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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

流るる雲のゆく先は

作者: 川端柳
掲載日:2025/11/25

 一等強い風が吹き抜け、目の前を覆う程の花びらが通り過ぎてゆく。

 墓参りからの帰りである杉田周平が見上げた先には満開の桜があった。夕日に染まりながらも艶やかな桜に目を細め、そっと顔を伏せる。

 周平の胸を占めるのは郷愁と悲愴。

 故郷で友と見た桜。藩を追われるように出た日には終わりかけの桜が僅かばかりの花を散らしていた。江戸で娶った妻と少しの弁当を持って何度も上野まで桜を見に行った。その妻が死んだ日も、桜が長屋の中へ入りこんでいた。

 良い思い出も、悪い思い出も、桜を見るたびに思い出す。眩しいほどのあの頃に戻れないと分かっていても、思い出さずにはいられない。忘れることなどできはしない。たとえ、胸に穴の開いたような感覚に苛まれるとしても。

 風で鬢から落ちた髪が頬を掠める。真っ白になってしまった髪は、時の流れを嫌が応にも感じさせた。

 長屋に帰ったところで周平の帰りを待っている者はいない。今は寂しい男やもめである。

 適当に煮売り屋か飯屋に入って腹を満たしてから帰ることにした。

 墓のある寺から店の建ち並ぶ街中へ近づくほど人通りが増えていく。道行く人を避けながら今夜はどこへ入ろうか物色する。

「周さん! 周平さん!」

 どこからか名前を呼ばれ、声の元を探る。一軒の隙間風の多そうな店の暖簾の隙間から手招きする男の手が見えた。周平が近づいていくと、これまた暖簾の隙間から男がひょっこり顔を覗かせた。

「周さん、一緒にどうだい?」

「おっ。お侍先生じゃねぇですか」

「長吉、伊介。もう始めてんのかい?」

「へえ。どうです? 一緒に」

 暖簾から中を覗けば、飲み屋でよく顔を合わせる屑屋の長吉と青物の棒手振りの伊介が既に銚子一本を開けていた。

 彼らとは数か所の飲み屋でよく顔を合わせる顔馴染みで、飲み友達ともいえる。お互い特に示し合わせることはないが、たまたま居合わせれば一緒に飲んだりする程度の仲である。

「じゃぁあ、ご相伴に預かろうかねぇ」

 にやりと笑い、暖簾をくぐる。

 その直後、袖を引かれた。

 突然のことに驚き、振り返る。体は半分以上店の中に入っており、暖簾に遮られて見えるのは腕と着物。腰には二本の大小の刀が差しているのが見て取れた。

 武士である。支える主君と護るべき家を持つ、立派な武士だ。

「どちら様で」

 掴まれていない反対の手で暖簾をめくれば、己と同じ年くらいの男だった。不安そうに周平を見つめるその顔は、どこか見覚えがあるものの名前は出てこない。丸に木瓜の家紋。よく有る紋で、やはりどこの家の人間かすぐには判断できない。

「離してもらえませんか」

「お主、杉田周平か?」

 知りもしない相手に氏名を当てられ訝しむ。袖を掴まれている手に力が入る。

「左様ですが」

「やはり。私だ。中村錬三郎だ」

「え?」

 名前を聞いて呆気にとられる。

 中村錬三郎は親友だ。親友だった、といってもいいかもしれない。

 かつて杉田家が稲生藩に仕えていた頃の幼馴染である。共に剣を学び、机を並べ、毎日のように遊びまわっていた。いずれは共に藩に仕える筈だったが、父親のしくじりによって藩を一家で去ることになって以降、もう三十数年連絡を取っていなかった。

 その、かつての親友だと目の前の男は言う。

 よくよく見れば、錬三郎の面影が無くもない。かつて見た錬三郎の両親に似ていなくもない。彼の家の紋は丸に木瓜だった。

「本当に、錬三郎なのか?」

「剣の師範の娘に三度思いを告げて三度とも袖にされた挙句、師範ではなく何故か己の父親にボコボコにされたのがお主であれば、お主の知る中村錬三郎だ」

「周さん、そんなことあったんかい?」

「若かったんだねぇ」

 中村錬三郎である証明に何故か周平の恥ずかしい思い出話をされ、すぐ近くにいた長吉と伊介に笑われた。酒が入っているのもあり、二本差しの前にもかかわらず話に野次をなげくる。酒も入っていないのに周平の顔がさっと赤くなる。

 稲生藩にいた頃の、共に剣を学んだ友人たちしか知らない話だ。

「錬三郎、奥で話そうか」

「あぁ」

 掴んでいた手を掴み返し、周平は男を店の中へと引っ張り込む。

「悪いな二人とも。また今度一緒に飲もう」

「へい」

「また」

 ひらひらと手を振ってくる二人に手を振り返し、店の奥の隅の席に座る。周平の向かいに男も腰掛けた。店に入って何も頼まない訳にもいかないので周平は店主に酒とお通しを頼む。

 周平は改めて正面に座る男を見る。男も周平を真面目な顔で見つめてくる。

「問いの答えがまだなのだが、お主はかつて稲生藩にいた杉田周平に相違ないな」

「ああ。そういう貴殿は稲生藩の中村錬三郎殿ですな?」

「そうだ。久し振りだな、周平」

「お久し振りでございます」

「そう堅苦しい口調はやめてくれ。昔みたいにしてくれないか」

「分かった」

 銚子と猪口、菜の花の白和えが運ばれてくる。錬三郎が手酌しようとする前に周平が酒を注ぐ。そのまま己の分も注いだ。

「だが、本当は一浪人が気軽に口を聞ける相手ではもうないんだろう?」

「父上の跡を継いだにすぎない」

「ご家老様がこんなところで飲んでいて良いのか?」

「漸くお前を見つけたんだ。祝い酒くらい一緒に飲んでくれ」

 そう言って錬三郎は目の前の酒を一気に飲み干した。すぐさま自身で次を注ぐ。

「漸く見つけたって、俺をか? いつから探していたんだ?」

「流れるなら江戸にだと思っていたからな、お役目を賜ってからは参勤の度に探していた」

「藩にいなくても良いのか? 殿の留守を守るものだろう、家老っていうのは」

「無理を通して、な。他の家老たちには苦労を掛けているのは分かっているが、どうしても、探したかったんだ」

 周平が江戸に来て三十年以上経つ。それだけの歳月、錬三郎は江戸で周平の姿を探していたということなのだろう。何年、何十年と彼が探し続けていたからこそ、今日この日に再会が叶ったのだ。

