神父の乱心
なんだか今日はいつもより寝覚めが良かった。昨夜、イサベルの胸を借りて思い切り泣いたからだろうか。それにしても人前では絶対に泣かないと決めていたはずなのに、どうして私は彼女の前であれだけ涙を流してしまったのだろう。神に仕える修道女という肩書きがあったからだろうか。いや、そんな敬虔さは私には微塵も残っていない。おそらく、いや絶対に疲れていたからだ。それ以外にあり得ない。
「ラニさん」
「っ!…なんだ神父さんか、突然後ろから話しかけないでくれません?」
後ろから突然話しかけられて悲鳴をあげて飛び上がりそうになった。何やら顔色が悪いように見える。
「ちょっと…大丈夫か?」
「貴女、ディジヤ様をどうお思いなのですか?」
「は?」
突拍子もない質問をされ、戸惑った。
「…まぁ、すごい神様なんじゃないすか」
穏便に済まそうと無難な返答をすると彼は鬼のような形相になり、私の肩を強く掴み揺さぶる。
「嘘を言うんじゃない!私は知っているんだぞ!」
神父は呆気に取られた私の首を締め上げてきた。体が宙に浮く。
「がぁっ…ぐっ…」
正気に戻った私は足をじたばたとさせてもがくが全く引き剥がせない。対してデカくない体の一体どこからそれほどの力が出せるのか。みしみしと首の軋む音がする。折れたら洒落にならない。どうにかしようとしても、呼吸ができないので思考が曇り、締め上げる腕を殴るぐらいが精一杯だ。
「オイアンタ、何してんだ!」
通りかかったグレゴが神父を引き剥がす。解放された私はそのまま地面に落ち、臀部を強打した。
「大丈夫か!?ラニ!」
「ゴホッゴホッ…あ、ああ」
グレゴに助け起こされながらひとまず無事であることを伝える。
「オイ神父さんよ!どういうことか説明してくれよ!」
「そうか…貴様らもか…」
よろけながら神父はグレゴの言葉を無視し、そう吐き捨てるとその場から走り去った。
「一体なんだってんだよ…クソッ…」
「何があったんだ?ラニ。なんかしたのか?」
何かしたならこっちが聞きたいぐらいだ。
「わかんねぇ。神様をどう思うかって聞かれたから無難にすごいんじゃねぇかって言ったら突然だよ」
騒ぎを聞きつけたのかクロエとイサベルが来た。
「ねえねえ、今すごい怒鳴り声がしたけど一体どうしたの?うわっラニ、貴女首が…」
「酷過ぎます…!誰がこのようなことを!?」
どうやら私の首はとんでもないことになっているらしい。
「動かないでくださいませ…『力の根源たる治癒の幻素よ、”ラニ様”の苦しみを除きたまえ』ハイヒール!」
上級の詠唱…自分では気付かなかったけど、そんなに酷かったのか…
「ラニ様!誰がこのようなことをしたのですか!?」
「神父さんだよ、あの人気に入らない答えすると首絞めてくんの?」
私が若干怒気を孕みながら答えると、怒りに満ちていた彼女の顔は信じられないというような表情へと変わった。
「そんな…見間違いではないのですか…?」
「俺も見たけど、あれは間違いなくザニファス神父だったぜ」
「あの優しい神父様が…そのようなことを…」
そう呟いたのち、イサベルは両膝を着き、深々と地に頭を埋めるかのような勢いで謝罪をしてきた。
「申し訳ございませんでした…!私が代わりに謝罪をいたします…」
「そんなんいいって!アンタが悪いんじゃないんだから顔上げて!」
「神父様はどこへ行ったの?追って話を聞いてみましょうよ!」
クロエがイサベルを起こしながらそう言う。確かにあの状態の神父がどこへ行ったのか気になるし、一発やり返さないと気が済まない。私たちは神父が走り去った方へと向かった。
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「そんなに急いでどうしたんだい?」
