エピローグ 事の始まり
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深夜23時過ぎ。これから佳境に入りそうな歌舞伎町には、その賑やかさを装飾するかのように色とりどりのデジタルサイネージが煌々と光を放っていた。ビルの側面に設置された一際大きなモニターからは、速報の文字と共につい先日起きた悲惨な殺傷事件の速報が流れている。
一定の速度で淡々と表示される文字に目を向ける者は、残念ながらこの場所には皆無だ。互いの優位性を言外に主張し合う、1種のパフォーマンスをあちらこちらで繰り広げる男女が蔓延っているだけだ。
突如として増加した、その衝撃的な手口で多発している窃盗や殺傷事件はとある政治家に起きた衝撃的な放送事故がきっかけだったか。
インターネット上で繰り広げられるリアルタイムの討論番組。その中で2人の中年の政治家が対立する意見を戦わせていた。何の変哲もない、よくある配信が突如として阿鼻叫喚の地獄絵図となったのは、頭の寂しい方の議員が言質を取られたことを誤魔化すように顔を覆った時だった。
―ゆっくりと上げた顔は謎の黒い文様で埋め尽くされていた。
配信は中止、映像がストップされ、ネット上には当時の映像や画像が瞬く間に拡散。
配信サイトはネットワークの不具合として沈黙を貫き、その政治家は後に一身上の都合としてひっそりと政界を退いた。誰もがただの映像のバグだったのだと思い始めた頃、1つの投稿が匿名掲示板に書き込まれた。
「俺、最近あの文字みたいなやつ、マジで見たんだけど」
その一言は、ネット民の興味を引くには十分だ…ったらしい。面白半分で乗るものから、嘲笑するもの、自身の体験を話すものでたちまち溢れかえった。
中には明らかに某政治家と同様の症状に陥った人物の映像が含まれており、その膨大な数はただの怪現象として片付けられないほどの話題性を含んでいた。
―――
柳 朔也は、その日も深夜まで続いたアルバイトからの帰路を辿っていた。図書館警備と夕方からの居酒屋の掛け持ちで14連勤を続けた身体は、丈夫なほうだとはいえ筋肉が悲鳴をあげ始めていた。急ぐこともなくのんびりとした足取りで、大小様々な飲食店の並ぶ路地を通り、客引きをする男達の間を通り抜けて、駅に続く交差点で立ち止まる。
「お兄さん超イケメンじゃん。もしかして地下アイドルとかやってる?うちの店の方が稼げるよ。」
10分以上は時間を節約できるこの通りを抜けるたびに捕まるスカウトにうんざりする。大学の友人たちから、どこに座っていても探しやすいにぎやかな顔と茶化して言われる反面、品行方正に大学生活を送る自分とかけ離れた世界の男に軽く笑みを返しつつ断る。
男が立ち去ったのを視界の端にとらえ、なかなか切り替わらない信号を見るともなしに見ていると、コンビニと雑居ビルの僅かに空いた隙間に視線が吸い寄せられた。薄暗がりの中で何かが動く気配がする。
なぜ、無性にその場所が気になったのかは分からない。ただ気づけば、日中降った雨でできた水溜まりが広がる、足もとの悪いその空間に吸い寄せられるように自然の足が向かっていた。
夜職の者だろうか。暗闇では1人の女性が膝に顔を埋めた姿で蹲っていた。煌びやかなデザインに沿ったほっそりとした体躯と、丈の短いワンピースから覗く白く艶やかな脚に無意識にゴクリと唾を飲み込む。
「あの、大丈夫ですか?」
ゆっくりとした口調を心がけながら声をかけるが、返事はない。
「もしかして、体調悪かったりして。ほら何ならそこまで送りますよ。」
しまった、さっきのキャッチと似たような事やってんじゃん──。自らの行動と発言に先程の男の姿が重なる。しかし相変わらず意識がこちらに向かう様子もなく、荒い息づかいだけが狭い通路に響いていた。
これは本当に体調不良なんじゃないだろうか。軽い言葉の行き交う中で声をかけられることを嫌悪してここにいたのかもしれない。
「とりあえず近くのベンチに行きません?かなりきつそうですよ。」
体調の悪そうな人間を見ると思わず声をかけてしまうのは、高校時代にしていたサッカー部のマネージャーの性か、はたまた警官を志す憧れからか。半袖から覗くほっそりとした二の腕をやんわりと掴み、背中に腕を回してゆっくりと立ち上がらせる。尚も頭を垂れたままの姿勢と長い髪のせいで顔色を見ることができない。
「掴まるの嫌だったら、この傘を杖代わりに使って。」
だらりと下がった右手に傘の柄を握らせると弱いながらも自力で立とうとする気配が感じられる。
「よし、じゃあ行きますよ。」
そう言って左足を前に踏み出した時、カシャリと何かが落ちる音が響く。
「なんだこれ。」
足もとに視線を落とす。どうやら右ポケットから落ちたものらしい、乳白色のプラスチックケースが中身をばらまかせた状態で転がっていた。彼女を支えながら瓶を手に取る。カメラのフィルムを入れる小さなケースのようなものだ。中から白い粉末がさらさらと流れ出ている。
「これお姉さんのですよね。中身こぼれちゃったけど大丈夫そう?」
無事だった半分ほどの粉末をケースの中に戻し未だ口元しか見えない彼女の顔の前で振る。
―すると、ケースが引き金になったかのように彼女はぽつりと呟いた。
「…たの」
「え?」
つぶやいた言葉が聞き取れず耳を寄せると、再びささやくような声でつぶやく。
「零したの」
「こぼしたって言うか、落として中身出ちゃったかも。ごめん。」
大事なものだったのだろうかと考えをめぐらせていると、不意に右足に違和感を感じた。彼女を支える反対の手で太もも辺りを触ると、ヌメリのある液体に触れる感覚と共に鋭い痛みが体を駆け抜けた。
「痛って…」
視線を向けると右足からは、何か鋭利なもので真正面から突き刺されたかのような傷跡から、おびただしい量の血が吹き出していた。同時に平衡感覚が無くなりグラリと視界が歪むのが分かる。
立っていることもままならなくなり、崩れ落ちるように地面に手をつく。唐突に肩に鈍い衝撃がかかり、女が傘の柄で攻撃するのが見えたと思った時には既に身体が引き倒された後だった。辺りに血の海が広がり始める。
(──あ、俺これ死ぬかも)
意識が遠のくのを自覚しながらよぎった思考の中で最後に見たのは、数え切れないほどの文字のようなもので黒く塗りつぶされた女の顔だった。




