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2話と3話の構成を変更しました。
戴冠式を終えて私室に戻って来た私は、着替えをすませると侍女を下がらせ、長い息を吐いた。
梳かしたばかりの赤い金髪を軽く手で乱し、鏡台の前に座って頬杖をつく。
節目の日だからだろう。今日までのことが脳裏に浮かんでは消え、なんだか感慨深い気持ちになっていた。
「これで良かったのよね」
ふと呟いてから、おかしくなって笑う。
これで良かったもなにも、これしかなかったのだ。
本来ならレガート様の卒業後すぐに離縁をする予定だったのだけど、その半年前に先の陛下が崩御されてしまった。
国を乱さぬよう、私たちの離縁は戴冠式のあと、諸々の行事が終わってからという話になったのだ。
これから三ヶ月間は戴冠にまつわる諸儀式が続くので、離縁はそれらを終えてからになる。
レガート様の重圧は今後ますます増していくだろうけど、ここから先をお支えするのはオスティナの役目だ。
まあ……それもちょっと不安なのだけれど。
レガート様やその周囲には純情に、愛らしく振る舞うオスティナだけれど……私に見せる顔は違う。
王太子妃である私は、方々から、お金を積んでも手に入らない貴重な品物をいただくことがある。
オスティナは、そういうものをよく欲しがった。
『だって、いずれ私が王妃になるんですもの』
それがオスティナの口癖。
そして当然とばかりに私の部屋に押し入って色々と持ち出していくのだ。
彼女に、本当にレガート様をお支えできるのか……。
わずかに目を伏せてから、私は首を横にふった。
ううん、きっと大丈夫よ。
オスティナには公爵家の強い後ろ盾がある。
なによりレガート様がオスティナを大切に思っているのだから……なにも問題はない。
そう考えたとき、ずきっと胸が痛んで、私は頭を振った。
レガート様とはもう三年以上まともに口を効いていないのに、それでもやっぱり寂しいのね。
離縁をしたら……きっと二度と会えないだろうから。
「だめね、もっと楽しいことを考えなくっちゃ!」
私はぱんっと自分の頬を両手で叩いた。
離縁をしたら、私は自由!
叔父の話では、母の病気もよくなっているようだし。
王妃をやめたら、まずは母を迎えにいって、誰も私を知らない地方に移り住むのだ。
そこでやりたい仕事も、もう決めてある。
「うん、未来は明るいわよ」
私は、鏡に映る自分に向けてそう言った。
それから、ふと背後を振り返る。
そうだわ、荷物の確認でもしておこうかしら。
いつでも出て行けるよう私物はまとめてあるけれど、こまめに確認しておくにこしたことはない。
忘れ物があっても、簡単に取りに帰ってこれる場所ではないものね。
私は鼻歌まじりに立ちあがると、ワードローブを開き、小さなトランクを取り出した。ここにしまっている私物が、私が持っていく全てだ。
ワードローブには他にもドレスやアクセサリーが収納されている。これらは王太子妃……いまは王妃だけれど、が品位を保つために国費から支給されたもの。
王室を出るときには置いていくつもりだ。
ただ……。
ふっと、棚に視線を向ける。
そこには金の縁取りと美しい彫刻が施された宝石箱が置かれていて、以前、レガート様から贈られたブローチをしまってある。
『あれを、レガート様にお返ししないとね』
普段はオスティナに奪われないよう、貴重品室の奥の奥に隠してあるのだけど、今日はどうしても彼の晴れ舞台をお母上に見せてあげたくて身に着けたのだ。
いまは、明日にでもレガート様にお返しするつもりで手元においてある。
思い返すうちに懐かしくなって、私は棚から宝石箱を手に取った。
間違ってもブローチに傷をつけないよう、トランクにしまってある衣服の上にいったん置いてから、慎重に蓋を開く。
と、その時、誰かが部屋の扉を叩いた。
――誰?
いや、普通に考えたら、こんな時間に王妃の寝室を訪れる人なんて、一人しかいないのだけれど……。
返事をするなり、扉が開く。そこに立っていたのは案の定、レガート様だった。
「やあ、リタ……随分ご機嫌だね。廊下にまで鼻歌が響いていたよ」
にっこりと笑うレガート様。
レガート様から笑みを向けられるなんて久しぶりで、私は思わず「うっ」と目を細めた。
――レガート様が眩しすぎるわ……!
学園に入られてからの三年間で、レガート様の顔つきは凜々しくなり、背もぐんと伸びて、近くで見上げると首が痛いほどに成長された。
けれど微笑みはかつてと同じ、天使のまま。
いえ、その美貌にますます磨きがかかっているからか、より輝いてみえる。
「こうして二人で話すのは久しぶりだね、リタ」
「レガート……陛下」
「二人の時はレガートでいいよ」
「……レガート様、どうされました? こんな時間に」
「こんな時間? 私たちは夫婦なんだから、不自然なことはなにもないと思うけど」
いったい、どういう風の吹き回しだろう。
ずっと私を遠ざけていたのはレガート様だというのに……。
最後に、昔話でもしたくなったのかしら。
「いまはなにをしていたの? リタ」
「それは……」
そういえば、レガート様はもう、私たちが仮初めの夫婦だって知っているのかしら?
真実を告げるのを止めたあとは、叔父がいつか言うだろうと思って、あまり気にしてこなかった。
戸惑う私に、レガート様が言葉を続ける。
「やっぱり、私を捨てるつもりなんだね? リタ」
そう言うレガート様の視線は、開いたままのトランクに向けられている。
「どうしてそんな酷いことができるんだろう、私には分からないよ……約束したのに」
……レガート様、もしかして怒ってらっしゃる?