「お互い、歳を喰ったな」

「周平はお父上にそっくりだな。周平の名が聞こえて見てみればお前のお父上がいるのかと思ったぞ」

「いや、歳を考えても生きてはいないだろう。辛うじて生きていてももっとよぼよぼの爺さんになっている筈だ」

「ああ。だから目を疑った。変わらぬ姿でいる訳がないからな」

「そんなに似ているか?」

「そっくりだぞ」

「錬三郎はご両親を混ぜ合わせた感じだな」

「そうか? だからすぐに気付かなかったのか」

 酒が良く進む。二本、三本と銚子が空になっていく。

 三十余年の歳月は長く、かつての彼らとは姿も立場も何もかもが変わっていた。

「周平にももう孫がいるのか」

「あぁ、女の子だ。目に入れても痛くないくらいに可愛いぞ」

「お前の口からそんな言葉が出てくるとはな。お前も爺さんになったんだな」

「俺が爺さんならお前も爺さんだぞ」

「俺はお前ほど頭白くないぞ。まだ爺さんじゃない」

「孫いる時点で爺さんだよ。そもそも俺ら、同い年だろうが」

「それもそうだ」

「息子夫婦とはまだ一緒に暮らしているのか?」

「勤めもあるからな。まだ暫くはそうなると思うが」

「まだまだ家老を辞するつもりは無いってことか」

「そうだな。まだやり残したことがある」

「やり残したことってのは何だよ」

 錬三郎の手が止まる。突然動きが止まったことに周平が首を傾げ、机を挟んで顔を覗き込む。数度の瞬きの後、錬三郎は手に持っていた猪口の酒を一気に飲み干し、手酌で並々注ぎ直すと再び飲み干した。

「あれだ。後進を育てたり、まぁ、色々だ」

 躊躇ったにしては大した理由ではない。濁されたのだと思った。

 家老という立場上、藩の政の大事に関わっているのだ。下の者に言えないことは当然あるだろう。藩外の者となれば尚の事である。

 周平の目の前の男は二本差しで汚れ一つ無い紋付を着て、乱れの無い髷を結っている。対して己は薄汚れた着流しに、髪の生え始めた月代、古びた一本の刀。日銭を稼ぐために土方にも顔を出す為、肌は日に焼け、しみも浮いている。

 共に肩を並べ、同じ道着を着ていたとは思えない。時の流れは残酷に違いを突きつけてきた。

 こんな時は酒である。酔いは一時でも心に浮かぶ苦しみをぼやかしてくれる。

 不意に二人の掛ける席に人がぶつかり、空の徳利が倒れる。床に落ちて割れる前に周平は転がる徳利を拾い上げた。

 話し込んでいるうちに店の中は随分騒がしく、酔っ払いで埋まっている。先程ぶつかってきた男もすでに出来上がっていたらしく、ぶつかったことにも気付かないまま千鳥足で知り合いらしき人物にしなだれかかりにいっている。

「混んできたな」

「騒がしいな」

「飲み屋なんてそんなもんだろ?」

 周平の言葉に肯定も否定もなく錬三郎は客の様子を眺める。

「こういうところでは飲まないのか?」

「そうだな。家か座敷かだな」

 客を酒の肴に猪口を傾ける。普段見慣れていないらしい錬三郎にこの光景は興味惹かれるものなのだろう。実際、錬三郎の小奇麗な姿は薄汚く埃っぽい飲み屋で浮いている。

「騒がしいのが煩わしいなら、うちで飲むか?」

「お前の家で?」

「長屋暮らしだから全くの無音とはいかないが、今は寂しい独り身だ。ここよりは静かなのは保証しよう。狭いし何もないが、まぁ、二人膝突き合わせて飲むくらいはできるぞ」

「お前が良ければ、邪魔しても良いか?」

「あぁ。構わねぇよ」

 周平と錬三郎は同時に立ち上がると腰に刀を差す。錬三郎が払おうと財布から金を出したが、二朱銀やらが出るばかりで細かい銭が出てこない。仕方なく周平が文銭を机に置く。

「親父、ここ置いとくぞ」

 そう一声かけ、店を出た。

 通りにはまだまだ人通りが多い。夜はこれからが本番と言うことなのだろう。

「そういえば酒が無かった」

「なら、買ってから行くか。今度は出そう」

「すまねぇな」

 周平の住まう長屋を目指しながら通りで見かけた煮物やら干物を酒のあてにと買っていく。二朱銀なんて釣銭が出るか不安を抱えながら周平は見守っていたが、流石は商人、大量の文銭にはなったがお釣りを錬三郎に払っていた。

 酒屋でも同様である。普段の周平なら買わない量を買って、錬三郎がきっちり支払う。周平にはできない金払いである。

 皿やら通い徳利やらで二人の両手はふさがったまま長屋に到着した。

 周平の住まいは長屋の木戸から三つ目の右側である。他の住まいからは薄らとした灯りと声が漏れてくるが、周平の住まいだけ静寂の中にあり、寒々とさえしているように感じられた。周平は足を器用に戸へ引っ掛け、足でそのまま開ける。

 部屋の中は部屋の隅に畳まれた布団と本。仏壇とも言えないような、位牌が置かれただけの細い机。他に物はなかった。

 浪人の、平民の暮らしぶりに錬三郎は言葉を失う。己が思っていた以上に藩を出た者の暮らしには苦労ばかりのようだ。

「お前の家とは比べるまでもなく狭いだろうが、まぁ遠慮なく上がれよ」

「あぁ」

 錬三郎は草履を脱いで薄暗い部屋に上がる。ものの数歩で部屋を縦断しきり、所々板の欠けた縁側のようなところに行き当たった。開け放たれた障子戸から差し込む月明りだけが部屋の中を照らす。春の日和になってきたとはいえ未だ夜は肌寒さが残っているが、火鉢すらないこの部屋で暖を取るすべは無い。

「色々と足りていないだろうが大目に見てくれ」

「行灯、無いのか?」

「あったところで油代が嵩むだけだろ。夜は早く寝るか灯りのある他所へ飲みに行けばいい。月明りで十分見えるしな」

「そうか」

「そんなことより飲もう。月見酒だ」

「そうだな」

 錬三郎の口数が明らかに減っているが、周平は気付くことなく普段は茶碗と汁椀として使っている不揃いの器にそれぞれ酒を注ぐ。出した箸も店で買ったものではなく、竹の端切れを貰って自身で削って作ったもので、店にある物ほどきれいに整えられてはいない。

 風でどこからか運ばれた桜の花びらが畳に落ちる。

「昔、台所の酒持ち出して外で飲んだことあったな。ほら、桜の下で」

 壁際の影の中に立つ錬三郎に構わず、周平は既に月明りの中で酒を飲み始めている。ぼんやりと室内を眺めていた錬三郎は周平に話を振られ、そうだな、と返しながら彼の隣に腰を下ろした。

「途中で雨に降られて慌てて帰って、しこたま叱られた」

「俺もだ。濡れ鼠になるわ説教くらうわ、挙句風邪ひくわで散々だった」

「でも、何度もやったな」

「面白いことは叱られた程度でやめる訳がない」

「みんなで集まるだけで楽しかった」

「あの頃はそうだな」

「そういえばお前、一時髪結いの所の娘に入れあげて通い詰めてなかったか?」

「よく覚えているな、そんなこと」

「俺たちにそのこと気付かれまいとしてお前、身だしなみを整えるのは心を整えると同義だ、とかなんとか言い訳していたよな。下心丸出しなのに、心を整えるって。みんな笑い堪えるのに必死だったの、気付いていたか?」

