第4話「天使集会」
連れていかれるがままに、電車に乗り、人混みをかき分け、そして彼女の後ろ姿だけを追った。
辿り着いたのは変わらず人がごった返す都心の地、渋谷だ。
しかし、彼女の目的は渋谷でCDショップに行くことでも、古いハード製品を並べた楽器専門店に行くことでもなかった。
「景文さん」
彼女の名前を呼ぶと、彼女は「え?」とキョトンとした顔を見せた後、髪を耳にかける仕草をしてから俺の目を見た。
「どうしたの?」
余りに素直な質問で、かつ何の濁りもない瞳で、長い青みがかった紺の髪がはらりと宙で揺れる。
何で、同じ学校の、同じ学年の人と、こんな場所に来てるんだろう。
改めて考え直すと、不思議で仕方がなかった。
「あー、いや。目的の場所って、スクランブル交差点からどれぐらい歩いた場所なんですか?」
真っ当な質問であった。
だって、渋谷駅に着いて早々、彼女は更に歩くスピードが早くなったし、周りの人をかき分けるような素振りでズカズカと進んでしまう。
俺にとってはそれが、気になっていたから。
「そうだなー。実は目的の場所自体にはもう着いてるんだけどね」
彼女は随分とまた、変なことを言う。
大体、今、歩いている途中じゃないか。
歩きながら、到着しましたーって。
俺にとっては、何のことだか......。
「えーっと、じゃあ目的地っていうのはこのスクランブル交差点のことで?」
「うーん、そうだなー。正確に言うと、この周辺って感じかな」
周辺......?
大体の目星しか付いていないような言い方が気になるが、実際に景文彩はキョロキョロと周りに差を見渡しているから困った。
本当に、目的地はこの周辺なのか。
「あ!」
すると、彼女は途端にある一定の方角を指さして、目をぱちぱちとさせた。
どうやら、本来の目的としている明確な目印が見つかったらしい。
「いたいたー!」
駆け寄る彼女の姿を追いかけるしかなかった俺は、何とかついて行くのに必死だったが。
彼女が走るペースを落として話しかけたのは、駅の壁沿いに立つ一人の男だった。
「おー、彩ちゃん。随分久しぶりじゃないかな」
背はすらっとしていて、180センチ無いぐらい。
黒い薄縁の丸メガネをかけていて、その奥には切れ長の瞳。
口元はあまり動かないし、少し無表情なクール系か?
髪は黒で、短髪寄り。
彼は出会うやいなや、細い指をちらちらと彼女に見せて手を振り、それから片手に持ったスマホを即座にズボンの右ポケットにしまった。
スタイルが良くて、何だか一定のテンションで安定している。
タバコの1本でも吹かしていたような、そういう落ち着いた空気感を感じる。
「太郎さんー、私昨日から大変だったんですよ?」
「あー......そうだね。後で反省会しよっか」
コイツが例の、「チーム」の一員なのか。
話を小耳に挟みつつ、俺は息を切らしながら、ようやくその男の眼前まで追いついた。
「はぁ、はぁ。か、景文さん?何で、そんな、走るの速いんですか......?」
膝に手をついてゼェゼェと息が整わない俺を目下に、目の前の男は「ふぅー」と息を漏らした。
「で、彩ちゃん。この人が例の」
「そうなんです!ごめんなさい梶野くん、置いていっちゃって......」
「い、いや......。いい、いいんすけど......」
いいんだけど、何なんだ。
というか、良くないだろう。
まんまと馬に乗せられて、ここまで連れられてきてしまったが。
きちんと考えれば、こんな所来なくてよかったんだ。
「紹介遅れて申し訳ないね。ゆっくり、落ち着いてからでいいんだけど。僕はメンバーの一人で、宅野太郎って言うんだ。これから世話になるだろうから、よろしくね」
ふざけてやがる、と思った。
『これから世話になるだろう』?
俺の返答はまだ何も無いのに。
まるで、そのチームとやらの招待を受けるかのような言い方。
「あ、あの......」
「うん」
息がようやく整ってきた俺は、少しずつ、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
その様子をじっくりと観察するような目で見る男と、口元を少し曲げて動揺する景文彩。
そんな二人に、思いの丈をそのまま伝えようと思って。
「......き、昨日から、正直、迷惑してんすよ。チームだかなんだか知らないっすけど、俺、アンタらとはもう、接点を持ちたくない。面倒事にも、巻き込まれたくないんです」
伝えた。伝えたぞ。
でも、本当に心の底からそう思ってるから、そのまま伝えたんだ。
昨日から、俺は明らかに被害を受けている。
それなのに、適当な謝罪ばかり付けて、しゃんとした態度でイマイチ悪びれもしないような彼女たちの様子に、もう辟易してるんだ。
もう二度と、関わらないでほしいんだ。
「......そっか」
男は顎に手を当てる素振りだけ見せて、少し宙の方を見てから、目線を俺の方に戻した。
そして、「まあねー」とか適当な返事だけ繰り返しながら、次のセリフを吐いた。
「そう思うのも無理はない。当たり前だが、君の意思を尊重したいと、我々は本気で思っている」
男はギラついた目つきで、俺の眼前にまで迫って見つめてくる。
その様子が割に迫力あったもんだから、俺は一歩だけ後ずさりしてしまった。
にしても、俺の意思を尊重......?
