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 軽やかな音楽が流れる、王宮の大広間。

 シャンデリアが放つ柔らかな光の下では、華やかに装った貴族たちが集まって、談笑したり、ダンスをしたりとそれぞれの時間を楽しんでいる。

 今夜は、レガート様の戴冠を祝う宮廷舞踏会だ。

 私はぼんやりと宙を見つめながら、葡萄の果実水が入ったグラスに口をつけた。


 ――なんだったのかしら、昨日のあれは。


 昨夜、戴冠式の後。

 部屋にやってきたレガート様から『絶対に離縁はしない』と宣言されたことを思い出して、私は首を傾げた。


 ホールの中央では、レガート様が貴族たちと談笑している。

 そこには叔父とオスティナの姿もあった。

 オスティナは相変わらずレガート様にぴたっと寄り添っている。


 ……いつも通りだわ。


 昨日のあれは夢だったのかしら。

 うん、夢と思う方が自然という気もする。

 あのレガート様が笑顔でお母上の形見を踏み潰すなんて、とても現実とは思えないもの。

 いまだってほら、美しい笑顔を周りに振りまいて……。


「王妃殿下、よろしければ空のグラスをお預かりいたします」


 ひとりで考え込んでいると、侍女のアンネにそう声をかけられた。

 ……本当だわ、いつのまにか手元のグラスが空に。


「ありがとう、アンネ」


 感謝を告げて、グラスを手渡す。

 アンネは亜麻色の髪を三つ編みにした若い女性で、いつも大きな丸眼鏡をかけている。

 二年前から私に仕えてくれているけれど、控えめな性格なのかいつも端っこにいて目立たず、他の侍女とお喋りしているところも見たことがない。


 私との距離感は他の侍女たちと変わらないけれど……こうして細やかに気を配ってくれるのはアンネだけだわ。


 アンネが頭を下げて去って行く。

 すると入れ替わりに、今度はひとりの男性が私に声をかけてきた。


「ごきげんよう、王妃殿下」

「ジル」


 にっこりと微笑むのは、レガート様に勝るとも劣らない美しい男性。

 肩まである銀色の髪と同じ色の瞳をした、ロスイング侯爵家の嫡男ジルだ。


 彼は私と同い年で、学園でも同じクラスだった。

 そのよしみか、卒業後もなにかと私を気にかけてくれている。


 ちなみにロスイング侯爵家といえば、かつてはオルディ公爵家を凌ぐ権力者だった。

 それというのも、私たちを冷遇していた先代の王妃様がロスイング家の令嬢だったから。

 王妃の処刑によってロスイング家の勢力が衰退し、その結果、オルディ公爵家が立場を逆転させて一強となったわけだ。

 ちなみにロスイング家にも色々と系譜があって、ジルと先代の王妃様は遠縁の仲。

 本来ならロスイング家自体取り潰しになってもおかしくなかったのだけれど、レガート様の進言もあり、田舎の領地に引きこもっていたジルの一族に継がせることで話がついたのよね。


『先代の王妃が君たちにしたことは許されない。ロスイング家の人間としてお詫びするよ』


 初めて学園で顔を合わせたとき、ジルは私にそう謝ってくれた。

 彼は先の王妃様の顔も見たことがなったというのに……。

 ジルがなにかと私を気にかけてくれるのは、そういう理由もあるのかも。

 ちなみに彼の学園での成績は常にトップ。

 レガート様もそうだったけれど、ジルもまた主席で学園を卒業している。


「ねえ、リタ、レガートとなにかあった?」


 彼は周りにひとがいないときは、私たちをあえて呼び捨てにする。

 臣下である前に友人であるという証で、私も、レガート様もそれを望んでいる。

 そう、ジルはレガート様とも仲の良い友人なのだ。


「……どうしてそう思うの?」


 怪訝に感じ、質問に質問を返す。

 すると彼はすっと人差し指を口の前にたて、声を潜めた。


「だってほら、レガートの目にくまができてる」


 え?