「なっ! みんな気付いていたのか?」

「気付いて無い訳ないだろ、あんなあからさまで。隠せているつもりだったのか?」

 夜の静けさの中、酒が進み、思い出話に花が咲く。隣近所からそれぞれの家庭の声が聞こえているが、いつもより遠く感じられる。

 今この時、この場だけは、若き日の稲生藩だった。

 気を良くしている周平の喉を酒が良く通る。一方で錬三郎は徐々に酒に口を付ける回数が減っていっていた。

 笑いながら思い出話を肴にする周平の隣で錬三郎がそっと縁の欠けた茶碗を置く。

「それでさぁ、」

「周平」

「ん?」

 酔っ払いのものとは明らかに異なる落ち着いた声で名前を呼ばれ、漸く錬三郎の様子に気付く。楽しい雰囲気など一切ない険しい表情で視線を畳に落としている。

 それでも彼の話が深刻なものだと、周平は考えなかった。

 年相応の体の不調の話か、仕事の悩みか、家庭の不満か。酒と一緒に流し込める程度の話題だと思った。

「国に、帰りたくないか?」

 錬三郎の問いを周平はすぐに理解できなかった。

 藩を抜けた人間が、一体どの面を下げて里帰りなどできるだろうか。脱藩は重罪だ。追手が掛かっていないことに感謝し、二度と関わらずにいるべきだ。下手に国許に帰ろうものなら、首が飛ぶことは間違いない。

 隣にいる友は、俺に死ねと言って言うのか。周平はそんな疑いを持たずにはいられなかった。それだけのことである。

 それとも錬三郎が周平を探していたのは、殿からの命令で捕らえる為だったのか。

「帰れねぇだろ」

 考えても無駄なことを考えても仕方がない。国を出た以上、故郷の土を二度と踏むことなど叶わないことだ。

「帰れるとしたら、どうだ?」

「できないこと言うなよ」

「手は、ある」

 周平は耳を疑った。

 驚きのあまり動けずにいる周平に構わず錬三郎は話を続けた。

「お前自身が何かしくじったわけじゃないんだ。俺が殿に口利きをしてやる。俺の口添えがあればお前が戻ってくるくらいお許しになるだろう。お前ほど心から信をおける奴はいないから、俺としても帰ってきてくれると助かると言うか、嬉しいと言うか。共に藩を支え、殿を支える。今からでもその約束叶えないか?」

「そんなこと。上手くいく訳ない」

「手があると言っただろう。お前が俺の縁者になればいいんだ。そうすれば家老中村家の縁者として国許に来られるだろう。そうだな。お前の孫は娘だから、俺の孫と一緒にしてしまえばいいんじゃないか」

「だとしても」

「国許に戻ってお役を貰えれば今みたいな暮らしをしなくて済むぞ。もしお抱え頂けなくても、俺が必ず何とかする。お前がまともな暮らしできるように金も出す。心配ない。俺に任せろ」

 そう言って錬三郎は左腕を半分挙げ、握り拳の甲を周平へと向けてきた。剣術道場の対抗試合から悪戯まで、二人で何か事を成す時や成し遂げた時、決まって互いの拳の甲同士を当てていた。掌や拳同士を打ちつけ合ったり、肩を叩き合ったりといった、友人間での決まりごとのようなものである。

 拳を翳せば当て合う。二人の間では当たり前のことで、必ず周平は、こん、と甲を当てるのだと錬三郎は疑いもしなかった。己の言う通りにして、共に国許へ帰ることに合意するのだと。

 しかし、錬三郎の手は周平によって叩き落とされた。

「下に見るのも大概にしやがれ! てめぇから憐れみを受けるほど俺ぁ墜ちちゃいねぇ!」

 拒絶するように払われた手に、殴りつけるような怒号に、錬三郎は言葉を失った。何が彼の逆鱗に触れたのか分からず、目を瞬かせることしかできない。

 周平は錬三郎の襟を掴むとぐいと己へと引き寄せた。指先に触れる着物の感触が普段着ないような高い生地であることに気付き、思わず手が緩んでしまう。それでも怒りが頭の中を埋め尽くし、心臓の鼓動が早く打つ。

 叫べば錬三郎の顔に唾が飛ばんばかりの距離のまま周平は声をぶつけ続けた。

「ご家老様のお()ぇから見りゃあ俺の暮らしなんざ(ひで)ぇもんだろうぜ! だがな! (おら)ぁこの暮らしに満足してらぁ! てめぇの物差しで測るんじゃねぇ! だいたい何だ! 『俺が金を出してやる』? 『殿に口利きをしてやる』? お前何様のつもりだ! 馬鹿にしてんのか! てめぇ都合よく昔の約束なんざ持ち出すんじゃねぇ!」

「しゅ、周平、落ち着け」

「その上、孫をいっしょにさせるだぁ? ふざけてんのか! じじいの勝手な都合で家族振り回して良い訳ねぇだろうが! てめぇが国に帰りたいたいかなんざガキ共には微塵も関係()ぇんだよ!」

 錬三郎が宥める声も聞かず周平は江戸っ子言葉で畳みかける。

 言いたいことを並び立て切った周平は目を瞑って嵐が過ぎ去るのを待つ錬三郎の胸倉を離す。ただ離すのではなく、突き飛ばすように放った。

 突然拘束が解けた上に後ろへ倒れそうになり、慌てて後ろ手をついてそれを防ぐ。目を開ければ未だ鋭い眼光で周平が睨みつけていた。

「孫の親である子供らの気持ちを、なにより孫当人の気持ちをちったぁ考えやがれ!」

 追い打ちのように吐き捨てられた言葉。

 錬三郎の提案は真っ向から棄却された。

 周平は憤りを隠せず、獣のように鼻息が荒い。呼吸音ばかりで会話は無い。隣近所にも周平の怒鳴り声が届いていたらしく、壁の向こう側から話し声なども聞こえない。

「変わったな、周平」

 先に切り出したのは錬三郎だった。落ち着いた声で、眼には驚きと憐憫が混ざり合っている。

「かつては藩の為に国の為にと言っていたお前が、国許に帰ることを、殿にお仕えすることを拒むなんてな」

「変わったのはお前の方だ。いつから身内を道具のように扱う男になったんだ」

「武家に生まれた以上、お家の為にこの身があるのは当然のことだろう。お仕えする阪口家に対してだけではない。己の家の為、血を繋ぎ、家を盛り立て、名を落とさぬよう立ち回る。子であれ孫であれ、己を含め使えるものは全て使う。当然だ」