でも、どうして。
考えてから、ハッと気付いた。
レガート様から贈られたブローチが入った宝石箱を、トランクの上に置いたままだわ。
大切な形見を返さないつもりだと思われたのかもしれない。
私は宝石箱を手に取ると、彼に駆け寄って差し出した。
「もちろんこれはお返しします! レガート様のお母さまの大切な形見だもの!」
しかしレガート様は笑顔のまま宝石箱を受け取ると、あろうことかそれを床に投げつけ! 飛び出たブローチを足で踏みつけた! どうして!
無残な音を立てて壊れるブローチに、私は声にならない悲鳴を上げてから、目を丸くしてレガート様を見つめた。
「な、ななな、何をするのですか!」
慌てて彼の足下に跪き、ブローチを拾う。
良かった……宝石には傷がついていないわ……ああ……だけど……繊細な細工がバラバラに……。
ショックを受ける私の傍に、レガート様もまた膝をつく。
私は……そんな場合でもないのだけど、思わず胸がときめかせた。
よくできた人形のように美しく、整った顔がすぐそこにある。
一つ間違えば、鼻先が触れそうな位置に。
形の良い額、すっと通った鼻筋、薄い唇。昔より丸みの取れた頬。
そして笑みの形に細められた、空のもっとも澄んだ瞬間を切り取ったような青い瞳――の奥では、ばっちり瞳孔が開いていた。
「こんなもの、どうでもいいんだよ、リタ」
「え?」
「これはね、君の愛情を繋ぎ留めるための道具……それ以上でも、それ以下でもないんだ」
「どういうことです? レガート様のお母様の形見ではないのですか?」
「いや、形見だよ」
ダメ、理解が追いつかない。
私は目をぐるぐると回した。
お母様の形見がどうでもいい? 私を繋ぎ留める道具だから?
それというのは、つまり……。
「お待ちください、レガート様はずっと私を遠ざけていらっしゃいましたよね?」
「そう、でも最初に裏切ったのはリタだよ」
言われてドキッとした。
レガート様がおっしゃる裏切りとは――
「学園に入る直前にオスティナから聞いたんだ、リタはいずれ私と離縁するつもりだと」
やはり、私が『仮初めの妻』だったということ。
もしかしてとは思っていたけれど……そう、オスティナが話していたのね。
「ロバートを問い詰めたら、すんなりと認めたよ。私がどれだけ衝撃を受けたか……私はリタとずっと夫婦でいられると思っていたのに、君は最初から離縁するつもりだったなんて」
「……申し訳ありません」
私はあらためて、叔父との契約について打ち明けた。
叔父がレガート様を支援するため、宮廷にオルディ家の人間を妻として送り込む必要があったこと。
オスティナはその時まだ幼かったから、私が代わりにレガート様の妻になったこと。
……母の病気については黙っていることにした。
話してしまうと、それを理由に許しを請うようだから。
「けれど、レガート様を裏切っているつもりはなかったのです。先の王妃様が存命の頃は……とても言い出せなくて。学園に入ったあと、告げようとした時にはあなたに避けられるようになって、その、オスティナを愛しているように見えたので、わざわざ言う必要もないかと」
叔父から口止めされていたことは敢えて言わなかったけれど、そこは分かっていらっしゃるはず。
「私がオスティナを愛しているように見せていたのは、ロバートの目を欺くためだ。無理に逆らえば、ロバートはすぐにでも私たちを離縁させただろうからね。あの頃はまだ王妃から解放されたばかりで、私には公爵家と戦うだけの力がなかった。私が愛しているのは、いまも昔もリタだけだよ」
まっすぐな夏色の瞳を向けられて、さすがに顔が真っ赤になった。
愛! レガート様が、私を……?
突然のことで、心が追いつかない。
この三年間、レガート様はオスティナを愛しているものだと信じていたんだもの。
「そ……れならそうと、私に説明してくださってもよかったのではありませんか?」
腑に落ちずに訊ねると、レガート様は綺麗な形のぴくっとあげた。
「君が、私との離縁を承諾していたっていうのに? 私が本心を打ち明けたとして、それが君からロバートに伝わらないと、どうして信じられる?」
「それは……」
「どこにロバートの仲間がいるかわからないから、私が本気でオスティナを愛していると、周囲にも信じさせる必要があった。私は君を避け、オスティナを優先し続けた。もちろん理由も告げずそんなことを三年も続けたら、君の信頼も愛情も失うだろう。だから私は決めたんだ……」
「決めたって、なにを……?」
おそるおそる訊ねると、レガート様はふわっと微笑んだ。
まるで初夏の風のように爽やかに。
新緑の芽のように清々しく。
良く晴れた日の湖面のようにきらきらと。
「君の心はいらない。君に嫌われても、君を手に入れるって」
――は?
いま涼やかに、とんでもないことを言われたような。
状況についていけないわ……。
私は、ふと自分の手の中にあるブローチに視線を向けた。
レガート様は、ご自身で大切なお母さまの形見を踏み潰した……。
じりっと、無意識に後ずさる私。
すると同じだけレガート様も距離を詰めてくる。
気がつけば私は壁際まで追い詰められていた。
「悪いけど、離縁はしないよ……リタ」
どんっと私の背後に手をつき、顔を寄せるレガート様。
その表情に、すでに笑みはない。
真剣な顔つきで、私を見つめ、囁く。
「私から逃げるなんて、絶対に許さないから」




