16
「とても素敵ですね」
席に入ると、私は思わずそう声を上げた。
二階中央、見晴らしの良い場所に設えられた席は、小さなサロンのような造りになっている。
高い天井にはシャンデリアが輝き、舞台を見渡せる最前部の張り出し部分には赤いベルベットのソファが置かれている。
さらに歓談用のテーブルやソファもあって、私たちはそこに腰掛けた。
「劇場側の挨拶は断ってあるから、ゆっくりできるよ」
侍従が飲み物を用意し、レガート様からコートを預かって出て行く。
三人になると、レガート様は私にぴったりと肩をくっつけた。
――近いわね……。
試しにちょっと反対にズレてみるけれど、もちろんレガート様も追いかけてくるので逃げられない。
まあいいかと諦めたところで、レガート様が軽く前に手を突き出した。
「さあ、どうぞ、話して」
……そう言わると、なんだか話づらいのだけど。
「私のことはいないものと思ってくれていいから、どうぞ、話して」
にこりと天使を笑みで圧をかけられ、私は釈然としない気持ちで正面のフリオに向き直った。
「えっと……そう、久しぶりねフリオ」
「ええ、はい……お久しぶりです」
互いにぎこちなく挨拶を交わす。
彼――フリオ・リクセントは、私が使用人として働いていた商家の跡取り息子だ。
年は彼のほうが一つ年上で、子ども時代はよく遊んでもらった。
父が亡くなり、商家の使用人として働くようになってからはそういうことも無くなったけれど……それでも、彼はときどき両親の目を盗んで、私にお菓子をくれた。
私にとっては兄のようなひとで、大切な友人でもある。
――王太子妃になることは商家のひとには言わずにきたから……驚くのは当然だわ。
とはいえ、私が庶子ながら公爵家の血筋にあることは知っていたから、あり得ないとまでは思っていないはず。
「いや、でも本当にリタ……リタ様……王妃殿下が……王妃殿下になられていたとは」
「そんなかしこまらなくても……私たちしかいないのだし、昔のようにリタと呼んでくれても……」
「いや、王妃殿下と呼ぶべきだ」
突然、レガート様が断固とした口調で会話に入ってきた。
「他に人がいなくても、不敬は不敬である。王族の威信に関わる。王妃のことは、王妃殿下と呼ぶべきだ」
「……はっ、誠に申し訳ございません!」
フリオがさらに青い顔になって頭を下げる。
レガート様ったら、普段はそこまで厳しいことをいわないのに……。
「ええっと……そうだ、フリオ、ご両親はお元気?」
「はい、おかげさまで……」
「なに? つまり、二人は家族ぐるみの付き合いだったということ?」
レガート様が私の顔を思い切り覗き込みながら訊ねてくる……って、すっごい口を挟んでくるわね。
全然いないものと思えないのだけど!?
「そうです。私の父が、母と駆け落ちをしたあと、お世話になったのがフリオの家だったのです……フリオにはとても良くしてもらって、私は彼を兄のように……」
「は?」
とりあえずフリオとの関係を説明しておこうと、商家とのあれこれを避けて話を始めたところで、レガート様が低い声を漏らした。
「……兄? リタには兄もいたわけ?」
「兄というか……兄代わりですけど」
答えると、ぶつぶつぶつぶつあにあにあにおとうとと、レガート様が小声でつぶやき始める。
なんだか怖いのだけれど……ひとまず放っておくしかない。
「フリオ、家業も上手くいっているのね?」
私がいた当時もそれなりに裕福な暮らしをしていたはずだけれど、それでも、こんなオペラに来られるほどではなかったと思う。
「ええ、あれから商売があたって余裕ができたんです」
ふっと落ち着いた様子でフリオが笑う。
少しは緊張もほぐれてきたかしら……。
そろそろよい頃合いだろうと、私は本題を切り出した。
「そう、あなたに聞きたいことがあったの。さっき話していた、ゴールドサファイアのこと」
ゴールドサファイアとは、ここよりさらに北の大陸でごくわずかにしか採掘されない、きわめて稀少な宝石のこと。
その結晶は非常に純度が高く、澄み切った深い金色の光を放つことから、最高級の宝石として知られている。
指輪やブローチに使われるようなサイズの物はたまに市場に出回るけれど、どれも目玉が飛び出るような金額でやり取りをされていて、フォルツァンドでは基本、王室への献上品となる。
