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 慰問を終えた、その夜。

 寝室でアンネに髪に櫛を通してもらっていると、別の侍女がやってきて頭を下げた。


「陛下からの伝言にございます。本日、陛下は王妃殿下の寝室でお休みになられるとのことです」

「ええっ!?」


 思わず声をひっくり返した。

 私たちは普段、それぞれ専用の寝室で休んでいる。

 そして国王が『王妃の部屋で休む』というのは、つまり……そういうことだろう。

 自分の顔が真っ赤になっていくのがわかる。

 なにしろ私たちが夫婦になってからこの九年、体の関係を持ったことは一度もない。

 結婚したときはお互いにまだ子どもだったから初夜もなかったし、成長してからは――少なくとも私は、『仮初めの妻』としてそういう関係は避けるべきだと考えていた。

 だいたい、ここ三年はレガート様から距離を置かれていたもの。

 私は口元に手をあてると、忙しく瞳を左右に動かした。

 ……もしかして、これもレガート様の『努力』の一環なのかしら?

 でも勝負を始めてからもうひと月も経っているのに、どうしていま?

 いや待って、それよりこれがレガート様の『努力』なら、私は断れないのでは?

 ああ、駄目……少し落ち着かないと。


「王妃殿下……お気持ちに沿わないようでしたら、私から陛下にお伝えいたします」


 あからさまに動揺する私を見て、アンネが心配そうに声をかける。

 私はしばし悩んでから、首を横に振った。

 勝負は勝負だけれど、『こういうこと』は軽々に行うことではないと思うの。子どもが出来ることだってあるんだもの……離縁をするかしないかというときに、覚悟もなく関係をもってはいけないわ。

 そこをレガート様に話さないと!

 私はパンッと両手で顔を叩いた。しっかりしなさい、リタ。レガート様の勢いに押されているだけではダメよ。


 ――と。


 一度は覚悟を決めたものの、いざレガート様がこちらへ向かっていると知らされると、心臓がバクバクした。

 だって、今日までまったく、想定すらしていなかったんだもの。仮でも夫婦なのだから、それもそれでおかしいと言われたらその通りだけれど……九年もなにもなかったから、気を抜いていたというか、なんというか。

 レガート様とそういう雰囲気になるかもしれないというだけで、たいへん緊張してしまう。

 ほどなく、扉をノックする音がして、私はその場で飛び上がった。


「リタ?」


 すぐに反応できず、レガート様に呼びかけられる。

 ……仕方がない。

 話をすると決めたのだから腹を括らないと。

 深呼吸をしてからドアノブに手をかける。こわごわと開くせいか、扉からはギィときまずそうな音が響いた。


「お待たせいたしました……」


 私の顔をみたレガート様が、思わずとばかりに笑い声を漏らす。


「そんなに怖がらないでよ、リタ。いきなり襲いかかったりはしないから」


 いきなりでなければ襲いかかることもあり得るということかしら。

 いまのレガート様なら、ちょっとありえそうで怖いわ。


「……どうぞ」


 ひとまずなかに招き入れると、レガート様はゆっくりと部屋を見渡し、壁際中央に置かれたベッドで視線をとめた。

 それだけでドキッとしてしまう自分が恥ずかしいやら、情けないやら。


「あの……レガート様」

「うん?」

「やっぱり……今日はこちらでお過ごしになられるのですか?」

「そう伝えたつもりだけど」


 にこりと微笑むレガート様に、私はぎゅっと手を握った。

 よし、ちゃんと言おう。


「た、確かに、私はレガート様の『努力』をすべて受け入れると約束しました。しかし、もしも子どもができてしまったら、ことは私たちだけの問題ではおさまりません。子どものことだって不幸にしてしまうかもしれません。ですから」


 ああ、すごく早口になってしまう。


「子ども?」

「そうです、そういった行為は、本来子どもを授かるために行うもので……っ」


 そこまで言葉を並べたところで、レガート様が片手で顔を覆って俯いた。

 一瞬、吹き出したのかと思ったけれど……。


「ごめん……いや、そこまでは考えてなかったから」


 すぐに照れくさそうな声がして、私はきょとんと目を丸くした。


「え?」

「いや……今日、孤児院で子どもたち触れ合って、私も昔のことを思い出したんだ……例えば、リタがよく添い寝をしてくれていたこととか」


 確かに、私たちに『そういう関係』はなかったけれど、結婚してすぐの頃はよく一緒に眠っていた。レガート様が少しでも安心できるように――というのは半分建前。本当は私が寂しかったのだ。お母さまのもとを離れて王宮にやってきて、不安でたまらなかった。

 当時も寝室は別々だったけれど、まだ子どもだったのもあって、周囲も私たちがどこで寝るのかはさほど気にしていなかった。


「だから今日は、一緒に添い寝をしたいと思っただけだよ」


 顔をあげ、ひとつ咳払いをするレガート様。


 ――今日は、一緒に添い寝をしたいと思っただけ……。


 その言葉を脳内で反芻してから、私は顔を真っ赤にした。


「っ、さ、さささ、さようでございましたか!」


 ひとりで先走って、勘違いをして、恥ずかしいったらない。

 いやでも、私の寝室で休むって言われたら、普通はそういうことだと思うでしょう!


