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the YUMMY GREEN

作者: ゆうと

 時刻は、午後6時。

 場所は、都心から電車で30分ほどの場所にあるアリーナ。


 そこは現在、多くの人々によって1階のフロアも周囲のスタンド席も埋め尽くされていた。人数はおよそ2万人、十代後半から三十代前半までの比較的若い男女が最も多く見られるが、中には高齢者や親と手を繋ぐ小さな子供までその年齢層は多岐にわたる。

 椅子を目印として見えない壁で仕切られるスタンド席はまだしも、フロアの方はあまりの密度に掛けている眼鏡が曇ってしまうほどの熱気が籠もっている。しかし誰もそれを気にする素振りを見せずに、そわそわと落ち着かない様子で隣の者と話し込んだり、頻りにステージに顔を向けたりしていた。

 ステージ上には、様々な楽器が置かれていた。中央には青のストライプの入った赤いギターが置かれ、それを挟むようにギター(こちらは対照的に赤のストライプの入った青いそれである)とベースが置かれている。その奥には、フロアから見て右にドラムセットが、左にはキーボードが階段状に2台設置されている。そしてそれら全てに、スタンドで固定されたマイクが控えていた。


 ふいに会場の照明が薄暗くなり、代わりにステージが眩いばかりのライトに照らされた。たったそれだけで拍手が沸き起こり、一部の観客が興奮したように声をあげる。

 そんな彼らの声に応えるように、会場全体に軽快なBGMが流れ始めた。出囃子としてこのライブ専用に作られたその音楽に、観客達はリズムに合わせて一斉に体を揺らし始めた。中には「アルトー!」とか「ヤミグリー!」といった具合にステージへと呼び掛ける者もおり、それが更に周りの観客の興奮を掻き立てる呼び水となっていく。

 そうして会場全体のボルテージが上がり続けること1分弱、舞台袖から5人の人物がステージ上に姿を現した。十代後半というとても若い見た目をした彼らの登場に、観客達がその瞬間より一層色めき立ち、激しい喧騒に包まれた。


 意気揚々とした仕草で青いギターに手をかける、平均よりは小柄な体躯をした金髪童顔の少年。

 具合を確かめるようにベースを鳴らす、表情の変化に乏しい黒髪長身の少年。

 ドラムセットを見据えてどっかりと椅子に腰掛ける、燃えるように真っ赤なツーブロックが特徴的な大柄な少年。

 口元に笑みを浮かべてキーボードを撫でるような手つきで触る、どことなく上品な雰囲気を漂わせる銀髪の少年。

 そしてそんな彼ら4人を従えるようにステージ中央に立つ――


「こんばんは、“the YUMMY GREEN”です」


 突如BGMが鳴り止み、そして間髪入れずに放たれたその一言は、特別な感情が込められたわけでもない、言ってしまえば単なる自己紹介だった。

 しかしたったそれだけで、観客が一瞬静まり、そして先程以上の歓声が返ってきた。声を乗せた空気が、質量を伴ってビリビリと震えている。


「それじゃさっそく一曲目、『Black Bus』」


 その声と共に先陣を切ったのは、ドラムだった。重厚なバスドラムから軽い金属音のハイハットまで、様々な打楽器の音が一切の間隔を開けることなく濃密に襲いかかってくる。その一音一音が観客達の血液を滾らせ、興奮を焚きつけていく。

 そのドラムの音に、ベースが加わった。相変わらず表情は動かないが、その指先は目まぐるしいほどに暴れ回っている。その細く白い指から繰り出される重低音の波が、観客達の臓器を容赦なく揺さぶっていく。

 昇る一方である観客達のテンションが、ツインギターによってさらに跳ね上がっていく。縦横無尽にフロア中を駆け回る二つの旋律が、2人のアイコンタクトで一つの音へと変換されていく。

 そして4人が繰り出す音の渦に、キーボードが飛び込んできた。2つのキーボードを同時に演奏し、観客の耳を劈くほどに高い電子音と、ベース並に重く抉れるような電子音が、4人の作り出した調和をぐちゃぐちゃに掻き回していく。しかしそのせいで今までのハーモニーが壊れることは無く、むしろこの瞬間に5人の音は“音楽”へと変容したのだとばかりに観客達がその音に乗って跳び上がった。

 そしてどこか中性的で、しかし迫力のある歌声が響き渡ると、観客の興奮はピークに達した。そして、それが収まる気配は微塵も無い。その歓声が生み出す空気の震えは、今や壁や天井を共鳴させてライブハウス全体を揺らすほどに大きなものとなっている。


 狂乱とも言えるこの盛り上がりは、演奏が終わる2時間後まで止むことはなかった。



 *         *         *



 月曜日の朝。

 都内にあるごく普通の住宅地、その中のごく普通の一軒家。

 表札に“川越”と書かれたその家のリビングでは現在、母親とその子供である姉弟の3人がテレビのニュース番組を流しながら朝食を摂っていた。とはいえテレビを熱心に観ている様子は無く、せいぜいが食事中のBGM、あるいは時計代わりとしての役割でしかない。その証拠にトーストを齧る姉弟の目は未だにトロンとしており、今にも寝落ちしてしまいそうだ。


『今日のエンタメニュース! 今最も勢いに乗るバンド“the YUMMY GREEN”! 土曜日に千秋楽を迎えたライブツアーで、新曲がサプライズで発表されました!』

「おぉっ! ヤミグリじゃん!」


 しかし番組がエンタメ関連のコーナーに変わり、アナウンサーがバンド名らしき単語を口にしたその瞬間、弟である中学生ほどの少年が一気に目を輝かせてバッとテレビに顔を向けた。そしてカラフルな照明に彩られた音楽ライブの映像に映し出された5人の若者に、興奮したように叫び声をあげると音楽に合わせて体を動かし始めた。

