婚約者候補
そして彼のお陰で無事にデビュタントが終わっても、私はダンスの練習を続けた。
そんな私に、彼が尋ねたのだ。
『どうしてそこまで必死にダンスの練習を? デビュタントが終わったら、王女殿下はあまり人前で踊らなくて良いのでは』
『重要な場面では踊ることがあるでしょう? それに……』
私はチラリと彼を見上げて思った。
(いつか、貴方と公の場でダンスを踊れるようになりたい)
なんて、まずもって彼が私と同じ想いを抱かなければ叶えられないわよね、と当時の私は思ったのだ。
(そして忘れもしない、私から告白した時にダンスのことを話して、一線を越えるわけにはいかないと頑なだった彼が、ようやく折れて両想いになったの)
その話をして両想いになったすぐ後、彼がくれたのがあの人形だった。それを大切に誰の目にもつかないところにしまって。
王女と騎士である私達が二人でいつか、堂々と人前で踊れることを夢見ていた。
そんな夢は、二度と叶うことがないと思っていたけれど。
(まさか、今になって叶うとは思わなかったわ)
「クレア嬢?」
私は彼の顔を見上げる。そして。
「私、王太子殿下の仮の婚約者、精一杯努めさせていただきすね」
「!」
私に出来ることは、彼の幸せを願うこと。
まずはそのためにも、このお役目、きちんと果たさないと。
そう心に決めたのだった。
その後も練習は続き、最後の一曲を踊ろうとしたところで、彼は従者に呼ばれた。
「今婚約者である彼女とダンスの練習をしているから忙しい。帰るよう伝えてくれないか」
「どうしましたか?」
私が尋ねると、彼は不貞腐れたように言った。
「婚約者候補の内の一人に公爵令嬢がいたでしょう? その人が急に来て僕に会いたいって。
全く、事前の連絡もなしに現れるなんて」
「そ、そうですね……。でも、彼女の家は王太子派でしたね?」
その言葉に、彼は驚いたように目を見開く。
「君、派閥まで把握しているの?」
「そうでないと、いらぬ争いが起きても困りますので。それはそうと、王太子殿下、お早く。
断るにしても顔を出した方がよろしいかと」
「……分かった。君の言う通りにするよ」
すぐに戻る。
そういって彼は従者に案内を頼むと、部屋を後にする。
「……派閥、ね」
前世、私も嫌と言うほど派閥に苦しめられた。
(全ては私が、王子ではなく王女として生まれたから)
そしてそのせいで、お母様が命を落としてしまった。
(私達一家の食事に、毒が盛られていた。
たまたま先に食事を口にしたお母様が、すぐに気が付いて私とお父様に食べないよう指示した……)
その結果、お母様だけが命を落とした。
私が17歳の時だった。
(その後、犯人はすぐに見つかったけれど、その人は口を割らず、結果自害。真相は闇に葬り去られた)
だけど、私には疑わしいと思う犯人が別にいた。
毒を盛った犯人とは別の、裏で操っていたと思われる黒幕が。
(なかなかしっぽを出さず、結局何も証拠を掴めなかったけど)
でもその人のせいで、お母様だけでなく被害を被った人々が大勢いたと思うと、やるせ無い気持ちでいっぱいになり、胸が苦しくなる。
(だから今世でも、十分に注意しなければ)
そのためにも、敵味方の区別はしっかりつけないと。
あんな思いをするのもさせるのも、もう二度と嫌だから。
そしてその日、彼は結局私のところには戻って来ず、またその日を境に彼が私の王妃教育に姿を現すことはなかった。
「……いよいよ明日ね」
息を吐き、窓の外を見上げる。
空は明るく雲ひとつない青空が広がっているけれど、私の心は晴れないままだ。
(結局、二週間くらい彼に会っていないわ)
……って、私何を考えているの!?
私は彼にとって仮初の婚約者で、それ以上でもそれ以下でもないというのに。
(この距離感が正解なのよ)
そう、最初から彼の距離感がおかしかっただけ。
だから今の距離感が、適切なのだ。
(だって私は)
本来、彼の側にいてはいけない存在で……。
「あれ、クレア様?」
「!」
不意に声をかけられ、振り返った先にいたのは。
「……バーバラ様」
バーバラ・エイデン。
エイデン男爵家の長女として生まれ、婚約者候補に選ばれた内の一人。
そんな彼女は、茶の髪を揺らして首を傾げた。
「どうしてこちらに? あぁ、王妃教育を受けにいらしているのですよね!
王太子殿下からお聞きしました」
「そうですか」
特に会話する内容が見当たらないけれど、見定めるには良い機会ね。
そう思い、にこりと笑って尋ねた。
「バーバラ様はどうしてこちらへ?」
「あぁ、王太子殿下から呼ばれたのです!」
「呼ばれた?」
「はい。……あっ、でも先約があったようで……、ほら、あちらに」
彼女の指差した先。
そこには、庭先で笑みを浮かべる彼の姿と、その隣を日傘を持って歩く女性の姿があって。
(……あの方が、例の)
「キャロル様ですね。最近は、王太子殿下と仲睦まじくされているところをお見かけします。
噂によると、キャロル様は王太子殿下のことをお好きなのだとか」
「……そうですか」
「気になりますか?」
「……そうですね」
どうも彼女は、話に乗って欲しいらしい。
(でも私は、一筋縄ではいかないわよ?)
案の定、彼女は嬉しそうに手を叩く。
「そうですよね! クレア様こそ婚約者ですし、王太子殿下といたいですよね!
一度、キャロル様に注意された方がよろしいかと」
「……バーバラ様」
「!」
私はにっこりと笑って言った。
「ご丁寧なご忠告を、どうもありがとうございます。
けれど、私はどなたの指図も受けませんの」
「お、お気を悪くさせていたらすみません!
指図をしたわけではありませんので」
「そう? それなら、気を付けた方がよろしいかと。
貴方の言動は、他者に色々と誤解を与えやすいようですから」
「……!」
「これからダンスのレッスンがありますので。それでは、ごきげんよう」
私は淑女の礼を完璧に行うと、踵を返す。
(……キャロル様より、あーいうことを裏で言ってのけるバーバラ様の方がよほど注意すべき人間だわ)
分かりやすい敵意よりも、人を欺く目を持つものを疑え。
「……さあ、これからどう出てくるのかしら?」
黒幕さん?




