第三話『殺人ハッカー 後編』
「二里、お前の推理は、草崎が自殺願望を抱いていたと言う部分を除いて、正しかったよ」
「やはり当たりましたか!」
「草崎が自殺願望を抱いていたと言う部分を除いて、だがな」
「えっと……身体を返してくれますか?」
「いやそれはまだだ。ただし身体を返す日は、少し近づいたかな」
「……」
なんか、もう二度と身体が返ってこないのではないかと言う、物凄い不安に襲われている。
「草崎の携帯電話からSNSを閲覧すると、突然氷沢さんが携帯電話をパ……パ……パ……」
「……ソコン?」
「パソコンに繋いで、色々な操作をし始めた」
SNS知ってるのに、パソコンだけは何時までも覚えられないのか。
「しばらくして氷沢さんは、草崎の携帯電話に、携帯電話を遠隔で操作出来るようにする、違法アプリが入っている事を突き止めた。そのアプリは、六年前の二月に入れられたとの事だ。その後も携帯電話に何かしらの痕跡がないかを調べたらしいが、アプリ以外の痕跡は、ゼロだったらしい」
「遠隔操作する違法アプリ……」
「その違法アプリを、草崎本人の意志で入れた可能性は低く、第三者の手で、違法アプリを入れられた可能性が高いと睨んだが、草崎の交友関係や、過去を洗っても、携帯電話を見せる程仲の良い知人は誰一人としておらず、第三者の手で入れられた可能性も低いと指摘すると、氷沢さんはある一つの可能性に辿り着いてくれた。それは、草崎にその違法アプリを入れるよう、指示を下した人物がいる可能性だ。しかしその指示を下した痕跡もまたゼロだった。氷沢さん曰く、その違法アプリで、痕跡を全て消し去ったのであろうと言う事だ。そして氷沢さんはこう続けた。どんな形で指示を出したにせよ、一度草崎の携帯電話から情報を盗む必要がある。その理由として、SNSのダイレクトメッセージとやらは、全て受け付けない設定になっていたと言う事らしい」
「となると後は……メールとかっすか?」
「氷沢さんもそう睨んだ。しかし草崎の使用しているメールアドレスは、一般公開していない。となると考えられる可能性は二つ。一つ目は、何者かが草崎の携帯電話の画面を盗み見た可能性。二つ目は、何者かが草崎の携帯電話に侵入し、メールアドレスを盗み見た可能性だ。恥ずかしながら、私も完璧には理解出来ていない」
なんて複雑で……恐ろしい事件なんだ……。
恐らく犯人のターゲットは、掌野ではなく草崎だ。でなければ、あまりにも危険過ぎる計画になってしまうからだ。もし犯人が掌野を狙ったとしても、SNSのタイムラインに、自殺願望を綴った書き込みを大量に表示させ、草崎に自殺願望を抱いた者を、殺させようとしただけでは、必ずしも掌野を殺すとは限らないからだ。俺はここまで緻密な犯行計画を考え、実行に移す人間に、一度会ってみたいと思った。会って、どうしてこんな犯行計画を思いついたのかを、知りたいと思った。
「しかし氷沢さんは、私が完璧に理解出来ていない事を悟ったかのように、これからすべき事を全て教えてくれた。氷沢さんには感謝しかない」
氷沢さん……凄いな……本当に鑑識か?
「一つ目の可能性を追うのは至難の業な為、先ず二つ目の可能性を潰した方が良いと教わり、その為には草崎に、遠隔操作が始まった頃に利用していた、飲食店やコンビニエンスストアを聞き出し、メールアドレスを盗み見られた場所を特定するのが良いと、教わった。理由は、離れた場所から情報を盗み見るのに、一番手っ取り早い手段は、無料で利用可能なルーターを利用する、もしくはそれに似せたものを飛ばす事だからと教わった」
タダでネットに繋げる事が出来るあれだな。
「さらに犯人の特徴は、パ……えっとパソコンだ! パソコンを使用し、長時間利用している人物だと言うヒントもくれた」
言えている……パソコンと言えている!