「リタ……」


 レガート様が、そっと私の手をとる。


「絶対に襲ったりしないって誓う。ただ、君と一緒に眠るだけ……もちろん、それも嫌なら大人しく部屋に戻るよ。勝負のことは気にしないで」


 縋るように青い瞳を向けられ、私はうっと息を呑んだ。


「そ……添い寝ぐらいなら」


 気がつけば私はそう言ってしまっていた。

 動揺していたにしても、我ながらレガート様に甘い。


「ありがとう、リタ」


 嬉しそうな声とともに、ふわりと優しい香りが私を包んだ。

 同時に、心地良い温もりを感じる――レガート様に抱きしめられたのだ。


「れ、レガート様……」


 私は咄嗟に腕から逃れようとしたけれど、レガート様の力が思いのほか強くて抜け出せない。


「すごく嬉しいよ」


 頭にキスが落ちてくる。

 それにドキドキする間もなく、レガート様は私を横抱きにしてベッドへと運んだ。

 体が沈み込む感覚とともに、腕のぬくもりがそっと離れていく。それにほっとしたのもつかの間。レガート様は私に覆いかぶさり、鼻先が触れそうなほど顔を近づけてきた。

 キスをされる? と身構えたその時、


「さっき、リタが言ったことだけれど」


 レガート様が真剣な表情でそう言った。


「……え?」

「子どもができるから、行為をするのは駄目だっていっただろう?」

「ああ、はい……」

「あれは、子どもができなければ、リタを抱いてもいいってこと?」

「は?」

「リタは、私に抱かれること自体はいやじゃないってことだよね?」


 ――そういえば、考えもしなかったわ。


 レガート様に抱かれるのが嫌かどうか。

 裏を返せば、わざわざ考えるほどの嫌悪感を抱かなかったということ。

 そのことに今さら気付いて、私は大きく目を見開いた。

『家族』だ『弟』だと言いながら、私は……。


「あ……私は……」


 夏色の眼差しが私を見つめている。嘘を許さない強さで。真っ直ぐに。


「その……」


 狼狽える私の頬に、レガート様がそっと手のひらで触れる。大きな手、そして長い指だ。子どもではない、大人のひとの手のひら。


 ――昔と同じように添い寝ができると、どうして思ったのかしら。


 レガート様も私も、もう子どもではないのに。

 心臓が壊れそうほど早鐘を打っている。次に、レガート様は私の髪に触れた。柔らかな絹を撫でるように、そっと。それから再び顔を近づけ――優しく私の額にキスをした。


「なにもしないよ、言っただろう」


 仕方がなさそうにレガート様が笑う。

 私は張り詰めていたものがほどけるのを感じ、全身からほっと力を抜いた。

 そう言うと、レガート様は「う~ん」と考える素振りをしてから、私をぎゅっと後ろ抱きにした。


「これならどう? 顔は近くないよ」


 いや、顔どころか、全身が密着してしまっておりますが!?


「いえ、これも十分に問題が」

「なら、やっぱり正面から抱きしめるほうがいいかな……」


 どうして、抱きしめるのが前提なの!?

 そう言いたいけれど、ドキドキしすぎてうまく言葉が出てこない。

 背中にレガート様を感じる。固く、引き締まった体。細身に見えるのに、しっかりと鍛えられているのがわかる。


「子どものころは、リタがよく子守歌を歌ってくれたね」

「そ、そうでしたか……?」

「うん、だから今夜は、子守歌のかわりに私が愛を囁くよ」

「え?」


 その言葉に驚いて振り返ると、レガート様がとても優しい表情で私を見つめていた。


「愛してるよ、リタ」


 君だけを――低く、静かに囁かれた言葉に、私は思わず息を呑んだ。

 心臓がもたない……!

 ぱっと前を向き、必死に平静を保とうとするけれど、背中に感じる体温がそれを許してくれない。

 レガート様がそっと耳元に顔を寄せる。

 そしてさらに甘い声で囁いた。


「リタが好きだ。ずっと、いままでも、これからも。君を愛してる」


 ――眠れるはずがないわ!


 ぎゅっと目を閉じる。

 認めるしかないみたい……今夜の『勝負』も、どうやら私の完敗のようだと。





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