ちなみに、レガート様のお母上の形見に使われていた宝石がこのゴールドサファイア。
それもあってレガート様が踏み潰したときに驚いたのだけど――まあ、いまはいいわ。
私が気になっているのは、他の理由からだった。
「ゴールドサファイアの手がかりが見つかったというのは、本当なの?」
その宝石が、実はフォルツァンドでも採れるのではないかという噂は、かなり昔からある。
北の大陸との交易が始まる前の古い書物に、それと思われる鉱石の記述があることがその理由。
いわゆるひとつのロマンになっていて、かくいう私の父も、ゴールドサファイアを探す一人だった。
『リタ、フォルツァンドには必ずゴールドサファイアが眠っているよ』
父は生前、よく私にそう語って聞かせていた。
公爵家にいた頃は、その探索にかなりの私財を投じていたようだ。
母と駆け落ちをしたあとも夢を諦めきれなかったようで、よく北へ調査に向かっていた。
――お父さまが亡くなったのも、その帰り道だったのよね。
父は物取りに襲われて亡くなったのだけれど、その前に、私たちに手紙を送っていた。
そこには『探していた宝石を見つけた』ことが書かれており、末尾は『マリーが導いてくれた』という言葉で締められていた。
それがどういう意味なのかは、いまもわからないままだけれど。
ただ、父は決して嘘をつくような人ではなかった。
私は……父が本当に、ゴールドサファイアを見つけたのではないかと思っている。
――でもあれから随分立つのに、結局、まだ誰も鉱床を見つけてはいないのよね。
北の鉱山地帯では、大貴族がよく調査隊を出している。
父もそのどこかに参加していたはずだと、子どもの頃、レガート様に協力をしてもらって調べたことがある。
先代王妃の目をかいくぐり、なんとか当時の調査隊の参加者の名簿を手に入れたものの、父がどこに参加していたかは分からなかった。
父は出奔した公爵家の嫡男という身の上のため、書類に名前を残すときにはいつも偽名を使っていた。
その時は、きっと私の知らない名前を使っていたのだろう。
結局、父についても、ゴールドサファイアについても、それ以上の情報はなくて手をだせずにいる。
そういった経緯もあり、ゴールドサファイアの発掘についてはひとかたならぬ興味があった。
「ゴールドサファイアの件は、我々商人の間で出回っている噂にすぎませんが……北の鉱山調査から帰ってきた人間が、そういう話を聞いたと」
私は、それを聞いて静かに息を吐いた。
どうやら、かなり眉唾な話のようだ。
だいたい、もしも本当にゴールドサファイアが見つかったなら、それは大事件である。
北の鉱山であらたな鉱床が発見された場合、その調査を指揮した大貴族に採掘権が与えられるのが慣例だ。
その一つだけで、叔父が握っている鉱山利権を凌ぐ可能性がある。
……でも、もしも叔父がそれを手にいれていたら?
公爵家の力はより絶大になり、もはや逆らえるものは誰もいなくなるだろう。王家でさえも。
心配になって隣を見ると、レガート様は膝を組んだまま、つまらなさそうに別の方を見つめていた。
――レガート様は……あまり興味がなさそうね。
レガート様も、この話をよく出回るデマの一つだと思っているのだろう。
「もしも興味がおありでしたら、また新しい情報が入り次第、お知らせいたします」
「……ありがとう、お願いしたいわ」
フリオの申し出を、私はありがたく受け取った。
ゴールドサファイアの件もそうだけれど、せっかくなのでフリオと繋がりを持っていたかったのだ。
なにせ私は、離縁後は商売をする予定なのである。そして商売の世界はとにかく横の繋がりが大事。
と、話し込んでいる間に、オペラの開幕時間が近づいていた。
「長く引き留めてしまってごめんなさい、フリオ」
「いえ、お話ができてとても光栄でした」
「落ち着いたら、またご実家にも顔を出させてもらうわ」
席を立つフリオを見送りながら、私は笑顔で言った。
「ええ、ぜひ! お待ちしておりま……ひっ」
フリオもまた笑顔で答えかけて――表情を凍りつかせた。
その視線は私のすぐ背後に立つレガート様に向けられている。
――なに?