「後は刑事の力でその人物を見つけ出し、空振りであれば、一つ目の可能性に取り掛かった方が良いであろうと、教わった」
最後が急に投げやり! でも氷沢さん優秀過ぎだ。こいつより氷沢さんの方が接しやすいかもな……。
「それから私は、草崎から聞き出したカフェで、遠隔操作の始まった六年前の二月に、長時間利用している客がいないかどうかを聞き込みした。そして一人、怪しい人物が浮上した。その人物は、パス……あ……パソコンを利用し、カフェを長時間利用していたとの事だ」
「よくその人物あぶり出せましたね……普通覚えてないっすよ?」
「それが覚える理由はきちんとあったんだよ。その人物は、コーヒーを殆ど口にしなかった、もしくは一杯も口にしなかったらしい。あのカフェのコーヒーや料理、スイーツは絶品で、そのような事が起きるのは、六年前の二月が初めてだったらしく、印象に残っていたらしい」
これが……極めて低い可能性に立ち向かうプロか……。
「なるほど……で……それからどうなったんすか?」
「ここで終わりだ」
「え? いや……その人物の正体は……」
「防犯カメラの映像からその人物を突き止める事は不可能だ。だから私は、明日もまた聞き込みをする。その人物が特定出来るまでな」
「そんな無茶な事……」
「聞き込みする事を無茶と言うのか。とても捜査一課の刑事が、して良い発言だとは思えない。私は一度飛びついた事件からは、二度と離れない。しかしこれ以外にもまだ、二つの謎が残っている。一つ目は、草崎が世野の携帯電話を盗んだ当日、無職の掌野が何故か電話に出なかった事。二つ目は、飲み残したコーヒーの事だ」
「何故それが謎なんすか? 電話に出なかったのは、寝てたからとか、充電が切れてたからとか、もしかしたら通話中だったと言う可能性もありますし、飲み残したコーヒーに関しては、その人物が、コーヒー嫌いだったのかもしれませんし。二つとも、別に謎にする程の事では……」
「出なかった電話の謎はともかくとして、飲み残したコーヒーの謎は、放っておけない」
「何故っすか?」
「当時、犯人がパ……ソコンで、犯行計画を進めていたのであれば、緊張して口が乾いたと思うんだ。なのにどうして殆ど、もしくは一杯も、コーヒーを口にしなかったのか」
そんな事別に……もう本当にこいつは、頭が良いのか悪いのか、分からない!
でもここまで来て終わりと言うのは、正直気持ちが悪い。ここまで来たのなら、その人物の正体を突き止めたい。
何か良い方法は……草崎に恨みをもつ人物を探そうにも……交友関係や過去に……人の気配はまるでしない……草崎自身ですら自覚のない……ほんの些細な恨みをもつ人物の特定……それこそ無茶だ……一番手っ取り早いカフェの防犯カメラの映像と言う情報は……保存期間が過ぎてもう見れない……いや……画像ならあるぞ……それも保存期間の存在しない画像が!
俺はパソコンを開き、SNSでそのカフェの名前を打ち込み、六年前の二月に投稿された画像を調べる事にした。
こいつの話によれば、そのカフェのコーヒーや料理、スイーツは絶品との事だ。なら必ず、SNSに画像を投稿している人がいるはずだと、俺は考えた。
俺の考えは当たった。大量の画像が出て来た。投稿日を六年前の二月に絞り込み、画像を確認する。
「おい、何をしているんだ?」
「六年前の二月に投稿された、SNSの画像っすよ。あのカフェ人気店なんで、SNSに大量の画像があるんすよ。その画像の中から、草崎の姿と、パソコンを使用している客の姿が同時に写っている画像が見つかれば、その人物の顔や姿が分かるかもしれないじゃないっすか!」
「……完璧には理解出来ていないが、お前もどうやら、極めて低い可能性に立ち向かうようになったようだな」
「ええ、ちゃんと聞いてますから。警部補も確認お願いします。草崎の顔が分からないので」
「分かった」
悔しいが、こいつの教えも、侮れない。
「ストップ!」
「わっ! びっくりした……」
こいつがストップと言ったその画像には、パフェが写っており、数人の客も写り込んでいた。さらに客の中の一人は、パソコンを使用しており、そのパソコンの横には、コーヒーもある。もしこの画像に草崎が写り込んでいれば、恐らくこのパソコンを使用している女性が、コーヒーを飲み残したあの客と言う事になるであろう。
「草崎居ます?」