「家族だぞ。家名を護るのも全ては家族の為にあるべきだ。守るべき家族を道具のように使うなど本末転倒だ。子の幸せを、孫の幸せを願うことこそ人として当たり前のことだ」

「幸福の為には金も地位も必要だ。お前はどちらも一度失った。もう一度取り戻せる機会をどうして手放そうとするんだ」

 周平は掌で己の顔を覆う。改めて頭の中で錬三郎の言葉を反芻し、目を伏せる。

 深呼吸で息を整え、ぼそりと呟くように言った。

「帰ってくれ」

「周平!」

(けえ)れって言ってんでぇ!」

 覆っていた手を外し、そのまま掌を床へ叩きつける。大きな音に錬三郎の体がびくりと跳ねる。

 これ以上会話は平行線を辿ることしかできないのだと察し、錬三郎は黙って立ち上がる。上がり框に腰を下ろして草履を履き、土間で大小の刀を腰に差す。彼の立ち姿は長屋の中でやはり浮いて見えた。

「邪魔をした」

 錬三郎の挨拶に周平は何も返さない。背中を向けたまま、酒を煽っている。

「先程の話、考えておいてくれ。その気になったら、知らせてくれ」

 無言の背中に懲りずにそう投げかけてから錬三郎は部屋を出た。視線を感じて辺りを見回すと周平の部屋から出てきた彼を長屋の住人たちがそれぞれの部屋から貌を覗かせて見ていた。先程の周平の怒号は長屋中に響いており、一体何があったのか、怒鳴りつけていた相手はどんな人物名なのか、気になって仕方がなかったのだ。

 錬三郎は顔を出している住人たちに、騒がせてすまない、と頭を下げた。二本差しの侍が町人に頭を下げるなどというあまりにも珍しいことにどよめきが広がる。

 ざわつく長屋に背を向け、錬三郎は帰路についた。酒は思っていたより足に来ていたらしく、時々千鳥足になりながら出て行った。

 すぐ隣に住まう大工の熊八が静かになった周平の部屋を覗く。見れば、周平が酒を片手に寂しげな背中を玄関の方へと向けていた。

「周さん? そのぉ、大丈夫(でぇじょぶ)かい?」

「五月蝿くして悪かった。心配(しんぺえ)ねぇよ」

「あんたがそう言うなら」

 いつもなら顔をしっかり見ながら会話してくれる周平が一切顔を向けてこない時点で、いつも通りではないだろう。そうそう声を荒げない、怒鳴り散らすところなど年に一度見るかどうかの周平があれだけ怒りを露わにしていたのだ。先程出て行った侍と何かあったのは間違いなく、相当腹に据えかねるようなことがあったのだろう。

 それ以上かける言葉も見つからず、熊八はそっと戸を閉めた。

 一人残された周平は椀に並々酒を注ぐ。

 暮らしてきた環境の違いか、立場の違いか。最後まで錬三郎とは分かり合う事はできなかった。

 残された煮物は冷え切っている。一瞬箸を伸ばしたが、何に手をつけることなく引っ込めた。自棄で注いだ酒を無理やり流し込んで飲み切った。

 まだまだ酒も肴も残っている。

 かつての友と膝を並べていた時にはあんなにもおいしかった酒が、今はおいしく感じられない。これ以上飲む気にはならなかった。



 次の日の夕刻。仕事から帰ると自身の部屋の前に人だかりができていた。

「どうかしたか」

 人だかりに声を掛けると、一斉に周平へ視線が集まる。

「あんたに客だよ」

 熊八が代表して答える。

 人垣をかき分けると、一人の若い男が上がり框に腕を組んで座っていた。刀は腰から外されているが、明らかに二本差し。顔はどこか見たことあるような、誰かの面影を感じた。

「家主の居ない家に勝手に入らないでもらえますか」

「あなたが杉田周平殿か」

「左様でございますが。失礼ですが、お名前をお伺いしても」

「昨晩ここに中村錬三郎が来ただろう」

「会話してくれ」

「質問に答えよ」

「そっくりそのまま返すぜ。ったく、親の顔が見てみてぇもんだ」

「親の顔なら見ただろう」

「は?」

 いつしか口調が崩れ、通常なら不敬と取られてもおかしくはない。間の抜けた返事をした周平の後ろで集まった長屋の住人たちは、彼が何かしら咎を受けてしまわないか気を揉む。

 そんな周りの様子など目に入っていないかのように目の前の男が突然立ち上がった。

「中村錬三郎の友人なのだろう、杉田周平。ならば私の親の顔は昔からよく知っているだろう。昨夜はさんざん見た筈だ。ここで」

「まさか、錬三郎の倅か?」

「正太郎と申す。そんなことより問いに答えろ。昨夜ここに父上が来なかったか?」

「確かに来たが。それがどうした」

「先程長屋の者たちに聞いたが、父上と大層揉めたそうだな」

「まぁ、少し、行き違いがあってな」

「その後、父を追ったか」

「いや、追っていないが」

「父上が出て行った後、誰かと一緒にいたか」

「いなかったが。さっきから何なんだ。何を訊いているんだ」

「ならば父上を追っていないとは言い切れない訳だ」

「だから、会話してくれ。頼むから」

 取り調べにも似た、あまりにも一方的な質問の荒しに周平は肩を落とす。正太郎は眉一つ動かすことなく冷ややかな目を周平に向けた。

「昨夜は父上と言い争いになり、腹が立ち、父上を追って、斬りつけた。違うか?」

「どうしてそうなる。たかが言い争いで人斬るようなら俺は今頃稀代の人殺しだよ」

 真面目な顔で予想もしていない言いがかりにいよいよ頭を抱える。

 かつての友人は子育てに大層失敗をしているようだ。人の話も碌に聞かず、一方的な言いがかり。ここまでくるといっそ戯作者にでも鞍替えした方が向いていそうだ。

 内心目の前にいる友人の息子とその親である友へ悪態をつき、先程の言いがかりの文言の端が頭に引っ掛かった。

 目の前の男は確かに言った。斬りつけた、と。

「ちょっと待て。錬三郎が、斬られた?」

「ああ。昨晩、下屋敷の近くで。ここからの帰りの事だ」

 周平は耳を疑った。

 数十年ぶりの再会を果たした旧友が、酒を酌み交わした友が、襲われた。あんな喧嘩別れをした後に。

 後悔の念が一気に押し寄せる。

 朝までここへ留め置いていれば、錬三郎は襲われなかったかもしれない。家老なんて上役の人間を一人で歩かせず下屋敷まで送り届けていたなら、周平自身の手で彼を護ることができたかもしれない。

 あんな喧嘩さえしなければ。

「周平さん」

 背後から不意に名前を呼ばれる。振り返れば、長屋の住人たちが戸の前で変わらず集まっている。ここまでの周平と正太郎のやり取りも、黙ってはいたが全て聞いていたのだ。掌で目を覆ったまま動かなくなった周平を心配して声を掛けてくれたのだろう。

 ただ名前を呼ばれただけだが、その一言に心配も応援も含まれているように周平は感じた。

 たらればを考えても仕方がない。

 今できることをやるしかない。

 周平は顔を上げ、正太郎に向き直る。

「それで、昨晩あいつと会って揉めたのが俺だから俺が下手人だと。随分楽観的な考えだな。その辺の破落戸が金欲しさに二本差しで金を持っていそうな酔っ払いのあいつを襲ったっていう方があり得る筋書きだと思うがな」

