王女殿下の幼馴染の女性騎士は意外とつぶしが利く
「ニコール! 大変よ大変!」
ある日の夕方、護衛任務に就いたとたんにまくしたてられた。
「殿下、何が大変なのか、おうかがいしても?」
部屋の主である、クライエンホフ王国第二王女ローザンネ殿下が大きく深呼吸してからハッキリと私に告げた。
「あなたを嫁ぎ先に連れていくことが出来なくなったわ!」
「……それは、確かに大変です」
「でしょう!? あなたも、もっと驚いていいのよ!」
「しかし、任務中ですので」
「もう! そんなふうにいつも冷静で頼りになるあなたを連れていけないなんて。
わたくし、どうすればいいのかしら」
「殿下、少し落ち着かれませ。
お座りになって、お茶を召し上がってください」
殿下の侍女長、ステファナ様がなだめる。
私の護衛任務は朝までだから、話す時間は取れるはず。
殿下は素直に座られ、私はその背後に控えた。
クライエンホフ王国とゼルニケ王国は隣り合う国である。
南側に位置するクライエンホフ王国は農業が盛んな国。
対して北側に位置するゼルニケ王国は狩猟と酪農が盛んであった。
二つの国は物々交換から始まって、建国以来、良好な関係を保っている。
その証として、王族や高位貴族の婚姻が時々結ばれてきたのだ。
今代はクライエンホフ王国の第二王女ローザンネ殿下が、ゼルニケ王国の次期ボスフェルト侯爵メルヒオール様に嫁ぐことになったのである。
三年前に婚約が結ばれ、ローザンネ王女殿下が十八歳の誕生日を迎えた今年、めでたく婚姻と相成った。
隣国への出発まで、あと一か月。
すでに嫁入り道具はおおかた運ばれていった。
そんな今になって、付き従う者についての制約が入ったのである。
「ゼルニケ王国では護衛はあくまで男性の騎士の仕事だから、例外は認めないと言うの。
わたくしの夫になるメルヒオール様は、間際になってこんなことを言い出して申し訳ない、と手紙に書いてくださったので、多分、侯爵家の騎士団と折り合わなかったのね。
侍女ならば、多少人数が増えても受け入れる、ともおっしゃっているのだけど……」
私がどうしても一緒に行くとなれば侍女の身分で、ということになるらしい。
「次期侯爵様にもお気遣いいただいて、ありがたい限りですが、さすがに、私が侍女の仕事を覚えるには時間が足りないかと。
長くお仕えした殿下とお別れするのは寂しいですが、これもひとつの節目かと」
「もう、あなたったら、昔から冷めてるというか、あっさりしてるというか。
そういうところが付き合いやすくて助かるんだけど」
殿下は小さくため息を吐かれた。
殿下と私はもったいなくも幼馴染といえる間柄である。
私は、王城で生まれた……と言っても、もちろん高貴な身分などではない。
当時、父は王城の騎士であり、母と共に王城内の家族寮に住んでいた。
王城で働く者や、その家族はそれなりの人数になる。
そのため、高貴な方々向けとは別に、彼らのための医者や産婆が常駐している。
母が産気づいたとき、隣の奥さんが産婆を呼んでくれ、私は寮の寝室で無事に誕生した。
おかげさまで元気に育ち、子供のころから見様見真似で木剣を振っていた。
幸いにも素質が認められ、やがて女性王族を護衛するための女性騎士見習いとなったのである。
たまたま訓練を見に来ていた王女殿下になぜか気に入られ、護衛半分、遊び相手半分という仕事を命じられたのは十二の歳。
その時、王女殿下は八歳であった。
私を王女専属の護衛騎士として育てるという騎士団の目論見のもと、仕事の合間に猛烈にしごかれ、十六の歳には騎士として認められた。
それ以降、王女殿下にお仕えしてきたのである。
殿下がさまざまな教育を受けられる場にも、いつも控えていた。
王族への教育は厳しく、講師たちはいかなる遠慮も忖度もしない。
国王陛下から、必要な教養をしっかりと身に付けさせるよう命じられた講師の面々は、根気強く殿下を教え導いた。
殿下は歯を食いしばって耐えていたが、王族だって人間である。
愚痴も弱音も吐きたいときもあるのだ。
それを言える相手は私ぐらいしかおらず、私はただ黙って聞き流した。
いつだって王女殿下は一通り言い終えると「聞いてくれてありがとう」と恥ずかし気に、しかし、少しはすっきりしたような顔をしておっしゃるのだった。
それこそが、私が長く護衛を許された理由だろう。
ハッキリ言えば、私は人の気持ちに疎いようで、あまり同情したり同調したりということがない。
愚痴の聞き役としては打って付けだ。