「ああ、草崎は、こいつだ」
「こいつが……」
こいつが指をさした先には、スマートフォンを操作しながら、食事をしている男が写り込んでいた。この男が草崎か……。
「なら……このパソコンを使用している客が……例のコーヒーを飲み残した客である……可能性がある一人……」
「その客も知っている」
「……え? どう……言う……事っすか? え……知ってるんすか?」
「間違いない、あの女性だ」
「あの女性って……」
「世野から携帯電話の件を聞き出したあの日、世野の自宅アパートに向かっている途中、ある一人の女性と肩がぶつかってしまった。しかもその女性は何故か、私の顔を見るや否や、全速力で逃げて行ってしまった。その女性こそ、ここに写り込んでいる女性だ」
「マジっすか……とんでもない偶然じゃないっすか」
「偶然……か」
楽だ……本当に楽だ。苦しみのもとが、たった一つだけ消えたこの世の中が、私にはとても美しい世の中に見える。しかしだからと言って油断する事は出来ない。それだけは絶対に許されない事だ。一度経験をしてしまった私には、絶対に……。
心の中で喋りながら、コーヒーを飲もうとしたその時、突然インターホンが鳴った。ドアスコープを覗くと、そこにはあの時、肩がぶつかってしまった刑事がいた。
「はい? どちら様ですか?」
「警視庁捜査一課の、二里っす」
そう言いながら彼は、あの時彼が握っていた、警察手帳を見せて来た。
「何か私に聞きたい事が? あ……肩がぶつかった件ですか? あの時はすみません……」
「いや! その件は大丈夫っす! 今日俺が来たのは、この前発生した、森での殺人事件の事で、ちょっと話を聞きたいんすけど」
どうして……もう犯人は捕まったはずなのに……まさか……バレたのか? でも……ここで話を拒否するのは……怪しいから……話をしよう……。
「わ……分かりました……少々お待ち下さい……」
念の為、覚悟は決めておいたほうが良さそうだ。そう思いながら、私はノートパソコンを見つめた。
世野さんの自宅アパート周辺で、半場警部補の描いた似顔絵を使い、聞き込みをして、あの女性の正体を突き止めた。上部早希、元システムエンジニアで、現在はフリーター。殆ど表に顔を出す事はなく、主に在宅ワークで生計を立てている模様。
彼女は、世野さんの自宅近くにある、マンションの一室に住んでいる。そして世野さんの自宅近くと言う事は、草崎に殺害された掌野も、この近くに住んでいたと言う事になる。俺は奇跡的な偶然だと考えているが、あいつは昨日……。
「どうも偶然とは思えない。関係者が集まり過ぎている。これには何か意味があるはずだ」
と言っていた。
草崎との関係こそ不明だが、今回の事件に、上部が関わっている可能性は非常に高く、下手をしたら上部が真犯人かもしれない為、話を聞きに来た。
それにしても、やっぱり生きた人間の身体のほうが、ずっと気分が良い! 本当に良い! しかし今日、優田から妙な事を言われた。
「昨日さ、何か小声で、十二年前に何故〇〇氏を狙ったのか? みたいな事言ってなかった? 忙しくて聞きそびれちゃってさ! でも君が、〇〇氏みたいな言葉遣いするの意外だったからさ! 気になっちゃって! 十二年前って事は……未解決事件?」
身体を乗っ取られると、こう言った状況が生まれてしまうと言う事を、俺はきっちり理解した。十二年前に何故〇〇氏を狙ったのか? これは俺の言った言葉ではない。そして俺は、十二年前の事件に首を突っ込んでいない。未解決事件は、証拠を見つけるのに時間がかかる為、首を突っ込まないようにしている。しかしあいつなら……やりかねない……俺はこのクエスチョンに、そのような独り言は言ってないと答えたが、果たして良かったのだろうか?
「今回の事件、犯人の草崎は捕まったんすけど、厳密に言うと、まだ解決はしてなくてですね。その、犯人の草崎を裏で操っている人物がいるのではないかと、そう考えてるんすよ」
かなり困惑している様子がうかがえる。初めて刑事と話すからと言う可能性もあるが、真犯人だからと言う可能性もある。揺さぶりをかけてみるか……あれ? 上部さんが持っているそのマグカップに入っている飲み物って……香りで分かる……コーヒーだ! やっぱり飲み残したコーヒーの件は、謎でも何でもなかったじゃないか! あいつ……考え過ぎもどうかと思うぜ!
