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 離宮に戻ったあとはホールに呼ばれ、そこでレガート様の弾くヴァイオリンを聴いた。


 ――懐かしいわね。


 レガート様は音楽が得意で、どんな楽器でも上手に弾きこなす。

 子どもの頃は教師から習うたびに私に聞かせてくれて、厳しい日々の大きな癒やしになっていたものだ。

 私はうっとりと彼の演奏に聞き惚れた。

 その音色の素晴らしさはもちろんのこと、ヴァイオリンを弾くレガート様の姿がまた素敵。

 よく神は二物を与えずなんていうけれど、レガート様にはまったく当てはまらないわ。

 なんて、心のなかでひたすらレガート様を褒め称える一方で、私は少し拍子抜けしていた。

 ここに来る前、レガート様が『最後の一秒まで努力する』なんて言っていたものだから、どんな猛攻が待っているのかと身構えていたのだ。

 けれどピクニックも穏やかに終わったし、いまもこうして音楽を聴いているだけ。

 もちろん、レガート様の演奏を独り占めできるのは幸せなことなのだけど……これはこれで調子が狂うというか。

 どことなく釈然としない気持ちを抱えつつ、気がつけば午後のお茶の時間になっていた。

 お昼が遅かったのであまりお腹は空いていないものの、せっかくだから庭に出ようということになった。

 湖の縁に作られた庭はよく管理されていて、とても美しい。

 私たちはそこにある白いテーブルに向かいあって座った。

 一応、テーブルには紅茶とお菓子が用意されているけれど、レガート様はやはり私を膝に乗せないし、お菓子もあーんと食べさせてこない。


 ――レガート様ったらどうしたのかしら? 以前は仕事中でも私を膝に乗せていたのに……正気に戻ったの?


 我ながら心の声が失礼ね。

 膝に乗せられるのも、あーんと食べさせられるのも恥ずかしいんだから、良いことじゃない……。

 自分にそう言い聞かせつつ、お菓子をひとつ手に取って食べる。するとその甘さにもやもやが吹き飛んだ。だって、美味しいんだもの。

 それから、私たちは日が暮れるまで色んな話をした。最近読んだ本の話。サンドイッチの他に作れる料理の話。仕事の話。友人の話。

 さっき演奏を聴いて懐かしい気持ちになったのもあり、特に昔話に花が咲いた。

 そうして、この楽しい時間もやはりあっという間に過ぎて行き――。




 夜になり、寝支度を整えた私は、主寝室の窓から夜空を見上げていた。

 森の中だからかしら、星がとっても綺麗。

 王宮は夜でも明かりがあるから、ここまではっきりとは見えないのよね。

 せっかくだから窓を開けて夜風を浴びたいのに、開かないのが残念。

 そんなことを考えていると、レガート様が寝室にやってきた。


「なにを見ているの? リタ」

「星がとっても綺麗で、眺めておりました」

「へえ」


 どれどれと、レガート様が私の肩越しに空を見上げる。


「本当だ、美しい星空だね。初代王妃も、この星空を眺めて心を慰めていたことだろう」

「心を慰める?」


 初代の国王陛下は、王妃殿下と晩年をここでのんびり過ごすために離宮を建てたのよね?

 そんな、星空を見て心を慰めるような辛い日々ではなかったはずだけれど。

 するとレガート様が、ぱあっと輝く天使の笑みを浮かべた。


「え? そんなことを言ったかな……聞き間違えじゃないか」


 うっ、これは星空よりも美しいレガート様の微笑み!

