14
学園に入学すると、私は予定していた通りリタを遠ざけ、代わりにオスティナを傍に置いた。
幸い、ロバートもオスティナも私の心変わりをすんなりと信じた。
彼らが王宮に出入りするようになったのは、王妃の処刑後だ。それまで私とリタがどのように過ごしていたかを、彼らは知らない。
誤算といえば、オスティナの鬱陶しさだ。
こちらが好意的な態度を見せるたびに、オスティナは図に乗っていく。
甘ったるい声で私の名を呼び、腕を絡ませ、寄り添い、手を握る。
周りには『殿下が私を特別扱いしてくださるの』と言いふらし、まるで婚約者のような振る舞い。
これまで年頃の女性といえばリタしか知らなかったから、オスティナの馴れ馴れしさにはひどく消耗させられた。
――疲れる。
自分が仕向けていることとはいえ、気持ちが悪かったし、触れられるたびに鳥肌がたった。
ただ、それを見て傷ついた表情を浮かべるリタを見たときは、正直、胸がすく思いがした。
もっと傷ついて欲しい。
私を捨てようとしたことを後悔して欲しい。
やっぱり私が必要だと言って欲しい。
けれどそんな私の願望とは裏腹に、リタはかすかに笑い、そっと背を向けただけだった。
――痛い。
リタの心が離れていくのが手に取るようにわかった。
覚悟をしていたとはいえ、それは体を二つに裂かれるような痛みを伴った。
――駄目だ、絶対に逃がさない。
逃がすものか。
出来るだけ早く、リタを閉じこめるための鳥かごを作らなければ。
その為にはまず、美しい鳥を狙う邪悪な蛇を踏み潰さなければならない。
私はロバートに対抗する力を得るため、まずはジルに近付いた。
先代王妃の処刑に伴う、ロスイング侯爵家の大粛正。ジルはその親族でありながら、家族ともども難を逃れている。
彼らが極めて有能で、危機管理に優れているのは疑いようがない。
私が彼らにロスイング侯爵家を継がせるように仕向けたのも、味方に取り込むことを考えてのことだった。
まずは友人として接するつもりだったが、ジルはすぐに私の意図に気づいたようだった。
『私は殿下を虐げた先の王妃の一族なのですが……それを味方に取り込むのですか?』
さすがに勘がよい。
私が頷くと、ジルは驚いたように目を瞠った。
『率直に聞きますけど、うちを叩き潰したのは殿下でいらっしゃるのでは?』
『おかげで、悪い膿は出きったのでは?』
肩を竦めて答えると、ジルは楽しそうに声をあげて笑った。
『わかりました……なにを企んでいるか知りませんが、協力してもいいですよ』
それから私はジルとともに、密かに仲間を集めていった。
オルディ公爵家と敵対するもの、恨みを持つもの。
弱みを持つもの、野心があるもの。
彼らを言葉巧みに取り込み、ときに脅し、または正当な利を持って説き伏せていく。
意外だったのは、ただ私への忠誠心を持って味方についてくれる貴族が、特に同年代に多くいたことだ。
古い家臣にも、父に失望して王家から心が離れていたが、私のためにならまた働いても良いと言ってくれるものもいた。
どうやら私には、人を引きつける力があるらしい。
リタ以外に興味がないので知らなかったが、これは良い誤算だった。
もちろん、そうしている間にもリタのことが頭を離れることはなかった。
リタは私より二年早く学園を卒業してしまう。彼女の動向をより深く知る手段が必要だ。
そんなことを考えていた折、ジルから提案があった。
『ぼくの姉にアンネという人がいて、とても優秀な人なんだけど、色々あったせいでいまは無職なんだ。王太子妃殿下の侍女としてどうかな』
それを聞き、さっそく彼女に会ってみると、なるほど確かに優れた人物だった。
彼女は、私の短い説明で自分の任務を正確に把握した。
『つまり、公爵閣下に目をつけられぬよう、王太子妃様を陰からお支えしつつ、その状況を逐一陛下にお伝えせよということですね?』
『そういうことだね』
『……殿下は、王太子妃殿下のことが心配なのですね』
アンネはそう言うと、力強く頷いた。
『事情は理解いたしました……ただ、お引き受けするのには一つだけ条件が』
『どうぞ、なんでも言ってくれ』
『堂々と王太子妃殿下にお仕えできる日が訪れましたら、私は王太子妃殿下ただお一人に尽くします。それでよろしければ、お引き受けいたします』
てっきり金銭面や労働条件の話かと思ったけれど、アンネは筋を通す人物のようだった。
――好都合だな、少なくとも、それまでは私の意図に従ってくれるということだから。
私は『もちろん、それで構わないよ』と答えた。
そして時は流れ――卒業を半年後に控えた頃、父が亡くなった。
