閑話
私の名前はアンネ・ロスイング。
つい先日、王妃殿下に正式にお仕えすることが叶い、侍女長を拝命したものである。
この胸はいま、誇らしさで満ちている。
私と弟のジルは、いまでこそロスイングの家名を名乗っているが、もとはしがない子爵家にすぎない。
子爵領は北方の王領近くにあって、私たちは代々鉱石の採掘を生業としてきた。その専門知識の高さと採掘技術を見込まれ、祖父の代にロスイング侯爵家との縁談が組まれ、両家は縁戚となったのだ。
さらに時がたち、ロスイング侯爵家から王妃が出ると、一族は栄華を極めた。
そしてその間、私たち一家は徹底して領地に引きこもった。
『こんな状況が長く続くはずがない……すぐにダメになるよ』
そう言ったのはジルだけれど、家族の総意でもあった。
想定通り、数年で王妃の悪事が露見をして侯爵家は失脚、甘い汁を啜っていた親族も徹底的に粛正された。
私たちも侯爵家の縁戚としてなんらかの処罰を覚悟していたけれど、結果としてお咎めはなかった。
それどころか、断絶の危機にあったロスイング侯爵家を継ぐように命じられたのである。
ロスイング侯爵家派の貴族を掌握するためには、侯爵家の『存続』が望ましいという、レガート殿下の口添えがあったらしい。
私たち家族は王都へ移り住み、ジルは王立学園へ進学した。
私も、進む道を考えなくてはならなかった。子爵領には鉱山での作業を守る為の特殊警備隊があって、私もその一員として働いていた。好きな仕事だったが、さすがに侯爵令嬢という身分になっては続けられない。
一応縁談もあったが、こちらの足元を見たような、ろくでもない相手ばかり。
そんな折、レガート殿下からお声がかかった。
『侍女として王宮に潜入し、リタの様子を報告してほしいんだ』
聞けば王太子妃であるリタ様は、色々と難しい立場に置かれているようだ。
貴族たちの派閥争いに翻弄されているのは私も同じで、僭越ながら、私はリタ様に共感を覚えた、
私で良いなら、ぜひ力になりたい。
しかしながら、仕える主人の情報を、たとえ殿下といえどひそかに流すのはいかなものか……。
私は少し考えてから口を開いた。
『事情は理解しました、お引き受けいたします。ただ、一つだけ条件が』
『どうぞ、なんでも言ってくれ』
『堂々と王妃殿下にお仕えできる日が訪れましたら、私は王妃殿下ただお一人に尽くします。それでよろしければ、お引き受けいたします』
期限を区切り、時が来れば王妃殿下のみに仕える。
これならば、私も自分なりの筋を通せるだろう。
私は身分を偽って王宮にあがった。
リタ様が素晴らしい人物であることは、お仕えをしてすぐに分かった。
リタ様は部屋にこもりきりの国王陛下、そしてまだ学生であられるレガート殿下の代わりに、それはおおくの公務をされていた。それこそ寝る間も惜しんで、国家国民のために尽くしておられた。
その頃になると、私もリタ様をとりまく状況を大方把握していた。
公爵閣下はいずれ娘を王妃にするつもりで、あえてリタ様を孤立させていること。
レガート殿下はそれに対抗する力をつけるため、その意に沿うふりをしていること……。
それでもリタ様は弱音も吐かず、恨み言も言わず、いつも前を向いておられる。
その姿に、私は胸を打たれた。
――立派なお方だわ。
さらに、リタ様はとても優しい心を持っておられる。
子どもたちへの福祉活動にとても熱心で、私財を惜しまず支援をされている。
そして末端の侍女である私を名前でよび、些細なことでも労りの言葉をかけてくださる。
先代王妃は国の財を浪費し、国民はそのしわ寄せで苦しみを強いられた。
王妃には資質が求められ、そしてリタ様にはそれが備わっていると感じられた。
――私は、リタ様にこそ王妃になっていただきたいわ。
いつしか私は、心からリタ様にお仕えしたいと願うようになっていたのだった。
