第4話「馴染みのある食材と、そうでない食材」
「調理補助としても雇ってよ」
「おまえが体を壊すぞ」
「健康だけが取り柄です!」
ディナさんのように、普通が一番だと気づかされた。
アルカさんが求めるものが、普通。
アルカさんが今まで通りの関係を求めていたのだとしたら、私がやったことはとんでもなく愚かなことだった。
「アルカさん、あの……って!」
メスティンっぽいものの中にバターとご飯が加わり、バターの良い香りが辺りに広がり始めたときのことだった。
「その液体は……」
三人分のメスティンで手際よく調理をしていくディナさんが、何やら謎の琥珀色の液体を注いでいく。
「マーポッカから取った出汁に、野菜を加えて煮たてたスープ……」
「あー……」
マーポッカという言葉がなんなのか。
聞かなくても、なんとなくモンスターの名前かなってことは想像できる。
(前世と共通した食材もあるのに、何? マーポッカって何!)
後々にマーポッカを知る機会があり、そのときの知識によるとマーポッカは鳥型のモンスター。
化け物のような恐ろしい外見ではなかったことに安堵するという展開が待っている。
(コンソメ的なものだよね……コンソメだと思えば……)
海外旅行というものに縁のなかった私は、海外の人には馴染みが合っても日本人は口にしない食べ物。そんな海外ならではの食文化知識に疎い。
食文化への理解が遅れているため、異世界のモンスターを口にするためには莫大な勇気が必要だった。
(マーポッカも気になるけど、いつ、アルカさんに謝れば……)
アルカさんに謝るタイミングを逃しているうちに、ディナさんは仕上げに取りかかる。
恐らく塩コショウで味が調えられ、トマト色に煮詰まっていくご飯の味を想像しただけで喉がごくりと動き出す。
「仲直りするなら、今のうちにな」
アルカさんは、いつも通りに私と接してくれる。
いつもと違う態度を取っているのは、私だけ。
そんな私を助けようと、ディナさんが声をかけてくれる。
「仲直りっていっても、別に喧嘩したわけじゃ……」
「アルカさん!」
異世界転生というものが自分の身に起きたとき、始めに会うのは神様や女神様のような存在だと思っていた。
でも、それらの存在は私の目の前には現れてくれなかった。
私を助けてくれたのは料理人のディナさんと、食材を調達しているアルカさん。
どっかのお金持ちのアルカさんではない。
「私には、アルカさんの家の事情が分かりません」
話は真面目なものなのに、ディナさんは謎のたまごをメスティンもどきに投入していく。
その姿に恐怖のような楽しみのような、いろんな感情が混ざっていく。
「なので」
もう調理用の火が必要ない段階まで来たらしく、私とアルカさんの会話の邪魔をしないようにディナさんが合図をくれる。
「火を消すときも、願ってみて」
私が言葉を発しようとすると、アルカさんが優しい声で言葉をくれる。
いつまで経っても、私は伝えなければいけないことが伝えられない状態が続く。
「おっ、消えたね」
「はい、できました」
でも、言葉を濁して終わりなんて嫌だと思った。
「アルカさん!」
「う、うん……」
「なので!」
私が魔法で調理用の火を用意していたけれど、ディナさんも魔法を使えるらしい。
ディナさんは自分の力で氷水を用意して、たまごは氷水を通して冷やされていく。
「アルカさんのこと、教えてください」
トマトリゾットにチーズを加えられ、パセリのような緑の葉っぱが散らされていく。
「何をやるとアルカさんが怒られてしまうのか、何をしたらアルカさんが喜ぶのか、ちゃんと私に教えてください!」
アルカさんの返事を聞く前に、ディナさんお手製のトマトリゾットは完成した。
「時間切れ」
「そんな……」
モンスターの名前らしきものは出てきたけれど、基本は私が前世の世界で口にしてきた食材ばかりの異世界。
異世界で初めてのトマトリゾットが完成して、トマトとチーズの香りが食欲を刺激していく。
「朝飯くらい、ちゃんと食べろ」
「…………はい」
『はい』という言葉が重なった。
誰と誰の声が重なったか。
私とアルカさんの声が、重なった。
声が重なると同時に、私をアルカさんは視線を交える。
「ミリちゃん」
「アルカさん」
私が前世で死んだことを仮定すると、これから私は異世界で生きていかなければいけないということ。
「おい、喧嘩はそれくらいに……」
「いただきますっ!」
また、アルカさんと声が重なった。
いただきますの声が重なったことが、ただただ嬉しい。
誰かと一緒に食事をするって、こんなにも幸せなことなんだってことを異世界で出会った二人に教えてもらう。
「これは……」
「ん? 温泉たまごのことか?」
「この世界に、温泉があるんですね……」
「は?」
「いえ、なんでも! いただきますっ!」
落ち着かなきゃいけない。
アルカさんだって、私だって、ディナさんだって不安を抱えながら生きているはず。
ここは仲間の一員として、不安なアルカさんを支えてあげたい。
今まで助けてもらってばかりだった自分からは、ここで卒業する!
「あ……」
「ミリ?」
ディナさんに名前を呼ばれたのは、これが初めてのような気がする。
意外とすんなり名前を呼ぶ展開になったことに驚きつつ、私はある失態を犯したことに気づいてしまう。
「トマトリゾットを観察するの、忘れていました!」
畑をレンタルする流れになったとはいえ、私にはディナさんの店で出されている料理を絵で表現するという使命を担っている。
「なんだ、そんなことか……」
「そんなことって……」
「ははっ、お腹が空きすぎて忘れちゃったよねー」
「ディナさんのご飯が美味しすぎるのが悪いんです……」
朝から何も食べていない自分が悪かったとはいえ、ディナさんが作ってくれた温たま乗せのトマトリゾットの誘惑に私はあっさりと負けてしまった。
「どうしてトマトとご飯を煮詰めただけで、こんなにも美味しくなるんですか……!」
「正確には煮詰めてない」
「いや、ディナ、そういうことじゃなくて……」
手が止まらなくなる食事。
亡くなってから知るなんて虚しいような気もするけど、手が止まらなくなるって感覚を第二の人生で知ることができたのは大きな喜びかもしれない。
「誰か……一番、食事が進んでいない方……」
「また作ってやるから、とりあえず食べ終わってくれ」
ディナさんは、人の心を喜ばせる言葉を知っている。
ディナさんとは出会ったばかりのはずなのに、ディナさんは私の心を喜ばせるための言葉をよく知っている。
「私……お二人のことを、もっと知りたいです!」
「は……?」
嫌そうな声と、絶対にお断り的な表情を浮かべたのはディナさん。
「大歓迎だよ」
明るくて真っすぐな声と、爽やかな笑顔で私を励ましてくれたのはアルカさん。
「ミリちゃんのことも、もっと教えてね」
「あ……私のことは……」
碌に人間関係を築いてこなかった前世での私。
そんな私の情報がアルカさんたちの役に立つかは分からないけれど、私も二人に話せることがあったら話してみたい。
(異世界では、前世の私が知らなかった感情がたくさん待っているといいな)
そんな願いを込めながら、私はたまごが絡められたトマトリゾットを口に含んだ。
『温たまトマトリゾット』 ポスター・メニュー表 完成