今世では
「一目惚れ、なんだ」
「え……?」
思いがけない言葉に目を瞬かせている間に、王太子殿下は慌てたように付け足す。
「と言っても、一目惚れというのがなんなのか、自分でもよく分かっていないのだけど……、でも、君と初めて目が合った時、こう、この人だ!と思ったんだ」
「!?」
「手放してはいけない、ずっと探していた“何か”を見つけたような、そんな感覚に囚われて……、こんな気持ちは初めてなんだ。
むしろ、女性は苦手としていたはずなのに」
「〜!?」
(こ、この人何を言っているか分かっているの!?)
冷静にならなくてはと思う反面、この人が前世の恋人だと思うと、どう反応して良いか分からず戸惑ってしまっている間に、王太子殿下は椅子から腰を浮かせ、私に身を乗り出しながら尋ねた。
「僕には君が必要だ。君しか考えられない。どうか、僕の婚約者になって欲しい」
「……っ」
切願するように向けられたその表情からも声音からも、彼が本気で私を婚約者にしたいと思っていることが窺えて。
何より、金色の双眸に映る私が見える程の近い距離に、まるで昔に戻ったような錯覚を覚え、身動きが取れずにいると。
「何をやっているんだ、お前は!」
「「!?」」
第三者の声に我に返ったと同時に、彼の身体が後ろに引き戻される。
そんな王太子殿下の首根っこを掴んでいたのは。
「国王陛下……!」
立ち上がり、机のように移動してから淑女の礼をすると、その後ろにもうお一方いらっしゃったことに気が付く。
「お初にお目にかかります、王妃殿下」
そう口にしながら再度首を垂れると、王妃殿下は口元を押さえ、優雅に微笑んだ。
「あらまあ、確かに素敵なお嬢様ですこと。試験の時からただものではないと思っていたけれど……、身のこなしにも品があるし、確かに未来の王太子妃に相応しい方ね」
「あ、あの」
「あぁ。今まで一切女性と関わり合いにならなかったハロルドが、まさかここまで盲目になるとは。
だからといって初対面同然のお相手にやりすぎではあるが。
驚かせてすまなかった、オルコット嬢」
「いえ……」
(それよりも、この状況の方が不味いわね)
部屋の中に現国王夫妻、そして次期国王と謳われる王太子が一堂に会している。つまり。
(私に逃げ場がない!)
そして案の定、危惧していた言葉が国王陛下の口から放たれる。
「クレア・オルコット嬢」
「……はい」
名を呼ばれ、静かに返事をする。
そして予想していた言葉を投げかけられた。
「どうか、ハロルドの婚約者になってくれないだろうか」
「私からもお願いするわ。ハロルドは確かに、幼い頃から勉強ばかりで社交の場を好まない困った子だけれど、でもとても良い子なの。次期国王としての器もあるわ。
まだ会ったばかり、それも突然のことで驚いたでしょうけれど、彼にも私達にとっても貴女は救世主なの。
だからどうか、もう一度考えてみてはくれないかしら?」
そう現国王夫妻からも懇願されてしまった私は。
「……もう一度、王太子殿下とは二人でお話しさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだとも。ゆっくり話し合ってほしい」
そう言って現国王夫妻が部屋を後にしたのを見送っていると、王太子殿下が申し訳なさそうに謝罪した。
「ごめんね、どちらも君に興味津々で。
試験も、そして先ほどの部屋での私達の会話も全て耳にしているはずだ」
「はい」
別に驚くことではない。
だからこそ、先程彼が“部屋の外にも会話が聞こえる”というような発言をしていたのを覚えている私は、今この瞬間も第三者に聞かれていることを意識して口を開いた。
「王太子殿下」
「!」
静かに呼びかけたことで、彼の表情も引き締まる。
(本当に……、懐かしい)
まさか今世で、貴方と生きて会えるとは思ってもみなかった。
会いたくない、合わせる顔がないと思っていた反面、やはり会いたいと心のどこかで思っていた。
前世の罪人である私が貴方に会えたというだけで、神に感謝してもしきれない。
(だから私は)
もうそれ以上、何も望まない。
「先程お尋ねした私を婚約者にと望まれる理由ですが、“一目惚れ”と仰っていましたよね?」
私の問いかけに対し、王太子殿下は黙って頷く。
それを見て息を吸うと、口を開いた。
「私は、“一目惚れ”というものを信じておりません」
「……え?」
「だって、目を見ただけで恋に落ちるなんて……、あり得ないと思いませんか?」
「っ、それは……」
王太子殿下が口籠る。
その姿を見て、心の中でつぶやいた。
(ごめんなさい)
でも、私がここで甘い顔をするわけにはいかない。
だから、“彼”に現実を突きつける。
「私はそのような一過性のものを信じて、身を滅ぼしたくない。
……それでも、どうしても私の力が必要だと仰るのなら、証明してみて下さい」
「……証明?」
これは賭け。国王夫妻にまで頼まれてしまったからには、無碍に扱うことも出来ない。だから。
(私なりの妥協案を提示する)
「私への“一目惚れ”というものが、果たして本当の愛なのか。
表向きは仮の婚約者として扱って頂いて構いません。
その代わり、貴方様がお嫌いだと仰っていた社交の場に出てください」
「……!?」
「それと、最終候補に残った他の三人にも謝罪をし、交流を行った上で婚約者の再検討を。
それでも私をと仰るのであれば、考えさせて頂きます」
案の定、私の申し出に王太子殿下は戸惑っている。
(前世の記憶がある分、知っているもの。貴方の弱点を)
彼が狼狽えている間に、さらに言葉を続ける。
「冷静にお考えになってください。
二日に渡る婚約者選抜試験を受けたにも拘らず、ようやく王太子殿下が姿を現したと思ったら、まるで私しか見えていないという風に振る舞った」
「あの時は本当に、君しか見えていなくて」
「それがいけないのです。王太子殿下とあろうお方が、周りを見えていないなど言語道断です。
このままでは、私まで王太子殿下に裏で取り入ったのではないか、と疑われてしまいます」
「そ、それはダメだ!!」
慌てたように立ち上がった“彼”に冷静に視線を向けて言った。
「どうなさいますか。私はどちらでも構いませんが」
「分かった! 君の言う通りにしよう。そうすれば、君の信頼を取り戻せるだろう!?」
……何だか話の方向性がズレている。けれど。
(本当に、貴方という人は)
いつだって私を一番に考えてくれる。
それが前世を思い出されて、不意に泣きたくなるけれど。
(今の私達は、王女と騎士という関係でも、ましてや恋人同士でもない)
「……王太子殿下」
私は深く息を吸うと、真っ直ぐと彼を見て告げた。
「これからどうぞ宜しくお願い申し上げます」
こうして、私と彼の時を超えた歯車が、再び動き始めたのだった。