20
馬車の車窓を、鮮やかな緑の草原が流れていく。
前のめりになってそれを眺めながら、私は声を弾ませた。
「話には聞いておりましたが、景観のよいところですね……!」
「うん。初代の国王が、晩年を王妃と過ごすのに選んだ土地だからね」
正面の椅子に座るレガート様が、にっこりと微笑む。
その「言いたいことなんてなにもないですよ」とばかりの爽やかな笑顔が、ちょっとばかり怖い。
私は気まずい気持ちになって、しずしずと椅子に座り直したのだった。
レガート様と『勝負』を始めた日から、明日でちょうど三ヶ月になる。
ついに、離縁をするかどうかの結論を出すときがきたのだ。
――もちろん、私の心はもう決まっているわ。
レガート様とは離縁をする。
それは、重ねて覚悟を決めたあの夜から一度も揺らいでいない。
あれからこの一ヶ月間、私はできる限りレガート様と距離を置くように努力した。
公務の予定を詰め、王宮の外にいる時間を増やした。
呼び出されて膝に乗せられても、お菓子や食事をあーんとされても、淡々と受け入れるように心がけた。
すると気持ちが伝わったのか、レガート様も私を呼び出さなくなり、夜の添い寝にもこなくなった。
ついに、レガート様に嫌われてしまったかもしれない。
そう思うと、未練がましいこの心がじくじくと痛んだけれど、それはそれでしっかりと受け止めることにした。
私はレガート様を愛している。その上で、彼と私、そしてこの国のために離縁をするのだ。
これが最良の決断なのだという確信が、私を支えていた。
レガート様から逃げている間にも、私は各国にいる未婚の王女の情報を集め、時に連絡をとり、レガート様に相応しい相手を探した。
――ルシガード王国の第一王女はレガート様と年も同じだし、とても美しい才女と評判だわ。ルシガードも軍事国家だし、彼女に王妃になっていただければ、叔父への強い牽制になるわね。
――チェルン王国の第三王女も。年はレガート様より二歳年下だけれど、手紙のやり取りをしてみたところ、しっかりとした女性のようだった。なによりチェルンは世界有数の貿易国。強い経済基盤をもとに、レガート様を支えてくださるはず。
他にも何人かの王女が候補に挙がっているけれど、誰をとってもフォルツァンドの王妃として申し分ない。
彼女たちの名前や素晴らしい特徴を記した書面は、離縁したあと、ジルにでも託そうと思っている……さすがにレガート様に直接お渡しするのは、無神経だものね。
そうして急がしていると、あっという間に時間は過ぎていった。
そして、いよいよ約束の期日が近付いてきたある日、レガート様が久しぶりに私を呼び出して『一緒に離宮に行こう』と誘ってきたのである。
『君に避けられていることは分かっている。でも……最後の一秒まで、リタの心を手に入れる努力をしたいんだ』
レガート様が私を呼び出さなくなったのは、この休暇をとるために公務を詰めていたからだという。
――拒否はできないわ、だって『勝負』だもの。
言い訳だと自分でも分かっていた。
てっきりレガート様に嫌われていたと思っていたから、そうでなかったと知って、私は嬉しかったのだ。
即位から間もなく、まだまだ忙しいはずなのに、私との時間のために頑張ってくれていたことも。
事実、レガート様の目の下にはくっきりとしたくまが出来ていた。少し痩せたのか頬もこけ、まるで病んでいるようだ。よほど忙しく、寝る間もなく働いていたに違いない。
――私も、最後にレガート様との思い出を作りたい。
そんな本音を胸に、私は彼の提案を受け入れた。
そしていまは、その離宮へ向かう途中というわけだ。
これまで彼を避け続けていた手前、なにごともなかったように振る舞うレガート様に対して気まずい気持ちもある。
でも……だからって、彼の笑顔を怖いと感じてしまうのは、ちょっと失礼だったかもしれないわ。
私はつい先ほどの思考を反省した。
離宮は王都から馬車で数時間ほどの森のなかにあり、早朝に出発をしたので、昼前にはつく予定だ。
