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『私の娘オスティナの代わりに、レガート王太子殿下の元に嫁いで欲しい』
叔父ロバート・オルディ公爵からその話を持ちかけられたのは、私が十二歳の時のことだった。
私の父は公爵家の嫡男――つまり、今の公爵閣下の兄にあたる。
本来なら家督を継ぐべきはずだった人だけれど、使用人だった母と恋に落ちると、駆け落ち同然に家を出てしまった。
そして私が六歳のとき、仕事先で物取りにあい、帰らぬ人となったのである。
母は懸命に働いて私を育ててくれたけれど、その六年後、長年の無理がたたって大病に倒れた。
肺の病気で、治療には高額がかかる。
すっかり弱り果てていた所に、父の代わりに公爵家当主となった叔父がやってきたというわけだ。
『先代の王妃が亡くなり、新たな王妃を迎えられてからというもの、レガート様が宮廷で孤立している。彼を支援するため、公爵家から王太子妃を出したい』
公爵家は先代の王妃様と血縁があり、レガート様のことも支えたいと考えているが、そのためには身内を宮廷に送り込む必要があるのだという。
『すぐにオスティナを妃できればよいが、今の宮廷を生き抜くには九歳と幼すぎる。そこでまずお前がレガート殿下に嫁ぎ、その地位が盤石なれば離縁をし、オスティナにその座を譲ってほしいのだ』
つまり私に、オスティナの代わりとして嫁げということのだ。
そしてレガート様が即位するか、王妃様がいなくなったら、その座を譲る。
なんとも虫の良い話ではあるけれど……。
叔父は、その代わりに報酬を出すと言った。
――それだけのお金があればお母さまの治療ができる。
身代わりとはいえ、私に王太子妃が務まるのか。
厳しいという王宮での生活はどのようなものなのか。
不安はあったけれど、それでお母さまが助かるのなら悩む余地はない。
いずれ離縁するという条件は、むしろ好都合に感じられた。
だって、市井で育った私に王妃なんて務まるはずがないもの。
私は報酬と、離れて暮らす間の母の看病を条件に、公爵さまの話を引き受けたのだった。
その後は公爵邸で最低限の令嬢教育を受け、ひと月ほどで宮廷にあがった。
レガート様の境遇は、聞いていたよりずっと痛ましいものだった。
体は痩せ細り、袖からのぞく腕には鞭の跡まであった。容姿はいまと変わらず美しく、天使と見紛うばかりだったけれど、その瞳に輝きはなく、すっかり心を閉ざしておられるのは明らか。
『お立場がよくない』なんて説明では納得ができない姿だ。
私は叔父に説明を求めた。
『王妃は、レガート殿下が少しでも失敗をすると食事を抜いたり、鞭を振るったりしているようだな』
『そんな! 誰か止める者はいないのですか?』
『レガート殿下のお味方をするものは、みな理由をつけて辞めさせられてしまう。だから策を講じ、お前をここに送り込んだのだ。さすがの王妃も、妻を解雇はできまい』
『レガート様のお父君……国王陛下は、なにもおっしゃらないのですか?』
『陛下は王妃を寵愛しておられ、どんな振る舞いをしても決して咎めることはない』
絶句するしかなかった。
私も父を早くに亡くしたけれど、代わりに母がいつも一緒にいて、味方になってくれていた。
けれど、レガート様はずっとひとりぼっちなのだ。
そう考えた時、ちりっと胸に焼き付くような罪悪感を覚えた。
ずっと母の病気のことで頭がいっぱいで、レガート様の境遇について深く考えてこなかったことに気付いたのだ。
――レガート様に他のお味方がいないというのなら、私が一番の味方でいて、お支えしよう。
公爵家の後ろ盾のおかげで、レガート様の状況は多少改善したものの、それからも王妃様の虐待は続いた。
レガート様の教育係も王妃様によって選ばれており、間違えがあると鞭が振るわれる。
