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夕方、公務が落ち着いた頃を見計らって、私はレガート様を訪ねた。
もちろん大量の贈り物に対する苦情を言うためである。
レガート様は庭園にあるガゼボでくつろいでいて、私をみると嬉しそうに微笑んだ。
「やあ、リタ、ちょうど良かった。君の好きなそうな菓子を用意しているんだ」
白いクロスがかかったテーブルの上には、たくさんのお菓子が並んでいる。
焼き菓子にマドレーヌ、カスタードがたっぷり詰まったタルト、などなど。
「すごい、おいしそうですね! ……と、そうではなく」
ぱっと顔を輝かせてから首を横にふる。
「あの贈り物! あんなにたくさんいただいても困ります!」
「リタの心を得るための、私の努力だよ」
にっこりとレガート様が答える。
やっぱり、あれは『勝負』の一環だったのね……。
「努力には付き合うと約束しただろう」
「ですが、ものには限度というものが……」
「王位を継いだらリタに贈ろうと、ずっと集めていたものなんだ」
昔のレガート様を彷彿とさせる、けなげな表情で言われ、私は思わず口をつぐんだ。
「だが確かに、突然あれだけ押しつけられても困るだろう……迷惑をかけてすまない」
「迷惑というか……その、お気持ちは嬉しいんですけど」
「それなら良かった! まだ他にもあるから、毎日届けさせるよ」
弱腰になったところを押し切られ、はたと気付いた。
もしかしていま、丸めこまれたのではないかしら。
「さあ、立ち話もなんだしリタも座って。一緒に菓子でも食べよう」
なんだか、ちょっと釈然としないものの……。
笑顔で促され、ひとまず椅子に座ろうとして首を傾げる。
「あの……椅子がないのですが」
テーブルの周りにある椅子はひとつだけで、それはレガート様が使っている。
困惑する私に、レガート様がしれっと自分の膝を指さした。
「椅子ならここにあるけど」
意味がわからず、一瞬ぽかんとしてからぎょっと目を剥いた。
「レガート様のお膝に座れということですか!?」
「君としっかり触れ合うことで、私の想いを分かってもらおうと思って……努力には付き合う。約束だよ、リタ」
そんな、いくら努力と言ったって、この場には従者や侍女もいるのに!
「さあ、どうぞ」
ぽんぽんと膝を叩くレガートさま。
私は瞳を右に泳がせ、左に泳がせ、また右に泳がせ、さらにまた左に泳がせた。
さすがにお断りしたいけれど、これで『勝負』が白紙に戻るのは私も困るわけで……。
「……失礼いたします」
仕方がないと諦めて、私はそろそろとレガート様の固い膝に座った。
「可愛いね、腰が浮いている」
くすりと笑いながら、レガート様がそっと私の腰に腕を回す。
するとさらに深くレガート様に体を預ける形になって、そこから伝わってくる体温に胸がどきりとした。
レガート様が従者に人払いを命じる。
それから小さな焼き菓子をひとつ手にとって、私の口元に差し出した。
「さあ、どうぞ? リタ」
これは……もしかしてレガート様に食べさせてもらうということ?
「あの、レガート様……」
「大丈夫、人払いもしたし恥ずかしくないよ」
「人払いをしたって、恥ずかしいものは恥ずかしいのです!」
「でも、ほら、これは勝負だから」
私はうっと言葉に詰まった。
「ほら」
再度促されて、おずおずと口を開く。
彼の指が唇に近づいてきて、思わずぎゅっと目を閉じた。
すると次の瞬間、優しい甘さとバターの香りがふわりと口のなかに広がった。
「……おいしい」
目を開いて呟く私に、レガート様が嬉しそうに目を細めた。
「こちらもどうぞ」
「……」
今度は黙って口を開いた。
「ん……こちらもとても甘くて、おいしいです」
素直な感想をもらすと、彼がその長い指をそっと私の唇に押し当てた。
そのくすぐったさに呼吸が詰まり、顔が熱くなる。
「私と離縁しなければ、これからもずっと好きなだけ菓子を食べられるよ」
にっこりと、それは天使の微笑み。
……いえ、駄目よ。
ちょっとぐらついた心を、私は急いで立て直した。
いまのは食べ物につられそうになっただけで、レガート様にぐらついたわけではない。
私は赤くなった顔を隠すように横を向き――。
「おっと、すまない……お邪魔だったかな」
声がしたのはその時だった。
視線を向けると、そこには薔薇の間を抜けてこちらへ歩いてくるジルの姿が。
「レガート様、人払いをされたのではないのですか?」
「ジルが来たら通してくれと頼んでいたんだ」
私は慌ててレガート様の膝から立ち上がろうとしたけれど、それより早く腰を引き寄せられてしまった。
レガート様が「良く来てくれたね」とジルに手を振る。
「もちろんお邪魔なんかじゃないよ、邪魔をさせるつもりもないし」
「はいはい、わかっているよ」
ジルが呆れたように肩を竦め、ガゼボに足を踏み入れる。そして椅子がないことに気付くと、状況を察したように苦笑し、柱にもたれかかった。
「それでジル、手筈のほうは?」
「順調だとも。アルグレイト伯爵がこちらについたよ」
二人が真剣な表情で話しを始めるのを聞いて、私は目を丸くした。
いま名前があがったのは、祖父の代からオルディ公爵家と懇意にしている有力貴族だ。叔父もかなり信頼を置いていたはず。
――と、ちょっと待って。
「この体勢のまま、そんな大事な話をされるのですか!?」
「なにも問題ないだろう」