 食事中にも拘わらずそんな行動に出る彼に、母親が冷ややかな視線を向ける。


「勇気、ちゃんと座って食べなさい」


 勇気と呼ばれた少年は水を差されたからかムッと顔をしかめるも、大人しく椅子に座り直して再び朝食を食べ進める。

 母親はそれを見て小さく頷くと、興味を惹かれたようにテレビへと視線を移した。


「お客さん、随分たくさん入ってるのねぇ」

「そりゃそうだよ、2万人の会場が満員だったんだから! くそぉ、俺も行きたかったなぁ!」


 勇気がそう言いながら別の皿に盛られた目玉焼きをトーストに乗せ、悔しさを紛らわすように先程よりも力を込めてガブリと齧り付いた。


「行けば良かったじゃない。土曜日だから学校休みでしょ?」

「チケットが取れなかったんだよ! 抽選めっちゃ厳しいんだから! ったく、もっとでかい会場でライブしてくれたらなぁ!」

「仕方ないでしょ、色々事情があるんでしょうし。――それにしても、このバンドってそんなに人気があるのねぇ」


 母親がのほほんとした口調でそう言うと、勇気の目がキラリと光った。


「当たり前じゃん! 今日本で一番勢いがあるバンドといったら間違いなくヤミグリだろ!」

「っ――」


 勇気の言葉にピクリと僅かに肩を跳ね上げる者がいたが、彼はそれに気づかず母親への語りを続ける。


「メンバー全員が高校2年生! 高校進学と同時に大手レーベルと契約してプロデビュー! アマチュア時代から注目されてて、ファーストアルバムがいきなり30万枚超えの大ヒット! サブスク全盛のこの時代にだぞ! 凄いだろ!」

「へぇ、そうなの。確かにこれだけイケメンばかりだと、それだけ人気になるのも分かるわねぇ」

「確かに見た目は良いけど、それだけで人気なわけじゃないから! メンバー全員が作詞作曲できるから音楽のジャンルも幅広くて、しかもどれもクオリティ激ヤバで評論家からの評判も良いんだから!」


 すっかり眠気も飛んで力の籠もった解説を繰り広げる勇気に、母親は「へぇ、そうなのね」とちゃんと話を聞いているとも軽く聞き流してるとも取れる返事をする。


「メンバー全員が曲を作れるから新曲のペースも早いし、タイアップも色々やってるんだよ。少し前に発売したセカンドアルバムもめっちゃ売れたし、だからこそ今回のアリーナツアーも絶対に行きたかったんだけどなぁ……。明らかにファンが増えて抽選の倍率がかなり上がってる気がするんだよ……」


 解説から自然な流れで愚痴へとシフトした勇気に母親は苦笑いを浮かべ、そしてふと何かに気づいたように別の方へと視線を向けた。


「それだと、愛華(あいか)の学校でも()()()()のファンってかなり多いんじゃない?」

「へっ?」


 母親がそう話題を振ったのは、今までずっと会話に参加せず黙々と朝食を食べ進めていた勇気の姉――愛華だった。

 今は椅子に座っているので分かりにくいが高校生の少女にしては高めの身長に、艶のある真っ黒な長い髪を背中に垂らす彼女は、自分に振られると思ってなかったのか、黒縁眼鏡の向こう側でその黒い目を大きく見開いている。

 と、愛華が返答に詰まっているその僅かな間に、今度は勇気の方が「あっ!」と大きな声をあげてバッと彼女に視線を向けた。いや、その鋭い目つきはほとんど“睨みつける”と表現して差し支えない。


「てか、姉ちゃんがチケット取ってくれれば良かったんじゃん!」

「……えっ、私?」

「だって姉ちゃん、メンバーの4人と同じ学校なんだろ!? しかもGENとは同じクラスじゃん!」

「…………」


 フイッと目を逸らす愛華に、勇気は構わず話し続ける。


「そうだよ! 姉ちゃんがメンバーに頼んで関係者ってことでチケットを取ってくれれば、わざわざ抽選に参加しなくても良くなるじゃん! なぁ姉ちゃん、今度ライブやるってときに頼んでよ!」

「えっと……」

「ちょっと勇気、あんまりそういうの良くないんじゃないの?」

「そんなこと無いって! その分だけ一般のチケットが空くんだから、むしろ良いことじゃん!」


 母親の静止も聞かず懇願し続ける勇気に、愛華は朝食の残りを口に放り込んで牛乳で流し込むと、空いた食器を手に勢い良く立ち上がった。


「ごちそうさま!」

「あっ、姉ちゃん! 逃げんな!」


 勇気の呼び掛けを無視してキッチンの流し台に食器を持って行く愛華に、母親がテレビに表示された時刻を見つつ首を傾げる。


「あら、随分早くない?」

「早く行かないと、学校入れなくなりそうだから」


 母親が納得したように頷くのを背中に、愛華は足早にリビングを出ていった。





 超が付くほどに若手でありながら日本音楽界にて一気に頭角を現してきたバンド“the YUMMY GREEN”のメンバーは、全部で5人。

 ギター担当のGEN。

 ベース担当のSUGURU。

 ドラム担当のLAMBDA。

 キーボード担当のKENJI。

 そしてギター・メインボーカル担当のALTO。

 その内ALTOを除く4人は同じ中学校出身で、当時は4人で同じバンドを組んで地元のライブハウスを拠点に活動していた。そこから中学3年の秋頃にALTOを迎えて“the YUMMY GREEN”を結成し現在に至るわけだが、4人は変わらず同じ高校へ進学する道を選んだのである。

 そしてその高校というのが、


「うわっ、もう集まってる……!」


 時刻は現在、午前8時を少し過ぎた頃。朝のホームルームの時間を考えるとまだ随分と余裕があり、普段なら朝に用事のある生徒以外あまり見掛けることの無い時間帯だ。普段の愛華も、今より15分か20分ほどは遅く校門を潜っていたことだろう。

 しかし現在学校の校門には、学生服を着た少年少女による人集(ひとだか)りが出来ていた。校門は学校正面を走る道路から少し奥まった所にあり、よって校門前はちょっとしたスペースがあるのだが、そこは現在そわそわと落ち着かない様子の生徒と、それを見張る教育指導担当の教師数名によって埋め尽くされている。なお愛華のいる場所からは死角になって見えないが、校門から校舎の昇降口までを繋ぐアプローチの両側にも生徒による壁が見事に出来上がっていた。

 敷地内にいるのは愛華と同じ高校の生徒達のみだが、敷地外にいるのは別の学校から来たと思われる者ばかりだ。性別の比率としては、女子が6割で男子が4割。意外と差が無いように思われるが、校門すぐ脇や人集りの前列など見通しの良い場所は特に熱心な様子の女子生徒によって陣取られている。