「そうだろうな」

 反論があっさり受け入れられ、肩透かしを食らう。正太郎がわざわざ言いがかりを付けに来た理由がいよいよ分からなくなってくる。

「だが、私の言ったこと覆せるだけの証を立てられるか?」

「この長屋は壁が薄くてな、どれだけ気を付けても戸を開け閉めするだけで隣には音ですぐに気付かれる。錬三郎との言い争いを長屋じゅうに訊かれていたようにな。そんな中、誰にも気づかれずにどうやって長屋を出て錬三郎を追えるというんだ」

「誰も見ていないことに変わりはない」

「だいたい中村の倅、お前は破落戸がやったかもしれないという言葉に先程頷いていただろう。何故わざわざ俺を下手人にしたがる」

 それは、と正太郎は言葉を詰まらせる。

 そもそも、たかが言い争いで周平を下手人と断ずるのは無理筋というもの。だと言うのに正太郎は無理を通してでも彼の所業と決めてかかっている。決めてかかるというよりも、言いがかりをつけることにこそ目的があるようにすら感じられる。

 正太郎は言葉に悩むというより、何かを思い出そうとするように口の中で何やら言葉をつぶやいてから、咳払いで無理やり場を仕切りした。

「その方が手っ取り早いからだ」

「手っ取り早い?」

「江戸の町方に知られ、介入されては我が家だけでなく藩の面目にも関わる。内々で早々に解決しなければならない。父上が襲われ、江戸には子である私もいる以上、私が縄を打たねば家名に傷がつくことになる。父の友なら父の為にも名乗り出ろ」

「やってもいないことで名乗り出られるか!」

「友ではないのか?」

「友だからって命も名も捨てられる訳ないだろう」

「ならば、代わりの下手人を連れて来い。お前が縄を打つか、お前自身が縄を打たれるか。二つに一つだ」

 二つに一つ。襲撃犯として捕まりたくないなら本当の犯人を捕まえろということだ。

 正太郎の最後の言葉で周平は腑に落ちた。

「お前、頼み事下手かよ」

 正太郎の目的は、周平を中村錬三郎襲撃事件の捜査に巻き込むこと。要するに断れない形で協力させたかったのだ。

「頼み事なら頼み方ってもんがあるだろう。そんな上からの物言いで協力するとでも思っているのか? お前の父親の同輩だぞ。口調考えろ、口調」

「たかが浪人にか?」

「人に物を頼む態度じゃないって言ってんだ」

「頼み事ではない。協力か獄門か、選べと言っている」

「他に選択肢がないみたいに言うがな、本当にそうだと思うか?」

「何だと?」

 周平の余裕の笑みにそれまでほとんど変化の無かった正太郎の顔が僅かに歪む。声色から彼が怪訝に思っているのは伝わってくる。

 正太郎を更に煽るように周平は鼻で笑ってみせた。

「俺は浪人だ。今すぐに江戸を出てしまえばそれまで。江戸どころか日本(ひのもと)中から俺を探すより江戸八百八町の中から下手人探す方がそれこそ手っ取り早いんじゃないのか? あとはそうだな。今ここでお前を()してどこかに押し込めておくのも良いな。さっさと下手人を見繕わなきゃいけないところを嫡男が戻らないとあっては中村の家に泥が着くどころの騒ぎじゃない。取り潰しもあり得るだろうな」

「そんなことをすれば、あなたの娘家族がどうなってもいいんですか?」

「お前」

 周平の奥歯が軋むような音を立てる。

 身内を脅しの道具にするような物言いの正太郎への怒りと同時に、この筋書きを考えた者への怒りがふつふつと湧き上がる。

 身内を道具にしか思っていないのは父親と同じらしい。

「分かった。下手人探し、協力してやる」

「感謝する」

「思ってもいねぇ感謝なんざ不要だ」

 周平は頭の後ろを掻き、ため息を吐く。先程まで張り詰めていた空気が緩み、見守っていた長屋の住人たちも息をつく。

「心配かけてすまなかったな。ここからはお武家様のお家に関わる話だ。悪いが外してくれ。それと、さっきの話も他言は無用で頼む」

 後ろを振り返ってそう告げた周平の表情は穏やかだった。これ以上人様の事に首を突っ込むのも野暮なことだ、と住人たちはあっさりと散っていった。周平がああ言ったところで人の口に戸は立てられない。明日には、どこぞの武家が襲われた、と噂になっていることだろう。

 部屋に残ったのは周平と正太郎。一先ず正太郎を中にあげ、向かい合わせに座る。茶も出なければ座布団もない。正太郎は言葉にしないまでも不満をあらわにするが黙殺された。

「先に訊いておきたいんだが、下手人を探す手立ては考えているんだよな?」

「それを考えるのはあなたの役目でしょう」

 態度が上からなのは変わらないが口調は多少柔らかくなっている。ほんの少し、誤差のような違いではあるが。年長者を敬う気持ちが無い訳ではないらしい。

「案もなく来たのか」

「捕まらない為にどうぞ知恵を絞ってください」

「それ、協力させるための方便じゃなかったのかよ」

「何がですか?」

 縄を打つ話を周平は脅し文句としてのはったりだと思っていたのだが、正太郎はそうではなかったらしい。下手人を捕まえられなければ本当に周平を下手人として殿の御前に差し出すつもりだったようだ。

 これは本気で取り組まなければ首が飛ぶ。

 周平の背に冷や汗が流れた。

「中村の倅」

「何ですか?」

「お前、己一人で手柄を立てたいか? それとも家を護る為なら手段は問わないか?」

「急に何ですか? 下手人を捕まえる方法を考えてくださいと言っているのに」

「だから、捕まえる方法の話だ。で、どっちだ?」

 想定外の質問だったらしい。正太郎は腕を組んでじっくり頭を捻る。周平としてはそう答えるのか予想がついていた。わざわざ彼の答えを待っているのは、己の考えが正しいかの答え合わせがしたいからにすぎない。

 正太郎は考えに考え、そうですね、と切り出した。

「家名と藩の面目を護る為でしたら、手段は問いません」

「分かった」

 想像通りだった。これで遠慮なく策を伝えられる。

 周平はにやりと口角を上げ、思いついた策を正太郎へ伝えた。



 正太郎が周平のもとを訪れてから五日後のこと。

 錬三郎が周平の部屋を訪ねてきた。着物の袷からは(さらし)が見え隠れしている。傷は完全に塞がってはいないようだった。手には酒の入った通い徳利が提げられている。

 周平の部屋の戸を叩くが応答はない。重ねて二三度叩くも返事が聞こえてくる様子はない。

「何だい、あんた」

 不意に横から声を掛けられ、顔を向けると隣に住む熊八が己の住まいから顔を出していた。

「すまない。ここに住んでいる杉田周平に用があるのだが」

「周さんなら今いねぇよ」

「どこに行ったか知らないだろうか」

「さぁな。どっかで飲んでんじゃねぇか?」

「そうか」

 生憎の不在に錬三郎は帰ろうとする。しかし手にある重みを思い出し、くぐり戸へ向かおうとする体を熊八へと向きなおらせた。

「周平に、と持ってきたのだが、良ければ長屋の皆で飲んでくれないか? 少なくて申し訳ないが」

「良いのかい?」

「あぁ。無駄にするより良い」

 置いて帰ればいいのに、という言葉を飲み込み、熊八は酒を受け取る。礼を言おうと顔を上げれば、錬三郎はもう背を向けている。熊八は、あんがとよ、と振り返らない侍へお礼の言葉を投げた。