と、私の口に菓子を放り込みながらレガート様。
「リタに菓子を食べさせるのだって、同じぐらい大事なことだしね」
いやいや……。
色々言いたいことはあるけれど、それはひとまず我慢するとして。
「ここで聞いた話を、私が公爵閣下に報告するとは考えないのですか?」
「考えないな。リタは私とロバートを敵対させたくないのだから、それを煽るようなことをするはずがない」
おっしゃる通りである。
私はごくんと口のなかのお菓子を呑み込んだ。
――やっぱり、レガート様は貴族たちを掌握しようとしておられるのね。
離れていた三年の間にも、ジルと結託し、味方の貴族を増やしていたのだろう。
昨日のダントン伯爵の怯えようを思い返すと、それも綺麗な手ばかりではないと想像がつく。
そしていまは、オルディ公爵派の貴族の切り崩しにまで及んでいるようだ。
――確かに、そうやって叔父の味方を取り込んでいけば、公爵家の権勢にも多少影響があるかもしれない。
しかし、叔父の力は宮廷だけにとどまらない。
このフォルツァンド王国の北方には鉱山地帯があって、貴重な資源のほか、質の高い宝石を採掘することができる。
鉱山地帯は王家の直轄領だけれど、その利権の一部は、鉱山の維持に出資する大貴族にも与えられていた。
そしてオルディ公爵家は、その鉱山利権を複数有している。
ロスイング侯爵家が失脚した際、混乱に乗じて彼らが保有していた鉱山の権利が公爵家に渡ったためだ。
王家も鉱山利権から生まれた収益の一部を受け取っているので、叔父を敵に回せば王家の財政が傾きかねない。
単純に味方を増やしただけでは、王家が公爵家を切り離せない理由はそこにある。
――そんなことは、私が説明するまでもなく、十分ご承知のはずだけれど。
本気で叔父と戦うつもりなら、公爵家に対抗しうる、あるいは切り離しても問題ないだけの財政基盤を手に入れる必要がある。
方法がないわけではないけれど……思いつくのはどれも雲を掴むような話ばかり。
結局は、レガート様に私を諦めていただくのが一番簡単で、早いのよね。
私は静かに息を吐いた。
それから、ふとここに来たもう一つの用件を思い出した。
「そうだ……侍女のこと。アンネを手配してくださったのは、レガート様だと聞きました。ありがとうございます」
お礼を言うと、レガート様はただ困ったように微笑み、肩を竦めた。
「そういえば、庭園の入り口でアンネとあったな」
ジルがなにげなく呟く。
「アンネは、ジルのお姉さんだと聞いたわ」
「うん、二つ上のね……信頼できるひとだから、安心して頼って欲しい」
私は笑顔で頷いた。
アンネにはこれまでもずっと助けてもらっていたから、それは分かっているつもりだ。
「リタ、口が止まってるよ」
ふと、思い出したようにレガート様が私の口にお菓子を放り込む。
……甘い。
『勝負』のこと、叔父のこと――考えることはたくさんあるけれど。
口のなかに広がる甘みに、ほんの少しだけ肩の力が抜けるような気がした。
つまりは、なんというか……結局、私は丸め込まれたのよね。
レガート様への抗議が不発に終わったあと。
部屋に戻ってきた私は、贈り物であふれたままの室内を見渡して頭を抱えた。
……これらを送り返すわけにはいかなくなったので、片付けないと。
だけど、なにぶん量が多すぎて、なにからどうすればいいのか。
一応、こういった貴重品を収納するため部屋はあるのだけど、果たして入りきるのかしら。
うーんと唸りながら、棚に置かれた箱を開いては閉じていく。あらためて、どれも貴重な品ばかりだ。
――離縁するときには、ちゃんと返そう……。
新たな門出には、叔父からもらう褒美だけあれば十分だもの。
ため息まじりにそんなことを考えていた私は、ふと箱のひとつを開いたところで手を止めた。
そこには装飾品でも宝石でもなく、一通の封筒がしまわれていたからだ。
「……これは、手紙?」
首を傾げ、手に取ってなかを見る。
手紙は、間違いなくレガート様の筆致で綴られていた。
『リタへ。君のことだから、急にこれほどたくさんの贈り物をもらって、とても困っているだろう。ごめん。でも、どうしても君に贈りたかったんだ。君を突き放していたこの三年間、自業自得とはいえ、美しいものを見つけたときに、その感動を分かち合えない寂しさをずっと感じていた。これらはいつか君と仲直り出来たらと思い、少しずつ集めていたものだ。どうか受け取ってくれると嬉しい』
そこまで読んだところで、私は胸を詰まらせた。
「レガート様……」
レガート様のお気持ちは十分分かっているつもりだったけれど、こうしてあらためて言葉にされると嬉しいというか、心が揺らぐというか……。
――いえ、ダメよ……しっかりしなさいリタ。
だいたい、こんなことを言われたら、ますます贈り物を返しにくくなってしまう。
……もしかして、それが目的だったりしないかしら。
ついつい疑い深くなってしまうのは……近頃のレガート様の言動のせいだわ。
私は軽く唇を尖らせてから、手紙の続きをおった。
『今日から君に毎日手紙を送るよ』
『リタ、君を心から愛している』
最後は、そんな約束と告白で締められていた。
――どうしよう……。
彼の言葉を、嬉しいと感じている自分がいる。
――レガート様のことを弟としか思っていないはずなのに……。
どうして、こんなに胸が高鳴っているのだろう。
その疑問に答えを出してはいけないような気がして、私は静かにひとり、首を横に振ったのだった。