「みんな、来たよ!」


 と、女子生徒による呼び掛けに、そこにいた全員にピリッと緊張が走った。少し離れた場所で眺めていた愛華ですら、雰囲気で察せられるほどだった。

 そうして現れたのは、黒いワンボックスカーだった。ハザードランプを点滅させながら路肩に停められたその車のドアが開かれ、中から愛華と同じ制服を着た4人の少年が降り立った瞬間、主に女子達の甲高い悲鳴にも似た歓声に辺りが包まれた。

 その歓声に一瞬怯んだ仕草を見せるも、即座に立ち直って校門へと歩く4人の少年。


 平均よりは小柄な体躯をした金髪童顔の少年――GENこと、杉田弦(すぎた・げん)

 表情の変化に乏しい黒髪長身の少年――SUGURUこと、軽部優(かるべ・すぐる)

 燃えるように真っ赤なツーブロックが特徴的な大柄な少年――LAMBDAこと、宍戸羅夢舵(ししど・らむだ)

 どことなく上品な雰囲気を漂わせる銀髪の少年――KENJIこと、盤上鍵二(ばんじょう・けんじ)


「弦くん! 昨日のライブ観たよ! 凄く格好良かった!」

「本当に? サンキュ!」

「優くんも、ベース弾いてる姿めっちゃキマってたよ!」

「……ありがと」

「羅夢舵くん! こっち向いてー!」

「朝からうるせぇな……」

「鍵二くんもサイコーだったよ!」

「ありがとう。これからも応援よろしくね」


 女子達の声援にそれぞれ返事をしながら、4人が校門を抜けて校舎へと向かっていく。中には素っ気ない対応をする者もいたが、彼女達にとってはそれすらも嬉しいようでいちいち歓声をあげていた。その歓声が徐々に小さくなっていくことで、4人が今どの位置にいるのか分かるほどだ。


「ウチの生徒は校舎へ、他の学校の子は速やかに自分達の高校へ向かいなさーい!」


 やがて4人が完全に校舎の中へと入り、校門を見張っていた教師がそのような呼び掛けをした辺りで、校門前に集まっていた少年少女達がぞろぞろと動き出してその場を離れ始めた。名残惜しそうながらも達成感に充ち満ちた表情を浮かべながら、続々と愛華の脇を通り過ぎていく。

 そんな中、とある女子生徒2人組の嬉しそうな会話が聞こえてきた。


「今日も格好良かったね!」

「ホント! あの4人と一緒の学校に通える人達が羨ましいよ!」

「マジマジ! どこに進学するかなんて、直前まで知らなかったわけじゃん! 同じ学校に通えるってだけで、それこそ“奇跡”だよね!」


 そんな彼女達の後ろ姿をチラリと見遣り、そして自分がこれから向かう校舎を見上げ、愛華はポツリと呟いた。


「奇跡、か……。確かにそうかもね」



 *         *         *



 余所の学校の生徒が校門前から去ったことでようやく愛華が自分の教室に入った頃には、既に教室の真ん中辺りにて男女混合のグループが仲良くワイワイと談笑していた。所謂スクールカーストのトップ層に位置するクラスメイトで構成されたそのグループは、髪型や小物で着飾っているためか自分と同じ制服を着ているはずなのにやたらと華々しく見える。


「また出待ちの女の子増えてたな」

「出待ちは普段もいるけど、ライブがあると余計増えるよね」

「この雑誌の影響もあるんじゃない? ほら、弦が表紙を飾ってる」

「おおっ、こうして見るとプロっぽいじゃん」

「ぽいじゃなくて本物のプロだっての!」


 そしてそのグループの中心には、当たり前のようにバンドメンバーの1人・杉田弦の姿があった。女子生徒の1人が持ってきたギター専門誌をパラパラと捲っては表紙を飾る彼の姿や巻頭インタビューの内容についてアレコレ揶揄い、その度に弦が大きな声でツッコミを入れていく。勿論彼らに弦を軽んじている様子は無く、自分と同じ歳で既に大きな活躍を見せる彼に対するリスペクトが言動の端々に表れている。

 そんな彼らを横目に捉えながら、愛華は中央の列で最後方に位置する自分の席へと着いた。ライブにおいても自前のギターテクニックだけでなくMCや煽りで観客を盛り上げるのが得意なだけあってか、普段から弦の周りには常に笑顔と笑い声で溢れている。

 それこそ、自分との違いを否応無しに見せつけられていると被害妄想してしまうほどに。


「…………」


 小さな溜息と共にネガティブな考えを吐き出して、愛華は制服のポケットからスマホを取り出した。

 ワイヤレスのイヤホンを耳に嵌め、動画サイトのアプリを立ち上げる。


 ――あっ、ヤミグリの新曲がランキングに乗ってる。


 それは今朝のニュースでも報じられていた、土曜日のライブで初披露した新曲のPVだった。『the YUMMY GREEN - ジグソーパズル』というシンプルなタイトルながら既に再生数はミリオンを優に突破しており、それに合わせて高評価数もコメント数もかなりのものとなっている。

 愛華の指が自然と再生ボタンへと伸び、イヤホンからアップテンポのサウンドが流れ出す。

 と、そのとき、


「川越さーん、何観てんの?」

「――――!」


 いつの間にかすぐ隣にまでやって来ていた弦が、そう呼び掛けながら愛華のスマホを覗き込むように顔を近づけてきた。少し幼い印象ながらもイケメンと呼んで何ら差し支えない整った顔がすぐ目の前にまで迫り、愛華は自分の顔が熱くなるのを自覚しながらサッと顔を仰け反らせた。

 そして先程まで弦と談笑していたクラスメイト達が、そんな愛華の反応に思わずプッと吹き出していた。


「おい弦、川越さんが可哀想だろ~」

「そうだよ。見られたくないものだったらどうすんの?」

「別に変なのじゃないよ。俺達の新曲のPVだから」

「ほら、変なのじゃん」

「どういう意味だよ!」


 変なの発言した男子生徒にツッコミを入れるべく、弦が早足で愛華から離れて彼らの下へと戻っていく。


「私は観たよ~。今回の新曲も、めっちゃカッコ良かったね!」

「アレってアルトくんが作ったんだっけ?」

「そう。詩も曲も――」


 そうして弦が再び談笑に戻ってきたことで、愛華の方に視線を向けるクラスメイトは誰一人いなくなった。


「もう、ビックリした……」


 小さく深呼吸して心を落ち着かせながら、愛華も動画鑑賞を再開すべくスマホへと意識を集中する。

 だからだろうか、弦がチラリと彼女へと視線を向けたことには気付かなかった。





 3時限目の授業は、隣のクラスと合同でのサッカーだった。男女別にクラス単位でチームを組んで試合するという内容に、普段からサッカーとなるとやけに積極的な男子生徒が特にやる気に満ちた雰囲気を醸し出していた。