先代王妃の処刑をきっかけに衰弱していたが、最近になって重い病を患い、そのまま息を引き取ったようだ。
とてもありがたいことだった。
ロバートと戦うのに、私の立場が不安定なことがずっと気がかりだったのだ。
――なかなか良い時期に死んでくれたな。
父に感謝をしたの生まれて初めてだ。
私は上機嫌で葬儀に参加をした。そこで見た父の死に顔は、記憶にあるのとはまるで別人だった。
骨と皮だけとはまさにこのこと。
父が病にかかってからは、まだ日が浅い。だというのにこの様は――妻を失ったあと長く憔悴したせいだろう。
その哀れな亡骸に、私は薄らと笑みを浮かべた。
私を愛さない父だった。
一度たりとも抱きしめられたことはない。
手を繋いだこともなければ、頭を撫でられたことも、優しい言葉をかけてもらったことすらない。
けれどこの時は、なんの怒りも恨みも湧いてこなかった。
ただ父との間に、深い血の繋がりを感じるのみだ。
――いまならわかります、父上。
父は、義母のこと以外、本当にどうでもよかったのだ。
彼女だけが世界の全てだった。
どういった気持ちで一度彼女と別れ、私の母と結婚し、子どもを作ったのかは分からない。
けれど彼女と再婚したとき……いや、彼女を愛人として王宮に囲ったときに、父はきっと決めたのだ。
なにがあっても彼女を手放さないし、その為なら他の全てを不幸にしても構わないと。
『……私は、確かにあなたの息子でした』
痩せこけた父の冷たい頬を撫で、そう声をかけた。
胸に横たわるのは、愛する者を失った彼への深い同情。
そして――
父の哀れなその亡骸は、いつか自分が辿る末路かもしれないという、抗いがたい恐怖だった。
戴冠式を終え、即位を果たすと、私の準備はあらかた整った。
私はまずリタに真意を打ち明け、舞踏会で彼女を愛していることを宣言した。
ロバートへの宣戦布告である。
そうそう、そこでオスティナがリタの不貞を断罪しようとしたのには少し驚いた。
あんな場所で騒ぎを起こすなど、浅慮と言うほかない。
ロバートがダントン伯爵を使ってリタの不貞をでっち上げようとしていることは事前に掴んでいたし、伯爵はすでにこちらに落ちていたので、なんら支障はなかったけれど。
伯爵については、たとえ嘘でもリタの不貞役になるなんて許せるはずがなく、すでに国外に追放して大変痛い目に合ってもらっている。
そうした一連の騒動のあと、リタの動向を監視させていたアンネが私の執務室に報告にやってきた。
ちなみに彼女が私に協力してくれるのは、この日までという約束である。
『陛下が予想されたとおり、公爵閣下は王妃殿下を宮廷の庭に呼び出し、離縁せよと命じられました』
それを聞いて、私は静かに頷いた。
――やはり、最優先はロバートの排除だな。
それがリタを手に入れるための絶対条件だ。
『王妃殿下もそれをご納得された様子でした』
そして、続いたアンネの報告にはため息が落ちた。
――だろうね。
リタがそう答えることは分かっていたが、それでも、焦りが胸を灼いた。
ロバートに気を取られている間に、リタが私の目を盗んで逃げてしまうかもしれない。
――うん、もう閉じこめてしまおう。
閉じこめて、鎖でつないで、二度と外にださない。
いずれそうするつもりだったけれど、このタイミングかもしれない。
――だけど、それを実行したら、彼女は私を許さないだろうな……。
リタの様子からして、私のことはいまでも『弟』ぐらいには思ってくれているようだ。
あまり横暴な振る舞いをすれば、その心すら失うことになる。
と、いまさら彼女の心が惜しくなっているのは、先ほどの舞踏会のせいだった。
彼女と踊ったとき、私は少し夢をみてしまったのだ。
もしもリタが私を愛してくれたなら、どれだけ幸せだろうかと。
――いや。
脳裏に、哀れな父の亡骸がよぎる。
余計な未練を出して、リタに逃げられてはすべてが台無しになる。
やはり、はじめに決めた通り、リタの心は諦めて、閉じこめてしまうほうがいい。
ああ、けれど……。
――もしも手に入るものなら、私はやっぱり、リタの心も欲しい。
その後、あらためて離縁を切り出しにきたリタを、そのまま閉じこめてしまおうか迷って、迷って、迷って――。
――そうだ、期限を決めよう。
ふいに、そう思いついた。
ようは彼女が逃げ出さなければそれでいいのだ。
期限を区切り、褒美をちらつかせる。
その間に彼女の心が手に入れば良いし、だめなら閉じこめてしまえばいいのだ。
私は静かに笑みを浮かべた。
『……ひとつ勝負をしないか? リタ』
まあ、どちらに転んでも、逃がすつもりはないのだけれど。