不思議に思って振り返ると、レガート様はきらきらと爽やかな笑みを浮かべていた。
うん……いつも通りの眩しさだわ。
なんて、目をチカチカさせる私の肩をレガート様が抱き寄せる。
「けれど、リタは忙しいから、なかなか落ち着くことはないかもしれないね」
ね? と、念押しをするようにレガート様。
「ええ……まあ」
圧を感じ、仕方なくそう答える。
するとレガート様は満足そうに頷いて、さっさとフリオを外に追い出してしまった。
二人きりなるなり、レガート様に後ろから抱きしめてくる。
「レガート様?」
「ねえ、リタ……私と離縁したら、あの男と一緒になるの?」
「は?」
思ってもみなかったことを言われ、間の抜けた声がもれた。
「落ち着いたらあの男の実家に顔を出すって言ってたよね? それって、そういうことじゃないの?」
「ひ、飛躍しすぎです! 言葉通り、ご挨拶に行くというだけです!」
彼の腕の中で、身をよじって振り返る。
レガート様は、顔をすっかり曇らせて私を見つめていた。
「……本当に?」
「本当です! フリオとはそういう関係ではありません! さっきも申し上げましたが、彼のことは兄のように思っていて……」
「兄!」
そこで、夏色の瞳がじとりと怒りを帯びた。
「えっと……レガート様?」
「そして、私は弟か……!」
ふいと、レガート様はまるで子どものように顔を反らした。
「次は、姉か妹でも出てくるんじゃないのか」
「なにを言ってるんですか……」
「もしかして、リタは私の気持ちを弄んでいる?」
鼻先が触れ合う距離でそう詰められ、私は思わず目を泳がせた。
――レガート様がなにに対して怒ってるのか、さっぱり分からないのだけど!
混乱していると、レガート様の顔がさらに近付いた。
もしかして……キスをされる?
「待って、待ってください! 外から見えてしまいます!」
ここは個室だが、舞台側に観覧口があるので、角度によっては周りからばっちり見られてしまう。
「それって、見えていなければいいってこと?」
「え?」
またも上ずった声が口から滑り落ちる。
レガート様はさっと私を抱き上げると、観覧口に向かいカーテンを閉めた。
――も、もうすぐ開幕なのに!
こんな時にカーテンを閉めていると、逆に目立ってしまう。
状況がのみ込めず、ただただ混乱する私を、レガート様は観覧用のソファにおろした。
そして、そのまま私を組み敷く。
「レガート様……」
作り物めいて整った顔が近付いてくる。
彼は、私が拒まないか確かめるように、まずは額をくっつけた。それから鼻、頬……。
――ダメって言わないと。
だけど、この唇が動かない。
私は……。
「……んっ」
戸惑っている間に、ゆっくりと唇が重なった。
それから、少し遅れて、心臓がどくんどくんと大きく鼓動する。
私はそこでようやく、胸が高鳴りを自覚した。
「リタ」
静かにキスを受け入れる私を、レガート様が堪えるような声で呼んだ。
「お願いだから、早く私の愛に捕まって」
そして、私の首筋に唇を寄せる。
するとちくっとした痛みがそこに走って、私は思わず甘い声を上げた。
「君を閉じこめて、逃げられないようにしてしまうのを……私はずっと我慢しているのに」
ホールから、壮大な演奏が響く。
オペラの幕が上がったのだ。
次いで聞こえるのは、美しく伸びやかな歌声。
赤いカーテン越しにそれを耳にしながら私たちは見つめ合い――二度目のキスを交わしたのだった




