前世:彼と踊った初めてのワルツ
初めて一緒にダンスをしたのは、ハロルドが配属されてから二年後、私が16歳の時のことだった。
「……あっ」
足が絡まり、ドンッと尻餅をつく。
「痛……っ」
昔から、ダンスだけは苦手だった。
勉強も所作も乗馬も、何だって完璧にこなせた。
それでこそ王女だと思っていたし、苦手なことがあるのは言語道断だと、何より自分のプライドが許さなかった。
けれど、ダンスだけは。
「っ、何で出来ないの……っ」
ほぼ壊滅的だった。
それは、ダンスを教えてくれる教育係がさじを投げるほどに。
「こんな遅くまで何をしていらっしゃるのです」
「!」
そんな私に、突如声がかかった。
驚いて見上げると、そこには護衛騎士の彼の姿があって。
「……別に、何も」
立ちあがろうとして、痛みに一瞬顔を顰めるけれど、何でもない風を装う。
そんな私を見て、彼は深く息を吐いた。
「何もないわけがないでしょう。
明日はいよいよ貴方様のデビュタントという大事な場を控えているのです、練習する前に早く寝るべきでは」
「どうせ貴方には分からないわよ!」
「!?」
私の大声に、彼は驚いたように目を丸くする。
(あぁ、最低。好きな人に向かって声を荒げるなんて)
もう嫌われても良いからどうにでもなれと言葉を続ける。
「私は、王女なの。王女であるからには、苦手も、ましてや失敗なんて許されないの」
デビュタントでは必ず、一曲は踊らなければならない。
しかも明日は、国王陛下と最初にダンスを踊ることになっている。
「……国王陛下と皆の前で二人で踊るのよ?
私が失敗したら、国王陛下に恥をかかせるどころでは済まないじゃない」
だから私は、何が何でも苦手を克服しなければならないのだ。
そうして拳を握り、俯く私に彼の声が降ってくる。
「そう固くならずとも、本日の練習では綺麗に踊れていたではないですか」
そう指摘され、恥ずかしくなる。
「っ、あれは、国王陛下が上手くリードしてくれていたからよ。……現に、国王陛下がお顔に出さないだけで、私国王陛下の足を何度踏んだか分からないわ」
「……それは、大変ですね」
「あっ、今引いたでしょう!?」
好きな人に格好悪いところなんか見せられない。
だから。
「私は、何が何でも苦手を克服しなければならないの。
だから邪魔はしないで。早く出て行って」
彼だけには絶対にダンスの練習をしているところなんて見られなくて、口調がつい、鋭くなってしまう。
そう言って彼に背を向けた私は我ながら可愛げがないと、振り返らずに彼が出て行くのを待っていたのだけど。
「……王女殿下は、素敵ですね」
「……は!?」
急に何を言い出すんだ、と振り返ったところで、彼が私に近づいて来る。
驚いて言葉を失っていると、彼は目の前までやってきて言った。
「いつだって完璧を目指して、瞳はどこまでも真っ直ぐ前だけを見据えている。
……ですが私としては、もう少し周りを頼ってほしい……、正直に言ってしまえば、私をもっと頼ってほしいとそう思います」
「へ……!?」
そう言うや否や、急に私の目の前で彼が跪く。
そして。
「きゃっ!?」
彼が突如、私の身体を横抱きにしたのだ。
「な、何をするの!?」
「ご安心ください。少し確かめさせていただきたいことがございまして」
「は!?」
そう言うと、固まる私をよそに、スタスタと近くにあった椅子まで歩み寄ると、私をその椅子に座らせる。
そうして今度は、もう一度身を屈めて私のドレスの裾を軽く持ち上げた。
「な、何をす……、痛っ!?」
「……やはり」
ハロルドは息を吐くと、私の足を少し持ち上げながら言った。
「これだけ靴擦れを起こしていれば、痛みで尚更ダンスが上手く出来ないのも当然です。
……本来ならば、これ以上悪化しないよう練習を控えるべきですが」
「まだやれるわ!」
「……貴女様がこの調子ですので、ご意志を曲げるわけには参りません。
ですので、せめて私に応急処置をさせてください。
そして、こちらにお履き替えを」
そう言って差し出された靴を見て、私は眉を顰める。
「それはヒールではないじゃない」
「王女殿下のダンスを見たところ、重心移動が上手くいかないというよりは、緊張と苦手意識とで身体がガチガチに固まってしまっているので、それを解すところからではないでしょうか」
「……貴方、よく見ているのね」
その言葉に、彼は悪戯っぽく笑う。
「惚れ直しましたか」
「は!?」
「あはは、冗談です」
(か、からかわれた……っ!)
「あ、貴方の冗談は本当に分かりづらいのよ!」
「申し訳ございません。……ではまず、テーピングを致しますので、少々お待ちください」
そう言うと、彼は廊下に置いておいたのであろう治療箱を持ってきて、私の前にしゃがむ。
その手際の良さに見惚れてしまいながら、好きな人に足に触れられていることに段々と恥ずかしさを覚えた私は、慌てて言った。
「い、今治療箱を廊下から持ってきたわよね?
いつから、私が足を痛めているって気が付いたの?」
「国王陛下と踊られていた時です。
顔を顰めたり、足を庇ったりしているようでしたので」
「嘘よ! 私、きちんと顔は笑顔を貼り付けていたわ!」
国王陛下の前でそのような失態はしないはずだと言い張ると、彼の金色の瞳がこちらを見上げる。
「っ」
その瞳に見つめられ、ドキッとしてしまう私に、彼は微笑みながら言葉を発した。
「私は、貴女様付きの騎士ですから」
「……!?」
「はい、終わりましたよ。では、お手を」
ドギマギしてしまう私をよそに、彼は事もなげに手を差し伸べる。
何か言わないと気が済まない、と口を開いた。
「……貴方、そういう無自覚な性格、どうにかした方が良いわよ」
「そうでしょうか」
「絶対にそう」
彼は首を傾げると、膝の上に置いていた私の手を取り、引きながら言った。
「どうやら私は、貴女様の前でだけは素が出てしまうようです」
「……は!?」
そう言うと、彼は気を取り直したように笑みを浮かべて言う。
「国王陛下と踊られるのはワルツ、でしたよね。
夜遅くということもあるので、音楽は控えて私がリズムを取りましょう。
……私に身を委ねて、リラックスしてください」
「っ!?」
グッと近付いた距離に、余計に顔が強張ってしまう。
そして、ステップを踏むたびに彼の足を踏んでしまって。
「ご、ごめんなさい!」
「大丈夫です。……それよりも、どうして目を合わせてくれないのでしょう? 寂しいのですが」
「!」
そう耳元で囁かれるように言われ、声にならない悲鳴をあげる。
(ぜ、絶対にわざとだ!!)
「王女殿下?」
なおも至近距離で口にしてくるものだから、私は勢いよく顔を上げた。
「!」
今度は逆に驚いたように目を見開くハロルドと目が合って。
私は挑むように口を開いた。
「ハロルドのバカ!」
「っ」
「えっ!?」
ハロルドの足がもつれる。
当然、身を委ねていた私は彼に巻き込まれ、二人仲良く床に転がる。
「だ、大丈夫ですか!? お怪我は!?」
「大丈夫よ」
そう言いながら身を起こすと、彼に向かって口を開いた。
「私、今のでリラックス出来たかも。きっと今以上の失敗はしないと思うわ」
「……間違いないと思いますが、それはそれで複雑ですね」
格好悪い、と呟く彼に、私は耐えきれず笑ってしまうのだった。