パウラが声をかけてきた。この人もグルだったらどうしようか。詳細を言わなければ大丈夫か。
「神父さんを探してんだけど、どこに行ったか知らない?」
言葉に怒りが満ちないようになるべく落ち着いて話せたと思う。
「ああ、ザニーなら教会の方に行ったよ。何か相談事かい?」
「まあね。教えてくれてありがと」
私たち全員揃って急いでいることか、相談事の内容を言わなかったことか、もしくはその両方が原因か、やや訝しげな目線を向けられたがまあいいだろう。とにかくとっちめてやらないと。
教会の前に着くと、一昨日とは明らかに違う禍々しい雰囲気を醸し出していた。
「なんだこの空気…」
「ラニ、気をつけて…おかしいよこれ…」
言われなくともわかっている。
「神父様!いらっしゃいますか!?開けますよ!」
イサベルが呼びかけるも返事はない。扉に手をかけたところで、グレゴがさっと扉の引き手に手をかけた。
「俺が開ける。下がっててくれ」
真剣な面持ちのためかイサベルはこくんと頷くと、何も言わずに扉から下がった。 大きな音を立てて教会の大扉が開く。そこには真っ暗な教会の中、1人佇む神父がいた。いや、彼の立っている場所だけ、どこからか漏れ出た光が差し込み彼を明るく染めていた。
「てめぇ、さっきはいきなりやってくれたじゃねえか」
ドスを効かせた声で神父に怒鳴る。
「…神は時々我々に試練を課してきます」
「はぁ?」
いきなり何を言い出すんだこいつは。人を舐めてるのか。
「それは不猟という形でまずやってきました」
「何言ってんだお前」
お構いなしに神父は続ける。まるで私がそこに静かに座って話を聞いているかのように。
「次に村の子供の行方不明と続きましたが、貴女方が”偶然”やって来てその2つを解決してくれました。その時私は貴女方を神の御使かと勘違いをしてしまいました。私の話の内容に至らない点があったから素っ気ないのだと、そう思ってしまった」
それまでどこか虚空へと向けていた目をこちらに向けた。その目は完全に開き切り、口端からはよだれが垂れ、初めて見た時の優男とは違う異様な姿へと変わっていた。
「だが!違った!貴様らは悪魔の遣いだ!大方私を油断させ!この教会をこの世から消すつもりだったのだろう!?」
「神父様!落ち着いてください!ラニ様たちはそのようなこと致しません!」
その言葉を聞いた神父は高笑いしだした。
「イサベルゥ…貴女はもうそいつらに染まってしまったんだ…だが神に愛された子である貴女は救ってあげましょう!だが、この悪魔どもを連れてきたシュレイだけは!あれは殺さなくてはならない!でなければディジヤ様に顔向けできない!」
そう吐き捨てると神父は懐から一冊本を取り出した。灰色の装丁をした小さな本だった。しかし、あれはなんとしてでも破壊しなければならない。そう全身が言ったように感じられた。
「クロエ!あの本を燃やせ!」
「う、うん!『力の根源たる火炎の幻素よ、”矢となり”飛んで行け!』アルドール!」
一本の火の矢が凄まじい速さで一直線に神父、灰色の本めがけて飛ぶ。命中する刹那、火の矢は消えた。いや、本にかき消された。
「クロエさん…貴女もやはりそいつらと同族だったのですね…非常に残念だ」
なんなんだあの本は普通じゃない。本は、紙は火を付けられたら燃える。これは自然の摂理じゃないのか。
「この本はディジヤ様が私に世の中を改善するためにくれた宝物です。言わば福音書なのです。それがそんじょそこらの魔法では傷などつくわけがないでしょう」
「女神がくれたなんて、そんなバカな話あるわけねえだろ!」
「バカな話ではありません。現に私は貴女のような者を何人もこの本で神の身元へと送り返しているのですから」
こいつ今なんて言った…?神の身元へ帰る…とはディジヤ教では確か死を意味する言葉だ。つまりこいつは人殺しをしたと言うことなのか?