 長屋を出た錬三郎は熊八の言葉を頼りに飲み屋の建ち並ぶ通りを歩く。周平と再会した飲み屋を軒先から覗いてみるも、中に姿はない。ほんの数日前の出来事がずいぶん昔のことのように思えてしまうのは、喧嘩別れのようになってしまったからだろう。

 ふらふらと人通りの多い通りを抜け、稲生藩の下屋敷へ戻る道から逸れる。

 人通りは明確に減り、すれ違う人影も徐々になくなっていく。ふと辺りを見渡してみると、前にも後ろにも人影はない。気付けば通りに一人だった。

 薄暮に一人きり。

 一層の寂しさを感じてしまう。足はどんどん人気の無いほうへと向かっていく。

 不意に、行く手を遮るように人が目の前に躍り出てきた。横を抜けられそうにもなく踵を返す、しかし、後ろも同様に幾人もの人が道を塞いでいる。

 いつしか錬三郎は囲まれてしまった。

 前にも後ろにも刀や匕首を持った男たち。着ているものはみすぼらしく、普段錬三郎が関わり合うことの無いような者たち。

 しかし、漏れ聞こえる笑い声には聞き覚えがあった。

「あの夜の者たちか」

「くたばってなかったとは聞いちゃいたが、わざわざ殺されに来てくれるとはなぁ」

「六人か」

 破落戸の脅しなどどこ吹く風と錬三郎は相手の人数を数える。夜道で人を襲うのに無駄に多くてもいけない。これくらいの人数が妥当なのだろう、と一人で納得する。

「今度こそ死んでもらうぜ」

 破落戸の一人の声を合図に一斉に錬三郎へと襲い掛かる。鯉口を切った錬三郎は前後どちらを相手取るべきか一瞬の躊躇いを見せた。

「前見やがれ!」

 破落戸たちの向こう側から、怒号が混んでくる。破落戸たちが声に気を取られているうちに錬三郎は声に背を向け、一気に刀を抜き放った。

 切っ先が破落戸の一人の腕を捕える。肩にある未だ塞がっていない刀傷が痛み顔を顰めた。剣先が鈍り、男の腕に僅かな傷をつけただけに終わる。

 背後からは破落戸の呻き声。次いで、肩と肩のぶつかる感触。感じる温もりに安心感を覚えた。

 僅かな気のゆるみに気付いたのか、こら、と背後から肘で脇腹を小突かれる。

「一人くらい倒して見せろい」

「生憎剣を振るより筆を持つことが増えてな。それに病み上がりだぞ。少しは大目に見てくれてもいいだろう」

「うるせぇい。この軟弱者(なんじゃくもん)が」

「頼りにしているぞ、用心棒」

「頼りねぇなぁ、てめぇら親子は」

 周平は悪態をつくと、預けていた錬三郎の背中から離れ目の前の破落戸を刀の峰で肩口を打ち付ける。

 斬らないからといって怪我をしない訳ではない。

 それなりの重さのある鉄の棒で勢いよく折れやすい鎖骨を殴られるのだ。峰打ちだからと安心はできない。横薙ぎでも同じだ。骨に守られず肉を打たれるのだから、臓腑が損傷しない訳がない。背中や膝を撃たれでもしたら、骨を砕かれて二度と歩けない体になることだろう。

 用心棒稼業で日銭を稼いでいる周平はあっという間に目の前の三人を()した。足元に転がる破落戸たちは痛みのもだえ苦しんでいる。彼らの持っていた得物を回収し、後ろを振り返った。一人は動けなくしたようだが、未だ錬三郎は二人を相手取っている。

「さっさとしろい」

「こっちは怪我人だぞ。終わったのなら加勢してくれ」

「倅に頼め」

「倅の姿を見ていないのだが。いっしょにいたのだろう。どこに行った」

「そう言やぁ、いねぇな。親が親なら子も子かい」

「そんな筈はないのだが。良いから手伝え」

「頼み方ってもんがあんだろ」

「俺が死んだらお前の責任だからな」

「やっぱり、おめぇら親子だよ」

 手に持っていた得物を横へ放り、肩で息をする錬三郎と破落戸の間に滑り込む。振りかぶって斬りつけてきた刀を受け、横へ流す。自然と振っていた男も横へと体が流れる。前へ差し出された腕に峰を叩きつけた。

 周平の視線が仲間へ逸れているのを好機ともう一人の男が匕首で刺しに突撃してくる。

 しかし、手首が斬られる。

 横から振り下ろされた刀は錬三郎が振ったもの。刀は男の骨に引っ掛かり、斬り落とすには至らなかった。

 骨に食い込んで抜けない刀をなんとか抜こうとするもびくともしない。押しても引いても動かず、下手をすれば折れそうでもある。

 刀が抜けない錬三郎は困っているが、男も困っているどころではない。錬三郎が刀を抜こうと足掻く度、肉と骨が気絶しそうな程の痛みを走らせる。痛みで気を失いそうになるも痛みで意識が戻るのだ。

「何やってんでぇ」

 見かねた周平が錬三郎から柄を奪う。刀の刺さった手を足で押さえて、なんとか腕から引き抜く。遮るものが無くなったことで血が一気に溢れ出る。男は漸く気絶できた。

「これで全部か?」

 周平の問いに錬三郎は、ひい、ふう、みい……、と倒れる男を数えていく。

「六人。これで襲ってきた者は全員だ」

「夜の下手人も、こいつらで間違いないな」

「声と、奴らの言動から、まず間違いないだろう」

「そうかい」

 辺りを見回しても他に人影も気配もない。周平は己の刀を鞘に納め、やれやれというように頭の後ろを掻いた。

 錬三郎が拳を目の前に掲げ、甲を向けてくる。周平は小さく笑いを零すと、同じように右手の拳を掲げ、甲同士を軽く当てた。

「終わりましたか」

 見計らったように正太郎が姿を見せる。助けに入らなかったことへの悪びれを一切見せない彼の態度に修太朗は眉間皺を寄せ怒気を露わにした。

「てめぇの親父の危機に何してやがった」

「縄の準備を。それから、この数を運ぶのも手間ですから人手を」

 正太郎が声を掛けると、後ろからぞろぞろと人が現れる。刀も差さない恰好から町人らしいことは分かる。こういったことに関わってくるのは大抵が町奉行所の同心たちの手足となって動く岡っ引きや下っ引きの連中。用心棒なんてやっていれば関わり合いになるので知った顔が多いはずなのだが、周平に見覚えは無い。周平が錬三郎の方を見遣ると、屋敷の下の者だ、と答えた。どこまでも町方と関わり合いになりたくないらしい正太郎は、わざわざ下屋敷から小者を連れてきたようだ。

