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にっこりと微笑んだまま、優しくオスティナに語りかけるレガート様。
オスティナは、まるで天地がひっくり返ったような表情を浮かべた。
「は? なにを……だって、すぐに私が……!」
王妃になるのだ、とオスティナは言わなかった。
今夜は、レガート様の戴冠を祝う宮廷舞踏会。
各国からの来賓には、多くの王族も含まれている。
こんな場所で余計な発言をすれば、いかにオルディ公爵家とはいえ足下をすくわれかねない。
私はそっとレガート様に視線を戻した。
問題なのは、レガート様の発言だ。
今のはつまり、叔父に逆らうと、公の場で宣言したも同然だもの。
じわじわと状況が飲み込めてきて、背中にひやりと冷たい汗をかく。
レガート様の後ろ盾はオルディ公爵家なのだ。
ここを敵に回しては、レガート様の治世は成り立たない。
と、そこで突然オスティナが叫んだ。
「お従姉さまは、ダントン伯爵と不貞をしているのですよ!」
――は?
「わたくしは見たのです! お従姉さまが、ダルトン伯爵と二人で部屋に入っていくところを!」
それは私の不貞を告発する言葉。
当然、私には身に覚えがない。
「待って、私は……」
「お従姉さまは、これまでもわたくしに公務を押し付けて遊び呆けておりました! それはわたくしが我慢すれば良いと思って耐えておりましたが、不貞は陛下への裏切り! わたくし、いくらお従姉さまであっても許せません!」
押しつけて……遊び呆けて……?
それらは全て事実と異なる。
公務に関しても、『お飾り』とはいえ、王室に属する人間の責任としてキッチリとこなしてきた。
いつしかホールに流れていた音楽も止まり、場は奇妙な静けさと緊張感に包まれている。
私は急いでダントン伯爵の姿を探した。
ダントン伯爵といえば公爵家に近い貴族だ。いまの当主は中年の男性で、女性関係が派手だと聞いている。
私も宮廷行事で何度か挨拶をしたことがあるけれど、当然ながら不貞はしていない。
伯爵も潔白を主張するはず。
そう思ったのに、彼は少し離れた場所で、青ざめた顔をして黙り込んでいた。
「そうなのか、ダントン伯爵」
低い声で訊ねたのは叔父だ。
「そ、それは……」
言いよどむ伯爵をみて、私は事態を理解した。
これは……最初から仕組まれていたんだわ。
私がレガート様と離縁し、すぐにオスティナが王妃になれば、世間では様々な噂が流れるだろう。
だから叔父は全ての私に責任を被せるため、不貞の事実をねつ造しようとしているのだ。
不幸にもダントン伯爵はその相手役に任じられてしまった……顔色を見るに、なにか脅されているに違いない。
私はそっと、隣に立つ夫を見つめた。
レガート様も、この断罪劇が行われることを知っていたのかしら。
と、一瞬考えかけて、すぐに首を横に振った。
昨日から今日にかけての彼の行動をふりかえるに、それはどう考えてもありえない気がする。
しかし私も、この疑惑だけは受け入れられない。
王妃の不貞って、下手したら国外追放ものだもの!
それは契約にもないことだ。
「お待ちくださいませ、それは……!」
訂正しようとした私を、レガート様がまっすぐに腕を伸ばして制した。
「ダントン、本当に私の妃と不貞を働いたのか?」
代わりに問いかけるレガート様の声は、驚くほど優しいものだった。
それはまるで……罠にかかった獣にかけるような、穏やかで、余裕に満ちた、圧倒的強者の優しさ。
「ひっ」
伯爵の悲鳴がホールに響く。
「とんでもございません! 王妃殿下とは挨拶を交わしたことがあるだけ! 不貞など、とんでもないことでございます!」
「ダントン!?」
叔父が声をあげる。
しかし伯爵はそれを無視すると、青いを通り越し、真っ白になった顔で、その場に跪き頭を床に擦りつけた。
「本当でございます! お疑いであればどうぞ納得がゆくまでお調べくださいませ!」
「うん、そうさせてもらうよ……衛兵、ダントンを連れて行け」
レガート様の命を受け、ダントン伯爵が衛兵に連れられホールを出て行く。
その様子を、私は呆然と見つめていた。
え……どういうこと? いま、なにが起こったの?