アンタらとはもう接点を持たない、そうさっき言ったばかりなのだが。
ということは、やはりもう縁を切ってしまっていいということか。
早速、実家に帰ってしまってもいいということだろうか。
「じゃあ、なんでこんな無理やり......」
「それはね。無理にでも、君を今日の渋谷に連れてくる必要があったからだ」
『今日の渋谷』という言い方が気になるな。
それに、無理にでもって......。
何も分からないまま内容の省かれた説明をされて、俺はどう受け取ればいいっていうんだ。
しかし、そんな俺の思惑はどこへやら、途端に景文彩が会話に参加してきた。
「太郎さんも私も、ここまで強引に引き連れるつもりは無かった。それは本当なの。だって、貴方は元々私たちにとっては特別な存在だから。でも、急がざるを得なくなって......」
「あまり早らないで、彩ちゃん。その辺りの説明は後でいい。でも、確かにそうだね。学校を途中で抜ける訳にもいかないと思って、でも放課後すぐ来てほしかったんだ」
どうやら、俺が必要な、緊急度の高い用事があるらしい。
しかし、彼女たちの会話からはピンとくるような糸口が全く見えてこない。
ずっとふんわりした内容の話が続くので、俺はつい問うた。
「何なんですか、その......俺を連れてくる必要って。何の用事ですか」
直球の質問を投げかけた途端、メガネの男は「そうだね」と軽い相槌を打ってから概略だけをつまんで話し始めた。
「......まず、今日の渋谷で......恐らく夕方の午後六時頃、異星人が現れるはずなんだ」
............?
は?
い、異星人............?
何を腑抜けたことを言っているのか。
そういう設定のファンタジーに付き合うほど。流石に暇ではないのだが。
「えっと、意味分かんないんですけど。異星人?超能力者?アンタらは一体何なの?付き合いきれないっすよ、マジで」
現在の時刻は午後五時半。
彼の言った午後六時までは、約三十分残されている。
しかし彼は、しきりに時間帯を気にしているような様子で、少し焦りの表情も見せながら、こう告げた。
「あぁ......。無理もない。しかしノンフィクションだ、とにかく急がねば......」
彼が周囲の環境に気を配りながら俺に説明を試みる、その瞬間だった。
「っ!」
景文彩が、言葉すら出ない声を、しかし何かに気付いたことは明確な声色で伝えた。
ほぼ同時に、宅野が景文彩と同じ方向を向いて、絶句した顔を見せた。
その間、僅か二秒ほどか。
続いて俺もその方向に視線を移すと、彼らと同様に俺も言葉を失うことになった。
「え............」
驚く暇もなく、それは起こった。
まさか、非現実の景色が目の前に見えるとは。
スクランブル交差点のど真ん中、地上から十メートル程離れた辺りの空中で、何か黒めいたものが渦を巻いているのが分かった。
それはまるで、空中に入った『ヒビ』のようなもので、その裂け目からどんどんとヒビは広がっていく。
面積が増幅して行くにつれて、ヒビの間に大きな空洞が拡張していく。
黒に染まった穴のようなものが轟々と音を立てて現れた。
そして、その中からーーー
「まずい!」
宅野は俺の腕をガシッと掴んで、そのスクランブル交差点の方に連れていく。
俺がまごついている間にどんどん腕を引っ張られ、身体はそちらの方に持っていかれる。
と同時に景文彩は睨みつけるような瞳で黒い空洞の方へ走っていく。
交差点はあっという間にパニック状態に陥った。
数秒の間の出来事であったが、すぐに異常を察知した民衆たちは皆足並み揃えて駅の方へ逃げ出す。
その人の流れに逆行する俺たち三人は、空洞から段々と現れる存在に、後ずさりしてしまっていた。
「彩ちゃん」
「はい、勿論。覚悟は出来てます」
宅野は服のポケットから、景文は学校のカバンから、それぞれ同じような形状の機械を取り出した。
それはまるで光線銃のような見た目で、鉄製なのかアルミ色を少し濃くしたような色味で、近未来を模した小型の機械だった。
いきなりのことに混乱しっぱなしの俺に、宅野はこう告げる。
「秋くん、よく見ててね。僕らが今からする動きを」
告げた後、俺は彼らの目線が向かう先の、黒い空洞の方を見ていた。
すると、
ズズズズズ!
という音を立てて、人のような形をした『何か』が空洞から出てくるのだ。
空洞まで凡そ距離は五メートルほどであったが、俺は今にも逃げ出したい気持ちでいっぱいであった。
しかし、どうしようも無くやるせない気持ちに駆られたまま、その『何か』が完全に空洞から出てきて地上に着地する瞬間まで見届けた。
その『何か』は、
「............人?」
そう。見た目は完全に人で、上背も170あるかどうかぐらいで。北欧の端正な顔つきに切れ長の二重をした、『何か』。
黒い羽毛のようなものを全身に巻いており、同様に黒色のズボン?スカート?とにかく色んな装飾が付いた真っ黒の下半身。
また、あろうことか、黒髪の頭にはよく見ると二メートルほどの黒い角が生えている。
それに、よく見れば背中からは黒い羽まで生えているじゃないか。
しかも、
「ここが地上か。悪くないな」
なんと、俺たちと同じ言語を喋るのだ。
少し高めの声だが、時折、芯の通ったドスの効いた声が混ざってくるような、身体に響く声だった。
角と羽が生えた謎の生物は、見た目こそ完全に人間だが、やはり人間とは言い難いオーラを放っていた。
「さぁ、ようこそ楽園へ」
宅野はそう告げて、その悪魔のような見た目の生物に、一歩一歩、近づいていくのだった。