21
二階には国王と王妃それぞれの私室があり、そのどちらからでも行き来ができる主寝室が用意されている。
私たちはまず、共に過ごす主寝室に入った。
室内は王宮と変わらない豪華な造りで、家具や調度品もどれも素晴らしい品だった。
――今日は、ここで一緒に寝るのね。
最近は添い寝をしていなかったから、久しぶりだ。
考えているうちに顔が熱くなってきて、それを誤魔化すように私は部屋の奥にある大きな窓へ近寄った。
向こうには湖が見える。
「……綺麗ですね」
さすがに見事な景観だわ。
感動していると、ふっとあることに気付いた。
――あら? この窓、開かないのね。
窓には開閉するための取っ手がなく、もちろん鍵もない。
嵌め窓のようだけれど……どうして?
不思議に思って下を覗き込んでみると、そこは人ひとりギリギリ立てるだけの崖になっていた。近くには木などもなく、落ちても死にはしないだろうけど、それなりに怪我はしそうだ。
――なんというのかしら……まるで、ひとを軟禁するために誂えたような立地だわ。
またも不穏なことを考えてしまい、私は慌てて頭を振った。
初代の国王様が建てた離宮に、なんて失礼なことを……。
「リタ」
混乱していると、レガート様の呼ぶ声が聞こえた。
間を置かず背後から抱きしめられ、ふわりと彼の良い匂いがした。首筋に息がかかってくすぐったい。
振り向くと、すぐそこに端麗な美貌があって、私はキスをされるのだと思って目をとじた。
そのまま待つこと一秒……二秒……。
「……ピクニックにいかないか?」
彼の言葉に、ぱちっと目を開いた。
レガート様は悪戯好きそうな笑顔を浮かべている……からかわれたんだわ!
もうと唇を尖らせてから、ピクニックかーと思った。
うん、とっても素敵なお誘いだわ。
「では、私がサンドイッチを作りましょうか」
「リタが?」
目を丸くするレガート様に、私は頷いた。
王宮では体面もあるし、料理人たちの都合もあってあまり勝手なことはできないけれど、ここでなら多少自由に振る舞っても誰も困らないはず。
「こう見えても、料理は得意なんですよ」
なんといっても元使用人なので、料理は仕事のうち。
「嬉しいな」
レガート様が破顔する。
「リタの手料理か……夢みたいだ」
そう呟く彼の表情が本当に、心から嬉しそうに見えて、私の胸はきゅんと高鳴ったのだった。
「早くバスケットを開けよう」
湖畔に広げた敷物に座るなり、レガート様が待ちきれない様子でそう言った。
「そんなに急がなくたって……中身は分かっているんですから」
私が厨房でサンドイッチを作っている間、レガート様はずっと真横に立って眺めていたのだ。
あまりにまじまじ見られるものだから、緊張して味付けを間違える所だった。
「いいや、待ちきれない」
レガート様は真顔である。
「君も知っているだろうが、人生というものは残酷だ。一秒先になにが起こるかわからないし、楽しみを控えているときにこそ悲劇は起きる。このすぐ後に私の寿命がきて、リタのサンドイッチを食べずに心臓が止まってしまったら、私は死んでも死にきれない」
サンドイッチを食べるのに、これでまでの人生の悲哀を滲ませないでほしいのだけど……。
「そんな、縁起でもない」
呆れて返事をしてから、バスケットを見下ろす。
「でも、確かにお腹が空きましたね」
離宮についたのが昼前。それからサンドイッチを作り始めたので、遅めの昼食になってしまった。
私がバスケットの蓋を開くと、レガート様はずいと前のめりになってなかを覗き込んだ。
「美味しそうだ」
「普通のサンドイッチですよ」
つい謙遜してしまったけれど、我ながらおいしそうに出来たと思う。
メインは鶏肉を蜂蜜とビネガーで甘辛く味付けしたものと、新鮮な葉野菜を一緒に挟んだもの。
他にも人参マリネのサンドイッチと、果物のサンドイッチも用意してある。
彩りも断面も綺麗だし、久しぶりに作ったにしては上出来だろう。
でも、レガート様には素朴すぎるかしら。
「いかがですか?」
鶏肉のサンドイッチ手に取って食べるレガート様に、おそるおそる訊ねる。
けれどレガート様からの返事はない。
私は少し不安になって彼の顔を覗き込み……ぎょっとしった。
彼の夏色の瞳に、うっすらと涙がにじんでいるように見えたからだ。
そんなに不味かったかしら? やっぱりお砂糖と塩を間違っていれてしまったのかもしれない!