 そして実際に男子の試合が始まると、同じく試合をするはずの女子生徒達がコートの脇に並んで声援を送るなど、さながら大会かと見紛うほどの盛り上がりを見せていた。そしてそんな女子の声援によって男子達が更にやる気を出すという、おそらく体育教師の意図していない方向での相乗効果を生み出している。

 しかしながら女子がここまで試合に夢中になっているのは、試合の内容がそれだけハイレベルだったから、というわけではなく、


「やべぇ! 羅夢舵にボール渡ったぞ!」

「全力で止めろ!」

「オラオラ! どけテメェらぁ!」


 真っ赤に染めたツーブロックという特徴的な髪のおかげで遠くからでもすぐに見つけられる、バンドメンバーの1人でもあるその少年・宍戸羅夢舵は、3人ほどに囲まれながらも僅かに空いた隙間にその大柄な体を器用に滑り込ませ、相手ゴールに向けて思いっきり右足を振り抜いてシュートを放った。

 ボールはゴール正面を陣取っていた男子生徒の脇を通り抜け、僅かにカーブを描きながら相手ゴールへと吸い込まれていった。


「キャー! カッコイイ~!」

「頑張れ、羅夢舵く~ん!」


 その瞬間、観戦していた女子生徒達から一斉に黄色い声が飛んだ。しかし羅夢舵はそれに笑顔を向けるどころか一切の無表情で、それどころか視線1つ寄越すこと無くボールへ向けて走り出していく。しかしそれが却って格好良いのか、彼女達が不満の顔を浮かべることは無かった。

 そんな彼女達の後ろで、愛華が膝を抱えながらボーッとした顔で試合を眺めていた。

 もっと正確に言うと、コートを縦横無尽に動き回る羅夢舵を目で追い掛けていた。


 ――さすが宍戸くん、ドラムやってるだけあって体力が凄いな。


 羅夢舵の演奏は、とにかく力強い。特に生で観るときなど臓器を直接揺さぶられるかのように錯覚するほどであり、それでいて力任せではなくリズムキープなどの技術もしっかりと伴っている。そんな彼の性格を反映したように、作曲をするときも力強く激しい曲調のものが多い。


「ほら女子~。観戦するのも良いが、いい加減早く試合を始めろ~」

「は~い」


 さすがに見かねたらしい教師の言葉に、女子達は渋々ながらも意外と素直にそれに応じ、男子が試合をしているコートを離れていった。

 このまま見学でも良かったんだけどなぁ、とスポーツが全般的に苦手な愛華は内心そう思いながらゆっくりと立ち上がり、羅夢舵から視線を外して他の女子生徒の後へと続いていく。

 と、コートの中でボールの取り合いをしていた男子生徒の1人が、クリアリングも兼ねてボールを大きく蹴り飛ばした。

 そのボールが、余所見している愛華へとまっすぐ飛んでいく。


「川越さん! 危ない!」

「えっ?」


 切羽詰まった呼び掛けに、愛華はほとんど反射的に顔を上げる。

 瞬間、まっすぐ顔を目掛けて飛んでくるボールが視界に入った。

 みるみる大きくなっていくボールに、咄嗟に動くことができない愛華。


「――――!」


 と、次の瞬間、横からニュッと伸ばされた腕が愛華の顔とボールの間に割り込まれ、ボールはその腕に行く手を阻まれて真下へと落ちていった。

 愛華がその腕に沿って視線を遣ると、そこには小さく肩を上下させて荒く呼吸する羅夢舵の姿があった。


「羅夢舵くん!? 手は大丈夫!?」

「ちょっと男子~! 他の人に当たったら危ないでしょ!」

「羅夢舵くんが手を怪我したらどうすんの! 責任取れるの!?」

「悪い悪い! 羅夢舵、サンキューな! そっちの女子もゴメン!」


 愛華が驚きで目を見開いている間に他の生徒達との遣り取りが交わされ、彼女が我に返ったときには既に事態は終息したかのような雰囲気となっていた。その証拠に、彼女を助けた形となった羅夢舵もコートに戻ろうとしている。


「――し、宍戸くん!」


 しかし愛華の呼び掛けに、羅夢舵は足を止めて振り返った。


「え、えっと、その……。あ、ありがとう、ございます……」


 同じ歳であるはずなのに思わず敬語になってしまったが、それでも愛華は最後まで押し通して勢い良く頭を下げた。


「…………おう」


 羅夢舵はそれだけ答え、愛華に背中を向けてコートへと戻っていった。





「やっと昼だ~」

「腹減った~」


 昼休みを知らせるチャイムが鳴り、教室の生徒達は待ってましたとばかりに昼食の準備を始めた。仲の良い友人同士で集まって教室を出て行く者、あるいは教室内の一画に集まって持参した弁当を広げる者もよく見られる。

 ちなみに愛華は他の誰にも声を掛けること無く、逆に声を掛けられることも無く、自席から一切腰を浮かせずに机の脇に引っ掛けていたコンビニのビニール袋へと手を伸ばしていた。


「弦、メシ行こうぜ」

「おう」


 声のした方へと何と無しに目を向けると、朝も談笑していたクラスメイトに呼び掛けられた弦が席を立ち上がるところだった。彼の場合は弁当持参の場合と校内の食堂を利用する場合とで半々なのだが、どうやら今回は食堂を利用するらしい。

 とはいえ愛華にとっては特に関係ある話ではなく、即座に視線を手元に戻してコンビニ袋からサラダとおにぎり1個を取り出した。登校途中に買ってきたものであり、彼女にとっては別に普段通りの献立である。

 と、何やら廊下が騒がしくなってきた。主に女子生徒の話し声が聞こえ、しかもそれがだんだんと大きくなっていく。


「弦、今から学食?」


 そうして教室の後方入口から顔を覗かせてきたのは、バンドメンバーの1人でもある少年・軽部優だった。彼の周りには頬を紅く染めた女子生徒が何人も控えているが、別に彼自身が彼女達を従えているわけではなく、何なら同行しているという認識すら無いかもしれない。


