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異世界で朝ご飯亭の広報を担当します!  作者: 海坂依里
1食目 ご注文はパンですか? ごはんですか? いえ、『うどん』です。
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第2話「無一文から始まる異世界生活を、どう乗り切るかと言われたら」

「ほら、あんた。邪魔だよ! 邪魔!」


 聞き慣れない声に、呼び起こされる。

 脳が覚醒するのすら待ってもらえず、瞼が上がると同時に私は見知らぬおばさんに背中を押され……なかった。


「痛っ」


 背中を押すどころの話ではなく、私の体は体格のいいおばさんに押し退けられた。

 全力でぶつかってこられたわけではないけれど、それくらいの衝撃を受けた私の足は自分を支えきれずにふらついてしまう。


「…………」


 道の端に追いやられた私が辺りの様子を確認すると、ヨーロッパの中でも田舎町を思い起こすような風景に自分という人間が染まっていることに気づく。


「え……」


 それなのに、私はほぼ学生時代の体操着のような服装。

 服装だけは世界観に少しも染まっていなくて、これが夢じゃなくて現実だとしたら恥ずかし過ぎて、二度とこの街を歩けなくなる。

 自分の両手で体を覆ってみようと努力はしてみるけど、二本の両手で自分の体を覆うことなんてできるわけがない。


(着るもの、着るもの、着るもの……って、体操着は着てるけど!)


 記憶が確かなら、私は自分の部屋で貯金残高と睨めっこをしていた。

 食費を切り詰めて、絵を描くための機材にお金を費やそう。

 そんな計画を立てていたはずなのに、どんなに周囲を見渡しても、どんなに頬を抓ってみても、私は見慣れた自分の部屋に帰ることができない。


「え、え、え……?」


 何度、『え』と声に出したところで事態は変わらない。

 忙しなく活動する人々が行き交う中、私は状況も事態も飲み込めずに呆然と立ち尽くす。


「今日は米にするか……それともパンか……」

「両方食べればいいだろ」

「いや! 今日は、どっちかを選びたい気分なんだ!」


 米。

 パン。

 通り過ぎた働き盛りのおじさまたちから、耳馴染みのある言葉を拾う。


(うっ、お腹が……)


 空腹を知らせる音が、お腹の中で大暴れしている。

 衣服ですら満足に整えることができていないのに、ここで空腹に襲われるなんて運がない。


「きょうはね、ごはんたべるの!」

「じゃあ、ママとパパはパンにしようかな」


 ごはん。

 パン。

 自分が立たされている環境は、まったく見知らぬ土地だと確信が持てる。

 自分が生きてきた世界は西洋風の世界ではなく、ビルが立ち並ぶ現代日本。

 それなのに、私の視界を通り過ぎて行く人々の口からは聞き慣れた単語が飛び交う。


(お腹の音が止まらない……)


 やっぱり視界に映る世界は何度見直したところで初めましてのはずなのに、人々の会話に紛れ込んでいる単語だけは初めましてではないことに気づく。


「この世界には、ごはんもパンもある……!」


 マンガ家を夢見ていた私なら、今の自分にどんな運命が与えられているか察しがつく。

 これは異世界転生か転移か召喚というもので、マンガ家を目指していた前世の私は何かしらが原因で異世界にやって来たということ。


(でも、なんとなく自分が何に該当するか想像できる……)


 食費を切り詰めるためとはいえ、記憶がないくらい何日も前から碌な食事をしていなかった。


(多分、異世界転生……)


 真っ先に思いつくのは、自分が食事だけは疎かにしていたという謎の自信。

 現代日本を生きていれば、ほんの少し偏った食事をしていても生き残れるものだと自分の体を過信していた。

 碌な食事をしていなかった結果、死亡するなんて顛末を辿るなんて誰も想像していなかった。


(でも……)


 肝心の、異世界のことを説明してくれる神様も女神様も案内人すらも登場しない。

 ごはんとパンがあるという情報を得たところで、体操着のポケットに手を突っ込んでもお金は出てこない。無一文な私は、食事をすることすらできないということ。


(働かざる者食うべからずという言葉は知っているけど……!)


 このままでは、空腹に打ち勝てずに死んでしまう。

 異世界に転生やったー、新しい人生の始まりよ、なんて未来への展望を抱いている余裕は今の私にはない。


(せっかく二度目の人生が始まったのに、このまま三度目の人生に突入するのかも……)


 あまりの空腹に耐えきれず、私は人々の邪魔にならないように道の隅っこで屈みこむ。

 前世の終わりで記憶に残っているのは、『お腹が空いた』という言葉。


(新しく始まった人生の終わりも、『お腹が空いた』で終わっちゃうのかな……)


 神様。

 せっかく恵んでくださった命が、空腹で力尽きそうです!


「大丈夫?」


 視界に影が、差し込んでくる。

 これでもかってくらい太陽の光が降り注ぐ世界だったはずなのに、私の視界に人影というものが映り込んできた。


「具合が悪いなら、さっさと帰って休みな……」

「…………さい」

「ん? 悪い、聞こえな……」

「……ください」


 人間、お腹が空きすぎると声もまともに発することができないのだと学ぶ。


「もう少し大きな声で……」

「助けてくださいっ!」


 人は、大きな声を出すのにも体力を使う。

 そんな初歩的なことを、異世界で初めて学んだ。

 マンガ家を目指していたはずなのに、異世界に来てから初めて知ることがあるなんて思ってもみなかった。

 欠落した経験と感情があるから、私はマンガ家になれなかったのだと気づかされた。


「は? タダで飯が食えると思ってんの?」

「まあまあ、落ち着こうか! 俺、目の前で人が死ぬのとか嫌なんですけど」


 まさかの空腹が原因で一歩も歩くことができなかった私は、私に声をかけてくれた男性に背負われることになってしまった。


「俺が、お金を払うから」

「甘やかすと、碌なことにならないからな」


 大人にもなって、おんぶを経験するなんて思ってもいなかった私は抵抗を示そうと試みる。

 けれど、その抵抗を示すのすら、体力がいることだと気づかされた。

 お腹が空いている私では、おとなしく彼に背負われることしかできなかった。


「今回だけ! 今回だけだから!」

「…………」

「お願いしますっ! この通り!」


 案内されたのは、今にも風で吹き飛んでいきそうな寂れた雰囲気のお店。

 外観の廃れ具合が酷すぎて、お店なんて呼べるものではないけれど。

 それでも客を招き入れるための店内だけは、清潔感溢れていて驚かされる。

 この清潔感を店の外観にも活かすことはできないのかなと思いながら、私は目の前で繰り広げられる会話にすら参加できずに椅子の上でおとなしくしていた。

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