――泣いても笑っても、あと二日だもの。
折角だから、最後は思い切り楽しもう。
そうして、出来たら笑顔でお別れができたらいい……。
美しい草原の景色を眺めながら、私はそっと目を細めたのだった。
馬車は小川にかかった石橋を渡り、赤い屋根の可愛らしい家並みの横を走り抜け、やがて森に入った。
この森は王室領で、一般人の立ち入りが禁じられている。
整備された林道をしばらく進むと、今度は緑の湖が見えた。
そして、その湖畔に佇む白亜の離宮が。
「……まあ」
他の言葉が出てこないぐらい、それは美しい光景だった。
素直に感動する私の顔を、レガート様がにこにこと嬉しそうに見つめている。
「リタが喜んでくれてよかった……短い滞在期間だけど、ゆっくりと楽しもう」
レガート様の言葉に、私も笑顔で頷いた。
――二日しかないのが残念だけれど……。
しかも、明日は早朝に出立しなければならない。
王都で、レガート様の戴冠にまつわる最後の儀式があるからだ。
レガート様は明日、戴冠式が行われたインクルヴァン大聖堂に入ってそこで一晩を過ごす。
今日までの三ヶ月の間に、国王として相応しくない行動があれば神罰がくだる。なにごともなく夜を越えることができたなら、その国王は神から認められたということになるのである。
三ヶ月にわたる即位の儀式のなかでもっとも重要なものだ。
叔父やレガート様との約束も、この日が目印になっていた。
私はふっと短い息を吐いてから、辺りを見つめた。
――それにしたって、本当に広いわね。
正門をくぐり、広い前庭を通り抜けながら、そんなことを思う。
これは一度建物に入ってしまったら、徒歩でこの敷地を出るのは難しそうだ。
ただでさえ裏は湖だし、周囲は森だし、閉じこめられた逃げ出せないわね……なんて。
なんの気なしにそんなことを考えてから、自分の発想の不穏さに驚いた。
以前に一度、レガート様が私を閉じこめるなんて冗談を言ったせいよ。それで、つい馬鹿なことを考えちゃうのね。
あはは、と心のなかでひとり笑い飛ばしてる間に、玄関前に着いた。
「どうぞ」
先に馬車を降りたレガート様が、私に手を伸ばしてエスコートする。
なかに入り、まず私たちを出迎えたのは壮大な玄関ホール。四方は金の装飾が施された白い壁に覆われており、高い天井には美しい絵が描かれ、豪華なシャンデリアが吊り下げられている。
思わず見蕩れていると、レガート様が大理石の床に片足で跪き、私の手をとった。
「レガート様?」
今回の旅行は滞在日数が少ないこと、そして出来る限り二人きりでゆっくり過ごしたいという理由から、使用人は最低限しか連れてきていなかった。
もちろん外に護衛は沢山いるけれど、いま、ぱっと見た見た範囲に人はいない。
それでも、国王ともあろうと方が、たとえ妻の前であれ簡単に膝をついてよいものではないわ。
驚く私に、レガート様が微笑む。
「明日までの私は国王ではなくて、君に愛を乞うただ一人の男だよ」
甘やかな声、真剣な眼差し、凜々しい表情。
忠誠を誓う騎士のように跪くその姿は、まるで絵画の一枚のようだ。
私はくらりとするほどのときめきを覚え、空いている方の手で胸を押さえた。
――なんて格好いいのかしら。
彼が王様でよかった。市井に野放しにしていたら、ときめきで死人が出かねない。
――ずっと、レガート様のことを天使のようだと思ってきたけれど……。
最近はそれよりも、男性らしさのほうを感じることのほうが多くなった。
なんというか、彼から匂い立つような色気が湧き上がっているように感じるのよね。
離縁を決意している身には相当な弊害だわ。
「リタに振り向いてもらえるよう、最後まで精一杯頑張るよ」
端正な顔で告げられて、私は瞳を揺らした。
――ああ……私、レガート様が好きだわ。大好き。
胸のなか繰り返す。
そうしていないと、心がいっぱいになって破裂してしまいそうだった。