「そう。優は?」

「もう買ってる」


 弦の問い掛けに優はそう答え、手に持っていたコンビニ袋を顔の高さに掲げた。愛華と同じではあるが、袋の膨らみが明らかに違っており、傍目に見るだけでも重量感が伝わってくる。

 そしてその袋を見た瞬間、弦はギョッと目を丸くした。


「っておまえ、また菓子パンばっかかよ! そんなんじゃ体壊すぞ!」

「大丈夫。ちゃんとバランスは取ってるから」

「チョコパンとクリームパンとジャムパンじゃ、バランスを取ってるとは言わないんだよ!」


 弦のツッコミに、優は意味が分からないとでも言いたげに首を傾げた。

 そしてその仕草のときも、顔には一切感情が表れない。


 ――相変わらず落ち着いてるというか、何を考えてるのか分からないというか……。


 優のそのスタンスは、バンドでベースを演奏しているときも同様だ。複雑なメロディを奏でるときも表情は変わらず、派手なパフォーマンスも一切無い。しかし打ち込みも得意とする彼の存在がバンドにとって大きな力になっている、というのは様々なインタビューでよく語られており、故に地味な役回りながら彼もまた多くのファンを得ているのは確かだ。

 と、愛華がそんなことを考えていると、ふいに優の視線がこちらへと向いた。


「――――!」


 最初は偶々そうなっただけで自意識過剰な勘違いかと思った愛華だったが、明らかにこちらに焦点を合わせながら教室へと足を踏み入れてきたことでその線も打ち消された。

 同世代と比べてもかなり高い背を持つ彼が目の前にまでやって来て、その影が愛華に差すことで彼女の視界が暗くなる。


「川越さん、それだけで足りる? ちゃんと食べないと体に悪いよ」

「優~、人のこと言えねぇぞ~」

「俺はちゃんと食べてるし」

「菓子パンをな」


 クラスメイトの軽口に頓着する様子も無く、優は自分のコンビニ袋からジャムパンを取り出して愛華の机に置いた。


「あげる」

「えっ? いや、要らな――」


 困ったように眉を寄せる優。

 入口の外からプレッシャーを掛ける女子生徒達。

 それらに気づいた愛華が、ほとんど口から出ていた言葉を慌てて吞み込んだ。


「あ、ありがと、軽部くん」

「ん」


 満足した様子で頷いた優は、そのまま踵を返して教室の入口へと歩いていった。


「いや、俺らを置いてくなって!」


 弦と数人のクラスメイトが、慌ててその後を追い掛けていく。先程まで賑やかに会話していた彼らがいなくなったからか、教室の中がやけに静かになったような錯覚に陥る。

 いや、錯覚ではなかった。

 優が教室を去った後も入口に残り続けている女子生徒が恨めしそうな目を愛華へと向け、他のクラスメイトが困惑した表情で黙りこくっているからだ。


 ――いや、どうしろと。


 取り残されたジャムパンを見下ろしながら、愛華は心の中でそう呟いた。





 量としては腹を満たすには充分でも、時間に関しては昼食だけで昼休みの時間を全て使い切ることはまず無い。友人同士で昼食を摂る場合はお喋りのせいでむしろ足りないくらいなのだろうが、生憎と愛華はそのような時間の使い方ができる性分ではない。

 よって彼女はよく昼食を終えると、校内の図書室へと足を運んでいた。蔵書も多く読書スペースにも余裕があるため、単純に読書だけでなく自習目的でやって来る生徒も少なくない。


「……ん?」


 しかし愛華は図書室に入った瞬間、普段よりも生徒の数が多いことにすぐに気が付いた。しかも女子生徒の姿ばかり目立つとなれば、その違和感もより大きなものとなる。ましてや彼女達の大半が本の1冊も持っていないとなれば尚更だろう。

 しかしその疑問は、彼女達の視線の先を追うとすぐに氷解した。


 ――成程、そういうことか。


 部屋の中央に並んだテーブルに着いて本を読むのは、バンドメンバーの1人である少年・盤上鍵二だった。視線を落として本を読む姿はまさしく絵画のように様になっており、ページをペラリと捲る度に女子生徒の口から溜息が漏れる。

 確かに愛華の目から見ても、彼の姿は気品のようなオーラに溢れているように思えた。実家が資産家であり幼い頃から音楽を含めた様々な英才教育を受けてきたという情報が、自分の脳に妙なエフェクト処理を施しているのかもしれない、などと変なことを考えてしまうくらいには。


 ――と、いけないいけない。本を読みに来たんだった。


 鍵二に見惚れる女子生徒達の間をスルスルと擦り抜けて、愛華は目当ての本棚へと向かっていく。この図書室に限らずこういった場所はジャンルごとに細かく分類がされており、常連と言って良いほどに通っている彼女ならばキョロキョロと探し回るようなことも無い。

 そうして彼女が辿り着いたのは、児童小説の本棚だった。学校に所蔵されているだけあって名作揃いだが、大人に対する憧れが一層強くなる年代だからか、この本棚を利用する生徒はあまりいないように思われる。

 ぎっしりと並んだ背表紙をザッと見渡し、スッと手を伸ばして1冊の本を取り出す。表紙に書かれた『ハックルベリー・フィンの冒険』という文字列に、それが間違いなく目当ての本であることを確認する。


「へぇ。川越さん、そういうの読むんだ」

「――――!」


 図書室に相応しい小声にも拘わらずハッキリと聞き取れたのは、それだけ近い場所から発せられたからだ。突然の出来事に愛華は思わず肩を跳ね上げ、バッと飛び退いてその場から即座に離れる。

 そうして距離を取った状態で彼女が視界に収めたのは、先程感じた上品な印象を一切崩さない柔らかな笑みを浮かべた鍵二だった。


「ごめんごめん、驚かせちゃったね。といっても、僕は普通に近づいて声を掛けたつもりだったんだけど」

「……盤上くん、どうしたの?」

「川越さんが何の本を探してるのか興味があって」


 鍵二はそう言うと、その本を覗き込むために顔を近づけてきた。わざわざ膝を少し折って顔の高さを合わせてきたせいで余計に距離が狭まり、自分の息が掛かりやしないかと愛華は思わず息を止めた。