 言われて目を凝らしてみる。

 距離があるから目元のくままではわからないけど……。

 確かに、ちょっと疲れて見えるかもしれないわ。

 長年姉気分でいる身としては、風邪でも引いたのかと心配してしまう。


「レガートになにかあるとしたら、それは君がらみって決まってるからさ」


 ……そうなの? 

 昨夜の出来事もあって、思わずドキッとしてしまう。

 だいたい、ジルはどこまでなにを把握しているのかしら。


「実は……」


 私たちがいずれ離縁することは、彼もわかっている。

 はっきり事情を説明したことはないけれど、私が『お飾りの王妃』で、いずれオスティナが彼の妻になることは、社交界において暗黙の了解だから。

 私は、離縁の準備をしているところをレガート様に見られてしまったと、ジルに打ち明けた。

 ……レガート様から迫られたことを除いて。

 だって、あれが現実か自信がないんだもの。


「なるほどね……リタが本当に自分を捨てようとしているのを目の当たりにして、ショックで眠れなかったというわけだ」

「え?」

「いや、なんでもないよ」


 よく聞き取れなかった私に、ジルは軽く肩を竦めた。


「レガートは君に格好をつけたいんだろうからね。君より年下であることをずっと気にしてるからさ。余計なことは言ったら叱られる……っと、ほら。おでましだ」


 首を傾げる私をよそに、ジルがすっと視線を中央へ向ける。

 つられてみると、そこには早足でこちらに向かって歩いてくるレガート様の姿があった。

 その形相は、魔物も裸足で逃げそうなほど。

 呆気にとられていると、レガート様がすぐ前までやってきて、ぐいっと私の腕を掴んで引き寄せた。

 間近でみるとますます顔が怖い……と、あら、本当にくまができているわ。


「これは陛下、この度のご即位、誠におめでとうございます」

「ああ、ありがとう、ジル……王妃の話し相手をしてくれたことにも礼を言うよ」


 美しい仕草で臣下の礼をとるジルに、レガート様もまた、表情をがらっとかえて爽やかに微笑む。

 とても穏やかな様子なのに、流れる空気はなんだかぴりりとしている。

 緊張する私と同様、周囲もまた、レガート様の行動に固唾を呑んでいるのがわかる。

 レガート様が、オスティナを放って私のもとにくるなんて、これまでなかったものね。

 おそるおそる視線を中央へ向けると、案の定、取り残されたオスティナが怒りに顔を歪めていた。


「レガート陛下?」


 オスティナが小走りに駆け寄ってきて、反対側からレガート様の腕を掴む。


「急にひどいですわ、いまは私とお話をしていたのに……」


 唇をとがらせ、可愛く拗ねてみせるオスティナ。

 それを見ていた周囲の紳士たちが頬を緩めた。


「なんと愛らしい」

「まさに天使ですな」

「あんな風に甘えられたら、レガート陛下も逆らえないでしょう」


 確かに……こういうところはさすがというか、なんというか。

 私は、あんな風に人に甘えられないもの。

 ついつい感心する私とは対照的に、レガート様がすっと目を細める。

 そしてオスティナを振り返ると、それは美しい、輝くような笑みを浮かべた。


「うっ」


 な、なんて眩しい笑顔……!


 完璧すぎるほど整ったその顔が一層映え、思わず息を呑んでしまう。

 オスティナを褒め称えていた紳士達も言葉を失い、レガート様に見蕩れているようだ。

 見れば、オスティナもまた呆然とした表情で固まっている。

 私は、レガート様が一瞬、ふんっと勝ち誇ったような顔をしたのを見逃さなかった。

 まさか……天使力の違いを見せつけて、オスティナを黙らせたの!?


「ねえオスティナ、わかっている? 私の妃はリタだよ」


 にっこりと微笑んだまま、優しくオスティナに語りかけるレガート様。

 オスティナは、まるで天地がひっくり返ったような表情を浮かべた。





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