そして今。
晴れて王妃となられたリタ様にお仕えできることを、私は心から喜びに感じていた。
この先は、これまで以上に……身命を賭して王妃殿下にお仕えする所存だ。
たとえそれが、陛下に背くことになろうとも――。
この数年、陛下と王妃殿下のお側に仕えてきて、ひとつ確信したことがある。
陛下の王妃殿下への執着は異常だ。病的といってもいい。
――陛下は、たとえリタ様の心を失ってでも離縁を避けようとしておられる。
その意に反して王妃殿下が離縁をのぞんだら、陛下は王妃殿下を閉じこめておしまいになるのではないだろうか。
リタ様こそが王妃に相応しいという私の思いは変わらないけど、もしものときは全力で陛下のもとからお逃がしする覚悟である。
――の、だけれど。
このたび、陛下は王妃殿下に離縁をかけた勝負を持ちかけたようだ
てっきり陛下は問答無用で王妃殿下を監禁するつもりと思っていたので、少し驚いた。
それを見越して、私も鍵を破るための技術を身につけ、逃走経路も準備していたが、いったんは使わずにすんだ。
しかしまだ油断は禁物。
陛下は王妃殿下と寝所を共にすることを望まれ、それからずっと同じ部屋で眠っている。
いまは、それ以上のことはないようだけれど……
あの陛下のことだ、子を授かれば王妃殿下は逃げられないと考えているかも。
もし王妃殿下に助けを求められたときには、すぐに動けるようにしておかねばならない。
もっとも、そうして王妃殿下をお逃がしした結果、オスティナ様が王妃になるのは臣下として受け入れがたいのだけれど――
「お前たち、私を誰だと思っているの?」
ちょうど王妃殿下の部屋へ向かう途中だった私は、聞こえた声に足を止めた。
視線を向けると、王族の居住区に続く廊下の前で、衛兵二人に制止されているオスティナ様の姿があった。
「わたくしは、お従姉さまに話があって来たの、いいから通しなさい!」
「しかし……陛下より、オスティナ様をお通ししてはならぬと命を受けております」
「陛下がそのような命令を出すわけがないでしょう! 無礼者!」
なんという非常識……臣下の身でありながら王宮に上がり込み、怒鳴り散らすなんて。
とはいえ、あの舞踏会からもうひと月が経つ。
正直、オスティナ様はもっと早く押しかけてくると思っていた。
おそらく公爵様の判断で、しばらく様子を見ることになっていたのだろう。
いまはなにか状況が変わったのか、はたまたオスティナ様の暴走か。
――多分、どちらもね。
陛下と王妃殿下が寝室を共にされているという噂は、徐々に広まりつつある。
オスティナ様にとっては屈辱だろうし、公爵様としても、お二人の間にお子ができることは看過できないはず。
そろそろ、何らかの動きがあってもおかしくない頃合いだった。
「いいから通しなさい! お前たちの首など、お父さまの一声で、すぐに刎ね飛ばせるのよ!」
その怒声に、衛兵たちが身を竦ませる。
……なにか助け船が必要かもしれない。
私はさっと、オスティナ様の側にある飾り棚に目を向けた。
懐からコインを取り出し、指で弾いて、棚に置かれた花瓶の底に当てる。
カチンッ――軽い音はオスティナ様の声にかき消され、目立たない。花瓶はぐらりと揺れ、一瞬の間を置いてからオスティナ様のドレスに向かって倒れた。
「きゃっ、なに!」
裾に水がかかり、オスティナ様の悲鳴が響く。
侍女たちが慌てて駆け寄るのを横目に、私は静かに息を吐いた。
これでも元鉱山警備隊の一員、この程度は朝飯前である。
「また来るわ! 覚えていなさい!」
オスティナ様が捨て台詞を残して去っていく。
その後ろ姿に、私はわずかに眉を寄せた。
――本当に、また来るのでしょうね。
そんな確信が胸をよぎる一方。
このような技術を、王妃殿下の脱獄のために使わずに済むことを願ったのだった。