「私が……何か知っているとでも?」
「ご存知ありませんか?」
「申し訳ありませんが……私は何も知りません……」
「そうっすか……今回の事件、狙われたのは掌野ではなく、草崎だと考えてるんすよ。何故なら、今回の事件は、草崎本人の意思ではなく、真犯人が、草崎の利用しているSNSを利用し、草崎を巧みに操り、人を殺させたのではないかと、考えてるんすよ」
「……」
身体が少し震え、マグカップに入っているコーヒーが揺れている。これは間違いない、真犯人は、上部早希で決まりだ。さらに揺さぶりをかけて、吐かせよう。
「その、草崎を巧みに操った、頭が良く、かつ狂気的な発想が可能な真犯人……貴方ではありませんか? まあ……調べれば全て分かる事ですけど」
「……」
上部は俯き、か細い声を発した。
「バレましたか……警察も……馬鹿に出来ませんね……私が……全てやりました……」
自白だ……俺は……複雑な知能犯を自白させた! やはり俺は……天才刑事だ!
俺は咳払いをした。
「どうしてこんな事を……草崎とは、どう言う関係なんすか」
「その……草崎と言う人とは……何の関係もありません……」
何? 草崎との接点はなしだと?
「はい? なら一体……」
「あの人は……私の計画に必要な駒に過ぎません……六年前の二月……自宅から少し離れたカフェに行って……カフェのルーターを経由して……何の関係もない人……つまり草崎の……スマートフォンをハッキングして……メールアドレスを盗んで……遠隔操作が出来る自作の違法アプリを入れるよう……メールで指示を出して……私がSNSに大量にこしらえた捨て垢を……遠隔操作で何度も閲覧して……草崎を洗脳して……草崎があいつを殺すように仕向けました……指示を綴ったメールは……遠隔操作で削除しました……」
「ちょっと待って下さい! あいつってのは……誰の事っすか?」
「掌野ですよ……掌野謙悟ですよ……それ以外に誰がいると言うのですか?」
一体どうやったんだ……大量の捨て垢で……草崎に掌野を……確実に狙わせる方法……まさか……一つだけ思いついたぞ……恐ろし過ぎる方法が……。
「さっき……大量の捨て垢で……草崎を洗脳したと言いましたよね?」
「はい」
「もしかして……全ての捨て垢に……掌野の住所が特定出来るヒントを……隠したんすか……」
「その通りですよ……あいつのSNSを見つけて……計画を組み立てました……あいつ……ネットの恐ろしさ知らな過ぎて……その気になれば……簡単に住所特定出来る書き込み……画像……映像……沢山上げててラッキーでしたよ……しかしまあ……この近くに住んでいると知った時は……本当に怖かったですよ……」
なんと言う執念深さ……怖過ぎる……。
最後に肝心の、掌野を狙った動機を聞きたい所だが、この続きは、取調室で聞く事にしよう。いつも先輩の東海林警部補に、取調べをさせてもらえない俺だが、俺が上げたホシと言う事であれば、流石にさせてもらえるだろう。
「続きは警察で聞きます」
「はい……でもその前に……家族写真の前で……謝らせて下さい……お願いします」
「ええ……存分に……謝って下さい」
そう言うと上部は、俺の真後ろに置いてある家族写真に向かって歩き始めた。そして突然、俺の目の前に銀色の光る物体を突きつけてきた。それは小さなナイフだった。咄嗟の事でつい背中を向けて逃げようとしてしまい、後ろから物凄い力で抱きつかれ、手で口を塞がれ、首に刃を当てられ、逃げられなくなってしまった。
なんと言う事だ。刑事人生史上、最悪の事態が発生してしまった! 上部早希……身体能力が凄すぎる……。
「ちょっとでも動いたら……ここ切るからね……」
俺の耳に、低音の声が囁かれる。
「幾ら優秀な刑事でも……こうされたら何も出来やしない……今から口を押さえている手を外すが……声出したら……分かるな?」
首にあてられたナイフに、微かな力がかかるのを感じた。
俺は小刻みに、首を縦に振った。すると上部は、俺の口から手をはなし、俺の左手を掴んだ。
「この手の人差し指、お前の口の中に入れろ」
命じられるがままに、俺は人差し指を口の中に入れた。一体これから何をさせる気なのかと思ったが、次の瞬間、俺に何をさせる気なのかを悟った。上部は、俺の手を上部の身体中にこすりつけ始めた。恐らくこれは、俺が上部に、性的暴行を加えようとしたと言う、証拠をでっち上げる為にしている事だ。
「嫌だ! 嫌! やめて! ねえやめて! やだよ! ねえ! いやだあああああああ! 助けて! 助けて! 助けてよ誰か! 誰か助けて! 誰か! 誰か!」
突然上部が叫び始めた。これでは完全に俺が性的暴行を加えようとした悪徳刑事と言うレッテルが貼られてしまう。
そして突然、俺を突き飛ばし、机に置かれているノートパソコンを、俺の頭をめがけて振り下ろそうとして来た。まずい! 死ぬ……俺が死んでしまう! やばい!