それを知った私は、ある日、レガート様の腕を引いて授業を逃げ出した。
『レガート様、理不尽な折檻を受ける必要はありません、逃げ出してしまいましょう!』
『逃げるって……どこに……』
『誰も使っていないお部屋とか、お庭の物影とか! 王宮はこんなに広いんですもの、どこにだって隠れられます!』
『……見つかったあとに、もっと酷い目にあうだけだよ』
『今日は午後から、公爵閣下が宮廷の様子を見に来ることになっています。そこにひょこっと顔を出せば、向こうも鞭を振るうわけにはいきません。ついでに教育係を持ち上げて、閣下に手当てのひとつでも出してもらいましょう。王妃殿下より、閣下の味方についたほうが良いと思わせるのです』
この手のしたたかさは、市井で暮らすうちに身に着けた私の知恵だ。
幼い頃から、母を助けるために色んな大人に声をかけて仕事をしてきた。だてに苦労はしていないというものだ。
私のその作戦で、教育係からの折檻はかなり減った。
もちろん全ての虐待がなくなったわけではないけれど、その時には私が盾となり、レガート様の代わりに罰を受けた。
そうして日々を過ごすうちに、レガート様も少しずつ私に心を開いてくださったと思う。
『どうして、王妃殿下はそこまでレガートさまに厳しく当たられるのでしょうね?』
結婚して半年が過ぎた頃。
王妃様の折檻から逃れて庭に身を隠しながら、私はレガート様にそう訊ねた。
『義母上には、お子がいらっしゃらないから……私が憎くて仕方ないんだ』
理不尽だ。
レガート様はなにひとつ悪くないではないか。
『リタこそ……どうしてここまで私を守ってくれるんだ?』
そう聞き返されて、私はちょっと困ってしまった。
自分より年下で、お辛い立場にいるレガートさまを助けるのは当然だと思っていたから。
でも確かに、代わりに鞭まで受けるのは行きすぎているかもしれない。
私は……レガート様のことを本当の弟のように感じはじめていたのだ。
事実、母の元を離れ、ひとり王宮にやってきた私にとって、ここでは彼だけが家族のような存在だった。
『レガート様が……大切だからです』
素直な気持ちを口にすると、レガート様の青い瞳が潤んだ。
『ねえリタ、約束してくれる? これから先もずっと、ずっとずっと私と一緒にいるって』
縋るように手を握られて、私は胸が締め付けられるように苦しくなった。
だって『ずっと一緒』にはいられない。
私は仮初めの妻で、いずれ離縁することが決まっているのだから。
だけど、ここで真実を告げる勇気もなかった。
叔父からは、『レガート様はまだ幼い。本当のことを言っても混乱させるだけだ』と口止めされている。
そうでなくとも、レガート様にとって私はたった一人の味方。
私まで『いつかいなくなる』なんて言えるはずがなかった。
――大丈夫。レガート様が国王になったら、お味方もたくさん出来て寂しくなくなる。私がいなくなっても平気になる。それまでは絶対に、なにがあってもレガート様のお傍にいるし、味方でいるから。
私は自分にそう言い聞かせて、レガート様の手を握り返した。
『はい、もちろんです! 私はずっとレガート様のおそばにおりますから!』
『絶対だよ?』
すぐに強い声が返ってきて、胸がどきっとした。
『絶対に、絶対に、絶対だからね? 約束は、破っちゃいけないんだよ? リタ……絶対に、ずっと、死ぬまで私と一緒にいてね』
青い瞳が私の顔を覗き込む。
その真っ直ぐさに呑まれそうになったところで、レガート様が天使のような笑みを浮かべた。
レガートさまの笑顔を見たのはその時が初めて。
私はすっかり嬉しくなって、それまでの緊張も忘れ去り、もう一度頷いた。
『ええ、約束です……! 私はこれからもずっと、レガート様のおそばにおります』




