婚約者として
「余所見しないで」
「!」
不意に囁かれるように口にされた言葉に、ハッと我に帰る。
そして直後、クルッと回され、慌てて体制を整えれば、彼は悪戯が成功したというように笑って言った。
「油断は禁物だよ?」
「きちんと貴方様の目は見ていたはずですが」
「確かに周囲の目にはそう映っているだろうけど、心ここにあらずって感じだったよ」
そう言って笑う彼は、当然騎士服姿などではなく王太子という立場に相応しい真っ白で豪奢な正装に身を包んでいる。
(本当に……、前世で憧れていたことが、現実になるなんて)
彼の顔をじっと見つめる。そして、小さく尋ねた。
「王太子殿下は、もう20歳になられましたよね?」
「うん。丁度一ヶ月ほど前に20になったばかりだけど。
君は来月で18歳になるんだよね」
「はい」
その問いかけに頷けば、彼は嬉しそうに笑って言った。
「では、盛大にお祝いしないとね!」
「いえ、盛大にしていただかなくても」
「君は仮とはいえ僕の婚約者なのだから、そう謙遜しなくて良いんだよ!」
「……本当に、よろしいんですよ。
お祝いしていただけるだけで十分嬉しいです」
そう言って微笑みを浮かべれば、彼はハッとしたように息を呑む。
そして。
「〜〜〜っ、君は本当に可愛すぎる……」
視線を逸らして口にする彼を見て、クスッと笑ってしまってから思う。
(……私今、上手く笑えていたかしら)
18歳の誕生日。
前世の彼もまた、当日は盛大にお祝いしてくれると約束してくれた。
だけど。
(忘れもしない、18歳の誕生日を迎えるほんの数日前に、私は命を失った)
つまり。
(もうすぐ、前世の私の命日……)
私は今世で、前世の命日を無事に越し、18歳の誕生日を迎えることが出来るのだろうか。
(……ついそんなことを考えて、安易に約束を交わすのが怖くなる)
約束を反故にしてしまった前世の私の罪が一生消えることはない。
そんな罪という名の鎖に記憶を思い出した瞬間から、囚われ、苦しみ、今もなお苛まれ続けている。
ファーストダンスは拍手喝采で無事に終わったと同時に、二人で顔を見合わせ安堵の息を吐いた……瞬間、私達は大勢の人に囲まれた。
挨拶という名の、媚びを売られる時間だ。
(まあ、媚びを売りに来るくらいなら良いのだけど)
私を試そう、という方も当たり前のようだけどいらっしゃる。
「未来の王太子妃殿下、突然ながら我が領地の特性についてはご存じですかな」
その問いかけに、全く動じることなく笑みを浮かべて答える。
「はい、もちろんでございます。アーロン伯爵様。
領土は伯爵家の中で随一の面積を誇り、四季に恵まれた領土を生かして、観光業が盛んとお聞きしております。
牧場や花畑……、中でも春の訪れを告げる美しく整えられたブルーベル の花畑が人気なのだとか。いつか私も伺いたいです」
「これは驚きましたな。傍系の我が伯爵家のことまでお調べになっているとは!」
「傍系などではございません。観光業は間違いなく、これからの未来で重要視されていく産業です。
引いてはこの国の特産となり、宝となることは間違いないでしょう。
胸を張り、誇りに思うべき産業であると私は思います」
「……! 未来の王太子妃殿下にそう仰っていただけとるはとても光栄です。
是非、一度我が領地へお越しください。私自らご案内いたしましょう」
「まあ! 嬉しいです。その時は是非、よろしくお願いいたします」
そんな挨拶を数十人単位で行っていると。
「クレア嬢。少し休憩してくると良いよ」
「いえ、そういうわけには」
「大丈夫。君は頑張りすぎるくらい良くやってくれたと思うから。
ほら、周りを見て。君への視線が、皆羨望の目に変わってきている」
そう言われてみれば確かに、刺すような視線は感じられない。
(まあ、これはこれで大変になることは分かっているのだけど)
羨望や信頼は、些細な歪みが生じれば簡単に憎しみや恨みへ変わる。
(だからこそ、人の上に立つということがいかに難しく、大変であることかを思い知らされる)
王族は人間であって神ではない。
そう思うのは、いつだって自分の無力さを感じた時だ。
「……確かに疲れているみたい。少し落ち着いてくるわ」
「うん。いってらっしゃい」
断りを入れて立ち上がろうとした、けれど。
「これはこれは御婚約者殿」
「!」
その声に目を見開く。
目の前にいたのは、ハロルドの瞳と同じ金色の髪と同色の瞳を持つ男性の姿だった。
(金色は、この国では王族の証)
つまり、この方が正真正銘。
「……ご無沙汰しております、叔父上」
叔父上。彼がそう呼んだのは、国王陛下の弟であり現ウォール公爵であらせられる方だった。
そして。
「あの小さく気も弱かった王太子殿下がついにご婚約者を迎えるとは」
(本人を目の前にして悪口?)
顔を顰めそうになるけれど、グッと我慢して笑みを貼り付けていれば、その後もウォール公爵の嫌味は続く。
「それも名も知らぬ、これまた貧相な伯爵令嬢とは。噂によれば、貴女様もまた王太子殿下と同様に社交界に一切姿を現すことのなかったとか。深層のご令嬢を気取られていたのでしょうなあ」
(……0点ね)
私達を怒らせるための、わざとらしい悪口。
目線からして本心なのでしょうけど、包み隠さない憎しみや恨みの目は隠すべきだと思うわ。
(比べることじゃないけれど、前世のあの人の方が巧妙で姑息だったわ)
だからウォール公爵は0点。
そして私の隣にいる彼はというと、何も言わずにただ目は笑っていなかった。
(……えぇ、堪えるだけ大人になったわね)
前世では私が悪口を言われると表情に出していたもの。
だから貴方は合格よ。
「……そうですね」
「「!」」
ここからは、貴方の代わりに私がお手本を見せてあげる。
そう自分を鼓舞し、ウォール公爵に向かって笑みを浮かべて口を開く。
「確かに、歴代の王太子殿下や王妃殿下と比べると、私達は異質の存在であるでしょう」
「クレア嬢?」
驚いたように目を丸くする彼を私は一瞥してから言葉を続ける。
「それでも、王太子殿下はいずれ国王となる御身。そしてそのことを誰よりも自覚しているのは、王太子殿下ご自身です。
その王太子殿下が私を婚約者と見初めて下さいました」
そこで言葉を切ると、はっきりと言葉を告げる。
「私が王太子殿下に必要としていただけている以上、その名に相応しくいられるよう努力は怠りません。
それでも私達に至らぬ点などございましたら、いつでも遠慮なく仰っていただればと思います。
王太子殿下は未来の国王として、そして私は王太子殿下のお隣に胸を張って立つことの出来る者になるために。
ウォール公爵様を含め、皆様に認めていただけるよう精進して参りますので、これからどうぞよろしくお願い申し上げます」
そう告げてもう一度笑みを浮かべれば、ウォール公爵はつまらなそうに舌打ちをし、行ってしまう。
「……クレア嬢」
困ったように名を呼ぶ彼に、私は小さく「ごめんなさい」と口にした。
(だって私だって許せないもの。私の悪口はともかく、彼の悪口を言うなんて)
それに、あの人の目は気を付けなければいけない目。
(目を光らせておくべきね)
そう遠のいていく公爵の背中を見て思ったのだった。