「あの……レガート様、お口に合わないなら無理をして食べられなくとも……!」
「美味しいよ、すごく美味しい」
うろたえる私に、レガート様は噛みしめるように呟き、笑みを浮かべた。
「ごめん、ちょっと目に砂が入って。サンドイッチはすごく美味しい。本当だよ……作ってくれてありがとう、リタ」
「そうでしたか……」
レガート様が長い指で目を擦る。
そして「美味しい」「世界一美味しい」「こんなに美味しいものは食べたことがない」「ものを腐らせない魔法があるなら、このサンドイッチを国宝にして飾るのに」と言いながら、どんどんサンドイッチを食べていく。
――良かったわ、本当に美味しいみたい。
ほっと胸をなで下ろしてから、自分もまたサンドイッチを手に取った。うん。鶏肉が甘辛くって良い感じだわ! 味付けに卵とビネガー、それからオリーブオイルを混ぜ合わせた調味料を使ってみたんだけど、これもまた美味しい。野菜もシャキシャキしているし!
――これぐらい……本当なら、いつでも作って差し上げたいけれど。
離縁をしてしまったら、それすら出来なくなるのだ。
そんな当たり前のことに、あらためて現実を感じてしまって胸がずんと重たくなる。
「……それにしても、晴れて良かったですね」
満足のいくまでサンドイッチを食べたところで、私はそう言った。
陽光に煌めく湖の、なんと美しいこと。
風も心地良いし、旅にはぴったりの日になった。
「そうだね」
レガート様がにこりと頷く。
私は、彼の目の下に浮かぶくまが気になった。
お日様の下でピクニックという健康的な場面だからこそ、その不健康さがやけに目につく。
本当に……今日の休暇を取るために、たくさん頑張ってくれたのよね。
「レガート様、少しお昼寝でもされてはいかがです?」
「平気だよ」
「でも……」
「そうだな。リタが膝枕をしてくれるっていうなら、休んでもいいけど……」
「良いですよ」
私の唇からは、つるっとそんな返事が滑り落ちた。
――いいわよね、それぐらい。
だって、私たちが夫婦でいられるのはあとちょっとなんだもの。
「勝負なら、私は断れません」
言い訳を付け加えると、レガート様は僅かに目を瞠ってから、したり顔で頷いた。
「そうだ。勝負なら、リタは断れない」
レガート様が、私の太ももに頭を乗せて横になる。緊張しておられるのか、首にずいぶん力が入っているようで、私もつられて体を固くした。
――膝枕って、思ったよりもくすぐったいのね。
私はもぞりと膝をすりあわせた。脚を枕として提供しているだけなのに、体がそわそわして、顔が熱くなってくる。
「とても心地良い。多分、ここが天国だと思う」
大げさな物言いに、私は思わずくすっと笑った。
「レガート様は普段、国王として重責を負いながら公務を頑張っておられるのです。どうか体を休めてください」
「……うん」
頷いて、レガート様が目を閉じる。
私はそっと、風にそよぐ彼の髪を撫でた。
――幸せだわ。
自然と、そんな言葉が胸に湧き上がった。
――ずっと、こうしていられたらいいのに。
けれどそこで、私は自分の考えに違和感を覚えた。
目を空に向け、口を横に引き結ぶ。
なにかしら、胸がもぞっとするわ。苦しいとか、痛いとか……切ないとかとも違う。
そう、これは、もやっとするというやつだ。
私は自分に対して、いま、もやっとしている。
でも、どうして?
彼のためにも、私のためにも、離縁をするのは正しい決断のはずなのに。
ただ、理由はわからないけれど、自分が大きな間違いを犯そうとしているような、そんな気がしたのだ。




