11
慰問を終えた、その夜。
寝室でアンネに髪に櫛を通してもらっていると、別の侍女がやってきて頭を下げた。
「陛下からの伝言にございます。本日、陛下は王妃殿下の寝室でお休みになられるとのことです」
「ええっ!?」
思わず声をひっくり返した。
私たちは普段、それぞれ専用の寝室で休んでいる。
そして国王が『王妃の部屋で休む』というのは、つまり……そういうことだろう。
自分の顔が真っ赤になっていくのがわかる。
なにしろ私たちが夫婦になってからこの九年、体の関係を持ったことは一度もない。
結婚したときはお互いにまだ子どもだったから初夜もなかったし、成長してからは――少なくとも私は、『仮初めの妻』としてそういう関係は避けるべきだと考えていた。
だいたい、ここ三年はレガート様から距離を置かれていたもの。
私は口元に手をあてると、忙しく瞳を左右に動かした。
……もしかして、これもレガート様の『努力』の一環なのかしら?
でも勝負を始めてからもうひと月も経っているのに、どうしていま?
いや待って、それよりこれがレガート様の『努力』なら、私は断れないのでは?
ああ、駄目……少し落ち着かないと。
「王妃殿下……お気持ちに沿わないようでしたら、私から陛下にお伝えいたします」
あからさまに動揺する私を見て、アンネが心配そうに声をかける。
私はしばし悩んでから、首を横に振った。
勝負は勝負だけれど、『こういうこと』は軽々に行うことではないと思うの。子どもが出来ることだってあるんだもの……離縁をするかしないかというときに、覚悟もなく関係をもってはいけないわ。
そこをレガート様に話さないと!
私はパンッと両手で顔を叩いた。しっかりしなさい、リタ。レガート様の勢いに押されているだけではダメよ。
――と。
一度は覚悟を決めたものの、いざレガート様がこちらへ向かっていると知らされると、心臓がバクバクした。
だって、今日までまったく、想定すらしていなかったんだもの。仮でも夫婦なのだから、それもそれでおかしいと言われたらその通りだけれど……九年もなにもなかったから、気を抜いていたというか、なんというか。
レガート様とそういう雰囲気になるかもしれないというだけで、たいへん緊張してしまう。
ほどなく、扉をノックする音がして、私はその場で飛び上がった。
「リタ?」
すぐに反応できず、レガート様に呼びかけられる。
……仕方がない。
話をすると決めたのだから腹を括らないと。
深呼吸をしてからドアノブに手をかける。こわごわと開くせいか、扉からはギィときまずそうな音が響いた。
「お待たせいたしました……」
私の顔をみたレガート様が、思わずとばかりに笑い声を漏らす。
「そんなに怖がらないでよ、リタ。いきなり襲いかかったりはしないから」
いきなりでなければ襲いかかることもあり得るということかしら。
いまのレガート様なら、ちょっとありえそうで怖いわ。
「……どうぞ」
ひとまずなかに招き入れると、レガート様はゆっくりと部屋を見渡し、壁際中央に置かれたベッドで視線をとめた。
それだけでドキッとしてしまう自分が恥ずかしいやら、情けないやら。
「あの……レガート様」
「うん?」
「やっぱり……今日はこちらでお過ごしになられるのですか?」
「そう伝えたつもりだけど」
にこりと微笑むレガート様に、私はぎゅっと手を握った。
よし、ちゃんと言おう。
「た、確かに、私はレガート様の『努力』をすべて受け入れると約束しました。しかし、もしも子どもができてしまったら、ことは私たちだけの問題ではおさまりません。子どものことだって不幸にしてしまうかもしれません。ですから」
ああ、すごく早口になってしまう。
「子ども?」
「そうです、そういった行為は、本来子どもを授かるために行うもので……っ」
そこまで言葉を並べたところで、レガート様が片手で顔を覆って俯いた。
一瞬、吹き出したのかと思ったけれど……。
「ごめん……いや、そこまでは考えてなかったから」
すぐに照れくさそうな声がして、私はきょとんと目を丸くした。
「え?」
「いや……今日、孤児院で子どもたち触れ合って、私も昔のことを思い出したんだ……例えば、リタがよく添い寝をしてくれていたこととか」
確かに、私たちに『そういう関係』はなかったけれど、結婚してすぐの頃はよく一緒に眠っていた。レガート様が少しでも安心できるように――というのは半分建前。本当は私が寂しかったのだ。お母さまのもとを離れて王宮にやってきて、不安でたまらなかった。
当時も寝室は別々だったけれど、まだ子どもだったのもあって、周囲も私たちがどこで寝るのかはさほど気にしていなかった。
「だから今日は、一緒に添い寝をしたいと思っただけだよ」
顔をあげ、ひとつ咳払いをするレガート様。
――今日は、一緒に添い寝をしたいと思っただけ……。
その言葉を脳内で反芻してから、私は顔を真っ赤にした。
「っ、さ、さささ、さようでございましたか!」
ひとりで先走って、勘違いをして、恥ずかしいったらない。
いやでも、私の寝室で休むって言われたら、普通はそういうことだと思うでしょう!
