記憶が、溢れ出す
「よし!」
不意に彼がそう言葉を発すると、笑みを浮かべて尋ねた。
「そろそろお腹が空かない? 一緒に昼食を摂ろう」
「ですが、この調子ではお店はどこも混んでいるのでは……」
「大丈夫!」
「!」
彼は私の手を繋ぎ、悪戯っぽく笑って言った。
「こんなこともあろうかと思って用意しておいたんだ」
「用意?」
「それは、ついてからのお楽しみ」
向けられた笑顔に、鼓動が速まるのが分かって。
彼は私の手を引き、颯爽と慣れた足取りで人混みをぬって歩き始める。
そして着いた場所は。
「馬車……?」
もう帰るのだろうか。
首を傾げた私に、彼は「良いから良いから」と私のポンと背中を押す。
「乗って。ここからだと少し距離があるから」
「わ、分かりました」
言われた通り、彼の手を借り馬車に乗り込むと、馬車はゆっくりと発車する。
彼の言う通り、馬車に揺られて十数分後。
「着いたよ」
そう言われ、彼が扉を開いたその先に広がっていた光景に目が釘付けになる。
「っ……」
森の中にまるで絨毯のように広がる、一面青紫色に染まったお花畑。
そして、遠目からでも分かるその花の名前は。
「ブルーベル」
彼はそう言うと、にこりと笑って尋ねた。
「知ってる?」
知ってるも何も。
(彼が私に教えてくれたことで、好きになった花……)
いつか、前世でハロルドがふと思いついたように言ったのだ。
『そういえば王女殿下のお髪の色は、まるでブルーベルの花のようですね』
『ブルーベル……?』
聞き慣れない名前に思わず首を傾げた私に、彼は心底驚いたように言った。
『ご存知ないのですか!?』
『えぇ。花の名前はさすがに覚えていないわ』
『勿体無い……』
『そんなに有名な花なの?』
『有名も何も、春の訪れを教えてくれる花ですから、知らない方はいないと思っておりました』
『へぇ……』
私の反応に、彼は『興味なさそうですね』と苦笑いしてから言った。
『丁度今その時期ですし、城の庭園にもその花があるはずです。見に行きましょう!』
『え!? ちょ、ちょっと!』
そう言われ、庭園へ向かった私が目にしたのは、青に近い紫色をした花だった。
『綺麗……、花が下を向いているのね?』
『そうなんです。その姿が美しくも可愛らしいことから、国民にとても人気があるんですよ。
だから貴方様の髪を見ていたら、似ているなと思って。ほら、色もそっくりでしょう?』
『ほ、本当ね……』
その場でしゃがみ、自分の髪を近付け比べてみたら、確かに同じ色だった。
『でしょう?』
『!』
そういうと、彼もまた私の隣にしゃがみ笑って言った。
『色だけでなくブルーベル自体が国民に愛されている。
まさに、王女殿下と一緒ですね』
『……えぇ!?』
花に似ているとか、国民に愛されているのが一緒とか何を言っているのこの人!
と思ったけれど。
(……ブルーベル)
花を見て、私だと言ってくれるなんて。
本当、ハロルドは。
『……ふふっ』
『王女殿下?』
思わず笑みを溢して首を傾げる彼に向かって言った。
『面白い人ね』
あの日、もう一つ彼が言ってくれた。
『いつか、王女殿下に自然に咲くブルーベルの花畑をお見せしましょう』
と。私はその言葉に頷き、彼と一緒に見る約束を交わした。
そして。
「……ハロルド」
私は、今は王太子殿下である彼の瞳を見て、笑みを浮かべて噛み締めるように口にした。
「連れてきて下さって、ありがとうございます」
「……!」
彼は驚いたように目を見開く。
(時を超えて、彼が出来なかった約束を果たしてくれる)
たとえ覚えていなくても、それが本当に嬉しくて。
同時に、私から交わした約束は何一つ叶えてあげられないことが頭をよぎり、胸を締め付けられる。
けれど、今はその気持ちに見て見ぬ振りをして、彼と向き合っていると。
「……もう一つ、用意していたものがあって」
彼はそう言うと、座っている自身の横に置かれていたバスケットを掴み、被せてあった布を取りながら私に見せた。
その中身を見て、驚いて声を上げる。
「サンドウィッチ!? わざわざご用意してくださったのですか?」
「あぁ、うん、そう」
「美味しそうですね!」
「……実は、僕が作ったんだ」
「……はい!? 王太子殿下である貴方が!?」
「うん」
彼は恥ずかしそうに頬をかきながら言った。
「自分で作ったものの方が、喜んでくれるかなと思って。
……というか、作ってあげたかったんだ、君に」
「!」
確かにこれも以前、前世で同じようなことがあった。
風邪を引いて病人だった私が、夜中にお腹が空いて起きてしまい、厨房に向かおうとしたところを当然のように彼に見つかって。
(“王女殿下に料理をさせるわけにはいかない”と、護衛騎士である彼がお粥を作ってくれて……)
彼は料理が得意だった。
それは、幼い頃から実家で料理を作るときに手伝っていたからだと言っていたっけ。
(そのとき作ってくれたお粥が、今まで食べたどんなご飯よりも美味しくて。
そう言ったらとても……、照れていたわ)
翌日、すぐにバレて国王陛下から二人で怒られてしまったけれど。
「……サンドウィッチ、一ついただいても?」
「もちろん、どうぞ」
彼からサンドウィッチを一つ受け取り、小さく一口口にする。
「……どう、かな」
恐る恐る尋ねてきた彼に向かって、私は自然と笑みを溢して言った。
「とっても美味しいです。貴方らしい、優しい味がします。ありがとうございます、ハロルド」
「……っ」
私はもう一度笑みを浮かべると、不意に込み上げた涙をグッと堪え、サンドウィッチを少しずつ、味わって食べたのだった。