 あまりの眩しさに頭が混乱し、確かに聞き間違えかもしれないと思えてきた。

 目をチカチカさせていると、レガート様が「そういえば」と切り出した。


「星といえば、昔、リタがお父上との思い出を語って聞かせてくれたことがあったよね」

「はい、覚えていらっしゃったのですか?」

「もちろん。リタがしてくれた話は、どんなことでも鮮明に覚えているよ」


 あれは確か、レガート様に代わって先代王妃殿下から鞭を打たれ、熱を出した夜だった。

 体がとても痛くて辛いのに、見上げた夜空は綺麗で、それがなんだか寂しくて。お父さまたちのことがとても恋しくなった。それで、寝ずに看病をしてくださっていたレガート様に父との思い出を語ったのだ。




 父は商家の手伝いで、よく大きな街に出かけて宝石の取り引きをしていた。

 そこでは石の質を見極めたり、値段のやり取りをしたりするのだと聞いて、私も子どもながらに興味を持ち、どうしても連れて行ってほしいと父にせがんだのだ。

 父はとても私に甘かったので、いいよいいよと二つ返事をし、次の現場に同行させてくれた。

 けれど、その帰り道。街道で事故があって、私たちが乗った馬車も足止めをくらってしまった。

 夜の街道は暗く、静かで、私は怖くなって泣いてしまい……そうしたら、父が私を抱いて馬車を降り、星を見せてくれたのだ。

 不思議なことに、馬車のなかより外のほうが僅かに明るい。

 私はすぐに、それが空に瞬く無数の星のおかげだと知った。


『ごらん、リタ。星がとっても綺麗だろう』

『うん! 宝石みたいだね!』

『そうだ。宝石というのは、地上に落ちてきた星なんだ』


 父はロマンチストだった。

 夢を見るように、現実を楽しむことができる。そういう人だったと思う。


『だからお父さんは、星にも詳しいんだよ。ほら、東の空に一等輝く星があるだろう? あの星はとても綺麗だけど、冬の間は見えないんだ。雪解けを待って現れる』


 父の話に、やっぱり宝石のようだと思った。

 宝石の原石が眠る北の山脈も、冬の間は立ち入りできない。


『ちなみに、あの星の名前はね、マリーって言うんだ』


 私はぱちっと目を瞬いた。


『マリー! お母さまの名前だ!』

『そう、お母さまと同じ名前なんだ』


 私は、それを聞いてとても嬉しくなった。

 大好きなお母さまと、空で一番輝く星が同じなんてとても素敵だ。

 両手を広げて喜ぶ私に、けれど父は『でもね』と付け加えた。


『ぼくは……』


 そうだわ、父はあのとき……。




『ぼくは、その周りにある、名前のない星たちが好きだし、お母さまのようだなって思うよ。名のある貴族でなくとも、誰もがひざまずくような美しい姫君でなくても、なにものでもなくたって。ひたむきに輝く姿は尊いし、ぼくは誰よりも美しいと思う』だっけ?」


 レガート様の声が、記憶のなかの父の言葉に重なった。


「ええ、父はそう言っていました……よく覚えていらっしゃいましたね」


 私ですら思い出すのに時間がかかったのに。

 なにしろ、子どもの頃の記憶だから。


「だから覚えているって言っただろう」


 感心する私に、レガート様が自慢げに笑う。


「そしてそんなお父上に、リタはこう言ったんだ。じゃあ周りにある星も全部『マリー』って呼ぼうって」


 そうだった。

 父が一番好きな星がお母さまの名前でないのがイヤで、そんなことを言ったのだ。

 子どもの無邪気なヤキモチだ。


「君のお父上は、お母上のことをとても愛していたんだね」


 レガート様は、穏やかな声でそう言った。

 頷くと、あらためて懐かしさが胸に込み上げてくる。

 東の一番星、そして周りに輝く無数の『マリー』を見て、思う。


 ――お母さま……。


 お元気かしら。早く会いたい……いえ、もうすぐ会えるのね。


「リタ、こちらを見て」


 そこで、レガート様が私を呼んだ。

 振り返ると、そっと胸に抱きすくめられる。


「私も、君を愛してる。君のお父上の、お母上への愛にも負けないぐらい」


 切なさを帯びた声とともに聞こえるのは、いつもより少しはやい心臓の音――


 それを聞いているうちに、私は泣きたいような気持ちになって目をとじた。ダメよ、リタ。泣いてはダメ。私にその資格はないでしょう。

 私は赤くなっているだろう鼻の頭を誤魔化したくて、軽く彼の寝間着に擦りつけた。

 そしてこくりと頷くと、それからしばらくの間、時が過ぎるのを惜しむように、二人で静かに星を見上げたのだった。

 


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