状況の変化に頭が追いつかない。
ただ、たとえ嘘でも、伯爵がこの場で私への不貞を認めていれば、事態はきっと取り返しのつかないものになっていた。
レガート様は、それを阻止したのだ。
けれど……どうやって?
分からない。確かなことは一つ。
ダントン伯爵のなかで、レガート様への恐怖が、オルディ公爵へのそれを上回ったということだけ――
「そういうわけです、皆さま、私の王妃は潔白です。私はそう信じていますし、じきに証明されるでしょう」
にこっと笑みを浮かべ、レガート様が周囲に語りかける。
戸惑いもあらわに顔を見合わせる貴族たち。
てっきり私も衛兵に連行されるのかと思ったけれど、そういうことは無さそうだ。
「オスティナも、いったいどうしてそのような思い違いをしたのか……公爵も、まさか、自身の姪でもある王妃を貶めようとするわけがないし」
「当然です……私はなにも知りません! 私は、オスティナが言っていたのをダントンに確かめただけのこと!」
「お父さま!? だってお父さまが……!」
「黙りなさい、オスティナ」
叔父とオスティナが言い争いを始める。
レガート様は爽やかに微笑んだまま「まあまあ」と二人に割って入った。
「二人とも落ち着いて。公爵にはいつも助けてもらっている。その功績に免じて、晴れの場で王妃を貶めたことは不問にしよう」
言わずとも、いまの力関係からして、それだけでオルディ公爵家を倒すのは不可能だ。
けれど敢えて口にすることで、レガート様はいま公爵家にひとつ貸しをつくった。この駆け引きはレガート様の勝ちだ。
ただ……駆け引きとは、拮抗した力をもつ同士だから成り立つもの。一方が弱者であるなら、やり込めても相手を敵に回すだけで終わってしまう。
王位を継いだとはいえ、レガート様の後ろ盾はオルディ公爵家なのに……。
「陛下……」
心配する私を、レガート様がちらりと振り返る。
そして軽く口端をあげると、今度はジルに目配せをした。
ことのなり行きを静かに見守っていたジルが頷く。するとレガート様は満面の笑みを浮かべ、大きく両手を広げた。
「ちょうど良い機会だ。本来ならあらためて口にする必要もないことだが、近頃、根も葉もない噂が流れているようなので、皆に伝えておく。私の王妃はリタ・フォルツァンドひとりだけだ」
「陛下!」
叔父の険しい声が響く。
けれどレガート様はそれを無視して、私の腰を引き寄せた。
「私は王妃を心から愛している!」
レガート様が堂々と、私への愛を宣言する。
私は、驚愕で声がでない。
叔父はもちろん、オスティナも、他の貴族らも時が止まったように固まり、あ然としている。
そして彼らが我に返るより早く、ジルが大きく拍手をした。
「国王陛下と王妃殿下に祝福を!」
高らかに声をあげる彼に追随するように、さらに多くの拍手が鳴り響く。
これは、どういうこと……?
「そういうわけだ、私の愛しい王妃。どうか一曲踊ってはいただけないか」
レガート様が、天使の笑みを浮かべて私に手を差しだす。
同時に、公爵様とオスティナの凄まじい怒気を感じるのだけど、いったいどうしたら……。
「はい……陛下」
迷った末、私は考えることを止めた。
考えたってなにもわからないし、国王からのダンスの誘いを断れるはずもない。
そっと彼の手をとって、ホールの中央に出る。
レガート様は私の腰に手を添えると、流れる音楽に合わせてゆっくりとリードを始めた。その仕草は、先ほどまで周りを圧倒していたとは思えないほど慎重で、どこかぎこちない。
いつになく真剣な表情でステップを踏むレガート様は、まるで年相応の、どこにでもいる普通の青年のよう。私は……そんな場合ではないのに、ついきゅんとしてしまった。
夫婦となって九年。
あらゆる思惑が渦巻くなか、私たちは初めて、公式の場でダンスを踊ったのだった。




