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第31話 博士と親方

「ユキナガは目の前のことに集中していない」


 みゆみゆはまた素の彼女に戻った。


「本気を出していない。わたしはそれが気に入らない。まああの無能のことは置いておいて、ハツ、そなたがこのリンドウ丸に乗ることができたのはとても喜ばしいことじゃ」


「うん、わたしもうれしい」


 ユキナガには優しくしてほしいが、さっぱりした語り口のみゆみゆはハツにとって好感のもてるものだった。


「ただ配属がちょっと謎じゃがの。ハツは料理ができるのだから厨房でよかろうに」


「それは思った。機関室も面白そうだけどね」


 むしろユキナガのほうが機関室の適性はありそうなものだが。


 ハツが機関室に戻る途中の廊下でヒメネス博士に会った。


「あ、こんにちは博士」


 下層エリアで彼女に会ったことがハツには意外だった。


 ヒメネス博士はこの船団のトップだ。このようなところではなく一番高い場所で鎮座しているものと思っていた。


「ハツちゃん、調子はどうだい?」

「まだ始まったばかりですが、がんばるつもりです」


「その箱は?」

「ロッテおばさんにチーズケーキをお土産にもらいました。機関室の人たちにあげようと思います」


「それは最高じゃないか。食べよう食べよう」


 あれ、ヒメネス博士も機関室についてくるんだ? いいけど。


 扉が開いて、ハツとヒメネス博士が機関室内に入っていくと、隊員たちがこちらを振り返った。


 白衣姿のヒメネスに気づいて、彼らは直立不動して敬礼の姿勢をとった。


 ただし一人だけが他のものと違う態度をとった。


「マリア、来てくれたのかい」

「ちゃんとやってるかペドロ!」


 いかつい容姿のペドロがとてもフレンドリーな笑顔を見せたのでハツは驚いた。


 隊員のひとりがハツにささやいた。

「親方はヒメネス博士の夫だ」

「えー!」


 他人がどう生きようと普段そこまで気に留めないハツだったが、この情報は少なからず興味深かった。


 機関室の地べたに座ってのにぎやかなお茶会が始まった。


 ハツはロッテおばさんのおいしいチーズケーキを食べながら、ヒメネス博士と親方のことを眺めた。


 二人がおたがいに、この相手にしか見せない姿を見せているようで、とても好ましかった。


「やんなっちゃったよ、メンドーくさい手続きばっかりでさあ。ルールを守ることが目的になっちゃっていて、それについて何の疑問ももたないおじいちゃんたちが多すぎんの」


「国家事業であんまり柔軟だったらそのほうが気持ち悪かろうよ」

ヒメネス博士、あんなふうに愚痴ることもあるんだ。なんだかかわいい。


 お茶を飲んで絶品のお菓子を食べて、しばらくゆったりとした時間が流れた。


「ヒメネス博士、チーズケーキがあまっています。よろしければもう一個どうですか?」

「わたしはいいよ。冷やしておいてあとでカードゲームの景品にでもしたら?」


「では、そうします」


「あ、ちょっとまってハツちゃん」

「はい?」


「このあとヒマ?」

「わたしはナンパされていますか? ええと、上司の意向次第かと」


 ヒメネスは振り返って、部下たちと談笑していた夫に向かって叫んだ。


「おーい上司! 田中ハツちゃんの一時借用を申請する!」


 ペドロ親方が向こうから叫び返した。

「申請を受理する。なお返却は明日の午前七時。延長が必要な場合は二時間前までの申請の上、双方で協議決定するものとする!」


「サンキュー!」


「変な夫婦」

 ハツが冷静につぶやいた。


 そのとき艦内のスピーカーからアナウンスが流れた。

『アゲハ艦隊との合流まであと15分』


「アゲハ艦隊……って何?」

 ハツはその名前を初めて聞いた。ヒメネス博士は紙コップのコーヒーをすすりながら彼女の疑問に答えた。


「もうひとつの大艦隊だよ。今回の遠征はわれわれリンドウ丸艦隊とアゲハ号艦隊による連合艦隊を編成して行われる」


「あ、そうなんですね。わたしたちリンドウ丸の艦隊だけでも結構な数なのに」


「そうだね。向こうの船と合計したら20隻近くになる。大がかりすぎると思うかい?」

「ええ、まあ」


「これはある意味、伝統に乗っ取っていると言える。今回の遠征はとても危険なものだ。今までやったことないミッションを立て続けに行う。全艦が無事に帰還できるとは限らない。つーか普通に考えたらできない。これはその対策なのさ」


「というと?」

「大昔、外国に船で向かう時、4隻で向かうことが原則だった時代がある。なぜ4隻かというと当時、行って帰ってこられる確率が4分の1、25パーセントだったからだ」


「4隻で行けば最低1隻は戻ってこられるということですか」

「それでよしと彼らは考えた。そして今回、政府のお偉方は我々の帰還確率を50パーセントと踏んでいる。2分の1、リンドウ丸とアゲハ号、どちらかが結果を持って帰ることができれば成功とする。そういう作戦だ」


「わたし、新聞とか全部の情報に目を通したわけではないけれど……、50パーセントという数字は世間に公表されていませんよね」


「そりゃそうだよ、半分の確率で死ぬ事業計画なんて世論の合意を得られるわけないじゃん。ヤバい船に乗っちゃったねハツちゃん」


 ヒメネス博士の言葉に、機関室の面々は笑った。そこに自虐的な感情は感じられなかった。


「みんなは承知のうえなのね」


 ペドロ親方が太い声で叫んだ。

「それが俺らの『命の使いみち』なのさ」


「かっこいいぜ、マイダーリン!」

 ペドロ親方とヒメネス博士は互いにサムズアップをしてニヤリと笑った。


「さーて明日はパーティーだ。仕事が片付いたらさっさと休みなよ」

 ヒメネス博士が面々に向かって陽気に呼びかけた。


「パーティー?」

 これもまたハツにとっては知らない情報だった。


「これから力を合わせて時間の果てまで旅に向かうリンドウ船団とアゲハ船団で楽しく懇親を深めるのさ。向こうからこっちにやってくる。大騒ぎになるよ」


「さすが国家事業。お金をじゃぶじゃぶ使っている感じが良きですね」


「そうでもないんだけどね。君のような新人さんにあまりネガティブな話をするのは上官として良くないことなのだろうけど、この事業は金がかかりすぎて政府でも反対派がすごく多い。そもそも必要性をわかっていない奴らが多すぎる。そんなこんなで次回の遠征については全くの白紙。今回が最後になる確率がそこそこ高いというありさまさ」


「あらま、それは気持ちが下がるお話ですね。明日のパーティーは盛り上がるのかしら」


「苦難は空騒ぎをして乗り越えるものさ。何とかしてみせるよ」

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