己の目で見極めて
翌日、オルコット伯爵宛に私との正式な婚約を求める婚約状が送られてきた。
昨日の間で私の意見が変わったことに驚いた両親、それからお兄様に何があったのか尋ねられたのに対し、こう答えた。
「大丈夫です。王太子殿下のお手伝いをするだけですから」
お手伝い。それは、恋愛指南のこと。
(前世の記憶もない彼が、再び私を好きになるなんて、そんなのは空想の世界だけであってあり得ないもの)
だからほとぼりが冷め、別の女性が見つかればきっと私を手放すはず。
そう思い、仮の婚約者としてならと受け入れたのだ。
(だけどまさか、私のために社交の場に出ると決断するなんて)
彼の社交嫌いもまた、前世から来ているのではないかと思っている。
私が前世で思わず見惚れてしまったほど、彼は容姿も整っている。
前世で王家主催のパーティーが開かれた時、私の護衛として後ろに立っているだけだというのに、女性の視線が一気に彼に注がれていたのを覚えている。
確か一度、まだ恋人同士でない時に尋ねたことがあった。
『そういえば、貴方は女性からとても人気なようだけど、恋愛や結婚はしないの?』
『そうですね……』
少しの間の後、彼は笑って答えた。
『私には必要ないかと』
『どうして?』
チクリと胸が痛む。それには気付かないふりをして尋ねれば、彼はこちらを見て笑顔で言った。
『私には、王女殿下がおりますので』
『っ!』
『永遠の忠誠を誓った主君の、貴女様のお側にずっとおります』
『……そ、そう』
あまりの破壊力に、心臓はドキドキと高鳴るばかりで。
返事も可愛げもないそっけない言葉に変わってしまう。
(不意打ちは、ずるい)
彼のその言葉は、その場限りの私を喜ばせるためのものだと思っていた。
けれど、彼は私の最期まで私に仕えてくれていた。
そして……。
「……やめましょう、これ以上は」
ふーっと長く息を吐き、前世に想いを馳せるのをやめ、現状に目を向ける。
(あの時は私の後ろにいれば、女性を交わすことは出来ただろうけど……)
王太子という身分、それに加えてあの容姿は、世の女性が放って置かないはず。
……とすると。
(彼が自己中心的な女性に捕まらないよう、見守っておかなければね)
出来れば、素敵な女性と幸せになってほしい。
ただ彼は、真っ直ぐすぎるが故に純粋な性格をしている。
だから。
(狡猾な女性に騙されやすいと思うのよね)
……やっぱり心配だわ。
「余計なお世話だと思うけれど、私が仮初の婚約者になるからには私の目で彼の周りを見定めないと」
これでも、前世王女であった自分は自信がある。
たとえ今世では社交の場に出ておらずとも、マナーや人を見定める目は培ってきたものがあるから。
(まあ、まだまだ学ぶべきことは沢山あると思うけれど)
まずはこの招待状……、婚約者候補に選ばれた他の三人のご令嬢がどんな人物か、見極めるのが早いわね。
そう結論付け、王太子殿下からの招待状に対する返事を認めるのだった。
(……で)
「どうしてこうなったのですか?」
思わず尋ねた私に、彼は笑みを浮かべて言う。
「だって君は、僕の婚約者になったじゃないか」
「仮初の、です! ……それにこれでは、またお集まりになった方々の怒りを買うのではありませんか?」
そう私が口にすると、王太子殿下はクスリと笑って言った。
「大丈夫、これも作戦の内の一つだよ」
「作戦……?」
「その前に、まずはお手を」
彼に手を差し伸べられ、恐る恐るその手を握る。
そしてエスコートされるように繋がれた手を、思わず見つめてしまう。
(……憧れて、いたのよね)
こうして公の場でエスコートを彼に受けることを。
前世では無論、王女と騎士という間で恋愛など御法度だった。
だからこそ、彼は公然の場では一定の距離を保っていたし、こんな風に触れることなど殆どなかった。
(私が我儘を言って、絶対に見られていないことを確認して口付けを交わす……なんてことがあったくらいなのよね)
彼もまた口付けをしただけで真っ赤になってしまう奥手だったし、告白だって私からだし、いつだって私からアプローチをすることが多かった気がする。
だから彼の方から差し伸べられたこの手が凄く新鮮に感じられて。
……って。
(だからダメなのよ!!)