そんな人間が、細かい機微を察することを望まれる侍女になどなれようはずもないのである。
再就職先に当てはないが、誰か相談に乗ってくれる人がいるかもしれない。
余計な不安は無駄だと切り捨てられるタイプの私は夜勤明け、寮の自室に戻るとぐっすり眠った。
午後になって目を覚まし、騎士団の食堂に向かおうとしたところ、女子寮の入り口で寮監から手紙を渡された。
ああそうだ、女子寮の寮監なども適職かもしれないな、などとのんきに思いながら、まずは食堂で腹ごしらえを済ます。
食後のお茶をもらい、さて、と手紙の封を切る。
差出人は王城の騎士を引退し、地方の伯爵家に再就職した父である。
ざっと目を通すと、一瞬、頭が真っ白になった。
もう一度読み直してみて、これは落ち着いている場合ではないと思い、慌てて寮へ戻る。
自室で三度読み返しても、やっぱり結論はひとつしかない。
私はいつもよりも念入りに身支度をし、王女殿下の元へ向かった。
「殿下、侍女にならざるを得ない事情が出来てしまいました」
「藪から棒に何よ?」
「地方の伯爵家に再就職した父から、縁談を勧める手紙が届いたのです」
「縁談? そうね、あなたも年頃ですもの。おめでとう?」
年頃と言うには、やや薹が立っているが、そこはまあいい。
殿下は表情から私の気持ちを察してくださった。
「あら? 縁談より侍女のほうがいいの?」
「もちろんです。機微を察する侍女の仕事も、私には荷が重いですが、侍女であればまだ、先輩方に頼って何とかなるかもしれません。
ですが、誰かの妻という立場は一人きりで、夫をはじめとした家族の気持ちを慮らなくてはならず、失敗が許されません。
鈍い私にはとても無理です」
「あら、あなた、そんなことで侍女を渋ったの?
嫌ねえ。その鈍さがあなたのいいところでしょう?
わたくしはそこに救われてきたのだから」
「殿下……」
「そういうことなら、侍女になって、わたくしについていらっしゃい!」
「はい、お供させていただきます!」
「フフフ、侍女をあっさり断ってわたくしをヤキモキさせたぶん、突貫侍女教育で苦労するといいわ!」
「……」
五日ほどして、私は護衛の任を外れ、侍女教育を受けることになった。
とにかく時間がないので侍女長がつきっきりで厳しく指導してくださったのだが……
「殿下、ニコールの侍女教育が終了しました」
「なんですって!?」
指導が始まってから三日後。
侍女長の報告を聞いた殿下が叫んだ。
「冗談、じゃないわよね?」
「もちろんでございます」
殿下が私をにらみつける。
「侍女教育、苦労するはずじゃなかったの?」
「はず、と申されましても……」
侍女長が重ねて太鼓判を押す。
「侍女として控えるには全く問題なく、マナーなども完璧でした。
おまけに急ぎの書類仕事を手伝わせてみましたら、これがまた呑み込みが早く、一目で要点を押さえる卒のなさで。
あちらへ行っても頼りになりそうです」
殿下は再び、私を睨む。
「どうしてあなた、そんなに苦も無く出来るのよ!?」
「考えますに、幼いころより王女殿下が講師方から教えを受けていらっしゃる後ろで、いつも控えておりましたので、だいたいのことは覚えてしまっていたようで」
「ああ、なるほど」と、その頃から殿下の世話をしていた侍女長が頷く。
殿下は比較的ゆっくり物を覚えられる性質だったので、講師方は本当に根気強く教えていたのだ。
少々ややこしいことになると、それこそ、何度でも。
その場に居合わせれば、何度も耳に入る知識を覚えてしまっても不思議はない。
ついでに、侍女の仕事もさんざん目にしてきたので、その流れが自然に頭に入っていたのだ。
「なるほど、じゃないわよ。
子供のころから愚痴を聞かせてきて悪かったと思っていたけど、その気持ちがすっかり失せたわ!」
「憂いが減ってようございました」
「あなたねえ!」
「はい」
「侍女としてもこき使うから、覚悟なさい!」
「はい。末永くよろしくお願いいたします」
淑やかに礼をすれば、侍女長が合格ですと頷いた。
殿下がマナーを学ぶ場にも居合わせていたのである。
見て真似られることはすべて修得していた。
殿下は幼いころのように「ムキ~!!!」とも言えず、口の端を微妙に引きつらせる。
後からいくらでも、愚痴でもなんでも聞いて差し上げよう。
殿下は私の鈍いところがいいのだと言ってくださるが、私にとっては、ハッキリと言葉で告げてくださる殿下こそ仕え甲斐がある。
少々子供じみたところもある、正直でまっすぐなこの方こそが私の生涯の主人であると、誓いを新たにした。