第3話「放課後のディスティニー」
梶野秋の一日のルーティンは単純だ。
学校に来る日は大抵、休み時間を机に突っ伏して過ごす。事務連絡を、たまに他の生徒が寄越してくるから、それには応える。
昼休みは、周囲の人間との会話を時たま楽しむ。適当に相槌を打ちながら、「どうせ、引きこもりだと思われてるんだろう」と自分自身にレッテル張りをしてやり切る。
授業中は窓の外の空を見たり、はたまた黒板の板書をしたり、先生のメガネに映る自分が肉眼で見えないか試してみたり。
それでいつの間にか、放課後を迎えているのだ。
それなのに今日は、例の女への対策を講じるのに無駄な時間を割くことになった。
授業中、ノートの隅に案をまとめて、やっぱり分からんと何度も心の中で唱えた。
それでもって、ようやくのこと、『諦めた』のだ。
つまりそれは、例の女、景文彩と校門前に集合することを意味する。
「あの感じは、無理だろうなあ」
ほとほと諦念を抱いた表情で、机の荷物をカバンに詰める。
でも、隣のクラスに在籍してるんじゃ、逃げても付き纏われる気がするし。
どうしたって、程々の関係性を維持する以外に解決する方法はないだろう。解決って言うのか分からないが。
今日の放課後は、最悪だ。
徐に席から立ち上がると、夕暮れ前の空を窓越しに確認しつつ、教室の扉の方へ向かった。
すると、
「よ!元気ー?」
相変わらず取り繕っているのか絶妙に判別がつかないような、快活な声が聞こえた。
扉を開けた瞬間にそれが聞こえたもんだから、そりゃ驚くさ。
しかも、引きこもりがちでクラスに話せる知り合いがほとんどいない俺が、いきなり隣のクラスの女子に話しかけられた。
勿論クラス中の視線を浴びることになって。
どうしてくれるんだよ、この状況......。
「ちょっと。俺、このクラスじゃカカシなんすよ」
「カカシ?何、後ろでいつも突っ立ってるわけ?」
「いや、そうじゃないけど...」
まずい。
クラスのヤツらがヒソヒソ話し出した。
しかも実に変な会話をしてるもんだから、そりゃ注目の的、噂の的になるさ。
今すぐ逃げたい......。
「景文、さん」
「なーに?」
「校門って、言ってましたよね......」
コソコソと、耳打ちした。
すると景文彩はキョトンとした顔を見せてから、「あ」と口を大きく開けたリアクションをして、
「ご、ごめん!忘れてた」
「大丈夫です。とりあえず、出ましょう」
そそくさと教室から去っていく俺と、その背を追いかける彼女の姿は傍から見れば不思議そのものだったであろう。
実際、教室ではその動向に視線が持っていかれている人がちらほらいた。
「何、梶野くんって人と話すことあるんだ...」
「おいおい」
「あ、ごめん。だってー、梶野くん学校来る日少ないし」
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校門の近くまで到着すると、ようやくのこと俺は口を開いた。
「......ふう。すみません、景文さん。僕も少し慌てちゃいました」
景文彩は少し息切れ気味に、膝に手をついて俯きがちになって呼吸を整えながら、すぐに姿勢を戻して俺の方を向いた。
「ううん、ごめんごめん。確かに校門前でっていう約束だったもんね。昨日今日と、迷惑かけっぱなしだ」
何だか、この人は真面目な人なのかいい加減な人なのかたまに分からなくなる。
気分屋なのか、恩義に厚いタイプなのか、何となく発言から素性を掴みづらい。
ただその目はやはり、まっすぐ前を向いている気がしたから。
「......いや、全然」
口ごもってしまったが、怪しい人ではないかもと、思えてきていた。
「ってか、校門前ってことは、どっかに出掛ける予定ってことですよね?」
話を進める。
校門前集合ということは、少なくとも外の用事に付き合ってくれという意味だろう。
そこまである程度推測を立てて、彼女に聞いた。
すると、
「あ......そうそう!ほんと、付き合わせちゃって申し訳ないんだけど、今日時間は大丈夫?」
「まぁ、勉強とかも普段しないんで。大丈夫っすよ」
景文彩は小さめのガッツポーズをして、それから俺の方を少し見上げてぱちくりと瞳を開いた。
何かに期待している目だ。
開口一番の声は快活で明るく、
「じゃ、あ、さ!今日、渋谷に行きたいの」
「あー......」
まだ完全に信用していないからか、俺はまた気まずそうに目を横にそらしてしまった。
彼女は、いきなり自宅に押しかけてきたという事実だけ見れば不審者そのものだ。
昨日から始まったこの一連の流れからして、安易に彼女とどこかへ出かけるのは危険であろう。