「懐かしい。小学生のときに読んだよ」

「そ、そうなんだ……。えっと、個人的にちょっと読んでみようと思って」

「ふーん、個人的に……」


 ニコニコと笑顔を浮かべたまま、鍵二が愛華からスッと離れた。

 彼女がホッと胸を撫で下ろすのも束の間、鍵二も本棚から1冊の本を取り出した。そこは先程彼女が取り出した箇所のすぐ隣であり、故に鍵二の持つ本もまったく同じものである。


「久し振りに、僕も読んでみようかな?」

「えっ? 盤上くんも?」

「まぁね。――読み終わったら、感想を聞かせてね 」


 愛華が返事をする間も無く、鍵二はヒラヒラと手を振ってその場を離れていった。

 本人にとってはどうか知らないが、少なくとも彼女にとっては“嵐のような出来事”と呼べるほどに精神的な疲労を覚えた。せっかくの昼休みなのに、と無意識に溜息を――


「ねぇ、あなた!」

「うわぁ!」


 そんな暇すら与えないとばかりに背中から大声で呼び掛けられ、そのせいで愛華も思わずそれに負けないほどの大声をあげてしまった。

 そして次の瞬間、けっして広くはない通路に多くの女子生徒が殺到してきた。勿論言うまでもなく、全員が鍵二の読書姿に見惚れていた者である。


「その本、よく見せて!」

「良かった! まだ2冊ある!」

「待って! 私が借りるの!」

「ちょっと! 私が先に触ったんだからね!」

「ね、ねぇ……? その本、私に譲ってくれない?」

「あっ、ズルい! ねぇ、私に譲って! 勿論お礼はするから!」

「あぁもう! こうなったら電子書籍でも良いや!」


 本棚に押し寄せる者、交渉を持ち掛けてくる者、スマホを取り出す者と、図書館とは思えないほどの喧騒に包まれている。遠くから受付を担当している図書委員らしき生徒の「図書室ではお静かに!」という声も聞こえてくるが、彼女達の耳にそれが届いているかは甚だ疑問だ。


「…………」


 そんな騒ぎの中心地に立つ愛華は、色々と通り越して感情の抜け落ちた表情となっていた。



 *         *         *



 そんなこんなで午後の授業も無事に終わり、放課の時間を迎えた。

 この瞬間、生徒の動きは大きく2つに分かれる。部活に所属している者、あるいは放課後に予定を立てている者はさっさと鞄に荷物を詰め込んで足早に教室を出て行くが、そうでない者は友人との別れを惜しむかのようにしばらくお喋りに興じるパターンが多い。

 そんな中愛華のクラスでは、朝にも集まっていたスクールカーストトップ層のクラスメイトが弦の周りに集まる光景が再び見られていた。


「弦! せっかくライブ終わったんだし、どっか遊びに行こーぜ!」

「あっ、私も行きたーい! しばらく一緒に遊んでなかったもんね!」

「弦がライブの準備で忙しい間にさ、駅前に新しいハンバーガー屋が出来たんだよ。試しに1回行ってみねぇ?」

「えぇっ、ハンバーガーとか太るじゃーん。それよりカラオケ行こうよ!」


 盛り上がっている様子のクラスメイトに対し、弦は申し訳なさそうに手を合わせて頭を下げた。


「あぁ、悪い。実は今日、これから事務所に行かなきゃいけなくて」

「えぇっ? ライブ終わったら休み取れるって言ってたじゃん」

「そうなんだけど、何か雑誌の取材が入ってるみたいでさ。ライブ直後の新鮮な気持ちを聞きたいとか何とか」

「マジかよ。めっちゃ売れっ子じゃん」


 と、放課後ということを差し引いても何やら廊下が騒がしくなってきた。主に女子生徒の話し声が聞こえ、しかもそれがだんだんと大きくなっていく。

 そうして昼休みのときのように、教室の入口から優が呼び掛けてきた。勿論、周りに数人の女子生徒の姿があるのも一緒である。


「弦、行くよ」

「分かった! ――じゃあ、また明日な」

「おう、頑張ってこいよ」


 クラスメイトの声援に軽く手を振って返し、弦は自分の荷物を肩に提げて早足で教室の入口へと向かっていく。


「川越さんも、またね!」

「へっ!? あ、うん、またね……」


 そして愛華の席の脇を通り過ぎながら声を掛けてきた弦に、彼女は戸惑いで声を詰まらせながらも何とか挨拶を返すことができた。

 弦は気にした様子も無く笑顔を浮かべ、そのまま教室を出て行った。優もその後に続き、そして彼を取り巻いていた女子生徒も(何故か)その後に続いていく。


「あいつマジで忙しそうだな」

「でもまぁ、用事無かったとしても遊びに行くのは無理そうだよな」

「弦だってバレたらパニックになりそうだしね~」


 弦を見送ったクラスメイトはそんな会話を交わした後、せっかくだから自分達だけでも遊びに行こうかという流れになり、目的地をあーでもないこーでもないと話し合うフェーズへと突入していった。

 転んでもただでは起きない辺りが凄いなぁ、と愛華は正しい使い方かどうか自分にも分からない感想を胸に抱きながら帰り支度を進めた。





 他の生徒達に混じって学校を出て、数人の生徒と一緒に信号待ちをし、やがて周りに生徒の姿が1人もいなくなった頃に愛華は自宅に辿り着いた。

 ポケットから取り出した鍵でドアを開けて中に入ると、中学生男子辺りが好みそうなデザインのスニーカーが4足ほど並んで置かれていた。耳を傾けてみると、リビングから何やら音楽が聞こえてくるのに気づく。


「ただいまー」


 そう呼び掛けながらリビングのドアを開けると、案の定、弟の勇気が同じ学校の友達らしき3人の少年と一緒にテレビで“the YUMMY GREEN”のライブを鑑賞しているところだった。


「……お帰り」

「あっ、お邪魔してます!」


 直前まで楽しそうだったはずなのに途端に不機嫌そうな表情に変わった勇気とは対照的に、友人達は慌てたように立ち上がって頭を下げながら挨拶をしてきた。敬語であることも含めてよく教育が行き届いているな、と愛華は誰目線なのかよく分からない感想を抱きながら「いらっしゃい」と最低限の挨拶を返す。