と思ったその時、突然玄関の扉が開く音がした。上部が見せた一瞬の隙を突いて、上部の持っているノートパソコンを奪おうとしたが失敗、ノートパソコンが、再び俺に振り下ろされようとしていた。やばい死ぬ!
と思ったその時、上部は突然部屋に入って来た女性に取り押さえられていた。何が起こったのか、一瞬理解出来なかったが、顔を見て直ぐに安心した。その上部を取り押さえた女性は、優田だった。
「十六時五十八分! 殺人未遂の現行犯で逮捕します!」
優田は上部の両手に手錠をかけた。
その後、先輩の東海林警部補まで入って来て、俺に駆け寄ってきた。
「優田! 二里! 大丈夫か?」
「私は大丈夫です!」
「ええ俺も……すんません……ってか警部補……どうしてここ分かったんすか?」
「お前、最近スタンドプレーが目立つから、何かやらかさないとも限らないと思ってな、こっそり尾行してたんだよ。俺は、お前の教育係だからな。全く、今度はちゃんと気付けよな」
「はい……あ、優田も来たのは、何故っすか?」
「優田か? 優田は、俺に用事がある時に、代わりに尾行させてたんだよ。交代する為に、優田と合流しようと走っている時に、こんな事が起きたもんだから、俺はワンテンポ遅れちまったんだな。優田に感謝しろよな」
「はい……ありがとうございました……」
「いえいえ!」
「こいつは……こいつはやばい人なんです! 私の事……私の事襲おうとして来たんだ! 私の事……」
突然上部が、泣き喚きながら訴えかけて来た。
「どう言う事?」
優田が聞くと、上部は泣きながら答えた。
「突然……こいつが……部屋を訪ねて来て……私と……全く関係ない……事件の話を始めて……知らないと言い続けてたら……急に襲って来て……い……今着てるこの服! 調べてもらえば分かります! こいつ……ふ……服を……私のこの服を……舐めて来たんです! だから私……ノートパソコンで襲ったんです……こ……こいつ捕まえて下さい刑事さん! 刑事さん……」
「確かに……ここに来た時に聞いた悲鳴は……この人のものでした……二里君……」
「お前……」
俺は忘れていない、半場警部補の、あの言葉を……。
「犯人逮捕するまでは、事件にしがみつけ。どんな情報や証拠も見逃さずに掴み取れ。捜査一課の刑事になれたお前なら、それが出来るはずだ。違うか?」
警察は、証拠が命だ。
俺はズボンの左ポケットから、ICレコーダーを取り出した。録音を停止し、保存された音声を再生した。
『どうしてこんな事を……草崎とは、どう言う関係なんすか』
『その……草崎と言う人とは……何の関係もありません……』
『はい? なら一体……』
『あの人は……私の計画に必要な駒に過ぎません……』
ここで早送りをして、再び再生した。
『今から口を押さえている手を外すが……声出したら……分かるな?』
ここで手を掴む音が聞こえる。
『この手の人差し指、お前の口の中に入れろ』
手を服に擦り付ける事が聞こえる。俺はここで一時停止した。
「残念だったな……上部早希……警察舐めんなよな……」
「はあ……来なさい……」
優田がそう言うと、上部を連れて外に出た。俺と東海林警部補も、一緒に外に出た。
今日、また刑事がやって来た。
今度は、知らない女性の似顔絵を見せられて、知らないかと尋ねてきた。
怖い……もしかしたら……またあの時みたいになるかもしれないと思うと……どうしても……ドアチェーンを外す事は出来なかった……。
あの男が死んでも……恐怖は心に残り続ける……あの日……私が外食をしなければ……ちゃんと……お金を用意していれば……あんな事には……。
今、俺と優田は取調室で、上部を取調べている。東海林警部補が、俺による取調べを許してくれたのだ。
「どうしてこんな事したんだ。もしかして、掌野に金を脅し取られてたのか」
「金? 知らねえよ……でも……まだ金を脅し取られてたほうが良かったよ……私は……私はあいつに……」
上部の目が涙ぐみ、声が震えている。
「私はあいつに! 身体を汚されたんだよ!」