前世のことを思い出すと、どうにも気持ちが簡単に溢れ出しそうになって怖い。
仮面を取り繕うのは上手いと思うけれど、思考はどうしても前世の方に行ってしまう。
(……だから、彼だけはダメなのよ)
前世では、私からこの手を手放したのだから。
そんなことを考えていると。
「作戦の話」
「はい」
彼の言葉で我に返り、隣を歩く彼の顔を見上げると、王太子殿下は悪戯っぽく笑って言った。
「君が隣にいることで、ご令嬢達がどんな態度を取るのか知りたい。
少しでも君に敵意を向ける者から順に除外していくつもりだ」
「え、えぇ……」
それも何だか、私中心に物事が決まっていく気がするのは気のせいかしら……と遠い目になりかけるけれど、確かに彼の言い分に私も賛成だった。
(私に敵意を向けるということは、隙があらば何かアクションを起こしてくるかもしれないものね)
私の目でも確かめなくてはと気を引き締め、この前姿を現した王太子殿下のように、皆の前に今度は二人で姿を現したのだ。
「どうだった?」
広間から応接室へと場所を変え、二人きりになったところで、開口一番そう尋ねられた私は首を傾げる。
「どう、とは?」
「君と約束した、彼女達に謝罪をしてもう一度向き合ってみるという話のことだよ」
「そのことですね」
私は少し考えてから頷いて言った。
「良かったと思いますよ」
「ほ、本当!?」
「はい」
「良かった……」
ホッと息を吐く彼を横目に私は思う。
(本当に、彼は王太子として生きているのね)
彼女達を前にきちんと誠心誠意謝罪をしたその姿は、前世私の後ろに控えていた騎士とは思えない、堂々とした佇まいだった。
そして、その上で私が婚約者になったことを発表し、それでもまた婚約者がこの中の誰かに変わることがあるかもしれない、とも付け足した。
「でも本当にあれで良かったんだよね? 君の言う通りにしたけれど……」
「はい。きっと、伯爵令嬢である私が貴方の婚約者が務まるはずがないと思っている方々がいらっしゃるでしょうから、貴方の目で公平に婚約者を決めるという姿勢を見せるのが大事かと」
「……そんなことはないと思うけど」
(……甘いわね)
やはり彼は気が付いていない。
笑みを浮かべていても、私に向けられる敵意の視線。
口元で笑みを浮かべていても、瞳の奥までは誤魔化すことは出来ないようで。
(まあ、前世王女だった私なら完璧に隠せるけれど)
『民の前では常に、仮面を被れ。
自身の感情は、全て仮面の下に隠し殺せ。
それが出来なければ恥であり、王家失格である』
これもまた、幼い頃から言われ続けた教訓だ。
(とは言っても、私がそれを出来るようになったのは、彼と出会い、あることが起きてからなのだけど)
あることというのは、私にとって言葉には表せないほどの深い悲しみに囚われた事件のこと。
今思い出しても悲しみで苦しくなるから、ともかく。
「あの中で確かに、私に敵意を向ける視線が特に強かった女性が一人、いらっしゃったことは確かです」
「え、だ、誰!?」
彼の素っ頓狂な言葉に、一瞬吹き出しそうになったのを何とか堪え、口を開きかけてから……、別の言葉を発した。
「秘密です」
「え……!?」
唇に人差し指を当てそう口にすれば、彼は驚いたように目を見開く。
その間に、机の上に置かれたティーカップを持って言った。
「王太子殿下のその目で、確かめてみてください。
自分にとって善か悪か、見極められるようになることは大事です。
特に、敵意ある者達から向けられる視線……、つまり、“目は口ほどに物を言う”ですよ」
そうヒントだけ付け加えてからティーカップに口を付け、紅茶に舌鼓を打ったのだった。