「あ、あのっ!」


 と、挨拶もそこそこに彼らの1人が何やら興奮した様子で愛華に話し掛けてきた。

 目をキラキラさせながら何かを期待しているその表情は、ある意味愛華にとって非常に見慣れたものだった。

 だからこそ、彼女の表情が僅かに強張る。


「えーっと……、何か用かな?」

「お姉さんがヤミグリのメンバーと同級生だって本当ですか!?」


 そうして勢い良く放たれたその問い掛けに、まさしく予想通りだったとばかりに愛華の表情の強張りがもう一段階強まった。


「あーと……、まぁ、一応」


 その瞬間、友人達が一斉に「スッゲー!」と声をあげた。


「あ、あの! 俺達ヤミグリのファンで!」

「良いなぁ! メンバーと一緒の学校に通えるなんて!」

「やっぱ学校でも格好良いんですか!?」

「え、えっと、まぁ」


 何の具体性も無い愛華の回答でさえ、友人達は「おぉっ!」と感嘆の声をあげた。彼らにとっては大好きなバンドのプライベートならば、ほんの些細な情報でも嬉しいのだろう。


「それでっ! お姉さんは普段メンバーとどんな会話をしてるんですか!?」

「えっと――」

「いやいや、姉ちゃんがメンバーと仲良いわけないじゃん。そもそも姉ちゃん、普通の友達さえいないコミュ障なんだから」

「んなっ!」


 明らかに馬鹿にしたような笑みと共にそんなことを言ってくる勇気に、愛華はキッと彼を睨みつけた。


「そ、そんなこと――」

「事実じゃん。姉ちゃん、1回も友達を家に呼んだこと無いし」

「べ、別に家に呼ぶだけが友達付き合いじゃないし……」

「じゃあ休みの日とか放課後とか、友達とどっか遊びに行ったことあんの?」

「そ、それは……」


 勇気の問い掛けにモゴモゴと口籠っていく愛華の姿に、最初はキラキラとした眼差しを向けていた友人達の目から徐々にそのキラキラが失われていくのが見えた。


「えっと……。何だ、そうなんですね……」

「な? だから言っただろ? チケットも取ってくれない姉ちゃんがメンバーと仲良いとか有り得ないから」


 ――こ、こいつ……!


 友人達がいることも忘れて思わず拳に力を込める愛華だったが、すぐにハッとした表情になって壁の時計に目を遣ると慌てた様子でリビングのドアへと踵を返した。


「と、とりあえずお姉ちゃんは出掛けるから、あんまり遅くならないでね」

「は? 出掛けるって、どこに?」


 意外そうな声色で問い掛ける勇気に、愛華は彼の方へ振り返る手間も惜しいのかそのままドアを開けてリビングを出て行き、ドアが自然に閉まる前の隙間に滑り込ませるように答えた。


「バイト。母さんには夕飯要らないことは伝えてるから」



 *         *         *



 中学生の頃からアマチュアの枠を超えて大きな注目を集めていた“the YUMMY GREEN”の5人だが、その名を一躍全国区に轟かせたのが、十代のアマチュアバンドのみが出場できるオーディション形式のロックフェスでの活躍だった。それを皮切りに多数のレコード会社からスカウトされ、彼らが中学を卒業するまで水面下ではレコード会社同士での熾烈な争いが繰り広げられていたという。

 そして結果から言えば、都心に本社ビルを構える大手レコード会社“QUEEN ENTERTAINMENT”と契約を結ぶこととなった。しかも新人バンドである彼ら専用のレーベル“GREEN RECORDS”を立ち上げるという破格の待遇である。同社としても異例となる力の入れようであるが、今の人気を考えれば投資に見合ったリターンを得られたのは間違いないだろう。


「お疲れ様でーす」


 本社内にある会議室に、制服姿のまま学校からやって来た弦・優・羅夢舵・鍵二の4人が揃って入ってきた。学校ですら出待ちのファンが殺到する彼らが公共の交通機関を使うはずも無く、わざわざ会社の社員が社用車でここまで連れて来たのである。


「おう、みんなお疲れ!」


 そんな4人を出迎えたのは、スーツ越しでも分かるほどに筋肉がキレキレに盛り上がっている、スポーツマンのような見た目をした30歳手前の男性・古館(ふるたち)だった。ハンガーラックに並ぶ4人分の衣装をチェックしていた彼だが、4人が入室するのに気づくとわざわざ振り返ってニカッと満面の笑みを見せた。

 しかし彼のそんな笑顔に反して、羅夢舵の不機嫌そうな表情は晴れなかった。


「ったく、本当にお疲れだよ。昨日ライブ終わったばっかだぞ」

「羅夢舵」


 鍵二が窘めるような視線と声色で彼に呼び掛け、古館はその笑顔のまま眉を八の字に変えて手を合わせた。


「いやぁ、すまんすまん。でもライブ直後の率直な気持ちとか、ファンのみんな聞きたいだろうし」

「まぁまぁ、写真撮って簡単なインタビューするだけだから」

「羅夢舵、仕事」

「……チッ、分かったよ」


 弦のフォローと優の言い聞かせにより、羅夢舵は渋々ながらも溜息を吐いて納得の返事をした。


「良かった、ありがとう!」


 合わせていた両手を握り合わせて感謝のポーズをした古館は、パイプ椅子に乗せていた自身の鞄へと駆け寄り、ホチキス留めをした紙の資料を取り出してテーブルの上に置く。


「それじゃインタビューの後は、夏から放送するCMのタイアップについて打ち合わせだから宜しくな」

「はぁっ!? ライブ終わったらしばらく休みだって言ってたじゃねぇか!」

「美味しい仕事だったから仕方ない」


 どこぞの菓子メーカーのマスコットのような舌出しにウインクまで添えてそう言う古館に、羅夢舵が「この野郎……!」とこめかみに青筋を走らせる。

 そして不穏な雰囲気を一早く察した弦が、大慌てで2人の間に割って入った。


「まぁまぁ! それだけ俺達が売れてるってことで!」

「羅夢舵、仕事」

「優はそれしか言えねぇのか! ……ったく」


 険しい表情はそのままだが、羅夢舵は古館から離れて壁際に置かれていた椅子にドカッと勢いよく座った。

 弦は苦笑いを浮かべて胸を撫で下ろし、優は無表情を貫いた。

 と、鍵二が思い出したように古館に顔を向ける。


「そういえば、アルトは?」

「20分くらい前に家を出たって連絡があったぞ」

「それじゃ着替えるのはもう少し後で良いとして、先にそのタイアップの話を聞いちゃおう。後で僕達からアルトに話せば、その分早く帰れるでしょ」

「さすがだな、鍵二! 素晴らしいアイデアだ!」

「ほら羅夢舵、打ち合わせするよ」

「……チッ」


 壁際の椅子から立ち上がってテーブルの方へと移動する羅夢舵に、他の3人と古館も揃ってテーブルへと集まった。





『働く女性の背中を押す、自分のための口紅』


 私服に着替えた愛華の耳にそのナレーションが飛び込んできたのは、駅の改札を抜けて大勢の人々が行き交う駅前広場に差し掛かったときだった。壁に貼られた“the YUMMY GREEN”のセカンドアルバムを宣伝するポスターから視線を外し、スクランブル交差点の向こう側に建つビルの街頭ビジョンを見上げる。