身体を……汚された? つまり上部は掌野に……。
「七年前だよ……私が会社の帰りに……カフェに寄った事から全てが崩れ始めた……私の大好きなコーヒーを飲んで……ゆっくりしてたら……段々と眠気が来て……近くにいた男の客に介抱されて……私の家まで連れて行ってもらった……その後は……地獄だった……私に睡眠薬を盛ったって事は……あいつが直接教えてくれたよ……そしてあいつは私に……助けを求めたりしたら……全てバラすと脅して来た……」
まさか……あの時上部がコーヒーを残したのは……外出先での飲食が……トラウマになっていたからか……。
「それから私は……外に出られなくなった……またあいつは……私の目の前に現れるかもしれない……そう思うと……玄関の扉が開けられなかった……必死になってやっと入社した会社にも行けなくなった……あいつは……私の人生も……身体も……全部ぶっ壊しやがったんだよ! 安心して外に出る為には! あいつがあの世に行かなきゃいけなかったんだよ! あの日……違法アプリで盗聴して……あいつが倒れる音を聞いた瞬間……どれだけ……どれだけ!」
「……」
難事件を解決し、俺の存在が警察中に知れ渡り、注目される事だけを目標に、ここまでやって来た。しかし、難事件には、難事件になるだけの理由が存在する。この瞬間、俺はその事に気が付いた。
「馬鹿野郎! どうして犯人に捕まったりなんかした! 捜査一課の刑事が聞いて呆れるよ」
「はい? それは流石にキツくないっすか? それに半場警部補は元捜査一課……」
「うるさい! SNSを使って、上部早希を見つけ出した事を、激励する為に身体を返してやったと言うのに。これなら私が行っていたほうがよほどマシだったよ! 録音なんかに頼りやがって」
「犯人は逮捕出来たんすよ! 良いじゃないっすか! ってかこれからも、俺の身体使って捜査して下さいよ! 俺、注目されたいんで」
返せ返せと常に思っていたが、よくよく考えたら、天才刑事に乗っ取られているのだから、身体が返ってきたら、注目をたらふく堪能する事が出来る。悪くないと思った。
「注目されたい? お前、まさかそれが目的で、刑事になったんじゃないだろうな?」
その通り過ぎる! 俺は承認欲求で刑事になったんだからな! 本当にその通り過ぎる!
「図星か! 全く……人の心にはこれっぽっちも寄り添わないんだな! 冷たい刑事なこった」
「でも流石に今回の事件で、思い直しました」
「思い直してもらわないと困る。でもお前の事だ。どうせ一度寝れば全て忘れている」
「ちょっと……馬鹿にしないで下さいって……あ! そう言えば掌野が電話に出なかったみたいなあれ! 全然謎なんかじゃなかったじゃないっすか!」
「いや、あれはやはり謎だった。そしてその謎はもう解けている。答えは、掌野が女性を襲っていたからだ。お前から話を聞いた事で謎が解けた。間違いない。私は最初から考えていた。掌野は、人から金を脅し取るだけで済ませるような存在ではないと。恐らくあの人も既に……」
「誰っすか?」
「掌野から金を脅し取られていた、林田さんだ。掌野は頻繁に、行きずりの女性を、襲っていたのであろう」
こいつの言っている事は全て推測だ。しかし、もしこの推測が合っていたら、『掌野謙悟』と言う存在は、救いようのない、真っ黒な存在と言う事になる。
「しかし、この推測が正しかった所で、掌野を起訴する事は不可能だ。掌野は既に死んでいるんだからな。全く……遣る瀬無い」
「……」
救いがない……。掌野が……そんなに真っ黒な存在だったなんて……ん? ちょっと待て……俺はどうして……こいつなんかが言った推測を……信じているんだ?
「兎に角、犯人に捕まった罰として、また身体を乗っ取らせてもらう。立て」
マジかよまたかよ……まあでも、身体を乗っ取る時も、取り返す時も、幽霊が背中から体当たりすれば良いんだから、不意をついて背中から体当たりすれば、解決だ! ってか最初から取り返す方法知っとけば良かった!