「ふふふ…貴女達は後で天へ返しますが、先に見せてあげますよこの姿をね!」
本を開き手をかざすと、本から無数の触手が現れた。それは神父の体を腕から順に包み込んで行き、やがて巨大で醜悪な魔物へと姿を変えた。
「どうです、これが崇高なるディジヤ様がくださった完璧な肉体です。美しいでしょう?」
「へぇ…私にはただの魔物にしか見えないけどね」
「俺も同感だな」
こいつをシュレイ達の元へ行かせるわけにはいかない。危険を承知で煽り、私たちに意識を向かせるのだ。しかし、弱点がわからない。唯一弱点と言えそうな目も高すぎて私とグレゴの武器では届きそうにない。
「ふむ…どうやら私を挑発し、ここでどうにかするつもりでしょう。しかし、私はそのようなチンケな誘いには乗りません!」
化け物は四つん這いになったかと思うと、ベキベキと音を立てながら背中から翼を生やした。
「飛ぶの!?」
「なんかいい魔法はねえのか!」
「待って!切れるかわかんないけど…『力の根源たる風の幻素よ…』」
「鬱陶しいですね」
「きゃあ!」
奴が翼をぶおんと大きく羽ばたかせると、突風が発生した。屋内のせいか、嵐のような凄まじい風力だ。立っていられずに私たちは教会の外へと吹き飛ばされる。
「なんて出鱈目な奴だよ!」
グレゴが思わず叫ぶ。嘲笑するかのようにのっそりと大扉からザニファスが姿を現した。
「自分たちの無力さを噛み締めて、そこで殺されるのを待つのですね!」
「クソッ!待ちやがれ!」
「さっきから大きな音がするけど一体どうしたんだい!?」
騒ぎを聞きつけ、パウラ達数人が駆けつけてきた。だが、化け物となったザニファスの姿を見て表情が引き攣る。
「なんだい、その魔物は…」
困惑する彼女にザニファスは初日に私たちに見せたような優しげな口調で説明する。
「ああ、パウラでしたか。この者たちは我が主であるディジヤ様の敵の悪魔ですよ。まず悪魔を招いたシュレイを殺しに行くところです」
彼女はどうやらザニファスのこの姿を知らないらしい。他の修道女たちも同じようだ。
「殺すって…アンタ何言ってんのさ…アンタは…博愛の精神に満ちてて!違いを認め合える、そんな男だったじゃないか!それが客人を悪魔だの、シュレイを殺すだのアンタらしくないよ!」
パウラが困惑を交えながら怒鳴る。それを見て神父が落ち着くと、そう思っていたのは軽率だった。
「ふぅ、パウラ。貴女は理解していただけると思っていたのですが、どうやら思い違いだったようです。『力の根源たる水の幻素よ、”其の者を”貫け』アクアグレード」
詠唱が終わると掌から一筋の水が発射される。ただの水ではない。人間の反応速度では対応できない速度の殺傷能力がある水だ。それが一瞬のうちにパウラの腹部を貫く。何が起こったのかも理解できない内に彼女は地面に倒れてしまう。修道女達は各々悲鳴を上げるなど混乱状態に陥ったが、それを奴は気にも止めず、それどころかため息を吐き飛び去る。私たちはただそれを見送るしか出来ない。
「クソッまずいぜ!急がねえと!」
「わかってるよ!」
イサベルを見ると、へたり込んでいた。彼女がいなければ大きな怪我を治すことが出来ない。最悪の事態に備えて彼女の力が必要だ。それにパウラもまだ息はあるかもしれない。
「イサベル!」
「あ…わ…私は…どうすれば…」
これはまずい。絶望の目だ。故郷で幾度も見た腐った目だ。仕方ない...
「グレゴ、クロエ!先に行ってくれ!」
「わかった!あなたも早く来てよね!」
「当たり前だ!」
とにかく彼らになんとか持ち堪えて貰っているうちに彼女の目を覚まさせなければ。
「立ってくれイサベル!アンタの力が必要なんだ!」
「ラニ様…私は…どうすれば良いのですか…?あの神父様が…女長様を傷つけて…その上でシュレイ君を殺そうとするなんて…」
イサベルの胸ぐらを掴む。
「お前はあの化け物が神の意思だと本気で思ってるのかよ!そうやってへたり込んだままで、救える命を放ってそのまま死なせてもいいのかよ!?私にこれ以上神を嫌いにさせないでくれよ!」
ありったけの力を込めて、叫んだ。
「昨日私を優しく抱きしめてくれた時はなんだったんだ!神様ってのが慈悲深いと信じていたから!私のあの言葉に怒らないでいてくれたんじゃないのかよ!」
イサベルが泣きそうな目でこちらを見、答える。
「そうです…!私が信じたディジヤ様は…!どのような方にでも慈悲深くて…!道標となられる御存在で…!自分のために誰かが殺し、殺される世界など容認されるはずがございません…!」
「そうだ!だから立って、アレを否定しなくちゃ!」
彼女は立ち上がり、おろおろとしつつも必死に応急処置をしている修道女達の元へと向かう。
「皆様、申し訳ございませんでした…今すぐ治しますから…!『力の根源たる治癒の幻素よ、”パウラ様”の苦しみを除きたまえ』ハイヒール!」
血を失い、蒼白だった彼女の顔にほのかに温かみが戻る。彼女らの処置が施されていなければ、あのまま死んでいたかもしれない。
「なんとかこの人の危機は脱出したな…」
だが本命が残っている。あの化け物に 2 人で戦って貰っているのだ。先ほどから幾度となく爆発音が鳴り響いている。音が切れない限りまさか命を落とすということはないだろうが、大なり小なり怪我をしているかもしれない。
「急がなきゃ…」
「お待ちを!ラニ様!」
焦り、向かおうとする私たちを1人の修道女が引き止める。確かリネアとかいう名前の…
「私に考えがあります」