15
王都の大通りに面したオペラ劇場は、建国以来の歴史を誇る格式ある建物だ。
白い外壁には絢爛豪華な装飾が施され、夜には無数の燭台が灯される。
その燭台に照らされた正面入り口のアーチをくぐると、すでに集まっていた貴族たちがざわめいた。
それというのも――
「リタ、そこに段差があるから気を付けて」
「はい……」
「今日のドレスと靴は、私が以前に贈ったものだよね? 慣れてなくて歩きづらいなら、席まで抱えていくよ」
「だ、大丈夫ですから……っ」
馬車を降りてからずっと、レガート様がこの調子だからである。
「あちらは、陛下と王妃殿下よね……?」
「とても仲睦まじいご様子だわ」
「陛下が舞踏会で『王妃を愛している』と宣言されたという噂は本当だったのね……!」
レガート様の蝶よ花よというエスコートを見た貴族たちが、ひそひそと話すのが聞こえる。
戴冠記念の宮廷舞踏会には一部の上流貴族しか招かれていなかったので、色々と噂だけ聞いていた人たちが驚いているのだ。
「ちょっと、レガート様! あまり目立つことはなさらないでください!」
「そう言われても、これも私の『努力』だから」
こそっと耳打ちした言葉に、レガート様がしれっと答える。
『努力』と言えば、私がなにも言い返せないと思ってるのよね……その通りなのだけど。
「でも、確かに他の男たちにリタを見られるのはイヤだな……さっさと観覧席に行こうか」
またそんな、冗談か本気かわからないことを……。
私はつい赤くなる頬を誤魔化すように、ゆっくりと周囲を見渡した。
劇場の中央には大きな大理石の階段があって、その広い踊り場には円柱が並び、燭台を掲げた精巧な彫像がそこかしこに佇んでいる。
さらに視線を上げた先に広がるのは、吹き抜けの天井に描かれた幻想的で美しい画。
「話には聞いておりましたが、本当に王宮のような華やかさなのですね……圧倒されます」
「普段、本物の王宮に住んでいるのに?」
「それはそれです」
「リタは、劇場は初めてだもんね」
「レガート様はいらっしゃったことがあるのですか?」
「学生時代に、他国の王族のもてなしで、何度かね」
他国から要人を迎える際は、このオペラ劇場でもてなすのが慣例なので、レガート様が一緒に観覧されることもあっただろう。『お飾りの王妃』がその場に招かれたことは一度もないわけだけれど……。
――ふうん、そう、レガート様は初めてではないのね。
なんとなくそれを寂しく感じてしまうのは……劇場の空気に当てられて、少しばかり気持ちが浮き立っているせいだろう。
離縁をかけた勝負が始まってから、二ヶ月が過ぎた。
私は変わらず、レガート様からの溺愛攻撃をやり過ごす日々を送っている。
そんななかレガート様からオペラデートに誘われたのは、数日前のこと。
それが『努力』なら断れない、というのは実は建前。
オペラには以前からずっと憧れていたから、正直なところ、私はとても嬉しかった。
とはいえ公式訪問となると大変だし、叔父の目もあるので、ひっそりとお忍びでの観覧を希望していたのだけど……。
『せっかくのデートだし、王室の観覧席は使わせてもらおう。その方が劇場側も警備をしやすい』
というレガート様の意見で、完全なお忍びとまではいかず、非公式での観覧という形になった。
結果、居合わせた人たちにはばっちり訪問を知られてしまった。
劇場の大階段を上りながら、私はそっとレガート様に視線を向けた。
今夜のレガート様は、襟と袖口に金糸の刺繍が入った黒いロングコートに、同じく刺繍入りの赤のベストを合わせている。戴冠式のときほど格式ばってはいないけれど、とても華やかな正装姿で……素敵だと思う。
金色の髪は後ろへ撫でつけられ、整った顔立ちがより際立って見える。
ちなみに、私も今日は観劇用の華やかなドレスを纏っている。淡いピンクのシルク生地に白いレースを重ねたドレスは、以前レガート様が贈ってくださったもの。