 しかし、今彼らがいる場所から下屋敷までは距離がある。そう考えても行って帰ってくるほどの時間は無かった。つまり、どこかに小者たちを待機させていたということだ。

 助けに入らなかった理由にはなり得ない。

「助太刀くらいしろ。てめぇの親父だろうが。死んだらどうする」

「その時は杉田さんの首が飛ぶだけです」

「こちとらお前の親父と同い年だぞ。ちったぁ労われ」

「用心棒なんですから、そのくらいはしてください」

 何を言っても正太郎にはどこ吹く風。周平への返答は小者たちへの指示の合間でされるくらいだ。

 言うだけ無駄だと思った周平はその親へと怒りの矛先を向けた。

「どう育てたらああなるんだ!」

「妻の育て方が悪かったのだろう。よく言っておく」

「明らかにお前の影響だろう! ほんとそっくりだよ!」

「そうだろうか」

 錬三郎はいまいち得心がいっていないようだが、周平の眼から見れば明らかである。

 錬三郎を襲撃した犯人を(おび)き出す為に周平が提案したのは、襲われた錬三郎自身を囮のすることだった。殺すことが目的だったなら、一人歩きをする錬三郎を見逃す筈がないと踏んだのだ。たとえ出てこなかったとしても何かしらの動きを見せるだろうとは思っていた。

 勿論、錬三郎をただ歩かせた訳ではない。下屋敷内にいるであろう敵対分子に分かるように目的地をわざわざ息子に告げてから外出をさせたし、事前に周平が知り合いに聞き込みをして金廻りの良くなった連中のよくいるという通りも歩かせた。どの筋からでも錬三郎が一人でいると破落戸たちの耳に入るように。

 信憑性が増すようにわざわざ熊八に協力を仰ぎ、長屋で一芝居打ってもらってもいる。

 結果、周平の策は見事にはまり、破落戸たちは現れた。

 この策の最大の難点は、錬三郎をすぐには助けられない点だ。隣に立つわけにはいかないし、見つからないように破落戸たちが錬三郎を()ける更に後ろにいなければならない。つまり、錬三郎の身が一度は危険に晒されるということ。

 しかし、正太郎はこの案を一切の反対も反論もなく呑んだ。実父が再度命の危機に陥るかもしれないというのに、何の躊躇いも無かった。

 正太郎も錬三郎と同じく、家の為、藩の為には家族もまた駒である、と考えているのだろう。

 これを似ていると言わずに何と言うのか。

「とんだことに巻き込んでくれやがって」

「すまなかった。下屋敷内はもとより藩内にも信用できるものが少なくてな。お前を頼る他なかったんだ」

「娘のことまで持ち出して脅しやがって」

「流石に本当にお前の娘家族に何かするなんてことは考えてなかったぞ」

「あたりめぇだ! んなこと考えてやがったら叩っ斬ってるところだ」

「正太郎が本気だったかまでは、責任持てないが。あいつは言葉を額面通り取るきらいがあるからな。いざとなったらやってもおかしくなかったかもしれんな」

「そんな奴にあんな伝言持たせんな!」

「悪かった」

 正太郎が周平を訪ねてきたのは、そもそも錬三郎の指示があってのことだった。

 そして周平はそのことに気付いていた。錬三郎を囮に使ったのもその意趣返しのつもりもあったのだ。

 周平が気付いたきっかけは避けようのない二者択一を迫られた時。

 錬三郎が人を巻き込むときに昔からよく使う手だった。どっちを選んでも片棒を担がされる。どっちを選んでも錬三郎が得をするようにできている。明らかに一択としか思えない二択を迫る。いつもその手に周平は引っ掛かっていた。

 周平も結局は乗っかっていたし、なんなら錬三郎以上に本気になっていたことの方がほとんどかもしれない。引っかかったと分かっていても、しょうがないなと思ってしまう。友達の誘いを無下にする気はなかったというのが大きい。

 ただ今回は錬三郎本人ではなく正太郎経由。旧友の子ではあっても、友本人ではないのだからわざわざ乗ってやるいわれはない。その上、そう何度も同じ手に引っ掛かる程周平も子供ではない。

 正太郎も同じ手を使う質なのかと周平は警戒した。しかし、ただ言われたことを伝えただけの彼は融通を効かせることもできずに破られたのだ。この時点で、この二者択一を考えたのは正太郎ではないことが分かった。

 一番の決め手は娘家族のことを口にしたこと。

 余所者の正太郎に長屋の住人たちが周平の弱みを話す訳がない。稲生藩の中では錬三郎のみが知ること。つまり、正太郎は錬三郎本人から周平のことを聞いたということになる。

 錬三郎が己の厄介事に周平を巻き込もうとしているのだ、と察しがついた。

 だからこそ、正太郎の提案に乗ったのだった。

 それでも娘を脅しの道具にされたことを許した訳ではない。

「お前に家族は絶対会わせないからな」

「溜飲が下がったら会わせてくれ」

「嫌だ。これに関してそんな日は絶対来ない。断言する」

 刀を腰に収め、言い合っている二人の目の前で次々と破落戸たちが縛られていく。

「父上、先に戻ります」

 正太郎はそう声を掛けると、小者たちに破落戸たちを引っ張らせながら下屋敷へと帰っていった。

 帰る場所は同じだというのに。

 取り残された周平と錬三郎はわざわざ見送った後、下屋敷へと歩き出した。残党がいないとも限らない。錬三郎が無事に下屋敷に戻るまで、用心棒としての周平の仕事はまだ終わっていない。

 辺りは薄暮から夜の色合いが強くなっている。藍と橙を混ぜ合わせたような空には少しずつ星が姿を現し始めていた。

 二人並んで歩きながらも、何とも気まずい空気が二人の間に流れている。

 今回の作戦や進捗は常に正太郎を経由して療養中の錬三郎へと伝えられていた。周平と錬三郎が顔を合わせたのは長屋で別れてから初めてのこととなる。

 感情に任せて怒鳴りつけてしまった側。逆鱗に触れてしまった側。

 何を話したらいいのか分からない。謝るのも何かが違う気がする。

 先に口を開いたのは、周平だった。

「これでひと段落か?」

「どうだろうな」

「探っている間、お前の倅に色々聞いた」

 錬三郎があからさまな舌打ちをする。己の息子の口の軽さは看過できなかったらしい。

 口の軽さ、というよりも、正太郎が語ったであろうことは、錬三郎の耳に入れるつもりの無かったことだということに察しがついていたからこその舌打ちなのだろう。

 隣の苦虫を噛み潰したような顔に周平は失笑する。鬼の首を取ったような心持ですらある。

「別に杉田家の汚名なんてわざわざ雪がなくてもいいんだぞ」

「不正を正す為にやっていたことだ」

「国許にだって戻れなくても、俺は気にしない」

「俺は気にする。お前には帰ってきて欲しい」

「たかが勘定方の木っ端役の家が一つ潰れたところで藩政に少しの支障もないだろう」

「俺はお前と、あの頃みたいに一緒にやりたかった」

「放蕩して許される歳でもないだろう、お互い」

「あの頃みたいに笑い合って、喧嘩して。大人になった今なら、酒飲んで、藩政について意見ぶつけて、愚痴言って、互いの家族鵜の話をして、思い出話に花を咲かせて、協力して不正を正しして」

