プロローグ
双塔そびえ立つインクルヴァン大聖堂に、荘厳な鐘の音が響き渡る。
このフォルツァンド王国に、新たな国王が誕生したのだ。
薔薇窓から射し込む光が照らすなか、大司教より黄金の冠を戴くのは、弱冠一九歳の美しい青年――レガート・フォルツァンド。
戴冠式を終えると、彼は八頭立ての馬車にのって王宮に戻り、いまはバルコニーに立って正門を囲む人々に手を振っている。
その様子を彼の妻、つまりフォルツァンドの新たな王妃となった私は、少し離れた場所からぽつんと見守っていた。
バルコニーのある広間には重臣が集まっているけれど、誰も私には近づかない。
周りには見えない壁でもあるように、不自然な空間が広がっていた。
けれど、それも当然のこと。
私は王妃といってもただのお飾り。
彼が王位を継ぐまでの、仮初めの妻なのだから。
宮廷にいる誰もがそれを知っているから、私を王妃とは扱わない。
側に控える侍女ですら、こちらを見ようともしなかった。
――レガート様、本当に、とても立派になられたわ。
無遠慮に私の前を歩き、視界を遮っていく人々。
その隙間から夫を見つめる私は、ただ誇らしさに胸を震わせていた。
――私と結婚したときはあんなに小さく愛らしく、天使と見紛うばかりだったというのに、これほど凜々しく成長されて……!
レガート様は私より二歳年下で、形式上は夫婦だ。
けれど私は、ずっと彼を弟のように思ってきたのよ。
この晴れ舞台に涙を堪えろなんて無理な話……私はこっそりとハンカチで目元ぬぐった。
今日で私の役割――『仮初めの妻』の仕事もおしまいになる。
そう思うと少し寂しいけれど、いまは晴れ晴れとした気持ちのほうがずっと大きい。
国民への挨拶を終えたレガートさまが広間に戻ってくる。
すると爽やかな夏空の色をした瞳が、なにか物言いたげに細められた。なにかしら。その理由をしばし考えてから、そう言えば、まだ私からご即位のお祝いを申し上げていなかったと思い出した。
『お飾りの妻』とはいえ、さすがに礼儀を欠いていたかもしれない。
私は、彼に言葉をかけようと口を開きかけ。
「レガート様!」
そこで、ひとりの令嬢がレガート様に声をかけた。
波打つ金色の髪に、緑色の瞳。華奢な体に、淡いピンク色のドレスが良く似合っている。
彼女の名はオスティナ・オルディ。
私の従妹だ。
「ご即位おめでとうございますっ! 戴冠式でのお姿、とても凜々しくて素敵でした! 私ったらすっかり見蕩れてしまって……」
胸の前で手を合わせ、オスティナが声を弾ませる。
「オスティナ様は、私どもが声をかけるのに気付かぬ夢中ぶりで……」
「あ、もうっ! 恥ずかしいから言わないでっ!」
後ろに控える侍女の言葉に、オスティナが顔を真っ赤にする。
すると、周囲の人々から微笑ましそうな笑い声があがった。
「ありがとう、オスティナ。嬉しいよ」
レガート様もすぐに表情を笑顔に変える。
オスティナはうっとりとした表情を浮かべてレガート様の腕に触れ……そこでハッとしたように私を振り返った。
「あっ! 申し訳ございませんっ、お従姉さま! 私ったら、レガート様が優しいからって、つい……」
オスティナの謝罪が広間に響き渡り、周囲の視線が私に突き刺さる。
私はすっかり蚊帳の外だったというのに、突然存在を思い出され、さすがに居たたまれない気持ちになった。
「あ……いえ、私は別に……構いませんが」
答えると、すぐに周りも私のことなどどうでもよくなったようで、二人に視線を戻す。
私は小さくため息をついた。
――ええ、もちろん構わないわ。
私は心のなかでそう呟いた。
だってオスティナは、この国でいま絶大な権勢を振るうオルディ公爵の娘。
そして私とレガート様が離縁したあと、新たに王妃となる女性なのだから。
私たちは今日から三ヶ月のうちに離縁することが決まっている。
さらに二人の仲の良さは学生時代から有名で、宮廷のひとたちも、暗黙の了解として状況を受けいれているのだ。
噂によれば、すでに二人の結婚式の日取りも大聖堂で押さえてあるとか、ないとか……。
「あのっ、レガート様! お父さまもご挨拶をしたいそうなのですが……」
「ああ、もちろん」
私などはじめから存在しないかのように、二人が背中を向ける。
その寄り添う後ろ姿に、私は目を細めた。
可愛い可愛いレガート様。
私は彼に、誰よりも幸せになっていただきたいと思っている。誰よりもだ。
そう思えばこそ、この九年間、自分の全てを投げ打って彼を支えてきたし、やりきったと言い切れる。
――レガート様も、これでようやく愛するオスティナと結ばれることができるんだものね。
私はそっと、胸元で光るブローチに触れた。
かつて、幼いレガート様から贈られたそれには、美しい黄金色の宝石がはめ込まれている。
――私も、やっと自分の人生をはじめることができるんだわ。