髪も軽く結い上げて、いくつか飾りを添えている。
そんな、いつもと少し違う装いも、心が落ち着かない原因の一つかもしれない。
――でも、問題はないわ。
私はさりげなく拳を握った。
レガート様の前で常に冷静さを保てるよう、私も色々対策を立てているのだ。
例えば頭のなかで羊を並べ、その数を二、三、五、七……と素数の順に増やしていく。
すると自然と心が落ち着いていくのである。
その効果は絶大で、レガート様と一緒に過ごす夜も、これでいつの間にか眠れてしまうぐらいだ。
いまも……うん、落ち着いてきた、気がするわ。
「ほら、リタ、あまりぼんやりしていると危ないよ」
羊を数えすぎて躓きそうになった私の腰を、レガート様が引き寄せる。
「も、申し訳ありません……っ」
慌てて謝るけれど、頭のなかはレガート様と密着していることでいっぱいだった。
ああ、数えていた羊が散り散りになっていく。
――私ったら本当に、しっかりしなさいよ。
そう思っているのだけど、この心がなかなか言うことを聞いてくれないのだ。
レガート様と添い寝をするようになった夜から、私のなかで確実になにかが変わり始めていた。
「ですから、あの宝石が採れる鉱床を、どこかの貴族が見つけたらしいという噂があるんです」
「その話なら自分も聞いたが……ただの噂じゃないのか?」
「でも、もしも本当なら市場も一変しますよ……だって、あのゴールドサファイアですよ!」
大階段を登り切ったところで、そんな会話が聞こえてきた。
「ゴールドサファイア?」
その石の名前に覚えがあり、私は思わず足を止めた。
見ると、一般ホールの入り口付近で身なりのよい男性が二人、立ち話をしている。
その一人――赤い髪と榛色の瞳をした若い青年の顔を見て、私はぱちっと目を瞬かせた。
「もしかして、フリオ?」
呼びかけると、向こうもこちらを振り返った。
「……リタ?」
彼は驚いた顔で私の名前を呼ぶと、訝しげに視線を上下に動かし、私の身なりを確かめた。
それから隣に立つレガート様と、周囲の物々しい警備を順に見つめる。
「そういえば……今日は国王夫妻が観覧に訪れるらしいって聞いたけど……」
「ええ、私たちのことだわ」
頷くと、フリオの顔が見る見る間に青ざめていった。
「つまり……えっ……リタが……王妃?」
「そうなの……色々あって、そういうことになっているわ」
混乱するフリオに、くすっと笑みをこぼして答える。
「では、こちらは国王陛下……!」
恐縮のあまり、お腹に額がつきそうな勢いでフリオが腰を曲げる。
すると、それまで黙って話を聞いていたレガート様が口を開いた。
「リタ、そろそろ私にも紹介してくれないだろうか……そちらは?」
「あ、申し訳ありません! 彼の名前はフリオ・リクセント……私の幼なじみです」
「……幼なじみ?」
答えると、レガート様が美しい形の眉を寄せた。
「つまり、私より古い知り合いということ?」
「まあ……市井で過ごしていたときの友人ですので、そうなりますね」
「……ふうん」
レガート様はそっけなさそうに頷いてから、朗らかな笑みを浮かべた。
「なら、つもり話もあるだろう? こんなところで立ち話もなんだし、私たちの観覧席に来るといい」
「お、おおお、王室のですか!?」
レガート様の提案に、フリオが激しく声を上ずらせる。
フリオは平民だもの。本来なら国王陛下にお目通りする機会すらない立場なので、それはびっくりするわよね……。
ただ、私も彼に聞いてみたいことがあったので、ここはレガート様の提案に甘えることにした。
「まだ開演まで時間もあるし……フリオ、ダメかしら?」
「いや、ダメなわけはないですが……自分のようなものが、本当に良いのかと」
うろたえるフリオに是非と答えて、私たちは王室の観覧席に向かった。