「あっ! これヤミグリの曲だよね!」

「あぁ、この前のライブでもやってたヤツか」


 愛華のすぐ近くでもそれを眺めるカップルらしき若い男女がいたが、2人が反応したのは美人のモデルが口紅を塗る映像ではなく、その後ろで流れている音楽の方だった。ジャズの要素も取り入れ、ギターよりはキーボードやリズム隊の方が目立つアレンジが施されたそれは、疾走感のあるロックとはまた違う彼らの魅力を引き出している、と愛華は感じた。

 内心でウンウンと頷きながら愛華は再び歩き始め、やがて目的地であるビルへと到着した。見上げると首が痛くなるほどに高いガラス張りのオフィスビルであり、落ち着いた色合いのスーツを着た大人が次々とビルへと入り、ビルから出ていく。

 その人混みを眺めて若干緊張した面持ちになる愛華だったが、すぐに気を取り直すと遠くの方を見つめながらそのビルへと入っていった。駅の改札口にあるような機械に、これまた駅の改札口で使う定期入れをかざし、ピッと音が鳴ったのを確認して先へと進む。すぐ近くでその様子を見張る警備員は、なるべく視界に入れないように心掛ける。


 そのセキュリティゲートの近くの壁に、このビルに入居する企業の名前が並んだ案内板が掲げられていた。

 その企業の中の1つには“QUEEN ENTERTAINMENT”という名前もあった。



 *         *         *



「やっぱ何回観てもヤミグリは良いなぁ!」


 愛華の家のリビングにて友人達とライブ鑑賞会を行っていた勇気が、アンコールを終えてエンドロールに差し掛かった辺りでそんな感想を口にした。

 菓子やジュースを口にしながらライブを観ていた友人達も、彼の言葉に賛同するように何度も首を縦に振る。


「あーあ、俺ももう少し早く生まれてたらなぁ。そしたらメンバーと同級生になれたかもしんないのに」

「俺達が入学した頃にはメンバーも卒業しちゃうしな。おまえの姉ちゃんが羨ましいよ」

「結局仲良くなれなきゃ意味無いじゃん。せっかく同じクラスにGENがいるのに」

「だよなぁ。勿体無いよな」

「せっかくメンバー全員いるんだから、仲良くなったら他の有名人とか会えるかもなのにな」


 友人の1人が口に出したその言葉に、勇気が耳聡く反応する。


「いやいや、全員ではないだろ。ALTOがいないんだから」

「えっ? あっ、そっか」

「中学から同級生なのは他の4人だけで、ALTOが後から加入したんだよな」

「そうそう。4人は中学からバンドを組んでたけど、ALTOだけ1人で曲作ってネットに上げてたんだよ」

「あぁ、そうだそうだ。ボーカロイドに歌わせてるヤツでしょ? 俺、その頃の曲も好きなんだよなぁ」


 友人達がそんな会話をしている中、勇気は映像が終了したのを確認してデッキからディスクを取り出した。

 そしてそれをメンバー5人が並んだ写真で飾られたパッケージにしまいつつ、その中心に立つALTOをジッと見つめながら勇気が口を開いた。


「ALTOって、どんな人なんだろうな」



 *         *         *



 “QUEEN ENTERTAINMENT”が入居するフロアにエレベーターで上がった愛華が、入口のドアを潜った辺りで待ち構えていたらしき古館に出迎えられた。古館が話し掛けるのに簡単な相槌を打ちながら、会議室の1つに案内される。

 そこは壁の一面が鏡となった楽屋のような部屋で、奥には男性向けの造りをした衣装がハンガーラックに掛けられているが、愛華は一切戸惑う素振りを見せずにそれを手に取って着替え始めた。スレンダーな体つきをしていることもあり、特に違和感無くそれらに身を包む。

 そして愛華は鏡の前の椅子に座り、自身の頭に手を遣った。パチパチ、と何かを外すような音を鳴らしたかと思うと、彼女の背中に垂れていた長い黒髪の7割ほどが切り離されたように彼女の両手へと収まった。そうして短髪になった、というより戻った彼女は、ユニセックスなデザインの鞄から取り出したヘアワックスで手早く髪型を整えていく。

 そうして最後に眼鏡を外してコンタクトレンズを付ければ、


「よし、完成」


 中性的な顔立ちをしたイケメンの少年にも見える風貌へと変身を遂げた愛華が、一仕事終えたような達成感のある声でそう呟いた。

 そのまま部屋を出て、隣の会議室のドアをノックする。


「準備、できました」

「分かった」


 中から返事をした古館がドアを開け、彼女と一緒に4人の少年が廊下へと出てきた。


 平均よりは小柄な体躯をした金髪童顔の少年、ギター担当のGEN。

 表情の変化に乏しい黒髪長身の少年、ベース担当のSUGURU。

 燃えるように真っ赤なツーブロックが特徴的な大柄な少年、ドラム担当のLAMBDA。

 どことなく上品な雰囲気を漂わせる銀髪の少年、キーボード担当のKENJI。


「ごめん、お待たせ」

「僕達は大丈夫だよ」

「もう慣れた」

「いつもの事だろ」

「それじゃ行こうか――ALTO」


 そしてライブ時にはそんな彼ら4人を従えるようにステージ中央に立つ少年――ではなく男装した少女、ギター・メインボーカル担当のALTO。

 この5人こそが、現在日本で最も勢いのあるバンドの1つ“the YUMMY GREEN”のメンバーである。


「頑張ろうね、川越さん」

「取材中、絶対その名前で呼ばないでよ」


 悪戯っぽい笑みで話し掛ける弦に鋭い目を向けながら、アルトの姿となった愛華は雑誌の記者が待つ部屋へと向かっていった。

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