26
指定された待ち合わせ場所は、王都から西に延びる旧街道の林道のなかだった。
道の先には大きな街があり、かつては商隊の往来で賑わっていたと聞く。
しかしこの林道が昼でも薄暗く、夜ともなると足元すらおぼつかないこと。加えていくつか難所が続くことから新たな街道が整備され、いまではこちらを使うものは殆どいなくなった。
いまの私たちのように、ひと目を避けたい人間の他は――
私は林道に入ってすぐの場所で乗ってきた馬車を停めると、アンネを連れておりた。
時刻は深夜。辺りは暗いを通り越して闇のなかだ。見上げる空も木々で覆われ、星の光すら届かない。
私はランプを手に、一歩一歩、慎重に進んだ。その横をアンネがぴたりと寄り添ってくれており、とても心強い。
いつ暗闇から獣が飛び出してくるかわからない。こんな場所、さすがに一人では来られなかったかもしれないもの。
さらにしばらく歩いたところで、私は足を止めた。ランプが照らす先に一台の馬車がある。
「フリオ、フリオ! いるのでしょう? 私よ! リタよ!」
少し距離をとった場所から声をかけると、馬車からフリオがおりてきた。
手に持ったランプを前に突き出し、慎重そうに辺りを見渡す。
そして最後に私とアンネを見比べると、参ったように眉を寄せた。
「困るよ、リタ。一人で来てくれと言ったのに」
彼の口調は昔と同じ親しげなもので、懐かしい気持ちになる。
「無茶を言わないで、私はこれでも王妃なの。協力者もなしに王宮から出るなんて不可能だし、彼女の協力を得る条件がここまで一緒にくることだったのよ。それでもかなり無茶をしたの。御者は林道の入り口に置いてきたんだから、それで許してちょうだい」
そう言うと、フリオは「仕方がないか」と納得したように頷いた。
「お母さまはどこにいるの?」
ちら、と馬車を見て訊ねる。
すでに母が乗っているのだろうか。
「君のお母さまは、ここから馬車で一日ほど離れた町で暮らしておられる」
「……お母さまはいまも、その町にいるということ?」
「そうだ。ぼくは公爵閣下の命でその町へ向かい、お母さまを拘束するように仰せつかっている。だけど、もちろん従うつもりはないよ。一緒にお母さまのところへ行こう。新たな隠れ家を用意するから協力して欲しいんだ。その後は……君が王妃の力で、ぼくを閣下から守ってくださると信じている」
彼の言葉のひとつひとつを確かめるように、私は何度も頷いた。
なるほど。彼の言うことは筋が通っているようだ。
「さあ、急ごう。こちらに来て、この馬車に乗って。公爵閣下に疑われたら全てがおしまいだ」
「……アンネを、この侍女も一緒に連れて行って構わないわね? 彼女は信頼できるし、もう事情も知っているわ。協力者は多い方がよいでしょう?」
訊ねると、フリオはちらとアンネに視線を向けた。
さすが商人らしく、値踏みをするように上から下までも眺め、頷く。
「まあ、いいよ」
所詮は女二人。
彼の顔にはそう書いてあるように思えた。
「とにかく早く馬車に乗って! ことが知られたら、君のお母さまの命も危ない!」
母のことを持ち出され、私は慌てて馬車に向かって歩き始めた。その後ろをアンネがついてくる。
フリオは馬車の側に立ち、私が近くまで来るのを待っている。
私は、彼のすぐ目の前で立ち止まると、重たい息を吐いた。
「フリオ……残念だわ」
「リタ?」
「あなたのことを、私は本当に兄のように思っていたのに」
そう告げると、フリオは怪訝そうに顔をしかめ――ハッとした様子で腰に隠していた短剣を引き抜いた。
銀の切っ先が私に向けられる。その瞬間、背後から低く、鷹のように飛び出してきたアンネが、鋭い蹴りで彼の持つ短剣を弾き飛ばした。
「――なにっ」
フリオが青ざめる。けれど彼がそれ以上事態を理解するより早く、アンネは飛び上がって彼の頭を蹴り飛ばした。
ドゴッという重低音をたてて、フリオの体が馬車に叩きつけられる。
彼は白目を剥いてその場に倒れ込むと、朦朧とした様子で口を開いた。
「お前、なにもの……」
「私はリタ様の筆頭侍女で、元鉱山警備隊です」
「なんだ、それ……」
アンネの言葉に、フリオはそう言ってガクッと首を落とした。
どうやら気を失ったみたいね……。
私はほっと息を吐き、アンネに「ありがとう」とお礼を言った。
――それにしたって、アンネはすごいわね!
彼女が実はとても強いと知ったのは、離宮から戻ってからのこと。今回の”作戦”を決行するに当たり、実技を見せてもらったのだ。王国騎士三人を相手に、見事な立ち回りで圧倒したのには本当に驚いた。
アンネは『元鉱山警備隊ですから、これぐらいは』と恥ずかしそうにしていたけれど。
――本当に、鉱山警備隊ってなんなのかしら……。
どうしてそんなに強いの? 熊とか狼と素手で戦ったりしているの?
と、いまは素朴な疑問に気をとられている場合ではないわ。
「何ごとだ!」
「女はどうなった!」
内側から馬車の扉が開き、なかから屈強な男達が続けて飛びおりてくる。
――一、二、三、四……五人。
私は後ずさりながら、冷静にその数を確かめた。
もしも私が大人しく馬車に乗っていたら、彼らに拘束されていたのだろう。
男達は足元のフリオと、私たちとを見比べると、すぐに剣を抜いて戦闘態勢に入った。その動作に迷いはなく、彼らがよく訓練された人間であることが分かる。
叔父の私兵か、雇った傭兵か。
アンネがさっと、私と男達の前に立ちふさがる。
だが、さすがの彼女といえど、五人相手に私を守り切るのは難しい。
男たちも同じように戦力を計算したのだろう、余裕の笑みを浮かべた。
その時――
「そこまでだ」
暗闇にレガート様の声が響いた。
侍従が照らす明かりを背後に、木立の間から彼がその姿を見せた。
さらに彼が片手をあげると、周りから次々と王国騎士が飛び出してきて、素早く男たちを取り囲む。敵側は誰も事情をのみ込めない様子で、ただ向かってくる剣を迎え撃つことしかできない。そして僅か数度の剣戟が響いた後に、場はレガート様の指揮によって完全に制圧されたのだった。
「……起きろ」
レガート様がフリオに近付き、そう声をかける。
「うっ……あ、へ、陛下!?」
ちょうど意識を取り戻したフリオが、レガート様を見て声をひっくり返した。
「な、なっ、なぜここに!? 今夜はインクルヴァン大聖堂に入っておられるはずでは……!」
目を白黒させるフリオに、レガート様が微笑みかける。
それはもう、ぞっとするような冷たい目で。
「さて、ようやく最後のピースが揃った」
レガート様は腰にはいた剣を抜くと、混乱するフリオの首筋に当てた。
「案内してもらおうか、リタの母君のところへ」