「リタ……」
レガート様が、そっと私の手をとる。
「絶対に襲ったりしないって誓う。ただ、君と一緒に眠るだけ……もちろん、それも嫌なら大人しく部屋に戻るよ。勝負のことは気にしないで」
縋るように青い瞳を向けられ、私はうっと息を呑んだ。
「そ……添い寝ぐらいなら」
気がつけば私はそう言ってしまっていた。
動揺していたにしても、我ながらレガート様に甘い。
「ありがとう、リタ」
嬉しそうな声とともに、ふわりと優しい香りが私を包んだ。
同時に、心地良い温もりを感じる――レガート様に抱きしめられたのだ。
「れ、レガート様……」
私は咄嗟に腕から逃れようとしたけれど、レガート様の力が思いのほか強くて抜け出せない。
「すごく嬉しいよ」
頭にキスが落ちてくる。
それにドキドキする間もなく、レガート様は私を横抱きにしてベッドへと運んだ。
体が沈み込む感覚とともに、腕のぬくもりがそっと離れていく。それにほっとしたのもつかの間。レガート様は私に覆いかぶさり、鼻先が触れそうなほど顔を近づけてきた。
キスをされる? と身構えたその時、
「さっき、リタが言ったことだけれど」
レガート様が真剣な表情でそう言った。
「……え?」
「子どもができるから、行為をするのは駄目だっていっただろう?」
「ああ、はい……」
「あれは、子どもができなければ、リタを抱いてもいいってこと?」
「は?」
「リタは、私に抱かれること自体はいやじゃないってことだよね?」
――そういえば、考えもしなかったわ。
レガート様に抱かれるのが嫌かどうか。
裏を返せば、わざわざ考えるほどの嫌悪感を抱かなかったということ。
そのことに今さら気付いて、私は大きく目を見開いた。
『家族』だ『弟』だと言いながら、私は……。
「あ……私は……」
夏色の眼差しが私を見つめている。嘘を許さない強さで。真っ直ぐに。
「その……」
狼狽える私の頬に、レガート様がそっと手のひらで触れる。大きな手、そして長い指だ。子どもではない、大人のひとの手のひら。
――昔と同じように添い寝ができると、どうして思ったのかしら。
レガート様も私も、もう子どもではないのに。
心臓が壊れそうほど早鐘を打っている。次に、レガート様は私の髪に触れた。柔らかな絹を撫でるように、そっと。それから再び顔を近づけ――優しく私の額にキスをした。
「なにもしないよ、言っただろう」
仕方がなさそうにレガート様が笑う。
私は張り詰めていたものがほどけるのを感じ、全身からほっと力を抜いた。
そう言うと、レガート様は「う~ん」と考える素振りをしてから、私をぎゅっと後ろ抱きにした。
「これならどう? 顔は近くないよ」
いや、顔どころか、全身が密着してしまっておりますが!?
「いえ、これも十分に問題が」
「なら、やっぱり正面から抱きしめるほうがいいかな……」
どうして、抱きしめるのが前提なの!?
そう言いたいけれど、ドキドキしすぎてうまく言葉が出てこない。
背中にレガート様を感じる。固く、引き締まった体。細身に見えるのに、しっかりと鍛えられているのがわかる。
「子どものころは、リタがよく子守歌を歌ってくれたね」
「そ、そうでしたか……?」
「うん、だから今夜は、子守歌のかわりに私が愛を囁くよ」
「え?」
その言葉に驚いて振り返ると、レガート様がとても優しい表情で私を見つめていた。
「愛してるよ、リタ」
君だけを――低く、静かに囁かれた言葉に、私は思わず息を呑んだ。
心臓がもたない……!
ぱっと前を向き、必死に平静を保とうとするけれど、背中に感じる体温がそれを許してくれない。
レガート様がそっと耳元に顔を寄せる。
そしてさらに甘い声で囁いた。
「リタが好きだ。ずっと、いままでも、これからも。君を愛してる」
――眠れるはずがないわ!
ぎゅっと目を閉じる。
認めるしかないみたい……今夜の『勝負』も、どうやら私の完敗のようだと。