だが、渋谷なら人通りも多いし、夜は外灯も多い。
何か暗い場所や狭い場所に連れていかれそうになったら、その時に逃げればいい。
結局俺はそういう安易な考えに陥って、こう答えてしまった。
「いいけど、何しに」
すると彼女の面持ちはずんと重みを増して、今まで以上に真剣さを取り戻したような表情で、少しずつ口元が開いていった。
「......うん。あのね、その前に!やっぱりね、本当のことを話そうと思う」
「え」
覚悟が決まったような目をしているもんだから、俺はつい「どうしたの」と心の中で唱えてしまった。
彼女は何度も下を向いたり口をもごもごさせながら、時に「うーん」と言って自分の気持ちを何となく誤魔化しているようにも見えた。
でも最終的には、
「昨日も今朝も、いきなり我儘押し付けて、改めてごめんなさい。私、おかしい人だよね。君からしたら」
いきなり客観的な意見を申すのは、お門違いなのでは。
その不安定な態度は、俺からすれば面倒そのものだ。
「いきなり、なんですか。......正直、怖いですよ。怪しすぎるし、ストーカーじみてて、何なんだろうって感じです。ずっと」
彼女は申し訳なさそうな顔を見せるが、一方で他に色んなことを考え噛み締め、それを解消できないような素振りを見せていた。
「そう、だよね。うん......」
「......とにかく、渋谷に行くその用件は何ですか?もし変なことに巻き込まれるようだったら、本当に通報しますからね」
「それだけは......。うーん、あのね。朝も言った通り、君は少し他の人とは違うんだ、だからね......」
「......はい。まだよく分かってないですけど、僕が他とは違う人間?っていう設定なのか何なのか、見当もつきませんが」
分からない。
濁された言葉からは、何も伝わってや来ない。
全てを語ってほしい。結局『君たち』の狙いは何なのか。ただのストーカーじゃないなら尚更本望だ。早く用件を伝えてほしい。
「......端的に言うと、そうなんだ。だから、君には私たちの所に来てほしい。昨日は『招待』って言葉を使ったけど、正式に言えば私たちのチームに参画してほしい」
やはり、と思った。
それに、息を呑むような空気感を肌で感じる。
彼女は真剣に、かつ真っ当なことを言っているつもりであろう。
俺としては、何が何だか分からない訳だが。
「チームって......。それもいきなりすぎます。僕は貴方のことも、そのチームのことも何も知りません。しかも、今朝は招待とか関係なくて、って言ってましたよね。今朝のは何だったんですか?」
「それは......チームからの命令で」
また、やはり、と思った。
そのチームとやらが、彼女を動かしていたのだ。
しかし、チームとやらはセンスがない。
どうせ隣のクラスの生徒なんだし、もっと自然な近づき方があったであろう。
昨夜といい今朝と言い、不審者紛いの訪問で俺の心は完全に疑いベースになってしまっている。
今後彼女に対する心情に変化があったとしても、第一印象の最悪さは何も変わらないぞ。
「そう、ですか。それならそうと、早く言ってくださいよ。で、僕はこれから渋谷に、何をしに行くんですか?正直、よく分かりません。そのチームはチームで、怪しい団体じゃないんですか?」
「ううん、それだけは絶対に違うの!凄く優秀なメンバーが揃ってる。でも、君がいないと成立しない......。今日の渋谷は、どうしても君が必要なの。だから、昨日声をかけて......」
「あー、はい。分かりましたよ......。とにかく、じゃあ渋谷には行きます。何が何だかっていう状況は変わりませんけど、暗い場所に連れていかれるとかじゃないなら、付き合います」
「本当に?!ありがとう、君がいないと厳しかったから......凄く助かるよ」
「いいえ。まあ、あくまで外で、ですよ。どこか室内に入るようでしたら途中で帰ります。いいですよね?」
校門前の、張り詰めた空気。
しかし景文彩は、決心の着いた表情で、両手の拳をギュッと握ってから俺の目を改めてしかと見つめてきた。
「もちろん。私は君をサポートするし、これ以上迷惑はかけられない」
急に、人が変わったような態度だった。
この女は、目的のために動いている。
だがそれ以上に、何か信条があって、それが彼女を突き動かしている。
そんな気がしたから、
「じゃあ、分かりました。そうと決まれば、早めに行きましょ」
別に人生が悪化する訳じゃないんなら、暇つぶしに付き合ってもいい。
そんな気分屋な俺は、彼女と共に渋谷に向かうことになったのだった。