「分かりました……あ! ちょっと待って下さい! せっかく身体取り返せたんで、ビール飲まさせて下さい! 幽霊状態になると、食事出来なくて、本当に苦しかったんすよ!」
「駄目だ」
「なんでっすか!」
俺は冷蔵庫から缶ビールを取り出したが、直ぐに奪われた。
「あ! 返して下さいって! ちょっとすんません!」
「これも罰だ! 潔く受け入れなさい!」
「そんな事言って! 半場警部補が飲みたいだけじゃないんすか!」
「馬鹿言え!」
刑事と、幽霊状態の元刑事の二人で、缶ビール一本を奪い合うと言う、カオスな状況が繰り広げられた。その時だった。
ドンドンドンドンドンドンドン!
「……びっくりした……やめて下さいって半場警部補……反則っすよ!」
「いや、私じゃないぞ」
「え? これ……半場警部補の起こした心霊現象じゃないんすか?」
「違うぞ」
俺は直ぐにドアスコープを覗いた。誰もいなかった。扉を開けて周りを確かめてみたが、特に誰もおらず、アパートの前を通り過ぎた車のライトの光が、目に飛び込んで来ただけだった。
「誰もいないっす」
「これ最近になってから起こるようになったんだよな。でもドアスコープ覗いても、いつも誰も居ないんだよな。あ、幽霊状態だと、扉は開けられない。外に身体が出せないのだから、外の方に開く扉を開けられるわけがない。もしかしたら、うるさかったのかもしれないな」
「そう言う事か……身体乗っ取って良いんで……謝っといてくれませんか? すんません」
「都合の良い時だけ乗っ取られようって魂胆が丸見えだ。お前が行け」
「乗っ取って下さいって! 十二年前の事件、調べたいんじゃないっすか?」
「……やはり調べてる事はバレたか」
「そりゃそうっすよ! 身体は一つなんすから」
この前、優田から聞いた、『十二年前に何故〇〇氏を狙ったのか?』と言う言葉。俺が言ってないとなると、半場警部補が言っていた事になる。あの時俺は、独り言の件を否定したが、乗っ取らせる為の口実として使わせてもらうぜ!
「あの独り言……聞かれてたのか……」
「ええ、優田にバッチリ聞かれてたっぽいっす」
「……分かった。まだ不安だが、話す事にしよう。俺は嘘をついた。強盗殺人と言うのは、真っ赤な嘘だ。あれは私を狙った、計画的な殺人だ……」
こいつは……一体何を言っている……。確かにこいつが刺された、強盗殺人事件が発生したのは、十二年前だ。しかし俺は、これとは別の、優田が聞きそびれた人物が狙われた、未解決事件を調べるよう、勧めたかったんだ! でも……こいつ強盗に殺されたんじゃなかったのか……。
「ちょっと待って下さいね! すんませんね! あの……優田から聞いた独り言は、半場警部補が狙われた事件ではなく、別の誰かを狙った事件の事を言ってたはずなんすけど? 十二年前に何故〇〇氏を狙ったのか? っとね?」
「……〇〇氏ではない」
「はい?」
「優田が聞きそびれたと思われるその、〇〇に入る言葉は、『わた』だ。もう分かるだろ」
「わたっすか? 十二年前に何故わた氏を狙ったのか……ああ! 『私』だ!」
「そう言う事だよ!」
つまりあの時こいつが言っていた事件とは、こいつが刺された事件かよ! ややこしい! でも待て……どうしてこいつ……俺に嘘吐きやがったんだ?
「どうして……俺を騙したんすか?」
「廃れていたあのお前に、俺を刺した人物が分かるはずがない。捕まえられるはずもない。そう考えて、あの時は嘘を吐いたんだ。でも分かった。お前には、実力がある。裏では汚れているがな……すまなかった。混乱させてしまったな。しかし優田に聞かれているとは……」
これではっきりした。半場警部補は、強盗を捕まえようとして、強盗に刺されたのではなく、強盗殺人を装い、半場警部補の命を奪った犯人が、存在すると言う事である。東海林警部補が散々言っていた……。
「半場警部補が強盗如きに殺されるはずがない」
と言う言葉……これは正しかったんだ……流石だ……。
「警部補。嘘を省いて、当時の事を詳しく聞かせて下さい」
「分かった」