祐介は何も答えずただ微笑みを浮かべた。その顔はどこか泣き出しそうな表情にも見えて朔也は思わず問いかける。
「なぁどうしたんだよ。こんな雨の中こんな場所に呼び出してさ。なんか元気ねえし。」
いつも元気な彼が、妹と弟共に大変な日々を送っていることを知っているだけに心配が募る。裕介は、ぼうっと木々に向けていた瞳を朔也の顔へと移し、再び歯を見せた笑顔で言う。
「そうだよな。やっぱり朔也はそういうやつだよな。お前のその、誰の心も受け止めるその優しさが好きなんだよなぁ。」
突如として屈託なく告げられたストレートな言葉に気恥ずかしさを感じながら、朔也は誤魔化すように頭を振る。
「なんだよ、いきなり…。」
「だからさ、いつまでも優しくあってくれよ。」
「は?」
朔也の言葉を遮るようにそう告げると、祐介は不意に立ち上がり、朔也と近すぎるほどに距離を詰める。戦いた朔也が静止の言葉をかけようとした矢先―左肩に強い痛みが走った。
ズキズキと痛むそこに視線を向けると、今まさに話していた相手の顔が至近距離に見え、噛みついている現状に一気に頭から血の気が引いた。抱きつくように肩口に歯を立てる祐介に焦り、その腕の中から抜け出そうとするも、強い力で抑えられてしまえば身長差も相まって逃げ出すことは不可能だった。
「痛っ…ちょっと祐介離せって…!」
ようやく口を離した祐介は、なおも朔也を抱きしめたまま頭を肩に乗せ深い息を吐く。
―そして「朔也、2人のこと頼んだ」そう一言をつぶやくと、ずるりと力なくくず落ちる。
「おいっ!祐介!」
慌てて体を支えようと背に手を回した時、祐介の腹部に硬い棒のようなものが視界に入る。身を引いたことでよりはっきりと見えた鈍色にはっとする。木目の柄の先から溢れるのは、水とともに混じり合った大量の血だ。
祐介が自らの琴戦に終わりを付けようとゆっくりとそれを抜くたびに滴る血を少しでも止めようと動きを防止するが、既に大きく広げられた傷口から流れるそれは、明らかに致死量であることを、その場にいるどちらもが悟っていた。
「なぁ祐介、何で…血が…救急車…」
仰向けに寝転んだ祐介は、錯乱状態の朔也の頬を安心させるように撫でると、その瞳を静かに閉じる。その顔は口元には僅かな笑みを浮かべたまま、まるで一仕事終えた後のような安堵した表情にも見えた。
雨が流れる血を外の土へと運ぶ。
―雷鳴はいつのまにか聞こえなくなっていた。ただ降りしきる雨音と濃密な血の匂いに、朔也が答えることの無い友に向かって呼びかける声だけが辺りに響いていた。