「家老と勘定方がか? 家格が違いすぎて、たとえ藩に残っていてもできたかどうか」

「それでも俺は、周平、お前のいたあの頃が、一番楽しかった。もう戻れないかもしれないが、できる限りあの頃を取り戻したかった」

「俺も、あの頃が一番楽しかった」

「なら、一緒に」

「でも、今の俺にはこの江戸の地で大切なものができた。親の墓も、妻の墓もここにある。娘は産まれてこのかた江戸を出たこともない。長屋の皆には昔から何かにつけ気を回してもらっているし、用心棒稼業で知り合った良くしてくれるお(たな)の旦那もいる。国許より江戸の方が今じゃ知り合いが多いくらいだ」

「里心は無いのか? 稲生藩はどうでも良いと? 国のことは昔のことか?」

「気にはなる。ならない訳がない。でも国を出たからこそ、今の俺がある。そう思う。少なくとも江戸に出なければかかあにも会えなかったし、娘も生まれなかった。孫の顔も見られなかった」

「未練は、ないのか?」

 横へ顔を向ければ。錬三郎の隣を歩いていた筈の周平の姿がない。振り返れば、数歩後ろで立ち止まっていた。

「確かに親父は一人責を負わされ、俺たち一家は国許にはいられなくなった。親父の属した派閥が悪かったと言えばそれまでだが、上手く立ち回れなかった親父が悪い。未練の有無じゃない。杉田家の人間である俺は、入れない。それだけのことだ」

 目の前には灯り。稲生藩の下屋敷の前に到着していた。

 藩邸にすら入る事はできない。そう言いたいのだろうことは分かった。

「周平!」

 錬三郎が引き止めようと名前を呼ぶも言葉の続きが出ない。長屋へ帰る為に踵を返した周平は何も言わず、振り返ることなく肩越しに手を振るだけだった。



 一夜明け、下屋敷の前で再び二人は顔を合わした。

 早朝に訪ねてきた正太郎に無理矢理引っ張ってこられた周平は欠伸を零す。

 下手人という成果と共に錬三郎が襲われた一件が藩内で長年起きている藩財政の横領着服の元締めの指示であることを藩主に報告した錬三郎は、書状を手に参勤交代に先んじて稲生藩へ戻ることになった。証拠隠滅を防ぐためでもあるが、藩主帰参までにある程度の解決を見せるようにとのことらしい。

 見送りをさせる為に正太郎は周平を連れてきたのだ。息子なりの気使いなのだろう。

 家の為に父親を囮にすることに抵抗は無くても、家族の情が無い訳ではないらしい。

「やはり、一緒に来てはくれないんだな」

「俺にも仕事があるんだよ」

「そうか」

 錬三郎の顔が明らかに翳る。周平と国許に帰ることをどうしても諦めきれないらしい。

 錬三郎が己の為にこの三十余年動いてくれていたことは理解している。だからこそ、どうにも引け目に感じてしまう。

 それでも周平は江戸を離れる気はないのだ。

 周平は家族の為なら武士である必要はないと考えている。立場も名も、家族の幸せには変えられない。

 錬三郎は家族の為に武士としてあり続けようと考えている。立場も名も、家族の幸せの為に必要だからこそ固執する。己の命に代えても家を護りたいのだ。

 考えている幸せの形が違うからこそ、相容れていない。戻らない三十余年の歳月の中で、互いの価値観は離れた。

 それでも家族の幸せを考えていることに違いはない。家長として、そこは同じなのだろうことは、周平も納得している。己の考えを押し付けるつもりもなければ、考えを変える気もない。

 まぁ一歩くらいは譲歩しても良いかな、とは思う。

「生きている間に殿のお許しが出たら、一度くらいは娘連れて里帰りしても良いかもな」

 周平の言葉に錬三郎の表情が一気に明るくなる。

「必ず、説得してみせる」

「気長に待つよ」

 互いに笑い合い、言葉を飲みこむ。

 もう出立しなければならない。また参勤交代があるとしても、内政が落ち着くまで錬三郎が藩を出ることは叶わないだろう。故に次に会えるのがいつになるのか分からない。

 お互い良い歳である。今生の別れになってもおかしく無い歳だ。

 どうしても別れを惜しんでしまう。

「父上、そろそろ」

 無情にも正太郎が出立の催促をしてくる。

「では、な」

 曖昧な別れの言葉しか錬三郎の口からは出なかった。

 小馬鹿にするように周平が鼻で笑う。

「次江戸に来たら、また飲もう」

 周平が拳を目の前に掲げ、甲を向けてくる。一瞬驚いてから錬三郎は屈託のない若人のような笑顔で同じように拳を掲げた。

「ああ。またな」

 互いの手の甲がぶつかる。

 錬三郎はそのまま正太郎と共に稲生藩への帰路についた。周平のことを振り返りはしなかった。

 残された周平は錬三郎たちの背中が見えなくなるまで見送り続けた。

 遂に影も見えなくなり、踵を返す。目の前を桜の花びらが通り過ぎた。見上げれば所々新芽の頭が覗いている。春の終わりも近い。

「孫の顔でも見に行くかな」

 爽やかな青空に両手を向け、身体を伸ばす。

 見上げた晴れ空には所々雲が浮かび、ゆっくりと錬三郎たちを追うように流れていくのが見えた。

今回は公式企画になんとか乗ることができました。

前回はテーマを落とし込めずに断念し、前々回は締め切りに間に合わなかったという失態。

20日の時点で全然できていませんでしたが、なんとか書き上げました。


今回の話、構想自体は随分昔から頭の中にありました。

考えるきっかけはとある曲。書いているうちに歌詞の意図や意味から遠く離れて、元ネタはどこへやらという感じではあります。

所々名残はあります。桜が登場すること、周平の頭白いこと、周平の苗字がこの曲が再放送のオープニング曲だったアニメの主人公の声優の苗字と同じであること。本当にそのくらいです。

四人組でもなければ、若くもなく、銀髪でもない。木刀でもなければ、暁もない。タイトルもかすりもしない。


それでも脳内でのこの作品のテーマソングは変わらずこの曲です。


ちなみに頭の中には続編も勝手にできていたりします。

周平と錬三郎が江戸の町の中、若殿を探す話や、稲生藩に帰った周平がかつて父親をはめた男と決着をつける話など。

思いつきはしましたが、書く予定はありません。

皆様の中で色々想像していただければと思います。



継続で書いている『雲居藩妖怪抄』も、引き続き御贔屓いただければと思います。

今回の公式企画で初めて読んでくださったという方も、もし興味を持っていただけましたら他の作品も少し覗いていただけましたら幸いです。

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